<天国からのシャル日記>-ハーバル-
本日の日常。
坊ちゃんはお風呂へ足を運んでいた。
元は長期滞在客用の部屋とは言え、邸内には他に立派な風呂場があるので
こちらはシャワーとバスタブと…いわゆるユニットだったりする。
一方で元館の主の為の浴場はかなり広い造りなので、今は復興拠点となったここに住まう人たちが共同で利用するにも十分なほどだった。
共同利用というには獅子頭の給湯口があったり大理石造りだったりして非常にゴージャスな風呂場でもある。
そちらの方が設備としては遥かに快適なわけだけど、人と入るのが嫌なのか坊ちゃんは部屋で済ますことの方が多い。
はといえば、気が向けばそちらも利用している。
意外に思えるかもしれないが、元々女性スタッフの方が少ないので時間によっては狙い目らしい(シャルは知らないことだが、銭湯や温泉のノリだろう)。
…ちなみにメイドや使用人だった人たちは元主(ヒューゴさん)の使っていた設備を使うことに抵抗があるらしく今までどおり使用人用のシャワーなどを使っている。
大勢住まうにはつくづくこと欠かない屋敷だ。
…そんな話はおいといて。
本日、湯が張られたバスタブを見て坊ちゃんの視線は止まった。
見慣れないものが浮いている。
摘まみ上げてみるとシルクのような光沢のある目の細かいメッシュの袋に…
桃紫と緑の何かが入っている。
「?」
花、だろう。
小さな花弁は爪ほども無く葉も混じって入っていて例えるならば、その袋自体がお花畑といった紋様を描いている。
ぽい。
さして興味が無いのか一回りさせてから坊ちゃんは再び袋を湯に沈めた。
体を流して湯につかる。
やはり気になるのか、それとも単に手元に流れてきたからか再び手の上に乗せて観察。
別にだからといって何がどうというわけではない。
裏返してそのまま浮力に開放する。
…なんだかまったりしてますねぇ
風呂場には少しだけつんとしたシャープな香りが漂っていた。
「あ、リオン。お風呂どうだった?」
「なんだ、あれは」
風呂から上がるとリビングにいた
の方から声をかけてくる。
決まって何か変わったことをしでかしたあとの彼女は機嫌が良さそうだ。
坊ちゃんは大した反応もなく聞き返した。
「タイムだよ。庭にたくさん生えてるでしょ」
「…?」
タイムといえばよく肉料理に使われてたりするけど。
坊ちゃんは「どこに」と言いたげな表情をしたけれど生憎窓の外はもう暗闇に覆われていた。
庭に生えていたものが何なのか意識していないと、こうなる。
「あれ、変な匂いだよね」
「お前は変な匂いのものを風呂に入れるのか」
匂い消しだけあって、生葉のにおいはけっこう強烈らしい。
「香りが個性的すぎて料理に使う気にはならなかったんだけど、お風呂にもいいって書いてあったから…」
「それを知ったのはいつのことだ?」
「つい最近」
「僕は実験台か」
実験台というほど珍しいハーブじゃないんですけどね。
例によって
は「お花、ステキv」などという感覚で摘んできたわけではないらしい。
ついでに彼女自身、それまでその花が何なのかも知らなかったような口ぶりだ。
事実、あの小さな花は視界の端を飾るくらいで大抵の人間にとって名も無き存在だろう。
しかし、なんとなくでは終わらない。
はテーブルの上においてあったハンドブックを開いた。
「タイムは防腐作用、殺菌作用やカビを防ぐ作用に優れるため、食品加工の際に風味付けをかねて多用されています。
主な精油成分はモチール、カルバクロールで、水蒸気蒸留によって得た精油をチアミン油といって、香水の原料にするほか、飲用すると、風邪や腰痛を和らげたり鎮咳薬になります。
だって。ハーブって凄いね」
坊ちゃんはテーブルを挟んだ反対側のソファに腰掛けると
氷の入っている水さしからグラスへ水を注いだ。
黙ってグラスを口元へ運ぶ。
は先を続ける。
「シャープな香りは消毒力の強い成分「チモール」のためで、口内清涼剤や石鹸にも使われるって。
ハーバルバスにすると落ち込んだときに元気が出るとか」
「曖昧な効能だな」
何をもってどう元気なのか、確かによくわからない。
癒されるとか落ち着く、だとイメージはしやすいんだけど…
香りでハイテンションになるというのは何かまずいんじゃないだろうか。
「後は身体が温まるって。どう?」
「……………」
そう言われると確かに温まっているかもしれない。
考える間があったのは多分、そういうことだ。
「花言葉は“勇気”。 」
「その時点で意味がわからん」
まぁあんな小さな可憐な花が勇気ってのもなんですよね。
「いいからお前もさっさと入って来い」
濡れた前髪に触れるようにして坊ちゃん。
水もしたたるいい男ですね(関係ない)。
は素直に着替えを持ってバスルームへと消えていった。
もう一度水をグラスへ注いで飲む。
よく温まったせいか喉が渇いているらしい。
ふと、
が置いていったガイドブックを開いた坊ちゃん。
とあるページで動きが止まってしまった。
そこには
が敢えて読み上げなかったであろう雑文がひとつ。
タイムの防腐剤、保存剤としての強力な効き目は古代から知られ、死体保存用に使われていました
…なんとなく見なければ良かったと思った一瞬でもあった。
Fin.
あとがき**
5.23の実話。庭にわんさか生えていたのでお風呂に放り込んでみました。
見なけりゃ良かった防腐効果。
タイムは正直変なにおいです。
お題更新は久々ですがシャル日記で続く形になってしまいました。
書きやすいんですね。
「天国からのシャル日記」は休止中に日記でこっそりUPした話で、D3その後を
天国のシャル視点にて中継(笑)してもらっているものです。
のぞきだとかいう問題はおいといてシリーズ化希望もあり非公式気味にここに登場となりました。