11.捕縛
世界は聖域北の第六大陸(ゼクス)をほぼ中央に、ふたつに分かれていた。帝国の支配する領域と、王国の支配する領域だ。それが十二年前の戦争でひとつになった。だが、未だに旧エディフィス国内の端々にまで帝国の管理は深く及ばない。逆を言えば、テイトと会うためだけに元々帝国支配の濃い世界の東域にリンドブルムが現われるにはリスクが高かった。東隣の第四大陸(フィーア)で落ち合うことにして、その日、テイトたちは教会を出た。
第四大陸(フィーア)に入る前に一度、第三大陸(トレース)の東端の町ジングルに立ち寄る。明日には大陸境を超えて、第四大陸(フィーア)に入れるだろう。落ち合う場所はそこから一日ほど飛ばした森林地帯だった。
夕食を外で済まし、酒を飲みたいらしい大人たちを残して川縁を歩いて宿へ向かう。橋の上に設置された街路灯の中でエルブレスの火が淡く揺れた。
その柱を背に黒いコートをまとった男が立っている。さして気にすることもなく通り過ぎようとした、その横顔に声がかかった。
「みつけた」
反射的にテイトは身を翻していた。漆黒の風が刃になってその後を追う。
「帝国軍か!」
コートの下に、軍服が覗いていた。
「テイト=クライン。我が元に落ちよ」
その背に黒い骨格だけの翼が生える。ソウルイーターだ。だが、片翼だけだった。ミカゲと同じ、あの姿。
シンが手を振り上げザイフォンを放つ。翼はザイフォンをいとも簡単にはじいてしまう。経験から感じていることだが、こいつらにザイフォンはあまり効果がない。司祭の持つエルブレスこそが退魔の力を持っていると言っても過言ではないのだろう。殺意を持って殺意は殺せない、ということか。
素早くソウルイーターは距離を詰めると腕を振りかざした。黒い光が環となって纏われる。ザイフォンだ。しかも見たことがない闇色のザイフォンだった。
「まさか!? ソウルイーターが……!」
いや、しかしミカゲの時もそうだった。他のソウルイーターはザイフォンなど使ってはこなかったが、ミカゲはそれを使っていた。
「こいつも特別製って奴かよ!」
避けたつもりだった。が、橋は瓦解し、足場が消えた。落ちる。ソウルイーターは宙を舞いその手のひらをこちらへ向けた。禍々しい闇色の光球がその手の内に発生する。
中空で体勢を整えたが、おそらく直撃は避けられない。来るだろう衝撃に備え、防御の為にザイフォンを発動させるテイトとシン。
「危ない!」
「!」
放たれた光球。しかし、それはふいに霧散した。
エルブレスか? 何の力が割って入ったのかはわからないが、第三者の介入だ。見ればアイスブルーの髪の青年が、着地地点にいた。
「あんたは……」
「いいから、逃げるぞ!」
たまたま襲われた人間とでも思っているのだろう。けれどそうではない。あれは自分たちを狙っている。このままでは巻き込んでしまう。腕を引かれて駆けたが、追ってくるソウルイーターにテイトは立ち向かわなければならなかった。
腕を振り払って、後ろに向かって立つ。
「おい……!」
「あんたは逃げてくれ。助けてくれたことには感謝する」
ソウルイーターが迫る。テイトとシンは再び交戦の構えを取った。
「神の御許に召されやがれ」
しかし。その背後から光の奔流が風を連れてソウルイーターを包んだ。
ざっ! 一瞬にして、ソウルイーターの姿がかき消える。
「エルブレス……聖域の司祭か」
青年の呟きを背中に、ヒューが正面から現われた。
「せっかくの酒がこいつの気配でまずくなっちまったぜ。……お子様たち、無事か?」
「お子様言うな」
今のがエウロスの力だろうか。以前とは段違いの攻撃力だった。通りすがりにテイトとシンの頭に手を置いてヒューは青年に礼を述べた。
「うちのガキどもが世話になったみたいで。悪かったな」
「いや、オレもエルブレスは使えないから、どうしようかと思ったんだけどまぁ無事でよかったよ」
あの時、闇の力を霧散させたのは、エルブレスではなかったのか。名も告げずに去ろうとした青年を引きとめて礼がしたいと言ったのはシンだった。いらないと言ったが、食事はまだかと聞くとまだらしいので奢ることにした。
青年の名前はエムスと言った。
「エムスは、この街の人なの?」
「いや、生まれは帝都だよ。でもここは昔、王国との交流があった国境の町だからいろいろと文化が入り混じってて面白いなぁと」
「おいおい、帝都の人間がエディフィスの文化に関心を持つなんて、穏やかな話じゃないな」
エディフィスにあった文化や歴史などの記録は帝国によりことごとく抹消されたと聞いた。それくらい徹底して帝国は王国を消しにかかったと言うことだ。同じ人間を奴隷を使いだした容赦のなさからも、それはうかがい知ることが出来るだろう。
