西洋マナーと東洋マナー
神の眼を奪還したその夜、ヒューゴ邸では宴といわれるにはささやかだが、夕食というには盛大なもてなしがソーディアンマスターたちを待っていた。「見られていたら落ち着かないだろう。下がってくれ」
「あら、気が利くわねぇ」
坊ちゃん…自分が一緒だと思われたくないんですね…
マリアンを除いた使用人たちが下がる。食事の始まったテーブルの上は、がつがつガチャガチャという音ともぐもぐという対照的な音のない所作が見てとれた。
割合テーブルマナーもへったくれもないルーティが感心感心と上機嫌だ。
「ふぇふにいふぇくれふぇもかわわないけろ」
……。
スタンが大きなチキンのもも肉を口につっこみながら何か言っている。
そもそも言語として成り立っていないので、坊ちゃんは無視した。
時はアクアヴェイルの解放時にさかのぼる。
ティベリウスを倒し、グレバムには逃げられたのでそれどころではないのだが、せめてもと黒十字の艦隊の中で、ジョニーとフェイトがもてなしてくれた。
メニューは見たことがあまりない。和膳というやつだ。
「お膳だ! 俺、こんなにきちんとしてるの見たことないよ」
「正式なアクアヴェイル流の出し方だからな。セインガルドと同じで一応、マナーがあるんだが…」
「このふわっふわなの何?おいしいわね」
「まぁおいしく食べてくれればいいってもんよ」
早速、お膳に箸をつけたルーティを前にジョニーが、はは、と笑う。
「マナー…ですか。やはり食べる順序などでしょうか」
異文化の食事に興味をひかれたのかフィリアが箸を取る前にまじまじと料理をながめた。
前菜(?)、汁物、焼き魚、刺身…よくわからないのが、急須に何か入っている。
あとはいろいろな物がちょこちょこと、このあたりは芸の細かいアクアヴェイルならではの並べ方なのだろう。
「ここでゲーーーーム!!」
……ジョニーが唐突に何か思いついたらしい。品のよいはずの食卓が一気ににぎやかな空気になった。
「ゲーム?」
「アクアヴェイル会席を、正しいマナーで食べよう大会!」
今、ゲームといったのに直後に大会になる暴挙に坊ちゃんがあきれた顔をしている。
「えー、全然わからないよ、ジョニーさん」
「だからおもしろいんだろ? よし、一等賞にはアクアヴェイルの小判をあげよう」
「小判って金よね!?」
金を絡ますな。と目で訴える坊ちゃん。
「ちなみに全員参加が大会開催の条件で、成績いかんによって罰ゲームもあるという…!」
「もちろんやるわ!」
だめだ。もう目が¥マークになっている。
こうなると坊ちゃんが何を言ったところでルーティはとめられない。
それでも反論を何度か繰り返し、折れる前に大会は始まってしまった。
「審判員は無論、俺!結果は終わってからのお楽しみ!だ」
ジョニーが面白そうに誕生日席へ椅子を異動して座った。
「こうやって考えながら食べるのも、ゲームだと思うとなかなか面白いものだな」
マリーが意外と器用に箸を操っている。
スタンやルーティに負けることだけは避けたい。ないと思うが、万一あれば一生の恥だ。
坊ちゃんもおとなしくなった。
と、ここで……
ひたすら黙りこくっている に気づいた。
場の盛り上がりに毒されていない。
だが、ちょっと考える。
そんな様子で、 はまずお椀を手に取った。
いつもと違う。妙に丁寧だ。坊ちゃんはすかさず違和に気づく。
普通、左手でお椀を持ったらほぼ同時に箸が持たれていることが多いが、今、両手で持った。
僕が気づいたくらいだから観察眼の鋭い坊ちゃんが気づかないわけがないだろう。
坊ちゃんの視線が鋭くなる。
……いや、ここは戦場じゃないんだけど。それともある意味、戦場なのか。
それなりに箸を動かしつつ、しばらく様子伺いに徹する坊ちゃん。
「これは、麩か? 花の形できれいだな」
「味がしみてておいしいよ」
はそれを小さく切り、口に運ぶ。その向こうでスタン、一口で頬張り、おいしいと盛り上がっている。
すかさず坊ちゃんは審判員の変化を察しようと視線を流したが、ジョニーは意外とダークホースだ。
にこにことしたまま表情を動かさない。
が土瓶を手に取った。中はいろいろなものが蒸されて入っている。はずなのだが、ふたは開けずに手前にあったお猪口に汁を注ぐ。
……あーなるほど、だから「土瓶」なんだ。みんなそのままふたを開けて食べてるけど、そそぐための器ってことは先に、汁を飲むってことなんだ。
妙に感心してしまった。
そして刺身。しょうゆ皿をあげて身を口に運ぶ。まぁこれは彼女にしてみると普通だ。しょうゆが垂れると大変なことになるのは目に見えている。
「ほほう? なかなかやるな」
のマナーはおおむね正解だろう。誰に向かって出たのかわからない呟きにルーティが「誰が!?」などと騒いでいる。周りを見る余裕はなかったらしい。
スタンとマリーはこの時点でマナー大会であることを忘れて料理を頬張っている。
おいしく食べられればそれはそれでいいんじゃないかと、僕は思う。
この辺になると、坊ちゃんも大体法則性がつかめてきたらしい。
基本は
・大きい具材は一口で食べない
・器を扱うときは箸などを同時に使わない
・こぼす可能性のあるものは器を上げるか懐紙を使う
・箸をつきさしたり、一度触ったものを別に移したりしない
