12月も下旬。
年末大戦争
あと一週間ほどで今年も終わる。
時間に区切りを勝手につけているのは人間なので、それを思うと別にどうということもないが、けじめとして締めくくりはあった方が気持ちが良いものなのかもしれない。
「明日、クレスタに視察に行ってきます」
「視察?」
がすこぶる真剣な顔でそう言ったのは、今日という日の仕事が終わった後だった。
「急な話だな」
「そう、火急的必要に駆られる事態が発生した」
「大変だな」
の少しピリピリした雰囲気にリオンはあまり多くの言葉を口にしないことにする。
年末が忙しいのは「まとめて休みたくば、その分、働け」という意味があってのことであるように思う。
それを見越して彼女はこの月、仕事をいつもより早く締めるようにしている。なので、逆に例年ならむしろ余裕が出てくる頃合いだ。なのに、ずいぶんと急な仕事である。
と言っても、クレスタは内海をはさんで目と鼻の先。
仕事でクルーザーを使えば、日帰り圏内。
明日行くというのは、明日行って帰ってくる、という意味であろうから、リオンはそれ以上、何も言わなかった。
そして、その推察通り、 は次の日の日没には帰って来ていた。
「時間は足りたのか」
「うん、30分くらいで帰ってきたから」
早すぎないか。
その時間では、クルーザーが物資運送のために取って返す時間に十分間に合ったろう。
「余計なところには寄ってこなかったから」
それでもきちんと用を済ませてきたのか、 の顔はいつもどおり余裕だ。
「それでね」
しかし、数分後、余裕がなくなるのはリオンの方だった。
「ルーティから手紙、預かってきたよ」
「……………」
実は、3通目である。
封はされておらず、紙片が一枚だけ入っていた。
『年末、うちに来ないなら、孤児院のみんなを引き連れてそっちに行く』
年越しを一緒にしようというお誘いの手紙に返事をしなかったがために、この事態である。
脅迫めいたなぐり書きにリオンは額を抑えた。
が覗きこんでくる。
「……やっぱりか~。2通目来た時、選択の余地ない気はしたんだよね」
想定内だったらしい。
「冗談にしてもこれはないだろう…」
ホントに来られたらそれこそ、目も当てられない事態になろう。
衣食住の物的支給はともかく、不測の事態に対応しきれる自信はない。
「どうする?」
「選択の余地ないって言ったじゃない」
仕方ないとばかりに 。
「年越しだけなら、最終日に行くのもありだな」
「その前に、しびれを切らして、来かねないけど」
真偽のほども定かでない荒れた筆跡なのが恐ろしい。
「仕方ないな…」
リオンもため息とともに折れた。
騒乱が終わってから、結構な時間がたつが、彼らと一緒に年を越すのは初めてだ。
が、年末のあれこれの人手としてカウントされているのは間違いないので、避けていた事態だった。
そして、復興拠点の諸々が里帰りだったり、休業だったりで静かになった、その二日後。
二人はクレスタにやってきた。
年末は正味2日。のりきれば問題あるまい。重労働が待っていそうであるが。
「あ、リオン!」
「あら、いらっしゃ~い♪」
庭掃除をしているスタンが声を上げると、待ってましたとばかりにルーティが出てきた。
孤児院の中からは子供たちの喧騒と、てんやわんやの気配が漏れだしている。
みるからに大掃除の真っ最中だ。
「帰っていいか?」
「わかってるなら、あんたはこれね!」
リオンに竹ぼうきが支給された。
「 は中をお願い」
「はい…」
あきらめた様に、手土産らしき荷物を持って、裏口から食堂に招き入れられる 。
「ちょっと待て、客なのに正面から入れてもらえないとかおかしいだろ」
「あはは、リオンなんか、家に入る前にそれだもんな」
「………笑いごとか」
由々しき事態は、すでにここへ来ると決めた時点で覚悟の上ではあった。
クレスタへ着いたのは昼過ぎだ。
昼食は済ませていたので、さっさと作業に取り掛かる。
やると決めたらさっさと終わる方が良いではないか。
不承不承という感じではあったが、天気が良かったのは幸いだった。
