Twins
― 相似-あるいは相克 ─
「最近、ミクトランを倒したら空が還ってくるっていうアホ者がいるらしいわよ」
ふいにハロルドが呟いた。
深夜までかかった研究に、伸びをするようにイスの背もたれに反り返る。
それから厚い唇をとがらせて、頬杖をついた。
何考えてるんだかわからないわ、といった様子で。
明かりを極力消してひっそりと、まるで部屋は深夜まで及んだお泊まり会といった感じだった。
テーブルにちりり、とゆれるランプのオレンジ色の光。
壁にかかるアナログな時計の針は、0時を中心に鋭利な角度を描き出している。
ついこんな時間までつきあってしまった。
も一息ついて、湯気のたつマグカップを両手で包むようにして口に運んだ。
カーレルが研究に没頭している様子を気遣って持ってきてくれたものだ。
カカオのような甘く濃い液体が疲弊した脳に効きそうだった。
深夜になってラディスロウ全体が静まり返ると深々とうすら寒さが忍び寄る。
体もすぐに温まってきた。
「空が返る…か。
まぁ励みにはなりそうだね」
「あのね。目的を挿げ替えてどうするっていうのよ。
悪者を倒して青い空が戻ってハッピーエンド、なんて絵本じゃあるまいし…」
おっとりとした兄の口調に容赦なく呆れた溜め息が飛んだ。
呆れたのは兄にではなく流言そのものに対してかもしれないが。
「ミクトランを倒しても空は戻らないわ。だって空が暗いのは、あいつのせいじゃないし」
「おや、庇うのかい?残虐非道な天上王を」
「冗談でも聞き捨てならないわよ、兄貴。個人的にだっていけ好かないわ、あんなヤツ」
同じ科学者として、違う人間として、ハロルドはどこか忌々しそうに眉を寄せる。
それからもう一度ふっと小さな息をついて続けた。
「だけどね、物事の本質を曲解するのも好きじゃないわ。
世界がくすんだ雪一色なのも、灰色の空しか見えないのも、自然現象なのよ。彗星の落下による必然ね」
「それなら必然的に、いつかは空も戻る。いつかがいつだかわからないからダイクロフトはできたわけだけど」
「そうね、その頃には寒さと飢えで人類は滅亡…誰だってそう思ったかもね。いきなり積み上げてきた文明もふっとんで荒廃しちゃったんだから。」
は挟まれるようにして黙って2人の会話に耳を傾けている。
そう、戦争に勝てば空が戻って全てがうまくまとまるわけではない。
すべての発端は彗星の落下、そもそもその劣悪な環境から逃れるために作られたのがダイクロフトであって圧政を敷く天上軍を倒したところで自然の営みは 変わるまい。
いわば世界と言う巨大な存在から見たらこれらは人間同士の小競り合いでしかないのだろう。
「でも、いい加減人間もなれてきたわ。飢えはひどいし相変わらず環境は最悪だけど…戦争なんかやめちゃえばきっと保つわね。
文明に浸かって忘れられかけてた適応力ってやつかしら」
「まぁ私たちがいい例だろうね。ダイクロフトが出来た頃は、誰もこんなところでこんなふうに、例え細々とでも人が暮らしていけるなんて思いすらしなかっただろうから」
「そう、それでね。ミクトランなんか無関係なのよね」
話が原点に戻った。
一周した様を傍観するように
はそれを面白いと思う。
「だけど最近は…急に雲が薄くなってきた気がしないか?」
カーレルは見えない空を振り仰ぐように暗い天井を見上げた。
時々は、ダイクロフトも途切れた雪と雲の合間に影を落とす。
それは
も知っていた。
「降灰の末期が来たのよ。…ある意味天上人は哀れよね。もしも今すぐにでも空が戻って世界に緑が芽吹いたら、用なしなんだもの」
ま、今すぐなんてありえないけど。
ハロルドの説明はわかりやすい。
例え塵交じりの雪が止んでも積もり積もったそれは溶けるまでにどれほどかかるかもわからない。
溶けたところで一度破壊された…あるいは凍土に閉ざされた生態系が戻るまでには永い年月が必要だろう。
いずれ未来の話だ。
しかし、
は戯れのように問題提起をしてみせる。
「その時は、地上の人に「地上に住まわせてください」…ってなるわけ?」
「あら、そこまで考えなかったわ。地上の物資が豊かになれば天上側が篭城に追い込まれる可能性も高いものね。
ベルクラントの一撃は怖いけど、「もしも」地上が元通りになったら──たぶんそうなるわ」
「今の天上人のやり方だったらベルクラントで必要箇所以外は破壊してしまいそうだけどね。敵に力を蓄えさせないのは基本、だろう?」
さすが軍師。
楽しい方向で広がり始めた話が一気に元に戻った。シビアだ。
「植民支配の続行、ね。…本来の目的も忘れるなんて…愚の骨頂だわ」
「まぁそれが人間だから…そもそも天上と地上に分かれた時点で本来の目的なんてなおざりな訳だし」
「はは、悟っているね。でもそれを止めようとするのも人間、だからね」
「自分の利権を守るために?」
「…否定は出来ないな。」
歯に衣着せぬやりとりが笑顔でかわされる。
ある意味怖い会合だ。
