香りのある生活を
ストレス(受動的)解消法
最近、 のフラストレーションが鬱積している。
フラストレーションというより、ストレスだろう。
この頃はめっきり平和になって、ダリルシェイド復興時には如何なく発揮していたあれやこれやを発揮できない平坦な仕事をしているせいかもしれない。
そのくせ、それなりに年数が経過してくると序列も上になってきて、肩書への欲求が乏しい本人的にはむしろ不具合を生じているようだった。
発散も決して下手ではなかったが、誰しもそうであるように一度それができなくなると悪い方向へ転がりがちだ。
最近の は、見ていて「努めて改善しよう」としている。
ふつう、ストレス解消は努力でするものではない。そんなことは本人もわかっている。
故に、リオンにもわからないでもなく、少し頑張が痛々しい時がある。
そんなある日だった。
「買い物をしてきたのか」
時々、暖かな日が差して、春の気配も近くなってくるだろう季節。
日が落ちる時間もめっきり伸びて、仕事を終えて部屋へ戻ると の姿はなく、だが彼女が戻ってきたのはそれからすぐだった。
「うん、少し休みもらって衝動買いしてきちゃった」
腕に抱えた紙袋をテーブルに下ろす。
そして、先ほど火を入れたばかりの暖炉にすぐにあたりに行った。
少しだけ、晴れやかな顔に見えたので、リオンはため息をはらませて、言う。
「女はよく買い物でストレス解消をしているな」
「何? こんなときばっかり女扱い?」
は笑って返す。
彼女が衝動買いなど本当に珍しいことなので、皮肉にもならない。
というか、リオンが を表立って女扱いすることこそ本当に珍しいので冗談にしか聞こえないだろう。
「たまには外に出るのもいいものだね。空気は冷たいけど、梅の花が咲き始めてたよ」
「缶詰めになってるからストレスがたまっていたのじゃないか?」
寒いのが苦手なので必然的に外に出にくくなる季節だが、出てしまえばどうということはない程度だ。
現に数年前は冬もよく昼と言わず夜といわず散歩をしていたはずだ。
自覚があるのだろう。 は否定しない。
「そうかも。ところで梅の花、黄色かったけどここらへんに黄色い梅ってあったっけ?」
「?」
ふたりして首をひねる。確か、この周辺にあるものは屋敷のものも含めて白だったはずだ。
単に早く咲きすぎたため、寒さにやられて黄色くなっただけなどと思う由はない。
は戻ってきて上機嫌に紙袋から買ってきたものをとりだしはじめた。
「…………」
白いお揃いのボトルが三本。茶色い小瓶が五本。
透明なパッケージの中に白い粉、二袋。
「……おい」
「はい?」
違和感が拭えず、声をかけるリオン。
「なんだ、それは」
「無水エタノールとグリセリンと炭酸水素ナトリウム」
とりあえずボトル二本分と白い粉一袋の正体が明らかになった。
「あとはクエン酸と、ただの精製水だよ」
「ちょっと待て」
そして、中身の見えない小さな銀のスプレーボトル。
「お前は、一体どこで買い物をしてきた」
「主に薬局」
「何を始める気だ」
「……」
なんだ、その沈黙は。
「アロマスプレーとリードディフューザーを作るんだよ」
だがしかし、沈黙は思わせぶりだっただけで、返ってきた答えに危険性は感じられなかった。
小瓶は、エッセンシャルオイルらしい。ラベルをよく見ると、ベルガモット、フランキンセンス、など見たことのあるものとないものが混在している。
「ディフューザー?」
「植物の毛細管現象を利用して、香りを拡散させるアレ」
「どれだ」
「雑貨屋さんによく置いてある、小瓶に竹串みたいなのがささったのあるでしょう?」
「というか、雑貨屋で手に入るなら、なぜ雑貨屋で買わないんだ」
「え……」
その発想はなかった模様。
「大体、そんなに材料をそろえるなら買った方が早いんじゃないのか?」
