--1st.彷徨の行方--
それから、どれほどの時が経ったのだろう。
彼は、ぼんやりと目を開けた。
草の匂い。
頬に触れる柔らかな緑の絨毯。
うつぶせになったまま意識を失っていたことを悟り身を起こした。
見慣れない風景が広がっている。
のどやかな草原、森、そしてその向こうにそびえる山脈。
人気はない。
どこにでもある、そんな自然の光景を前に
ここが街から離れた場所であるらしいことだけは確かにわかった。
『坊ちゃん…?大丈夫、ですか』
腕の下から聞きなれた声が小さく気遣うように尋ねてくる。
シャルティエを確認するとあぁ、と答えてリオンは起き上がった。
「1人…か」
しかし腰を下ろしたまま、立ち上がることはなくもう一度見回す。
やはり、あれは悪夢だったのだろうか…
しばし前の寒々しい闇の中の記憶はウソのように、暖かな日差しが肩を温める。
爽やかな風が彼の頬を掠めたが、その表情は浮かなかった。
夢ではない。
証拠に彼に新しく与えられたものは確かにここにあるし、
それを与えた者とはつい今しがた、接触したばかりだった。
そして、その後、いるはずのないここにいる。
しかし、そんなことは大した問題ではなかった。
彼の記憶、そして今ここにいることへの時間の連鎖。
それは概ね把握できていたので。
覚醒して、未だ整理がついていないのはそれとは別にもうひとつだけ。
それは彼をここへ導いたであろう者とも、彼自身の理性ともわずかにずれた場所にあった。
…彷徨いながら、探していたものは何だった?
ひとつは、出口。
これはわかる。だが、その一方でまるで衝かれたように何かを探そうとしていた気もする。
探しながらもみつけてしまうことにも恐れを抱いていた。
そこにあったはずのもの。
『…』
ただ、黙しながらも心配そうな気配を感じてリオンは視線を落とした。
こんな時にまでも、共にあるもの。
「お前も、こんなところまで付き合うことになるとは…損な役周りだな」
『!そんなことありません!!そんなこと…言わないで下さい』
「わかったよ、シャル。──悪かった」
誰にも向けることのなかった皮肉げな、それでいて困ったような苦笑を浮かべてリオンは立ち上がった。
黒いマントがその背に翻る。
次期七将軍の座さえも囁かれた栄誉を背負っていたリオン=マグナスとは違う、闇を抱いたそのいでたちで。
しかしそうすると、あまりにもあっさりとそれは彼の目に飛び込む羽目になった。
「!!」
せめてこれから行く方向を見極めようと三度見回したその時。
20mほど離れた草葉の影に、見慣れた姿が倒れ伏している。
リオンはそれを認めると、初めは信じがたいように時を止め、
それから我に返ってその名を呼んだ。
「
…?」
* * *
「おい、しっかりしろ。
……
!!」
聞きなれた声が呼んでいる。
それでもその口調が珍しい。そんなふうに呼ばれることなどはまず無かった。
第一、彼が自分を呼ぶときは大抵「お前」か名前を呼んでもせいぜい1度きりくらいなもので…
は、2度目に呼ばれたときにあっさり目を覚ました。
あ。
〝ジューダス〟だ。
服装を見て即座にそう思ったものの、さすがに口には出さずに済んだ。
「リオン」
代わりに彼の馴染みの名を呼ぶとほっと頬を緩ます顔が見られる。
彼女の知っているリオンにはあるまじき反応だった。
「気がついたか…」
…。
そして彼はまた、見たことがないような表情を浮かべる。
いや、こういうシチュエーション自体今までなかったわけであるが。
激しく違和感を浮かべつつも
は支えられているリオンの腕から自力で起き上がった。
『苦しくはない?どこか痛いところは?』
自問する前に、傍らに置かれたシャルティエに矢継ぎ早に言われて考えてみるが特段、どこか悪いといったことはなさそうだ。
「平気。どこも痛くない」
そんな会話を交わしているうちにリオンはいつもの静かな顔に戻っていた。
様子を伺いながら、じっと何か待っているようなので
の方から話しかける。
といっても何を言っていいものやらわからないので
「リオンは?大丈夫?」
当たり障りのないことをきいてみると見慣れた表情が返ってきた。
「人のことより、自分のことを心配しろ。馬鹿者」
顔をしかめて言う様がいつも通りだった。
それが僅かながらも笑いを誘ってくれる。
その何事もなかったような反応がただ嬉しかっただけなのだろうが。
「何がおかしい」とご丁寧につっこみまでしてくれたのでつい声を漏らして笑ってしまった。
「や、ごめん。何でもない」
「全く。気味の悪いやつだ」
気味が悪いのはどっちだ。
