-入ってます。-
イクティノス少将が誰よりも情報に通じているのは誰もがわかっている話。
あの細面で1日無表情でいられると、本人が機械なんじゃないのか疑惑が出たことがあるくらいだ。
けれど、いまこの地上に情報将校が少ないことにもきちんとそれなりの理由もあった。
それはこの時代。
天地戦争という名の時代。
世界が一度終わった後の、一面真っ白な世界では多くの情報機器は動いてはいなかった。
だから戦争が始まってから、そういうものを使える人もめっきり減ってしまった。
多くの技術者が死に、文明が途絶えてしまえば自明の理だ。
だから情報将校の部下になりうる人間も、空からの災厄から生き残った人の数に比べれば…そう多くはなかった。
「少将~回線が重くなってます~」
「…」
彼は細い眉をぴくりとも動かさない。
まるで文明の遺物であるこの「ラディスロウ」にはかろうじて残された文明のすべてが集約されているようでもあった。
世界に残されたほんのわずかな奇跡を集めてつなぎ合せたようなネットワーク。
だからこそ、不安定になるのもままあることだ。
それでも輸送艦へ機材をつんで、空に浮かぶ科学文明の塊に対抗しようとする統合指令本部が出来ているのは上出来だろう。
イクティノス=マイナード少将閣下はやがて、時折生き物のような気まぐれさを見せる機器よりも彼の返事のないことでおろおろとした表情を見せた部下に対して小さなため息をついた。
「私のは重くないですよ。その機材はデフラグしてますか」
「あ、そうですね。ではスキャンをかけてみます」
それくらい聞かなくてもやれよ。
とは少将は言わない。
それは決して彼なりの思いやりではなく部下の技術不足であることは理解していたからだ。
ただ、倍速になった手の動きに部下たちの顔色が自主的に青くなったのは言うまでもなかった。
そんなある日のこと。
子供たちがやってきた。
戦争には女子供は…とよくいうが、まさに彼らは女子供の集団だった。
みたところ、一人だけ保護者的年齢にも見えるがそれでもシャルティエよりは年下だろう。
結局、こんな瀬戸際で議論している暇もなく…彼らはハロルドの部下として配属された。
物資保管所へ、任務というより雑務に近いが立派に危険をともなう護衛をこなした彼ら。
やがてその中から、ひとり、ソーディアンの試作品への検体者が選ばれた。
そして、彼らは二度目の物資保管所へ。
ひとり居残った彼女はなぜか日々、情報担当部署──つまりはイクティノスの働くフロアへとやってくるのだった。
女子供は戦争では…などということは少将にとってはどうでもいい。
現にアトワイトなど立派な軍医であるし、何かと比べる必要もないが少将は期待もしていなかった。
彼女は被験者として検査などをされる以外の時間をほんの手伝いに充てているに過ぎない。
興味はあるようだがさして口を利くでもなくそうしてまた数日たったある午後のことだった。
「少将!ウィルスが検出されました!」
緊迫感のある声で部下が告げる。
さすがにネットワークが潰されるようなものであれば大変なことになるのでイクティノスはそう告げた部下の前に燐光を放つ薄い画面を覗き込む。
もうすぐ会議の時間だ。
厄介なものでないといいが。
ラディスロウの外にはネットワークはないので外部へ情報を持ち出す類のウィルス(あるいはスパイウェア)ではないだろう。
けれどそれらが見つかるということは「どこか」とつながっているという事で…
由々しき問題だ。
そこには確かに警告のログが吐き出されていた。
部下たちも集まってごくり、と唾を飲む音が聞こえそうなくらい深刻な空気の中で、そこに示されたウィルス──しかも2つ──の名を示すスペルを見てぴくりとイクティノスの眉が動く。
わかっているのかいないのか、けろりとした顔をしているのは
という名の彼女だけだった。
時計が2時を告げる。
会議の時間。
「1つはそれほど危険なものでないので自分たちで駆除してください。」
「え、ひとつはって…」
その後、もうひとつは危険なのかよ!と突っ込めるものはいない。
「過去のデータベースからあたってみることです」
もしや未知のウィルスか!?
