14 .アズラエル
「おはようございます。シン=ベルクラント、参りました」
「あ、シン。おはよー」
「時間通りですね。エンデ閣下はまだ見えてませんよ」
グラスが憚ることなくあくびをしながら挨拶を返してくる。……なんだか、学校や想像していた軍人の世界とは少し違う空気が漂っている。それも、エンデが来る頃にはがらりと変わっていたが。
「シン、昨日渡しておいたファイルには目を通したか?」
「はい、一通りは」
「では、現在の我々の遂行すべき任務を答えよ」
「……反逆者 テイト =クラインの確保とウリエルの探索、ですか」
「それでいい」
エンデは席に着く。一日はめまぐるしい。その日はブラックフェンリルが動くことはなかったが、書類の処理から視察、会議と過密スケジュールだった。書類の束を運びながらシンは黙ってペンを動かしている ミカゲ の前で足を止めた。
「なんだ」
「んー……割とベグライターって何でも屋だなって思って」
周りの評判を聞く限り、 ミカゲ の仕事はハウルの補佐だが、戦闘時に真価を発揮するという。つまり実技派だと思うのだが、そういう人がペンを握って仕事をしている姿が不思議だった。
「年中戦っているわけでもないからな。午後の訓練は二時からだ。遅れるな」
「はい」
ささやかな昼休みを使って、シンは情報センターにやってきていた。端末を使って、検索する。「 ミカゲ =ラスヴェート」……しかし、端末からはエラーが返ってきただけだった。
(該当なし……どうして?)
ミカゲ も試験はパスしたはずだ。どうしてだろう。それは覚えている。卒業試験後に ミカゲ に会った覚えがないのに。それも忘れてしまっているだけだろうか。
何かが脳裏をよぎった。 ミカゲ の他にも誰か探すべき人がいなかったか。手はパネルの上をさ迷ったがその名前はとうとう出てこなかった。
二時になって、訓練ルームに通された。今日はこちらの ミカゲ との実戦演習だ。
「全力で来い」
ザイフォンを発動させ、接近する。 ミカゲ が使うのは刀だ。ザイフォンをことごとく消滅させ、 ミカゲ が刃を一閃させた。跳んで避ける。着地と同時に床を蹴り再び攻防を繰り返す。
(あれ……?)
ふと既視感を覚え、シンは離れた。 ミカゲ はその隙を突いて打って出る。それを防いでいたがふと、思い出した。
白い法衣が記憶の端で翻る。
(あれは……)
「っ!」
突然、動きを止めたシン。寸止めがわずかに間に合わずに ミカゲ の刀はシンを捕らえてしまった。
「!」
咄嗟に肩に突き刺さった刃を引き抜く。血が飛び散った。
崩れたシンを片手で支えて ミカゲ が手袋をはずす。
かざした手から光が溢れ、傷はすぐに塞がった。
「…… ミカゲ ……それ、エルブレス……?」
ザイフォンと癒し系のエルブレスを同時に扱えるものは、ほぼ皆無だ。 ミカゲ は黙って手袋をはめ直す。触れて欲しくないのか、ただ、彼は視線を瞳を伏せたままだった。
わずかな沈黙が流れた。それを先に破ったのは ミカゲ だった。
「なぜ急に動きを止めた」
「あ、ごめんなさい。何か、前にもこういうことがあったような気がして……」
言いかけて、当然だと気づく。ここでベグライターとして一緒に働いているなら手合わせくらいしているであろう。……でも。
「白い服の人が見えた。あれは、司祭かな。私は卒業してから司祭に会ったんだろうか」
「…………」
片手で額を押さえる。 ミカゲ は黙ってそれを見下ろしていたが、抑揚のない声で言った。
「その司祭だったら、オレが殺した」
「え……」
「お前はそれを傍で見ていたから、記憶に深かったんだろう」
「……そう、なんだ」
「後で検査を受けるんだな。そんな状態で実戦に投入されても命を落しかねないぞ」
訓練を予定より早く切り上げて、シンは ミカゲ と共に執務室へと戻る。どうしたのかと聞かれたので経緯を話すとすぐに検査を受けさせられることになった。