すかさず思ったが、あえて口にはしない。
「リオンも元気なら、良かったよ」
気を取り直して代わりに言うとリオンは驚いたような顔をした。
それから…なぜか表情が沈む。
2人とも互いの身を気遣うその原因については触れない。
しかし、「それ」は黙ったまま先に進めるようなことでもなかった。
「
、そのことなんだが───」
口篭もるリオン。
誰が今、ここに生きている人間に向かって『お前は死んだ』などと言えるだろう。
彼女の表情に翳りがないのが何も知らない人間であるとリオンにいらぬ気遣いをもたらしていた。
しかし、それに気付かない
ではない。
「私を生き返らせたのは誰?」
単刀直入に
の方から尋ねた。
潜めるような呟きに、リオンが少しだけ驚きの色を見せ それからどこか苦しそうに顔をゆがめた。
彼から即答は返ってこなかった。
リオンは既にエルレインと接触があるはずだ。でなければ聖女の力やエルレインそのものに対する知識があるはずはないのだから。
これほどリオンの近くに放ってくれたのだから
を復活させたのも恐らくエルレインだろう。
しかし確証は無い。
はあの洞窟からここまで全く記憶がない上に、何より復活させられる理由が見当たらないのだから。
なぜ自分がここにいるのか。
その理由を知っているのか、知らないのか。
それだけでもいい。何か言葉が欲しいと思う。
だから今度ははっきりと聞いた。
「リオンは知ってるの?」
「…僕は…」
一瞬戸惑ってかぶりを振る。
「わからない。僕が気付いた時にお前はここに倒れていたんだからな。」
ウソではないのだろう。
ここで、当の本人に関して偽っても意味が無い。相手が
ならなおさらだ。
だが、自らの事に関してまでは話すことは決めかねているらしい。
そこまで答えた後も消えない戸惑いの色は代わりにそれを「何も知らない」
に伝えるべきか黙っておくべきか、判断に苦しんでいる証拠だった。
「そっか。まぁその内わかるだろうけど…」
リオンが知らないと言うならいつまでも考えていてもしかたない。
彼の様子に自分のことはとりあえず置いておくことにする。
すると、他に聞いておくべきことは何だろう?
…既に大方のことは予想がつくので何をどう尋ねるべきかに悩んだが、やはり面倒なのでリオンの判断に委ねることにした。
「他に何かわかっていることがあるんでしょう?」
迷いを衝く言葉にリオンの瞳が一瞬見開かれた。
「知っているのに誰にも話せないって苦しいよ。リオンが話していいと思えるところまででいいから、聞かせてくれない?」
こんなことが言えるなどとは思っていなかった。
ついこの間まで隠していることを追求する言動など、タブーだったはずだ。
だが、今のリオンはもうしがらみを背負っていない。
どこかで反感は返ってこないだろう確信を持って
は尋ねた。
それがわかっているのかリオンは黙って
の瞳をみつめ返す。
「私たちは一連託生。違うの、シャルティエ?」
『え…えっ?』
いきなり話を振られて動揺するシャルティエ。
言えない辛さは身にしみている。
大体、
はエルレインのことなど知っているのだから、自分を気遣ってくれて黙っているのなら、それでリオンが苦しむのはお門違いだ。
「お前はすぐそうやって矛先を逸らす」
気が抜けたようにリオンはふぅ…と息をついた。
それから前触れもなく
「
、ここは僕たちのいた時代から18年後だ」
そう告げた。
はぁ!?…何言ってんだよ、いきなり。
聞いていたのが
でなければそれくらい言うだろう。
でもリオンだったら相手が自分でなくてもそう切り出したに違いない。
どうでもいいことを
は考え始めている。
「本当に?」
ふーん、そう。くらいのリアクションにリオンは面食らったような顔をした。
先入観は捨てていきたいが「確認」していくような感覚だ。
「あぁ。おそらく間違いない。それを確認するためにもどこか街へ入りたいところだな。」
「そう」
そもそもここがどこなのか、全く見当もつかない。
『ジューダス』は白雲の尾根のことも知っていたしノイシュタットの現状にも明るかったから、カイルと会うまでは時間差があるんだろう。
おそらくこの「現代」に関する知識は彼が自ら見聞きしたものであったろうから。
彼が人伝に聞いたことを自分の目で見たかのように語るとは思えない。
『…相変わらず
って適応力があるね』
「そうかな?」
「あぁ。僕の方が調子が狂いそうだ」
「ゆっくり聞くよ。時間はたっぷりあるんだから」
どこかもわからないどこかへ向かって歩き出しながら、戻ってきた気楽な調子にリオンは苦笑を返した。
