-天才様三本勝負 その2-
「女子…」
といっても、 とハロルドを除外すればリアラとナナリーしかいない。
しかし。
「おい、まずいんじゃないか」
背後で感じた複雑な空気にロニが気づいて振り返り、ジューダスにささやいた。
「女子力とか、 は興味ないだろうが」
失礼ながら、その通りだ。
ハロルドは科学者であるが、それ以前にかわいいもの好きでもある。
アクセサリーやファッションにも関心があり、少女趣味はさておき、ぬいぐるみなどもベッドに置いてある。
おしゃれという意味では、この戦争時代にマニュキュアをしているあたり、女子力が高いといえないこともない。
私室を見る限り整理整頓力は の方が格段に上だが、実用性の高い理論では、通常女子は喜ばないだろう。
この場合、求められるのは女子の興味を引くインパクト。
「……」
「そうなのかい?」
ジューダスが黙殺していると、カーレルが聞いてくる。
「見てわからないか? あいつは清潔にするのは好きだが、興味の対象が女子力とは程遠い」
「そうかな、男にとって女子力って清潔さも重要だと思うけど」
「あぁ! 確かにきれいなおねぇさんの部屋が汚かったらがっかりですよね」
言っておくが、清潔云々は男女関係ないと思うぞ。
さりげなく、男性同士らしい会話になりそうなところもついでに流した。
「自信ないけど、ちょっと材料見繕ってくる」
が先に部屋を出る。
料理に関しては、ハロルドも攻めてこないだろう。
常日頃の行動から警戒されるリスクが高すぎる。
とはいえ、女三人寄れば、とよく言うだけに、 はそこには加わらないタイプなのが、不安要素だ。
逆にいえば、ハロルドの立場では三人寄って盛り上がりそうな分野で攻めるのが王道。
わかっているのか、ハロルドも不敵に笑いながら出て行った。
「お待たせ~!」
そして、またしても先に戻ってきたのはハロルド。
カイルたちも背後で進展があったのに気づいて、その頃には、二人の帰りを待っていた。
「今度は何だい?」
「地上に残された最高の技術と、この私の天才的頭脳を用いて作った高分子スペシャル保湿パックよ!」
「ほしつぱっく?」
カイルにはやはりピンとこないらしい。
「そうよ~女の子には潤いが大事なの。ましてこの極寒の乾燥した環境下で、つるつるつやつやの潤い肌を保つにはケアが必要だもの。女子としてパックくらいは必要よねぇ~」
ごくりと喉を鳴らすリアラとナナリー。
「みんなとは言わないまでも、好きな男性に振り向いてほしいなら最低限これくらいはしなくっちゃ。乙女のたしなみよね。ね、カイルもそう思うでしょ?」
「え…」
戦闘続きで、女子らしい会話はもとより、お肌のお手入れなど遠のいて久しい。
煽られれば喉から手が出るくらいほしくなるであろう。
「リアラがもっときれいになったらカイルだって、うれしいわよね」
「う、うん」
惰性でカイルが頷いてしまうともはやリアラなど獲物を狙う肉食獣の眼光を飛ばし始めている。
まずい。
ロニとジューダスが、にやりと笑ったハロルドを見て激しく危機感を覚えはじめた、その時。
シュンと扉が開く音がして が帰ってきた。
バッと振り返る二人。姿を確認し、なぜか目を合わせて頷きあう。
「おい、それはハロルドが作ったものだろう。安易に手を出していいのか?」
「え」
「そうだぞ! 怪しい何かとか何かが入ってる可能性高いだろ!」
の援護射撃に入る。それによる一時的な報復など、 が敗北した後の条件に比べれば微々たるものだ。
全力で阻止すべきはハロルドの勝利である。
「しっつれいね~私も使ってるものだもの。問題ないわよ」
当のハロルドもそのあたりはぬかりないのか、即時報復などせずに余裕だ。
確かに、ハロルドの肌質は悪くない。むしろ見た目、ぷにぷにしている感じがする。
我に返ったリアラとナナリーは躊躇するそぶりを見せた。
「そんなもの使わなくても、お前らはきれいになれる! がいい例だ!!」
ロニが必死に放った言葉はナナリーの注意を引いた。例がどうとかではなく、お前らはきれいになれるのあたりで、珍しく女として励まされた感があったのかもしれない。ロニはそこまで考えていないが。
「見ろ! だってそんなものはつけてないが、肌はきれいだぞ!」
「いきなり何の話かな…」
「しっ、いいから黙って合わせろ」
ジューダスが妙な褒められ方をして眉を寄せた を小声で制した。
「君は肌の手入れは何かしているのかい?」
ただの興味本位だろう。カーレルの軽い問いに全員が沈黙した。
吉と出るか、凶と出るか。
「いえ、私は肌が弱いので…下手に化粧やスキンケアをすると逆に荒れるから、石鹸も使いすぎないように注意が必要です」
「え、石鹸も!?」
空気についてこれていなかったカイルが、反応できる単語が出てきたことで反応した。
「うん、成分が強すぎると逆効果っぽくて…特にこの時代のものは、化学物質が多いから下手に使えないですね」
「そ、そうなの?」
リアラが不安な顔をした。
「添加物、香料、防腐剤。合成されたものは人によっては刺激が強すぎて大変なことになるよ」
よし!
