「リオンっ…リオーン!!!」
レンブラント邸の一室。
珍しく大声を上げて
が不躾にリオンの部屋のドアを開けた。
リオンは動じず、読んでいた本から顔を挙げ、その妙に上機嫌そうな顔を確認する。
怪しいまでに、にこにこと。
「桜、見に行こうよ」
「なぜ僕がお前と花見に行かなければならない」
「じゃあ甘味食べに行こうよ」
「なぜ僕がお前と茶店に行かなければならないんだ」
「じゃ、特訓に行こう」
「…」
STEP EX 桜 -ザツガクの時間-
夜。
2人はレンブラント邸を出た。
扉を開けるとふわりと柔らかな夜風が髪をなでる。
この季節の風は微妙だ。
暖かいような、涼しいような。
昼間は汗を書くほど春独特の日差しであることもあるし
夜になればひんやりと冷たい風が吹く。
今は日が落ちた直後なので辺りは薄暮の紺色に包まれ
気温も散歩には丁度良いころあいだ。
がリオンを誘ったのは午前中。
なぜこんな時間になったかと言うと、理由は表向き特にないのだが、
実のところは「結局茶店につきあわされる」ような事態を憂慮してのことだろう。
剣の稽古であれば断る理由も見当たらず、複雑な顔をしながらも承諾したリオンが指定した時間だった。
『どこで訓練するんです?』
「どこでもいい。人目の多くない広い場所なら」
この町はどこへいっても人が居る。
理解しているのか人目を避けるような発言はしなかった。
そのまま街の北側へ歩いていく。
桜並木の公園にはまだ多くの人がいて、けれど2人はその賑やかさに頓着せずに通り過ぎた。
『…。絶対
がひきとめると思ったんだけどな』
「何が?」
『だって、朝は花見に誘ったでしょ。だから結局ここら辺でそうなるのかなぁ、と。』
どこか残念そうなシャルティエの声。
「お前は何を期待しているんだ?」
『僕もゆっくり花でも見上げてみたいな、なんて。』
「…シャルティエにそう言われちゃ…見てこうか」
「ダメだ。」
短く断定。
執着しないのか
もふーん、という調子で賑やかな広場をつっきっていく。
一番北側の海に面した場所まで来るとさすがに人影がまばらになる。
「ここでいいだろう」
中央へ向かう階段を下りるとリオンは、シャルティエを抜いた。
30分後。
「何をお前は気を散らしているんだ。」
時間の経過と共に集中力の途切れてきた
の様子にリオンは顔をしかめた。
人の集中力は保って45分といわれている。
しかし、普段の
の集中力には評価すべきものがある。
目を見張る上達も生来の運動神経に加えて集中力の賜物だろう。
リオンは口に出さないが、初めは15分、という約束が今や30分になっても終わる気配をみせないのは、それを最大限に活かす気があるからだなのだろうが…
それが、まるで集中しないことに集中しているかのような気配だ(どんな)。
「だってさ」
ついに
は剣の切っ先を下げた。
左手の指が空を向く。
「桜がきれいだから」
「…。
理由になってない」
指差された方は全く無視して即座につっこむリオン。
ほとんど紺に塗り換わった空にはライトアップされた桜が鮮やかに映えていた。
結局、ノイシュタットの北東側はどこにいっても桜はあるのである。
「絵になるねぇ」
それからリオンに視線を移した
は、改めて彼を見て上機嫌に言うがリオンは溜息をついて首を振る。
やれやれ、とばかりに。
『そりゃ坊ちゃんは大抵の場所では絵になるよ?』
「お前ら、何バカなこと言ってるんだ」
「休憩しよう」
呆れるリオンの前で
はシャルティエに手を添えた。
同意を求められてシャルティエは嬉しそうにリオンに向かって復唱。
リオンでなく、シャルティエに休憩を持ち込むあたり普通でない。
にしてみればさっきシャルティエが桜を見たがっていたことが気になっていたのだが。
「休憩も何も、既にやる気ないだろ」
「まぁまぁ。リオンは桜の由来、知ってる?」
ベンチに座って見上げる。
海風が満開の桜を揺らして飛ばす。
リオンから返事はなかった。聞いている証拠だ。
「さくらの「さ」は神をあらわす古語で、「くら」は鎮座…つまり神霊の降りる場所、だってさ」
「お前の言う神とは一体何のことなんだ?」
「…少なくともこの場合アタモニ神ではないと思う」
それは、おそらく曖昧なもの。
しかしないという人にはないし、あると思えばそこにあるものなのだろう。
「ちなみに、桜の木の下には死体が埋まっている、というのも有名」
「…どこの世界の話だ」
この世界ではそれはなかったか。
さすがに冷や汗でも見せそうなリオンの表情に同じく冷や汗交じりの笑いを返す。
『雰囲気ないですねぇ』
「リオンが神について突っ込んだりするからさ」
「お前といい雰囲気になろうなどとは思えないからな」
ふん、と言いつつも桜を見上げるリオン。
つられて見上げるとまるで引き込まれそうだ。
舞い散る桜の花びらを見ていると、まるで無限。
それとも夢幻?
「鬼が棲む、ともいう。桜って、人外の魅力があるんだね」
それには納得だ。
夜の桜は、特に魅惑的で。
神かあやかしが出てきても何ら不思議はない気すらする。
目が離せなくなる気も分かる。
「リオン、そんなとこで見上げてても首が疲れるでしょ。座って見たら」
じっとみつめたまま物思いにふけりそうなリオンを現実に引き戻して、
はベンチの隣を叩いた。
「シャルティエだってゆっくり見たいっていったでしょ。見せてあげなよ」
リオンはそう言われると少し考えて隣に腰をかけた。
シャルティエを再び鞘から抜いて膝に置く。
「神と鬼、とはよく言ったものだな」
『綺麗ですねぇ』
もうすっかり闇に占拠された空をバックに映える桜色。
シャルティエの満足そうな声を耳に
も満足そうに笑っていることに桜を見上げるリオンもシャルティエも気づかない。
しばらくの間、そうして
は夜桜と、リオンとシャルティエを眺めていた。
あれほど警戒心の強いリオンが、無防備な横顔を見せているとは。
いつ自分が見られていることに気づくのだろう。
いたずら心にかまけながら
やはり夜の桜には魔力があるのだと思いつつ。
「リオン君…こんな時間まで一体どこへ行っていたの?」
夕食までには戻るつもりだった。
気づけば9時を回っていた。
花冷えしてくしゃみのひとつも出る頃まで桜を見上げていた、などと誰が言えるだろう。
リオンは釈然としない様子のイレーヌに沈黙で返す。
反してシャルティエと
は何があったんだと聞きたいくらい機嫌が良く。
それでも、彼らも口を割らなかったので
結局、仲間たちの間で、この日の出来事はナゾのままだった。
何もなかったんだけどね。
何も言わないほど、何かあるように思えるんだよね。
不思議なことに。
────この『何事もない空白の時間』は
ささやかな
3人だけの秘密。