命の天秤
屈強な男が立ちふさがると、スタンはディムロスを大きく振り切った。
剣が飛び、気を散らしたところで蹴りを入れる。
男は悲鳴を上げながらバランスを崩して階下へ転げ落ちていった。
トウケイの城で、扉を塞ぐ仕掛けを解く為にパーティは一時的な離散を強いられていた。
女性陣とジョニーは比較的危険の少ないと思われる方へ配置されている。
リオンとスタンは強行覚悟で人の気配のあるほうへ進んでいく。
再び現われる兵士。
その華奢な外見で判断してか、四方を塞ぐようにリオンの周りに金属の鈍い光が集い、向けられる。
しかし、次の瞬間、彼らは短い悲鳴と共に絶命していた。
シャルティエが弧を描くように一閃し、凪いだ時には的確にその頚動脈を捉えて立ちはだかる者を消し去っている。
「雑魚どもが」
あまりの速さに、その白刃が血で汚れることもない。
その手ごたえの無さにリオンは視線を落とすことも無かった。
「リオン、お前さ…」
その後ろで獅子戦哮でふっとばしたスタン。
一息つきながらリオンの顔を困ったように振り返った。
「なんだ」
「もうちょっと手加減しろよ。あれじゃ皆死んじゃうだろ?」
「それがどうした」
先の通路を伺いながら抑揚の無い返事。
スタンは一瞬面食らったような顔をして、それから眉を寄せた。
「どうしたじゃなくて…俺たちは無益な殺し合いに来た訳じゃないだろ?!今だって──」
「甘いな」
辺りに敵の気配が無いことを悟ってリオンも振り向く。
表情がコロコロ変わるスタンとは対照的な冷々とした瞳。
揺らぎの無い声にスタンは思わず言葉を途切らせた。
「それで?ここで情けをかけて、後で追い詰められるわけか。それとも、討ち取らなかった奴らに別行動をしているあいつらを狙えと?」
「…っ!」
スタンは苦い顔で押し黙る。
リオンの言うことは正論だ。同時に、討ち洩らした兵たちが、他の仲間たちへの皺寄せになる可能性も考えられなかったことを不甲斐なく思いながら。
それでもスタンが納得するはずは無かった。
「でも、ここの兵士だって元々はグレバムなんかの手下じゃないだろ?!ティベリウスを抑えれば、ここの兵士だって…」
言いながらも最後まで続かない。
抑えるために必要だから今、単独行動でここまで来ているのである。
戦争や争いごとに無縁の世界で育ったスタン。
方やリオンは幼い頃から軍の中に、争いの中に身を置いている。
リオンにはまっすぐなスタンの言い分も眼中に無い訳でもないがだからこそ「正論」は苛つかせる要素だった。
言葉を荒げようと口を開きかけて…それでも彼は飲み込むように押しとどまった。
その代わりに小さく舌打つ。
その見解は人が争いをやめようとしない限り、いつになっても一定になる日は来はしないのだろう。
誰かを生かすために、誰かを殺す。
それはきっと軍に属する誰もが少なからず抱くジレンマだ。
「戦争になればもっと多くの血が流れる。手遅れになれば、比べ物にならないほどの人間が命を落とすぞ」
「それでも…」
捨てられない。
アクアヴェイルへ来て、リオンはいつになくピリピリしている。
スタンは、それは感じ取っていたが、自分がそうはなりきれず、ついいつもの調子で言葉をつむいでしまう。
「オレは誰かが死んで、他の誰かが悲しむのを見るのも嫌だ…」
「ふ…他の誰かが、な」
ふいに。
苛立った表情を見せていたリオンから冷笑が漏れる。
だが、その瞳からは鋭い光は消えていない。
噛み付くようなまなざし。
「だからお前は甘いといってる。第一誰もが死んで誰かが悲しむと思ったら大間違いだ」
持てるものだからこそ、気づかない。
人間の醜い面を見てこなかったスタンにはそれが理解できないのだ。
それが、彼の良いところでもあるのだけれど。
リオンは自ら失言と気付きつつ、その皮肉を止めることは出来なかった。
「この僕のようにな」
「!」
言いながらも静かな怒りを湛えているようなリオンの様子にスタンは愕然とする。
それと共に哀しくなった。
それはひたすら沈黙を続けているシャルティエも同じ。
彼の心の内は知っていたが、できれば聞きたくない言葉だ。
「…どうしてお前はそんなこと言うんだよっ」