おかげでスタンたちも割合手際よく作業を進めて、日が傾くより先に外仕事は終わった。
お茶を飲もうと中へ入って、それどころではない状況が目に入る。
「………どういうことだ、これは」
多少埃っぽいのは覚悟していたが、視覚的に意外性があった。
食堂には割れ物も多いので、 とルーティが担当している。
そこの壁紙が………およそ、3分の2を境に色が変わっていた。
「えぇっ!!? 何これ、新品!!?」
スタンにもわかるあからさまな変化だ。
アイボリーの壁紙が白をベースとしたほんのりと淡いパステルカラーのポイントの入ったものに変わっている。
その境目には がいて、天井付近をいじっていたらしく梯子の上から振り返った。
「すごいね、リオン! こんなに色違うの!」
むちゃくちゃ笑顔───…
その片手には何が入っているのかわからない無印のスプレー容器が持たれている。
張り替えなどではなく、拭き掃除をしているのであることは一目見ればわかった。
「えっ、何? どういうこと?」
「 ってばすごいのよ。いろいろな洗剤調達してきてくれて! ここの壁紙ってこんな白かったのね、忘れてたわ」
忘れてたって、お前。
「この間来た時に、いろいろ聞かれたけどこれのためだったのね~」
「ちょっと待て」
感慨深そうに言うルーティを思わずリオンが止める。
「この間…なんだって?」
「あんたに3回目の手紙を渡したときよ。いきなり一人で来たからびっくりしたわ」
「 」
「どうせ来る羽目になるならと思って、下見に」
確かに、いろいろ入用だったろう。
持ってきた袋の中身は土産ではなく、掃除セットだったらしい。
「お前、視察と言ったろう」
「下見」
今言い直されても困るのだが。
「楽しそうだな」
なぜだか上機嫌に作業を再開した を呆れて見上げた。
「私も、手の届く範囲でいいって言ったんだけどね」
「始めたらはまっちゃったよ。これ、技術班にお願いして配合してもらったアルカリ性の洗剤なんだけどね」
スプレーをひと吹きすると汚れがヤニのような色になって流れ落ちてきた。
「吹き付けるときれいになるの、ぞうきんにつけて拭いても落ちないんだよ。不思議でしょ」
「へー!」
スタン、絶対わかってないだろう。
吹き付けた瞬間にしか落ちないということはぞうきんを介した場合、なんらかの反応がでなくなるという化学的な可能性まで至ってはいまい。
多分、 はその反応を如実に見られるのを面白がっているのだろう。
今の会話は、つまりそういうことで、いまや掃除はその副産物でしかない。
「オレンジとか酢でも掃除にはいいみたいなんだけど、下見したら薬品使えそうな壁紙だったから」
そうだな、ヒューゴ邸の壁布にそんなものを使ったら、おそらく一発でシミになってアウトだな。
「何でできてるんだ?」
「アルキルアミンオキシドだって!」
「すごいなー!」
あはは、うふふと聞こえてきそうな会話だが、 はスタンがわからない言い方をわざとしているにも関わらず、やっぱりスタンは気にもとめない。おそらく、真面目に原料を教えても、覚えはしまい。
ルーティはルーティできれいになればいいくらいの機嫌の良さで鼻歌混じりに台所の油落としを続行している。
リオンは、すでに掃除の済んでいるテーブルについて水分を補給する。
「 のノルマは食堂だから、今日中に終わりそうね」
「その含みは何だ」
「明日は新年に薪割休めるように、リオンは一緒に薪割ろうな!」
「そんなものは、ウインドスラッシュか何かでやれ」
「オレ使えないもん」
「………」
残念なことにジューダス(リオン)は使える。
「私、使えるよ。明日手伝ってあげる」
「えっ、本当!?」
「甘やかすな」
リオンは飲みほしたコップをため息とともに置く。
「さすがに有能ね~タオルも大量に持ってきてくれたし、至れり尽くせりだわ。来年もお願いしようかしら」
「絶対に断る」
お招きはまだ初日。
年が明けても賑やかになりそうだった。
2015.12.31UP(12.23筆)
元ネタ→ガラスマ○ペット。