笑わない人
イクティノス=マイナード
-ある兵士の場合 -
イクティノス=マイナード将校が笑っているのを見たことが無い。
あの人は軍の中でも特別「軍人らしい」と評判だ。
情報将校らしく、合理性を最優先にするし大抵のことがあっても殆ど表情を動かさない。
リアクションが薄いというか、ああいうのを鉄面皮というのだろう。
…そういう自分は人並みにコミュニケーションも出来ると思うが、ちょっと彗星落下前の機械に強いからとディムロス中将の下から動かされ、「突撃兵」 ディムロス中将と正反対なまでの上司にやや戸惑う日々を送っている。
「「…」」
そもそも2人きりになるのが結構辛い。
いつもは他の同僚も一緒だが時たまそうなることがある。
そんな時は黙々と…仕事を続けるしかないのだ。
気にしなければ良いのに一度気になると気になってしょうがない。「何か話さなきゃならないのかな」とかそんな些細な気遣いはストレスにしかならなかっ た。
だから、ノックの音といえば結構救いだ。
ここは公共的な事務室だからして、返事を待たずに扉が開いた。
現れたのは最近、手伝いに来ている
と言う女の子だった。
「こんにちは、イクティノスさん、開発チームから頼まれてたデータ持ってきましたよ」
「あぁ、ありがとう」
礼を言うにも鉄面皮。
ちらりと流した視線はクールとか言うより一瞥だ。
…仮にも若い女の子にもう少し愛想よくできないものなのか。
かといってこの子のも全く動じないんだよなぁ
彼女はそのまま仕事の手伝いに入ってくれた。
手伝いといっても簡単な入力作業とデータの照合だ。
しかしそれがまた、早い。
前にいた二等兵はぽっちりぽっちり押している、という感じだから殊更そう見えるのかもしれない。
「君…前にこういうのいじってたことあった?」
「似たような物なら触ったことがあります」
手元を動かしながら言う顔はこちらに向いている。
その向こうでイクティノス少将は黙って作業を続けている。
よく考えるとちょっとおかしな光景だ。
自分たちは手と頭とを時折全く違うように動かしているのだから。
と、ここで少将が中座した。
「ふぅ」
思わず出る溜め息。
空気が緩んだのがわかったのか彼女はこちらに向く。
「どうかしました?」
「いや、なんていうか…こういうのって結構疲れない?」
「それって作業的なものですか、雰囲気的なもの?」
ばっちり気づかれていたらしい。
なら口に戸を立てる必要も無いだろう。
「どちらかというと後者かな。ほら、なんていうか結構緊張感が漂ってるでしょうが」
「あはは、そうかもしれませんね」
と相変わらず休む気配もなく端末に向かった。
お茶はセルフサービスなので自分で入れる。
マイナード少将は「自分は上司だから入れろ」とかそういう思考を持ち合わせていないのは結構楽だ。
そんなことを考えながら彼女の分も入れてあげたお茶を手渡す。
「ありがとうございます」
「…君、イクティノスさんの笑ったところ見たことある?」
「ないですね、むしろ初めて会った時は「こんな子どもを軍に入れるとは何を考えている」っていわれました。」
言われたのは私じゃなくて連れの方だったかもしれませんが。
そう付け加えるとなんとなくウワサは流れてきているので合点はいった。
まだ、年端もいかない少年と、人形みたいな女の子もいるという話を聞いた時には何の冗談かと思った記憶が新しい。
「…あの人らしいな」
理論でないと理解できない。
そういう傾向を中心に置くと、どうも自分にはディムロス閣下の部下である方が向いている気がする。
機械は嫌いではないが、時折竹を割ったように気さくなディムロス中将はわかりやすかった。
思わず溜め息を漏らしたところでイクティノス少将がお戻りになる。
再び黙って仕事が続くのかと思いきや、ふと…手を止めた彼女は少将に顔を向けた。
「イクティノスさん」
「?」
「好きな趣味とかって何かあります?」
「「…」」
突然の「普通の会話」にむしろ驚いた。
思わず、手にしていたカップの中身を吹き出しそうになるところをかろうじて堪えた。
実は彼女にはここの兵士も何人か声をかけているが軒並み世間一般的に女性の喜ぶ褒め言葉や話題には「無関心」で終わっている模様だ。
その彼女が、しかもイクティノス少将に「普通の」会話を繰り出した。
「特にないですね」
あっさり会話は終わった。
…そんなものですか、少将。
ちょっとだけ沈黙が降りてだが、彼女は何でもないように会話を続けたのはそれからすぐだった。
「情報処理の関係は?やっぱり好きこそ物のなんとやら、なんでしょう?」
「だったら君もそうなのか」
「嫌いじゃないです。数字見るのとか」
それがシュミだとしたら、自分には理解しがたい趣味だ。
しかし、なぜか会話がはずんでいる様子。
「…この間、あまりに我が侭言いたい放題だったハロルドに「このパスワード解いたら言うこと聞いてあげる~」って仲間がいわれたんです。それがただのカードディスクだったんですけど…イクティノスさん、ブルートフォースアタックのプログラムとか組めません?」
「…君はできないのか」
「無駄知識はありますが、組めるほどではないんです。それとも教えてもらえます?」
「切実な問題なのか」
「切実と言えば切実ですね、あのハロルド相手なので」
「…」
そんなことで遊んでいる暇はない。
多分、この忙しさならそういうはず。
なぜかへき易しながら次の言葉を待っていたが…
「そんなことで遊んでいる暇はない」
意外にも。
「…教える時間はないが個人的に似たような物を持っているからよければそれを流そう」
「ホントですか?」
交渉は成立したらしい。
…。
「ありがとうございます♪でもハロルドには内緒で」
「上手くいった暁には結果を報告したまえ」