ただ、連れて行かれたのは一般のメディカルセンターではなくその奥にある施設だった。着替えている時に気づいた。左腕にしていたアミュレットがない。いつ、失くしてしまったのだろう。思わず見渡したが、落としたのはここではないらしくみつからなかった。
「……っ」
頭が痛い。急激な痛みが襲ってきた。頭を抱えるようにうずくまる。それを白衣の女性が見つけてすぐに検査に入った。薬を打たれると急激に意識が遠のく。
「これがアズラエルの秘石の……」
「ようやく帝国も最終兵器を……」
「記憶の操作は……」
遠くで声が聞こえた。それすらも聞こえない、深淵に落ちていく。やがて意識は完全に闇に包まれた。
シンはゆっくりと瞳を開けた。また、あの部屋だった。最初に目を覚ました部屋。今度は点滴にはつながれていなかったが……
「大丈夫か?」
ミカゲ だった。ずっと傍にいてくれたのだろうか。何もない部屋だったが、彼の持ち込んだらしいファイルや書類がサイドテーブルに広げられていた。
「 ミカゲ ……私、どれくらい眠って……?」
「ちょうど一日だ。まだ無理なようなら今日は休めるよう取り次いでくるが」
「平気。ていうか既にブラックフェンリルに乗せられているあたり、もう既に次の任務地に向かっている途中のような」
「そうだな、今は第五大陸(ファイフ)に向かっている。反乱分子の鎮圧が今回の任務だ」
「たかが反乱分子に、ブラックフェンリルとか上層部のやっかみも大概にして欲しいよね!」
いつからいたのかグラスがベッドの上に腰掛けて足をぶらつかせていた。
「……まぁ出る杭は打たれるって言いますからね。目をつけられるほど優秀と言うことでしょう。我々がむしろ危険分子になったらどうするつもりですかね」
あはは、とハウルが不穏なことを言っている。
「行って帰って一週間ってところでしょうか。攻略期間は二日あれば十分ですかね」
「えー、どうせならもっとゆっくり帰ろうよ。どうせまたあいつら辺境に派遣したりするよ。自分たちは全っ然強くないくせに!」
グラスは上層部に不満を抱いているようだった。まぁ確かに実力のあるものが疎まれるのは世の常かもしれない。
「なんか面白いことないかなぁ」
「グラス少佐は、どんなことが好きなんですか?」
「ボク? 強いやつと戦うのは好きだよ。あとはウノとか」
「最近覚えたんですよね」
「うるさいなぁ。あ、シン。暇ならウノやろうよ」
仕事中です、とつっこむ者は誰もいなかった。 ミカゲ は知らん振りして自分の仕事を進めている。この部隊に真に必要なのは生真面目なつっこみ役ではないだろうか。足りない人材が見えたところで自分がそれになろうとは思わなかった。
「ウノ」
「早っ」
「シン、あなたゲーム強いんですね」
軒並み上司を負かして一番あがりになる。ハウルとグラスはまだ人のベッドの上でゲームを続けている。
「…… ミカゲ はやらないの?」
「その二人は相手をしているとキリがないからな」
「ちょっと待ってください。 ミカゲ 君。今の言葉は聞き捨てなりませんよ」
「勤務時間中です。中佐、仕事してください」
自分にかかった露を払うために言っているとしか思えない。しかも思い切り背中を向けたままで棒読みだ。
仕方ないですねぇ、とハウルは山になった札を切った。この人、もう一戦するつもりだ。
「私はもういいです。二人でやってください」
「えー二人じゃつまらないよー」
「 ミカゲ が参戦するなら、やってもいいです」
「おい」
ようやく ミカゲ は振り返った。
「上司命令です。 ミカゲ 君。参戦してください」
「…………」
「なんです? その顔は」
「別に」
無理やり参戦させて、第二戦が始まった。本当に仕方ない感じなのが逆にどうしてそこまで嫌なのかと思う。
「ウノ」
「早いですね、 ミカゲ 君」
「だからなんでボクたちを差し置いて上がるんだよ! ボクもうお前の隣ヤダ」
ゲーム上で軽く下克上が起こっている。これは意外と面白いかもしれない。
「 ミカゲ もゲーム、強いね」
「こんなの運だろ」