ロニが無言で、ガッツポーズを決めている。
「肌が弱い立場として、ほかに気を付けていることはあるか?」
流れをくみ取ったジューダスがわざと先を促した。
不自然な展開ではあるが、かまってなどいられない。幸い、 は素直に答えてくれた。
「これだけ乾燥してるから保湿はするけど、怪しいものは使わない」
「だよな! 人間としてナチュラルなのが一番だよな! 科学者が作るものより、太陽と土の恵みだよな!」
太陽も土も出ていない時代ではあるが。
「大事なのは食事や睡眠を規則正しく取ることだと思う」
なかなか難しいけどねーという言葉は既に誰も聞いていなかった。
ナナリーはもともと、そういう暮らしをしていたわけで、我に返るのが早かった。
この時代にハロルドが作るものだから、確かに技術的には素晴らしかろうが合成だろう。
それがわかれば、もう手を出す気はなさそうだ。
ハロルド自身も眉間にしわを寄せて黙しているあたり、素材で反論できないのは明らかだった。
「自然へ帰れ!だ!! 俺たちの体も天然素材でできているっ!」
ロニの熱弁が、もはや の援護とは関係ないところで続いている。
「大体、物資保管所の毒にやられた俺たちを見て、ひ弱だなんて言ったやつだぞ。そんな頑丈なやつにつけるものと同じものをつけて大丈夫なわけがない! ハロルドは面の皮が厚そうだろ!」
さすがに失礼が度を過ぎたのか、若干表現を誤ったロニは発言と同時に横から飛び蹴りをくらって、指先を眼前に突き付けた状態のまま、真横に倒れた。
「そんなことないのよ~ 自然のものも分解すれば分子になるわけだから、ばらして組みなおせば組成は安全なものにもできるわけで」
今更笑顔で言っても、しかもハロルドの「安全」が保障されないことは全員が知っているため、誰もなびかなかった。
「兄貴…#」
「すまない」
自分の発言が妹の敗退を濃厚にしたことを悟って、素直にカーレルは謝罪する。
「どうする? もはや勝敗は決まったも同然だが、続けるか?」
「?」
全くもって事態が把握できない 本人を置いてジューダスがハロルドに聞いた。
「当たり前よ。大体、 が何を持ってきたのかも見てないし、引き分けってこともありうるんだから!」
は引き分けでドン引きされるとかそこまで空気読めない人間ではない。
それで再び、勝負の流れが戻った。
「 は何を持ってきたの?」
さっきのこともあり、カイルが興味津々で聞いた。
「キャベツとコーヒーフィルター」
「え」
は手元の湯立った煮汁と白い扇形のろ紙を披露した。
「…紫だけど…」
「紫キャベツだもん」
「ていうか、鍋ごととか。 、料理はだめだ! 悪くはないが、ナナリーに任せておけ!」
立ち上がったロニが考え直せと言っている。
確かに鍋に刻んだキャベツが入っていれば料理っぽいが、じゃあコーヒーフィルターは何に使うと思っているのだろうか。
とりあえず、鍋を置いて、 はフィルターをくしゃくしゃといじりはじめた。
「?」
本日何度目かの疑問符。
「あら? お花?」
底をひねったものを何枚か合わせると、あじさいのようになった。
それを紫色の煮汁つけて乾かすと一層、あじさいらしくなる。
「かわいいねぇ。なんだか、久しぶりに鮮やかな花を見た感じがするね」
「まぁコーヒーフィルターだけどね…」
まだ、序の口なのだろう。
の口調は、平坦だ。
それから は、透明な液体の入った小瓶を3つポケットからとりだした。
なぜか綿棒も数本。
それをリアラとナナリーに渡す。
「どうするんだい?」
「好きな瓶に入ってる液体を付けて、花に触ってみて」
全員が覗き込む。
言われた通りにナナリーがまず、やってみた。
……特に変化はない。
「何も変わらないよ?」
「じゃあリアラはほかの瓶ので」
残った2本のうち、一本の液体をつけて、ちょん、と紙のあじさいをつついた。
「!!」
「ピンクになった!!!」
「うそ…」
ナナリーがじゃあもう一本はとつける。すると今度は黄緑色に。
「なにこれ! どういうこと!?」