「事実を述べたまでだ。こんなところでそんな下らん問答をするつもりは… …!」
言いかけてリオンはシャルティエをすぐ先の曲がり角へ向けて突きつける。
その先から駆け出てきた人物は、危うくつんのめりそうになりながらも足を止めた。
その首が落ちなかったのは、寸でのところでリオンが剣を引いたからだ。
「…っなぜお前がこんなところにいる!」
「びっくりした…殺されるかと思ったよ」
だった。
シャレにならない。
首からシャルティエにつっこんだら無事ですむはずがない。
危うく仲間を斬りかけたリオンは別行動をしているはずの
に叱責の意味を込めた問いを投げかけた。
「なぜって…2人だけじゃ心配だな~と」
「お前はそんなに僕たちの腕を信用していないのか?」
「そういう意味じゃないんだけど…」
の答えにあからさま不満そうな顔でリオンが応じる。
目を丸くしていたスタンは我に返って、バツの悪そうな顔で視線を斜めに落とした。
それで
も何かまずいタイミングだったと気づく。
「どうかしたの?」
スタンらしからぬ暗い表情に
はリオンの肩越しに問うた。
しかし、それに答えたのはやはりリオンだった。
「…なんでもない。こいつがまた下らんことを言い始めただけだ。」
「!下らなくなんかないだろう?!どうしてそういう言い方するんだよ!」
険悪なムードに
は顔を曇らせる。
今までに無いような張り詰めた空気さえ2人の間には漂っている。
何を話したのだろう。
何となくわかるような気もするが。
「ディムロス、何があった?」
『見解の相違だな。兵士を殺すか生かすかで意見が分かれた』
は敢えてディムロスにたずねた。
スタンやシャルティエではリオンに制されるだろうし、リオンに聞いても一蹴されるのがオチだ。
まさかリオンもディムロスに話がふられるとは思っていない。
ディムロスもディムロスで冷静な見解を述べたので話は止められることはなかった。
スタンが怒ったのはそこではないが、いきなり本題に触れてはリオンを逆なですることを彼も心得ている。
「あぁ…それだけ?」
「それだけって、
」
それだけでここまで険悪なはずがない。
何かリオンが自分に関するなげやりな発言でもしたのだろう。
そうでなければこうなる前に話が打ち切られているはずだから。
スタンが譲らないなら、きっとリオン自身のことなのだろう。
だからあえて取合わない。
「でも、それだけじゃないんだよね。ディムロス」
「あぁ、その後にリオンが『自分が死んでも誰も悲しまない』と発言したからスタンが怒ったのだ」
「下らんおしゃべりはやめろ!」
本題に触れられたことでリオンが叱責を飛ばす。
が、ディムロスに関しては彼の制止の範囲外だった。
思い出してスタンが顔をゆがめる横で
が相槌を打つ。
「そう」
「…そうって…
は何も思わないの?」
「そうだね、悲しいね」
「悲しいだと?」
この状態で戯言としか思えないありがちな発言にリオンの足が止まる。
振り返った顔には耐えかねたような忌々しげな表情が浮かんでいる。
「いい加減にしろ、僕はお前たちと下らん友達ごっこをする気はない。」
「リオンは私が死んだら悲しんでくれる?」
「…なんだと?」
ふいの質問。
リオンだけでなくスタンからも驚きの表情が向けられる。
言った
の表情はと言えば、いつもと変わらない。
誰が死んでも関係ないと思っている。
けれど、そんなふうに面と向かって言われたこともないし、考えたこともなかった。
リオンから一瞬、思考のための沈黙が返って来た。
「そんなわけがない。そう言ったらなんだというんだ」
「別にどうも」
予想の範疇だ。言いながらもリオンは断言はしない。
それがどういう意図の元かわからないが、断言されないなら今はそれで十分だ。
引き下がる様子のないリオンにあっさり答えると、拍子が抜けたような顔をする。
しかし、スタンは非難めいた声を上げた。
「リオン!」
「スタン、ちょっと落ち着いて」
「だって
…」
「リオン、友達でなかったとしても同じ目的の元に行動しているなら仲間には変わりないよね。
背中を預けてるんだから信用できなくちゃ仲間になんかなれっこない。」
「…」
「ねぇ、スタン?」
ここで、焚き付けるか?