という感じだろうか。
言ってしまうと当たり前という気もするが、見ていてきれいと思われる所作をすることだろう。
しかしここで、ふと、焼き魚を前に の箸がぴたりとまった。
「どうかしたかい?」
ジョニーが聞いた。
「魚の食べ方が難題だって言うのは知ってるんだけど、さて、どうしたものかと」
彼女は彼女なりにマナー大会に律儀に参加をしているらしい。
「別に、満点を出せってわけじゃないし楽しく食べてもらうのも目的だから、好きに食べてくれていいんだぜ」
静かに食べていた(これも得点が高いかもしれない) が改めて周りを見渡す。焼き魚については、スタンは食べこぼしが多く、ルーティとフィリアはきれいに食べている。
ただし、これはすでに食べ終わった後なので経過については違うであろう。そして坊ちゃん…
「…………」
手をつけていない。
「まぁゆっくり味わうのもポイント高いから」
「そうなの!? よし、ゆっくり味わうわ。見てなさい!」
もうデザートしか残ってないね、ルーティは。
はあきらめたように左側から少しずつ食べはじめる。
坊ちゃんは左利きだから、基本、それで違和感ないけどそれを考えるとこれもマナーなのかもしれない。
もはや何が正しいのか全くわからない。
そして、妙に緊張感の漂った会食は終わりを迎えた。
「順位発表! …1位は だな。初めてっぽい割になんでそこまで知ってるんだ?ってレベル」
「まぁ、 ならしょうがないわねー…」
「僅差でリオン、続いてフィリア。あとは言及を控えよう」
「ちょっと!どういう意味よ!あたしとスタンが一緒だっての!?」
「ルーティ、万が一最下位になると罰ゲームがあるから、言及は控えたほうがいいよ」
「う……」
の一言でルーティはおとなしくなった。
「ごちそうさまでした!」
「おいしかったぞ」
「えぇ、珍しいものをありがとうございました」
残りの三人は食事を純粋に楽しめたようだ。
「それにしてもリオンだって初めてなんだろ? 僅差ってすごいな」
「そうだな、うまくトレースしてた」
「えぇー…」
見られていたと知った は、困った顔をリオンに向けた。そもそもが、観察するのは好きだがされるのは嫌いなタチだ。
「確かにお二人ともきれいな所作でしたが…僅差ってどのあたりが違ったんですか?」
好奇心からかフィリアが聞いた。
完璧にトレースしたと思っていた坊ちゃんも、その気があるようだ。
「箸の持ち方が違う」
「何!?」
それに関してはアクアヴェイルに来てから と勝負をして負かされたこともあり、さりげに負けず嫌いの坊ちゃんとしては今はほぼ完璧に使えるようになっている。もともと器用だ。
が箸を持ってみせた。
坊ちゃんも同じように持つ。比べる。
「違う?」
は慣れた手つきではさむ動作をする。
「?」
坊ちゃんもしてみるが、特にぎこちなさもなく違いが誰にもわからない。
疑問符があふれている。
もう一度ジョニーを見るとジョニーはあごをなでるようにして笑った。
「その動かすとき。中指は上の箸につくのが正しい。お前さんのは下の箸についてるだろ?」
「く……っ!」
ていうか、判定細かすぎない?それ。
「見ようみまねならそれだけできれば上出来さ。あくまで伝統の、だからこの国だって正しく持てないやつも多いしなぁ…ちなみにスタンのは握り箸っていう」
スタンを見た。が、もう食べ終わっているのでそれは確認できなかった。
グーにして箸を持っているのは容易に想像はできるが。
「お箸って、小さいころから使うと頭良くなるって聞いたことあるよ」
「そうなのか?」
「指先を細かく動かす必要があるからだろうな。今更やってもお前ら手遅れだろうが」
「誰もやるなんて言ってないわよ#」
しれっとした顔で坊ちゃんはルーティとは逆を向き、そして を見た。
左手で箸を持っている。
「……何してる」
お膳の他に、豆の煮ものが小鉢で出ていた。 はそれを食べようとしているようだが……
「利き手じゃない手で、箸を使うとすっごい脳トレになるんだよ!」
当然、うまくつかえない。小さな豆は震える箸の先から逃げていく。
が、無駄に楽しそうだ。
というか、お前、今ここで脳トレする必要あるのか?
坊ちゃんの目が物語っていた。
そして、今、ヒューゴ邸で食事がされている訳であるが……
「ふふぇいはおいひいの、はに?」
スタン……お前は、やはり今からでも箸の使い方をマスターした方がいいんじゃないのか…?
坊ちゃんの心情がひしひしと伝わってきた。
なんですかね、これってマスターと感覚がつながってるとかいうんじゃないですよね。
目は口ほどにものをいう。
多分、 も坊ちゃんが何を考えているのか分かったのだと思う。
なんとなく坊ちゃんを眺めていたが。
「箸ください」
マリアンにそれを所望した。
箸は、国流のを求められない場所ではほぼ万能だ。
ナイフで切り分ける必要のないものなら大抵、小さくしたり、こぼさずに口まで運んだりできる。
その代わりスプーンなどと違って、それを扱う熟練度が必要なわけであるが。
「お前……」
「?」
実はアクアヴェイル出身ではないかと、坊ちゃんが疑いを抱いた一件だった。
坊ちゃんはため息を小さくついただけなので、真実はいつまでも闇の中だった。
2016.11.18筆