触った場所の色がにじんで変わるので、グラデーションなどもできてしまう。
おもしろがってみんなで繰り返していると、あじさいの花弁が色とりどりに染まって咲いた。
淡い色合いは、なかなかに上品で、花など調達できもしないラディスロウの中で、より鮮やかに見える。
「きれいだけど…不思議ね」
ジューダスも少し意外そうな顔をしている。
科学というより化学変化なので、リオンの時代にもあまりお目にかかる知識ではないだろう。
というか、使っているものが紫キャベツでは、原理を知っていたとしても彼の場合、ピンとこないはずだ。
「酸塩基指示薬反応かな」
カーレルがぽつと呟く。
「さるえんき?」
「pHって言った方がわかりやすいかい?……リトマス試験紙とか」
「兄貴、どっちもわからないと思うわ」
さるとか言ってる時点でアウトだと も思う。
「pHって何?」
「そこからなの? しょうがないわね」
面倒そうにハロルドは説明を始める。
「pHってのは、水素イオン濃度指数のことよ。pH値が低いほど H+ 濃度が高くなってpHが1違うと H+ 濃度が10倍違うことになるの。酸塩基指示薬ってのは、その濃度測定アイテムみたいなもんよ。紫キャベツにはアントシアンの一種のルブロブラ が含まれていて、着色の基本になるアントシアニジンに糖であるルブロブラ が結合してる形なの。色が変わるっていうのはつまり触媒によってこれらの構造が変化し た結果が指示薬に現れる、ってとこかしら」
一息。
「……つまり??」
「ものには、酸性かアルカリ性かって性質があって…ほら、レモンは酸っぱいでしょう? あれは文字通り酸性なの。そういうのを数字で表すのがpH」
「へぇ~!」
「なるほど」
言っておくが、後者の説明は である。
「水はおおむね中性で、人間の体は弱アルカリ性。だからアルカリ性の食品を取り入れると健康にいいって言われるね」
「レモンは体に入るとアルカリ性に変わるから、体にはいいわよ」
「???」
「話をややこしくするな」
今のはジューダスの、つっこみというよりハロルドに対する率直な感想だ。
カーレルが苦笑している。
「で、なんで色が変わるの?」
「だから言ったじゃない。触媒によって構造が変化するって。厳密には、構造が変化することによって吸収する光の波長の長さが変わるから、反射できる波長も変わってきて色が変わって見えるってことね」
どこまでもわかりにくい。
「 …」
カイルが捨てられた子犬のような目で助けを求めてきた。
「私も詳しいことは知らないよ。ただ、紫キャベツの色素は中性の紫色で、お酢を入れると酸性になって赤に変わるんだ」
「え、この透明なの、お酢なの!?」
「するってーとあとの二つは?」
「水と炭酸水素ナトリウムだね」
つまり、水は中性なので色は変わらない。ナナリーが一番最初に選んだ小瓶の液体の正体だ。
「炭酸水素…って何?」
「重曹って言ったらわかりやすいかな。料理とかにも使う…そっちはアルカリ性だから青系に変わるんだ」
「野菜のあく抜きとかに使うアレかい!?」
割と身近なものなので驚いている。
現に、 も調達した材料はすべて調理室で済ませてきているものだ。
「割合で色が変わるから、まぜるともっと微妙な色になるよ」
「すっげー! 孤児院に帰ったら絶対やる!!」
子供に大人気のおもちゃパート2。
「すごいわね、本当の花の色みたい…」
「花の多くは同じ原理で色がついてるから、まぁ自然に近いっちゃ近いわね」
「そうなんだ」
そこまでは知らなかった は素直に感心している。
「それで?」
ロニが余計なことを言った。
「今回も の勝ちでいいんだろ?」
みんなで和んでいたのだから、このままうやむやにすればよかったのだ。
途端にハロルドがむっとした顔になった。
「うぼふっ!」
すかさずジューダスの鋭い肘が入り、彼は膝から床に沈むことになる。
「もう一勝負行くわよ」
「もうやめようよ…」
は自業自得なロニを見下ろしながらため息をついた。