それらに興味を抱くと言うことは大げさに言ってしまえば帝国にとっては反逆にも等しい行為だ。
「まぁ……資料もほとんど残ってないし、知ることは難しいんだけどな。でも、いくら資料を消しても生きてる人の中から歴史や文化を消すことはできない。だからこうやって時々そういうものを見に来るのが好きなんだよ」
そうやって引き継がれていく。エディフィスにあった物が全て消されてしまったわけでもなく、決して消せないものもあるのだとふと、気付かされた。
「……エムスは学者なのか?」
「お前な、学者でエディフィスの文化とか研究してたらそれこそ異端で査問審査ものだぞ」
「そうなんだよな、もうちょっと寛容になってもいいんじゃないかと思うけど」
「それもあんまり公に言うことじゃない」
「いや、むしろ王国再興とかしたらいいんじゃないのか?」
王国の再興。帝都の人間がそんなことを考えているなんて……少し驚いた。帝国に生まれた人間は帝国を信じて生きていく。自分の国だ、愛さないわけがないだろう。テイトにとってそれはエディフィス。けれど、帝国では十二年経った今でもエディフィスは「悪」として語られ、肩を持つことなどは不謹慎とされているだろう。なのに、それをあっさり覆すエムス。
「ここが第三大陸(トレース)だからいいものの、そんなこと帝都で言ったら大変だろう」
「まぁ割と自粛はしてると思う」
食事を終え、コップに満たされた飲物を口に運ぶ。
「……エムスはひょっとして、エディフィスにいたことがあるのか?」
それは素朴な疑問だった。
「いたことというか、小さい時に行ったことがあって友達、っていうのかな。それができたんだ。まぁそれ以来一度も会ってないけど。すごく優しい人たちだった。……それがオレの中では懐かしい記憶で、そういう人たちならまだいてくれてもいいんじゃないかと思うんだ」
あぁ、この人を突き動かしているのは大事な記憶なのだ。それは彼の中で「事実」であり、何よりも変えがたい思い出なのだろう。
「ご馳走さま。うまかったよ」
夜も更けてきたのでここでお別れだ。ヒューを加えて、再び宿への道を辿る。
「……ランバートは?」
「他のソウルイーターを狩りに行った」
「そういえば、初めて会った時も狩ってたみたいだけど、ヒューは行かなくていいのか?」
「人には役割ってものがあるんだよ。オレは本来、肉体労働派じゃねーの」
戦闘派の司祭のくせに。
「真面目な話をすると、ランバート……ボレアスは四神の中で最も高い戦闘能力を持った存在だ。その力でソウルイーターに食われた魂を出来るだけ多く回収して、いつか天界へ持ち帰るのが役目なのさ」
「ふーん、じゃあ他の二神は何を司ってるの?」
シンが聞いた。それは神を信奉する者なら当然知っていることなのかもしれないが、自分もおそらくだがシンも、あまり軍で必要な知識以外は持ち合わせていなかった。
「ノトスとゼフィロスか? ノトスは時間操作に加え遠隔会話ができ、ゼフィロスは癒しの力をシンボルとしているな。ただ、四神全てがソウルイーターと戦うことも前提とした存在だから、戦えないこともない」
癒しの力。なんだかミストを思い出させた。彼も不思議なところがある。ひょっとしたらミストも四神の一人なのではないだろうか。……考えたことがないわけではなかった。
「ノトスとゼフィロスもこの世界のどこかにいるのかな」
「ノトスは、……おそらくもうこの世にはいない」
「……先代の記憶か?」
あぁ、と頷いてヒューは続けた。
「十二年前の戦争の時に、エウロスとノトスは一度だけ接触している。ファーレンダー家が襲われた時だ。ノトスはファーレンダー家を、ラグエルの秘石を守るために人の器で戦った。けれど、その後ノトスとの交信は途絶えた。それきりだ」
「人間が、神を倒すとか、そういうことがあるのか?」
「あるいは、魔王の魂を用いて作られた戦闘用素体ならば可能なのかもしれない。所詮器は人だしな」
「所詮とか言うなよ。お前の体はお前のものだ。……代わりなんてなんだから」
「へぇ~」
「!」
にまにまと笑みを浮かべた顔を寄せる。テイトは乱暴にそれを片手で押し返した。
「なんだよっ」
「いや、たまにはかわいいことを言ってくれるもんだなぁと思ってさ」
「可愛くなんかねーよ!」
「最初は野良猫みたいになつかなかったのが随分なついてくれもんだ」
「なついてねぇ!」
「先行くよー」
シンは構わずに先行ってしまう。テイトはヒューから離れ、それを追った。
「全く、エウロスになってちょっとは落ち着くかと思えば」
「でも、いきなり変わられても困るでしょ? 見ている分には飽きないからこのままがいいな」
「なんだよ、飽きないって」
シンは笑って済ませている。このまま……いられたら。
……それがいい。思い至ったテイトの望みも、結局はシンと同じところにあるようだった。