「君の運がいいようには見えないんですが」
「じゃあ、実力だな」
この人たち、本当に上下関係にあるんだろうか。時々、わからなくなる瞬間だ。 ミカゲ はあまりハウルに対して敬語を使っていない。 ミカゲ は普段、黙っていることが多いのでこうして遊んでいると新しい発見が多いのだが。
「もうっ、次は負けないからな! 覚えてろ!」
再戦宣言をしてグラスはハウルと一緒に去っていった。そういえば、何しに来たんだろうか。
ミカゲ は黙って仕事に戻っている。
「ねぇ」
「なんだ」
「卒業試験を受ける時、教官に言われたよ。『負けたり仲間を見捨てたりしたら失格だ』って。……この部隊の仲間意識ってどうなの?」
「ないように見えるのか」
なぜだか見えます。とはにわかに言い辛くシンは口を閉ざす。しかし目はしっかり言っていたらしい。 ミカゲ がふっと笑みを浮かべた。
「そう見えるならお前は見る目がある」
「……ないの?」
「仲間、という言葉は適切じゃない。主従関係のほうが強いな」
エンデの事だろう。確かに彼だけは例外で、ハウルやグラスを含めたすべての人間が絶対服従という感じだった。
「そんなこと言っていいの?」
「事実だからな。お前も戦場に出るときは気をつけろ。不要になれば切り捨てられる。ここは、そういう世界だ」
「…… ミカゲ は?」
「……」
一人で、戦ってきたのだろうか。ペンを止めた手がなんとなく、それを物語っていた。
「じゃあ、同じベグライター同士、約束しよう」
「何?」
「私は ミカゲ を見捨てない。 ミカゲ が危なくなったら助けに行くよ」
「……」
差し伸べる手を、どこか遠い瞳でみつめる ミカゲ 。その手は払われることはなかったが、自分の胸元に押し返された。
「フェアじゃないな」
「何が?」
「オレのほうが強い。約束というならお前のピンチにはオレが駆けつけることになる。……毎回そうなりそうな気がする」
「酷いな。確かに新人だけど。じゃあいつか並んで戦えるようになったら、その時は背中を護りあうようになろう」
「…………」
ミカゲ は瞳を見開いてシンを見返した。その瞳がどこか寂しげな色に染まったのは気のせいだろうか。遠くを見るような目を彼は静かに伏せた。
「 ミカゲ ?」
「……なんでもない。ちょっと出てくる」
そう言ったきり、 ミカゲ は二時間近く戻ってこなかった。代わりに部屋に戻ってきたのはハウルだった。
「 ミカゲ 君に何か言いましたか?」
「え、どうしてです?」
「珍しく感傷に浸っていたようなので」
「そう、なんですか……?」
何か、言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。心配するシンを見下ろしながらハウルは微かに笑った。
「彼はね、人としての心を失ってしまったんですよ」
「……心を……?」
「と、私は思っていたんですけど。どうも少し違っていたようですね。本当に、何を考えているやら」
なぜかそういうハウルは楽しそうだった。
「そうそう、ところでシンは遠隔攻撃と直接攻撃はどちらが得意ですか?」
「……武器を用いるなら遠隔攻撃のほうが」
「では、前線は ミカゲ 君に頼むことにしましょう。第五大陸(ファイフ)に入ったらその時には活躍してもらいますから、ちゃんと体調は整えて置いてくださいね」
それを言いに来たのだろうか。ハウルは再び出て行った。
入れ違いに ミカゲ が帰ってくる。
「ハウルが来てたのか」
「うん、……次の任務で ミカゲ に前線出てもらうって言ってた」
「そうか」
いつものことなのか特にこれといった反応は返ってこなかった。
第五大陸(ファイフ)に入ったのは三日後だった。目的地は更に北東。深い森の中に帝国に仇なす者たちの根城があった。それははるか昔に放棄された氷に包まれた古城跡だった。
「今回はどうやって殺る? ボクも出ていいかな」
「私の方からは ミカゲ 君に出てもらいますよ。……攻略は一日あれば十分ですかね」