突っ込むものは居ない。
「そうだよ、リオン。俺たちは仲間なんだから」
そういうまっさらストレートで根拠の無いセリフは
は不得手である。
あまり当たり前のことを言いたくないのに言わされる羽目になり
の機嫌が少し傾く。
反面、スタンは
の言葉を受けて真顔でそう言った後、憑き物が取れたような笑顔を惜しげもなく振り撒いた。
「それにオレ、リオンや
が傷ついても悲しいよ。だから、誰も居ないなんてそんなこと言うなよ」
「…」
「大丈夫。リオン、私にも誰も居ないから!」
「………………」
それは違うだろ。
明らかに。
確信犯的な話のそらし方にリオンの顔が歪んだ。
「もういい…お前らにはつきあいきれん…」
ぐったりと必要以上に疲れた表情でリオンが視線を外す。
取り戻したいつもの調子でスタンはご満悦だった。
先頭を促すと、スタンは何が嬉しいのかやる気満々で駆けていった。
「言いたいことだけ言って気が済むタイプだね、スタンは」
「お前は気が済んだか?」
「いや。」
これっぽっちも。
本来スタンが言うべきセリフを言わされた。むしろそんな感じだ。
リオンもなんとなく
の発言に違和感を覚えたのだろう。
わざわざそんなことを聞いてくるとは。
「私の言葉で言うと仲間だから信用するんじゃない。信用できるから仲間として認めた、が正しいかな。」
「ふん、どちらにせよ甘いことには変わりないな」
いつもどおり言葉を紡いだはずだが、ふいにリオンの歩調が落ちる。
駆けながらも一瞬瞳を伏せて小さく呟くように告げた。
「…。僕は…お前たちの背中から切り付けるかもしれないぞ?」
あぁ、そんなことを考えていたのか。
それもそんなに明白に。
さすがに
も胸を突かれたような気分だった。
有り得ない、と答えられることを前提としてこぼれた本音。
だからこそ
にはつらい一言に聞こえた。
信用されていることがわかるのに、いつか来るだろう未来に既にこの時、彼は苦しんでいたのだ。
何と答えればいいのか、とっさには出てこなかった。
「戯れ言だ…忘れてくれ」
何か返事をしなければ、と思うが言葉は出ないまま、リオンは自ら発言を撤回した。
どんな答えを期待しているのかすら皆目検討つかない。
言葉は見つからず、自分自身の気持ちを手探りで捻り出すだけで精一杯だった。
「それでもいい。だから私たちのこと、仲間だって認めてよ?」
それこそ驚いた顔でとうとう足を止めるリオン。
何の意図も無い、多分
にしてみれば珍しいほど心の底から思った言葉だ。
だからこそ、驚いたのかもしれない。
矛盾に満ちた言葉はそれでも強い意味を持っていて。
「…僕は……」
何か言いかけたがその言葉は、スタンに呼ばれ、最後まで続くことはなかった。
迫る足音を聞きつけて、その顔がいつもの冷徹なまでの表情に戻る。
だが、次に振り上げられたシャルティエは、男の動きを封じただけで命までは奪わなかった。
スタンは気づいただろうか。
再び、立ちはだかるものが居なくなり、
がリオンを振り返るとその視線から逃れるように
マントをひるがえしてリオンは駆け出した。
「…行くぞ。グレバムを抑えるのが、僕たちの仕事だ」