「いや、クエン酸と炭酸水素ナトリウムは普通にバスボム用」
「…そのグリセリンは」
「乾燥の季節だから、ちょっと保湿用のスプレーも作っとこうかと…」
「医務室へ行ってワセリンでももらってこい」
はなぜか難しい顔をした。
「リオン、ワセリンは油性だから保湿水は作れないよ。べたべたすると使いづらいし…」
「そんなことは聞いてない」
「まぁとにかく、炭酸水素ナトリウムとエタノールは普通に掃除にも使えるし、オイルもいろいろ使えるから、これだけあれば応用効いていいと思う」
買い物でストレス発散したというより、これからの己の作業に何か期待しているようだ。
「僕は前言を撤回する。女は買い物でストレスを発散するといったが、お前の買い物の仕方は女じゃない」
「なんていう言い草ですか…」
アロマという発想は比較的女性らしいと思うが、なぜ自分で調合しようとするのか。
「オイルはクセのないものを選んできたからリオンも嫌いな香りじゃないんだと思うけど…香りは嗅覚から入って脳に直接作用するし」
受動的に体にストレスを解消させる方法を選んだらしい。
「あぁ、アールグレイはお前がよく入れるな」
ベルガモットのオイルの小瓶を眺めながらリオン。
思えばタイムを摘んで風呂に入れてみたり街角のミントの生える場所を把握していたりと、香りに敏感な人間であれば、本格的にアロマに興味が出るのは時間の問題だったのかもしれない。
「アロマテラピーって組み合わせによって効果変わるから、女子力を上げるとかいう目的で買っていく人も多いらしいよ」
「お前は明らかに女子力目的じゃないだろうが」
手にされた火気厳禁・危険等級Ⅱ・第三類医薬品という各々に貼られたラベルのボトルがそれを物語っている。
「薬局の棚は本屋の棚を見るような楽しさがある」
「……」
好みは人によるだろう。
の持論は続いている。
「材料選びによってストレスを発散し、モノづくりを楽しみ、そして出来たものが同じ目的において役立つ。素晴らしい三段活用だと思わない?」
「お前、最初に衝動買いと言わなかったか?」
明らかに計画的な買い物だ。休暇は唐突だったとしても。
むしろ、その前にレシピやオイルの種類を調べるだろうところから楽しみは始まっていたと思われる。
「とりあえず柑橘類系なら、この部屋においてもいい?」
「好きにしろ」
「じゃあミストスプレーも作るけど、光毒性だから直接皮膚につけないでね」
…意外と危険な代物だ。
そういう化学的要素があるからこそ、てきめんにおもしろがって調べたのだろう。
「試香紙は仕入れてこなかったけど、あんまり珍しいのに手を出すのはリスクがある気がする」
「まぁ汎用的なものは、万人に受けがいいからこそ広まってるんだろうが」
「ひのきはないんだよね。さすがに」
「ひのき?」
木の名前は聞いたことがあるが、このあたりにはない樹木である。
「アクアヴェイルかなぁ」
「木材系なら他にもあるだろ。その木にこだわる理由はあるのか」
「なんだろうね、和の心?」
なんとなくかわされた。
「柚子とかもいいよね…白檀もアクアヴェイルかな。ジョニーに何か見繕って香の物を送ってもらおうかな」
はそういいながら、空のスプレーボトルのふたを開ける。
手にしたスポイトが、女子力とやらを奪って見えるのは気のせいか。
それでも、ベルガモットの小瓶を開けてオイルを垂らすと新鮮な果実の香りがほのかに鼻腔を付いた。
「好みのピローミストも作ってあげるね」
「待て。アロマスプレーを使っている僕とか違和感があるんだが」
「じゃあ、モーニングスプレーで何か」
「とりあえず、自分のものを優先しろ」
実験台になりかねない気分なので、謹んで先を譲る。
しばらく、冬の乾いた空気を様々な季節の香りが満たしそうな今日この頃だった。
20160212UP
おすすめ本は「あたらしいアロマテラピー図鑑」。