「一時間だ」
言い切ったエンデに視線が集まった。
グラスが明らかな不満の顔をする。
「それって、遊ぶなってことだよね? なんでそんなに急ぐのさ」
「急ぎはしない。シンの力を見るのにいい機会だ」
「私、ですか?」
遠くに見える氷の古城は、端から端まで走っても何時間かかかるだろう。
どう見ても、無理だ。
「そっかーじゃ、しょうがないね」
「いや、しょうがなくは……」
「これがブラックフェンリルの戦い方だ。よく見ていろ」
空母艦が近づいたことを知って、大勢の人間が古城から出てきた。各々武器を手にしている。そのど真ん中にグラスと ミカゲ が飛び降りた。他の兵士には待機の命令がかかっている。たった二人だ。二人はあっというまに屈強な男たちに囲まれ戦闘が始まった。
それは殺戮だった。する側はこちらだ。次々と襲い掛かる男たちは片っ端から倒れ、雪は血の赤に染まっていった。崩れかけた城門の前に屍の山が出来てゆく。だが、二人は奥へ進むことなくそこへとどまる。いよいよ反乱兵たちはそこへ集った。
「そろそろいいだろう」
「二人とも退いてください」
ハウルが無線で ミカゲ とグラスに呼びかける。二人は同時に姿を消した。
「さぁ、お前の力を見せてみろ」
エンデの銀の髪の奥の紅い瞳がシンに笑いかける。
(何……)
どくん、鼓動が大きく波打った。
吹き抜けの甲板から見下ろす。突然の敵の消失に戸惑う反乱兵。
シンの瞳から光が消えた。その色が赤く染まる。
右手が静かに上げられる。軍服の下、胸の中央で何かがめきりと音を立て現れる気配があった。
『古の掟に従い、我が敵を抹消する』
光が空に渦巻いた。かと思えば次の瞬間、それは幾筋かに集約し、柱となって大地に落ちた。集った反乱兵の上に、古城に、森に降り注いだ光は大地に穴を穿ち、そこにあったものをすべて消し去った。
跡に残ったのはズタズタになった古城と、雪の下から露になった焦土、そして死の沈黙だけだった。
「うわー凄いね! これが神の瞳の力?」
「発動規模は、広くないですね。ターゲットにあわせているんでしょうか」
ふっと意識が返ってくる。いや、意識がなかったわけではなかった。シンは何があったのかを見ていた。
「これは……私が……?」
「そうだ、お前は『アズラエルの秘石』の適格者。……まだ、なじみきれていないようだが、直に自由に使えるようになるだろう」
「私が、アズラエルの秘石の適格者……」
ぐらり、と世界が揺らいだ。誰かに背中を支えられる。
「初めての実践ですし、疲れちゃいましたよね。 ミカゲ 君、少し休ませて上げてください」
ミカゲ に抱えられてシンはいつもの部屋に入った。ベッドは見越したように使える状態になっていてそこにふわりと降ろされる。
「大丈夫か」
「……」
脱力感は、アズラエルの秘石を使ったせいだろうか、それとも自分の使った兵器の力を前にショックでも受けたのだろうか。だとしたら弱い。シンは意識を自分の力で引き上げた。瞳を閉じて大きく呼吸をする。
「大丈夫」
遅れて返事をすると、 ミカゲ は本当に微かだが、表情を和らげた。
「 ミカゲ は? 怪我はしなかった?」
「見てのとおりだ。問題ない」
ブラックフェンリルは少数精鋭でターゲットを攻め上げる。なんとなく、そのやり方が理解できた気がした。軍から疎まれる理由も。
その中で ミカゲ はあんなふうにいつも一人で戦っていたのだろう。
背中を誰かに守らせる隙すらなく。
「私が神の瞳をしっかり使えるようになったら、もっと多くのものが守れるのかな」
「?」
「殺戮の道具にはしたくない。今、そう思った」
「……」
おそらくきれいごとだろう。何かを殺して何かを守らなければならないのだとしたら。結局やっていることは変わらない。けれど使い方を誤らないのが手にしているもののせめてもの役割ではないかと思う。
ミカゲ は何も言わなかった。ただ、シンを見つめてその姿の向こうに何かを追っているかのようだった。