「世界のために、なんて大義をかざせるほど余裕はないよ。」
本当はそうであればいい。
もしかしたらそうなのかもしれない。
けれど誰も彼もが痛みを受けずに終わる戦いなど無ければ、主張を分かち合うことも現状では不可能に近い。
それができていたら戦争になどならなかっただろう。
地上軍は御託を並べる前に、できることを、目指すものを持って天上に牙を向くことしかできないのだ。
絶対不利の戦いの根底は正義ではなく、各々が己の身を守るための最後の手段であることも示唆している。
「まぁ痛みは知らなければ優しくなれませんから。
動機が何であれそれがいつか世界のためになるなら結果オーライなのかもしれません。地上軍が勝利したら敗者と一緒に学んで先に進めるといいですね」
「あんた、…言うわね」
「…と、言うか他人事だね?」
言っていることに対して妙に淡々とした口調に呆れとも皮肉ともつかない意味を感じたのかベルセリオス兄妹は口々にそんな反応を返した。
カーレルを導ける人間として認めているだけだろう。
彼はこの先いなくなってしまうだろうし、ハロルドにそんなこといってもしょうがないんだろうけど。
は今を進む言葉しか知らない。
「──歴史って、その為に学ばれるんでしょう?」
「そうだね、繰り返さないで済むなら、それがいい。」
「お互い足をひっぱりあうより、力は貸しあう方がずっと簡単で良い結果がでるんですけどね」
「それが難しいんだよね。そう思っている人は…思える人は、かな。意外に少ないから」
出し抜くことを考えれば、目の前にぶら下がった肉を取ろうとすれば結果、遠い金塊は取れなくなることに気付かない。
いや、気付いていても我慢が出来ないのだろう。
それもまた人間という生き物の一面だ。
最も
シンも自分を信用しない人間などに惜しみなく手を貸すほど甘くできていないわけであるが。
「戦争ってのもそんなささいな理由から始まっちゃったりするのよね。まぁ、今はそれをなんとかするために動くのが私たちの仕事だから…それはともかく」
改まってじぃっと机の上に視線を置いたハロルドにカーレルと
の視線が集う。
「お腹が空いたわ」
そういって彼女はがちゃがちゃと机の上に広がっていた資材や本を退け始めた。
「「…飽きたね?」」
相変わらず唐突な感じで言ってのけた様子にカーレルと
の声は重なる。
もちろんハロルドはお構いなし。
それどころか逆に話題を振られてしまった。
「あんたも食べる?」
「…」
なぜかビーカーだけ引っ張り出してきた様子に
は一瞬考えるための沈黙を返したが…
「うん」
素直に頷いた。
こんな時間に夜食など摂っても胃にもたれるだけなので
はあまり深夜に物を口にはしない。
それでもそう答えたのは食欲ではなく好奇心の賜物だ。
どういう意図であったのか聞いたハロルドの方が意外そうに手を止めて目をぱちくりとした。
カーレルも似たような表情だった。
「へぇ…私の誘いに乗ったの、あんたで2人目よ」
それから、返答に満足したのか機嫌よさそうにハロルドは作業を再開する。
なんとなくわかる。
ハロルドのことだから料理に何か混入していないとは言い切れない。
ただでさえキッチンに立つ姿など想像できないだろう。鼻歌交じりに準備を進める様に、誰もが慌てて首を振る姿が目に浮かんだ。
「1人目は?」
「そこにいるでしょ」
敢えて尋ねてみるとあっさりとそう返ってくる。
の視線の先でカーレルは黙って苦笑を返しただけだった。
「確かに見てくれは悪いけど…同じでしょうが。鍋だろうがビーカーだろうが加熱処理の過程には」
問題はそれだけじゃないんだってば。
そういってハロルドは今度は机の下においてあるバックパックの中をごそごそとして、思いついたように顔を上げた。
「何、作ると思う?」
「ラーメン」
「ま、お約束よね」
見事言い当てた
に御満悦の様子。
そう思ったからこそ、お誘いに乗ってみた、とは
しか知らない事実である。
カーレルはそんな妹の様子を小さな溜め息と共に見守り、再び
には微苦笑を投げかける。
長い冬の空の下、
人々はそうしてしょうこりもなく足跡を記し続けていくのだろう。
ラディスロウの夜は、
そうしてけだるい闇の足音と共に更けていく…
あとがき**
冒頭の「ミクトラン打倒=空の奪還」という目的の混同が色々なところで目に付いたので始まった話です。
そんな濃い話を一体誰としようか、と思ったら必然的にベルセリオス兄妹に。
濃くても難しくても重くないのはなぜだろう…
キーワードは「深夜」「静けさ」「アンニュイ感」で、この話、一度消えてしまって二度目で描写が軽くなっています。 当初はもっと表現に幅があったのですがさすがに二ヶ月も前に書いた話だとのきなみ再現は不可能でした…(がくり)
とりあえず全体的な雰囲気としてはOPアニメのハロルドのシーンを連想してみて下さい(いいのか、それで)。
理科室でラーメン食べるのって密かに夢かも。