空には暗雲が低く垂れこんでいた。天気はあまり良くない。いましも雨が降りそうだ。イーグルを心持ち低空飛行させながら四人は第四大陸(フィーア)への境を渡る。ふと空の上に何かがいることに気付いた。大型の、あれは……なんだろう。
それはテイトたちの上空の雲を破って唐突に現われた。
「ブラックフェンリル……!」
数機のイーグルがブラックフェンリルから放たれた。速度を上げるが、既に前方にも先兵が放たれていて、距離を詰められる。
「テイト君、元気だったかな?」
「またてめーか」
十数機の兵士を従えて、眼前に現れたのはハウルだった。
「かまってる暇はないんだよ。どけ!」
ザイフォンを放つ。その前に割って入ったのは、ミカゲに良く似たあの青年だ。
テイトの顔が無意識に嫌悪に歪んだ。
「今日は空中戦だね、燃えるね」
グラスがイーグルを寄せてくる。ふと、ヒューに気付いて首を傾げた。
「あれ? そっちの司祭はこの間、ミカゲが殺したはずだよね?」
「残念だが、今日はこの前のようには行かないぜ。今日のお前の相手は俺だ」
コゥっとかざした手にエルブレスが集う。グラスがラファエルだとすれば、闇の力に対抗するエルブレスは有効だろう。現に、グラスの顔色が変わった。忌々しそうに舌打ちをするとイーグルを蹴って、中空に飛び出した。ヒューのイーグルの上で激突する。そのまま離れると、無人で動き続けているイーグルを再び足場に立った。
「こっちは任せろ。隙が出来たら離脱するぞ!」
「そんなもの、作らせませんよ」
ミカゲが動く。テイトは危うくザイフォンでその攻撃を防ぐ。テイトはザイフォンで遠隔攻撃も出来るが、接近すると刀を持っているミカゲの方がリーチが長く、攻撃には不利だ。
イーグルが邪魔だった。
「思い切りがいい子だね」
グラスと同じように、自動操縦に任せるまま、テイトはイーグルから跳ぶ。ミカゲの懐に飛び込んで攻撃を繰り出しては離脱し、また攻撃を繰り返す。ミカゲもイーグルの上に立ち、それを迎撃する。シンは銃で次々と下仕官を落としていった。ランバートにも余力がある。ハウルが動いたとしても、押し切れる。かと思われたその時に小型クルーザーが一機近づいてきた。イーグルの上からそれを見る。そこにいたのは、エンデだった。
「貴様ぁ!」
その姿を見た途端、何かがテイトの頭の中で切れた。
めこっ。胸元に違和感を覚える。ラグエルの秘石だ。それが現われた。衝動的に湧きあがる力に暴走するかと思われたザイフォンは、強大な刃となってクルーザーを強襲した。
クルーザーの正面の強化ガラスが割れ、エンデはその中心で左手をかざす。ザイフォンはシールドとなり微風のみをエンデに届けた。
「テイト=クライン。お前は私と一緒に来てもらう」
「誰が行くかよ!」
歪に笑みをかたどった口元に嫌悪を募らせテイトは再びザイフォンを放った。
「神の瞳の力は、そんなものじゃないだろう?」
二度三度。攻撃がはじかれる。
「駄目ですよ、エンデ様に楯ついたら殺されちゃいますからね」
気配もなく、剣が首筋につきつけられる。ハウルだ。しかし、ランバートがハウルを攻撃し、テイトの身が捉われることもなかった。
「お返しだ」
エンデが攻撃に移る。なんて禍々しいザイフォンだろうか。黒い光が弧になり、陣を描く。離れているここまでビリビリと空気を震わせた。それが放たれる。ほぼ爆発と言っても近かった。
「っ!」
防ぎきれない。イーグルは壊れ、テイトもシールドを破られ落下した。
「テイト!」
負傷したテイトをシンがキャッチした。ミカゲが迫る。
「!」
ドン、という衝撃。次の瞬間、テイトはシンに突き飛ばされていた。
見越していたように今度はヒューがそれを捕まえる。いくつものイーグルが中空で交差した。
「はい、捕まえた☆」
「!?」
離れた敵軍は、ゆるやかにイーグルを浮遊クルーザーに寄せる。
シンがミカゲに捕まっていた。
「これ使ってチェックメイトになるかなぁ……」
「やめろ……!」
戦場の時が止まる。
ヒューはその時、見た。シンが自分に目で訴えていた。何を? それは次の瞬間、明らかになる。シンはザイフォンを瞬間的に、爆発させた。
「こいつ……!」
「逃げるぞ!」
シンは、グラスに殴られ、頭をがくりと垂れた。
イーグルが隙をついて猛スピードで離脱する。
「ヒュー、戻れ! シンが……シンが!」
「今は無理だ! お前を渡すわけにはいかないんだ」
抱えられたまま、テイトは手を伸ばす。しかし、その手は遠ざかるばかりでシンに届くことはなかった。
「……まさか、逃げるとはね」
「かまわん、まだチャンスはある」
「この子、餌に使うの?」
くすくすと笑い合う、グラスとハウルの声がシンには、遥か遠くに聞こえていた。