「喜んで」
次の話題の約束までこぎつけている。
意外だ。意外すぎる。
その時、自分は
イクティノス少将がうっすらと笑みを浮かべているのを確かに見た─────
-イクティノスの場合-
部下に頼んでできあがったデータを持たせると
と2人になる。
以前ここに配属されていた者に比べると今出ていった彼も、残っている彼女も意外に有能だ。
事務の処理スピードは以前の5割増しになったといって良い。
2人ともやり方が合理的なので、時間も自然と空いた。
むろん、他にすべきことは山ほどあるが当初の計画でいくと、余裕が生まれるようになる。
好ましい傾向だ。
「さっき話してたんですけどね。イクティノスさん」
データと手もとの書類とを見比べていた自分に声がかかる。
「イクティノスさんはあまり笑わない方なんですか」
「…」
やや、うんざりする問いではあった。
幾度となくコミュニケーションや感情論を最優先する輩に陰口を叩かれていたことか。
それくらい気づいているが、そもそも非合理的だ。
人の影口をたたく暇があったらなぜ他のことに時間を使わないのだろう。
結局、彼らは他にやりたいことも無いのか。
それに笑いたくも無いものを無理矢理笑ってみせたところで、お愛想のないことにご不満な相手が満足するだけだろうに。
どこがコミュニケーションなのかもわからない。
そんなことをつらつら考えていると、知らずの内に自分の顔がやや顰められていることに気づく。
つまり、感情というのは作るものではなくて自然と表れるものということだ。
「別に、それはそれで構わないと思いますけどねぇ」
だがしかし、彼女の口から続く言葉は一般的なそれとは違っていた。
それから、今、考えていたのと同じことを言われる。
的確な例示がされたのはその次だった。
「仲間の1人が、そういうのと全く無縁なんですけど、そういう人が笑ったり喜んだりしてくれるとやっぱり嬉しいですよね。それが本当だってわかるから…
誰にでも愛想が良い人って時々何が本当なのかわからないですし。特に調子のいいこと言いながら陰口叩く奴とか」
「…」
思っていたのと全く同じことを言われたこと、そしてこの時代にしては珍しく折り目ただしそうな彼女からいきなり放たれた歯に衣着せぬ言葉に…
思わず声も無く笑いが漏れた。
再びモニターに向かう彼女。
なんとなく気分よさそうに見えるのは気のせいではないだろう。
おそらく私は、彼女にしてやられた。
-シャルティエの場合-
部屋に
が遊びに来ている。
いや、始めは確かに仕事の話をしていたわけだがいつのまにかそうなった。
と言っても、お相手は僕じゃない。
僕と同室の、イクティノス少将。
少将はいつも中央のテーブルに置いている自分のノート端末を開いて彼女にいじらせていた。
最初に画面を覗いていたのは彼女の方だったが、今は逆になっている。僕も一緒だ。
「…地上軍の援軍はダイクロフトに到着してから30分以内に投入することになっている」
「ラディスロウに展開する軌道エレベータを使うんですよね」
「ソーディアンマスターは1チームにまとめてしまうから制圧班本体は晶術など使えないのがデメリットだな」
彼女がやっているのは、「ダイクロフト攻略シミュレーション」。
…最初は少将がシュミ(?)で組み始めたものにカーレル中将の意向で実用性を加えて今は小難しいゲームと化していた。
けど、リアルな話題がベースだから意外に侮れない。
このままこのシチュエーション(あくまで遊び中)でまじめな説明を続行されたら僕は途中で話題に挫折するに違いない。
そんな気もしながら、画面に展開された架空の戦場に視線が釘付けになった。
「…ソーディアンチームって個別ユニットがあるんですね」
「あぁ、個人的な能力バランスと出来上がるソーディアンの威力を付加して設定してある」
「へぇ、単独で敵軍に出撃ができるんだ」
「じゃあこっちの増援にシャルティエを出撃させてみよう」
「ちょっ、それはまずいよ!?そんなにさばけないって!!」
「大丈夫だよ~とりあえずピコピコハンマーで叩いとけ」
「なるほど、その後に部隊を投入すれば…」
「…いや、今の僕がここにいるからやってみただけでしょ…?」
結構楽しいらしい。
- の場合-
確かにイクティノスはといえば、他のマスターたちよりも合理的で感情論に欠けるところがある。
けれど、一緒に仕事をしてる人もきちんと評価しているし、すでに長らく部下をやっている人からはそれなりに支持があるようだ。
…要するに、慣れの問題なのだろう。
おそらくは理解されるまでに時間のかかる、そんな手合い。
馴れない人間はいつまで経っても馴れないだろうが、それはそれ。
きっと無理に馴れ合う必要も無い。
とりあえず
「ここの部隊にイクティノスさんつっこませていいですか?」
「いや、そこはちょっと…」
「なんで僕の時は無断で突撃かけたのに少将には聞くのさ!?」
シャルティエが同室でストレスに潰されずにやっていけるんだから、
思ったほど冷血ではないに違いなかった。
あとがき**
更新リクエストで「イクティノスを笑わせる」ようなネタが投下され(ネタ!?)、
当初、いかに笑わせるかギャグ話も思いつきましたが、普通に笑ってくれました(笑)
名も無い兵士は自分がきちんと評価されていることを知れば考えを改める気がします。
ここでやってるシミュレーションは「カーレル=ベルセリオス」で話題に出たアレ。
ハロルドの挑戦は、別途エピソードで思いついたもの(単に「たまには仲間の言うことも聞け!」「じゃあこのパス解いたら聞いてあげる♪」みたいな)で、
ブルートフォースアタックというのはあらゆる文字の組み合わせで総当たりを試みる、時間はかかるが放置するだけでパスワード解析可能な解読手段のことです。