春の訪れを告げるあの
イコンの青い花
冬が終わるとまっさきに顔を見せる花がある。
しかし、その花は小さすぎて大抵の人の目には触れない。気づけば、視界の端に絨毯となって広がっていることがほとんどだ。
「よく見るとかわいいねぇ 青い花なんて、あんまり見ないし」
気づいたのはナナリーとリアラだった。
「なんて花かしら?」
改めてみると、珍しい色なのにさして話題にもならないのはなぜだろう。名もなき花、というのが誰にとっても正解に見えた。
そんな小さくかわいらしい、どこにでもある野の花。
「 なら知ってるかな」
二人してしゃがみこんでいると、 が通りかかったので呼んでみる。
中腰になってそれをみて、 はすぐに教えてくれた。
「それは……私の母は『るりこぼし』って呼んでた」
「るりこぼし?」
「瑠璃こぼしなんだか瑠璃小星なんだかは不明だけど」
「素敵な名前ね」
かわいらしい花に、よく似合う名前だとふたりはほっこりした顔でそれをみるが、 は少し複雑そうだった。
そこへ次に通りかかったのがハロルドだ。
「集まっちゃって、なぁにー?」
「あぁ、花を見てたんだ。これ。ハロルド知ってるかい?」
ナナリーがうっかり聞いてしまう。
ハロルドのことだ、図鑑で一度でも見ていれば覚えているだろう。案の定だった。
「私の時代じゃもちろん本物はなかったけど……『おおいぬのふぐり』よね」
「!?」
ナナリーがその言葉の意味を知っているのか、顔面を真っ赤にした。いわゆる俗語と言えば俗語なので、知っている人は知っている言葉なのだろう。
「おおいぬの…?」
「ふぐり」
リアラがわからず小首をかしげ、わざわざ復唱しているハロルド。
タイミングの悪いことにそこへ男性陣がやってきた
「なに? 花?」
「あぁ、この花そこらじゅうにあるよな」
雑草としてもおなじみだ。
旅の道中でも、町の中でもみかけるので彼らの孤児院の庭にもあったことだろう。
「おおいぬのふぐりっていうんですって」
「!!?」
リアラの他意のない笑顔にロニが今度はぎょっとなる。その後ろでジューダスの眉もひそめられた。
リアラがその反応に、小首をかしげる。
「ハロルドが教えてくれたの」
「ハロルド…! お前、うら若き乙女になんて言葉を…!!」
ロニがこぶしを握って、無駄に訴えている。
「なによー、名前を教えてあげただけじゃない。それにそれ、植物学の父と銘された人が付けた植物と似てるからその名前がついたらしいわよ」
「なんてことしてくれた、植物学の父…!!」
植物学の父が元ネタとなる花にその名をつけた時点でアウトだが(ある意味、センス的にはハロルドと似ているので、むしろ頭は良かったのだろう)、その後、その花の名前をとらないという選択をしなかった学者連中の馬鹿さ加減が悔やまれる。
その後も、「植物学の父」という元があるだけに、誰も改名できなかったのだろう。
「いいじゃない。形が似てるって根拠があるみたいだし。いぬのふぐりに」
「な、なんてことを…! 恥じらいのない!!」
「大人と言ってほしいわ」
ロニ=デュナミス 23歳。
ハロルド=ベルセリオス 23歳。
というか、今のはそもそもの語源を言っているのか、それとも似ている原種の花の名前を言ったのかによって解釈を変えた方がいいと思うが。
「ふぐりって何?」
カイルが首をひねる。お子様コンビだ。
「お前は知らなくていい言葉だ……! …………いや、男として知っておいた方がいいか?」
「まじめに思い直すのは勝手だが、よそでやれ」
なぜ、ジューダスがその言葉を知っているのか謎であるが、 が見かけたのも図鑑ではなく古い文学作品の作中であったからそういうところで謎に思って、それが何かを調べてしまったのかもしれない。
と同じ経路をたどって得た知識であれば。
当時はむしろ一生知らなくてもいいと思った単語である。
「そんな話をしてたのか、お前らは」
「ち、ちがうよ! 最初に に聞いたらるりこぼしって……!」
「るりこぼし?」
「本来の名前がひどすぎるので、内輪で使ってたネーミング」
「むしろ、それを採用しろ」
「え、何? 何の話?」
恥をかかせないためにも、カイルにはロニが、リアラにはナナリーがあとで赤面しながらも教えることになる。
結果、その花を見ても、だれもその名前を口にすることはなくなったという…
なぜ、春を一番に告げるこんな小さな花にそんな名前を付けたのか。
「すごく好きな花なのになー」
思わずため息をついて、春の風が吹き渡る草原でその花々を前に、しゃがみこむ 。
ジューダスからも、思わずため息が漏れた。
**あとがき**
わからない人はGoogle先生に聞いてみよう。
学名は「Veronica persica」ウェロニカ ペルシカ。
日本にも同名のフランス料理店があるが、花の名前を知っていると、微妙。
「イコンの青い花」とも呼ばれ、「聖女ベロニカの仮面」が直訳となります。
なんて素敵な名前の花なのでしょうか。なのに日本語名と来たら…軽く泣けます。