イクティノスが知らなそうな発言をしたことで居合わせた部下たちはざわつきながら顔を見合わせる。
「駆除のツールは?少将、お持ちですか?」
部下の不安声にさらにイクティノスの眉が難しい方向に動いた。
小さなディスクを自分のデスクから出して無言で差し出す。
「会議に行ってきます。戻るまでに復旧しておきなさい」
そう言ってため息をつくこともなく彼はいつもどおり無表情で部屋を後にした。
期待などしていない。
彼らは戦争が始まってから生まれた人間で、
よほどのもの好きでなければこういったことに得手ではあるまい。
いや、時代のせいにしているが平和な時代だとて興味がなければさっぱりだろう。
この世界は奥が深い。
情報は生き物だ。
機械で決められたことしか動かない、などと思っていると自分が機械に振り回されることになる。
おそらく。
時代が時代でも、便利になればなるほどそういう人口は便利さに比例するのだろう。
知る必要がないから、仕組みは知らない。
知らなくても使えるようにできている。
「あれ」はそういったことを追求されて作られた道具だから。
けれど物は壊れたときに仕組みを知っていなければ直すことはできない。
仕組みを知るには好奇心や興味といった力が必要だ。
それは多分に人間性にも左右される。
それでも情報部に集められたのはそういった部分に長けた者たちだった。
教えればできる。
しかし、突き詰めればできれば教わる前に知ろうとする人間が適任なのであろうが。
執務室の扉の前に来て、イクティノスは始めて表情を崩した。
大きくため息をつく。
会議の時間は40分。
扉の向こうではまだ試行錯誤が続いているだろう。
結局、未知の分野に関しては、どうにかするのは自分なのである。
ため息をさえぎるように扉が開いた。
果たしてその扉の向こうでは…
彼女が端末の前に座ってそれをそれぞれ覗き込む部下たちの姿があった。
「?」
「あ、少将。おかえりなさい」
いつもよりフレンドリーな挨拶が彼を向かえた。
その表情は暗くない。
「ウィルスの特定と駆除は済みましたか」
「えぇ、すごいんですよ。彼女」
いままで雑用のみ頼んでいた
をそういって部下の一人が指し示した。
「最初の1つは駆除に手間取ったんですが、もうひとつはデータベースから探し出してあっというまに特定しちゃいました。ついでに単体ファイルで感染はしてなかったので削除して終了です」
どこか唖然として自分は彼女を見ていただろう。
全くのダークホースだった。
今もイクティノスに会釈してから彼女はスキャンの確認をしているのかその手元はキーボードに置かれていた。それが軽く走る。一瞬だが、かなり流暢だ。
「君はこういったものに触れる機会があったんですか?」
「えぇ、それとほとんど変わらないみたいなので…」
刹那にして「同類」を感じたことをイクティノスは自分自身、言葉として認識していない。
ただ使える人間であることは瞬時に理解した。
それから…
「良かったら、後で…時間があったらでいいので教えてもらえませんか?」
「そうですね、そうしましょう」
即答。
その口元がほんのわずかに綻んだことに部下たちは驚愕すら覚えたのだった。
その翌日から…
「少将、なんか機嫌よくないか?」
「というかそこはかとなく楽しそうなんですけど…」
イクティノスの向かう端末を
が横から覗き込み、知らない人にとっては宇宙語で彼らは会話して見えただろう。
けれどその様はまさに「談笑」だった。
「昨日、レジストリもいじってしまったんですが…」
「あぁ、では後ほど確認しておきましょう。バイナリは変更してないですよね?」
「そこまでわかってません」
わからないことをわかっている。
上出来とばかりに彼は薄く微笑を浮かべる。
「…彼女、ここでもらったほうがいいんじゃないのか?」
「そりゃ、詳しい人は歓迎だけど」
「だけど、なんだよ」
顔を見合わせる部下たち。
ひっそりと、後ろを向いて、それでも言わざるを得なかったその続きは
「ありゃ上司と部下より、趣味の友達候補だろ?」
そんな言葉だった。
あとがき**
ウィルス駆除で意気投合。
入ってます→ウィルスが(笑)
ある意味、わかる人にしかわからない世界の話。