-天才様三本勝負 その3-
「じゃあ、今回は、私が勝負方法を指定していいかな」
ひとしきりの状況を眺めていたカーレルからふいに提案があった。
「まぁ…カーレルさんなら無体なことは言わないだろうから…」
第三者だし、公平性はあるだろう。
ハロルドの血縁者に対するものとは思えないほど全員が素直に頷いた。
「三分間スピーチで、聴衆のみんなを引き込んだ方が勝ちっていうのはどうかな」
「嫌です」
きっぱり。
当事者である シン が即答する。
「三分くらいなら シン にも悪くない条件だと思うけど…嫌なのかい?」
「一方的にしゃべりまくるなんて、とんでもない」
ナナリーが不思議そうな顔をするが、よくよく考えたら、割と普段の会話は短い方だ。
文字にしたら三行以上話すことはほとんどないのではないかとジューダス。
すると設定時間が一分でも嫌がるだろう。
目立つことをしたがらない性格からも、本人が嫌がるのは納得だ。
「私はいいわよ」
「待て、ある意味ハロルドに有利な条件だ。わざとじゃないだろうな」
ジューダスが瞳を鋭く細めると心外そうにカーレルは目をまたたかせて、あっさり条件を変える。
「スピーチが嫌なら豆知識の披露とかでもいいよ」
「「「……」」」
様々な思惑の元、沈黙が席巻している。
「ふたりとも、その辺はけっこう引き出し多いだろうし、私も聞いてみたいな」
どうも素直に好奇心での発言のようだ。
「そうねぇ…じゃ、私から行こうかしら」
決定事項であるらしい。
ハロルドは咳払いを一つすると改めて聴衆である仲間たちを見渡す。
「マーフィの法則、って知ってる?」
いつもの非知的生産層のメンバーからはこの時点で「えー」という声が聞こえてきた。
また科学の難しい演説をされると思ったのだろう。
しかし、 シン の表情が苦々しくゆがんだことにジューダスは気づく。
一言で表現すると「やられた」という感じだ。
「まぁ聞きなさいよ。意外ととっつきやすいわよ。例えば──バターを塗ったトーストを落とすと、バターを塗った面を下にして着地するってのが有名ね」
「何それ」
うまい。
難しい言葉で敬遠してから、ユーモアのある身近な例えで一気に惹きつける。
単純明快なカイルたちは興味を示してしまう。
「しかもバターが下になる確率は、カーペットの値段に比例するのよ」
「高いとなぜかバターが落ちるってか」
ロニが笑いながら合いの手を入れた。馬鹿者。乗ってどうするのだ。
シン の様子を確認しつつ、ジューダスはあきれてそれを眺めてしまった。
「テスト開始直前に覚えた部分はテストに出ない、とかヤマははずれて勉強しなかったところに限って出題される、とかもあるわよ」
「あるある!!」
「ありすぎて困るだろ」
馬鹿どもが。
自らの経験則を逆手に取られてカイルとロニが陥落している。
「計算間違いに気がついて、念のためにもう一度計算し直すと、第3の答えを導き出してしまう」
「むしろ毎回違うんだよ!」
ハロルド、あなたはそれはありえないでしょう。
こぶしを握って訴えるカイルに、とうとう シン のため息が漏れた。
「勝算はあるのか?」
小声でジューダスは シン に聞く。
「あれはいくらでも応用が利くネタだから、難しいと思う」
失敗に基づくユーモラスな経験則。
相手の人間性を理解していれば、どんな人間にも存在する「あるある」を突くことができる。
カイルとロニが盛り上がるとリアラとナナリーもセットで盛り上がりだすので、今回に限っては始末が悪かった。
「万人に共通するのは、傘を持って家を出た日に限って雨が降らない、とか探していないものは必ず見つかる、とかかしら」
ぷっとリアラが吹いた。
ハロルドならば文字通り無限のバリエーションを考えつくであろう。
このまま展開されるとまずいことになる。
盛り上がった後にさらに盛り上げなければならないなど、その場の空気を考えるだけで気が重い。
その状況だけは回避すべく、 シン がついに口をはさんだ。
「マーフィの法則なら私も知ってるよ」
20分おきに来る電車の待ち時間の平均は15分とか、疲れている日に限って席の前にご老人が立つとか、サイトの「よくある質問」には求める質問も答えもないとか色々。
文明レベルがずれているので、口にできない例ばかり思い浮かぶのはなぜだろう。
急いでいるときに限って、信号は赤になる。
「でも、そういえば由来とかは知らないな。ハロルドはそこまで知ってる?」
「もちろんよ。まだ隕石が落ちる前の話だけどね、空軍に所属していたエドワード・アロイシャス・マーフィー・ジュニア少佐に由来すると言われているわ」
由来を知らないのは本当だ。なので、 シン にとっては半分は純粋な質問でもある。一方で案の定、ハロルドは説明を始めた。
「彼は急減速に関する研究プロジェクト『MX-981』に関わったんだけど、それは人体実験に至って小さなトラブルが大きな危険につながる研究だったのよ。マーフィー少佐…あ、当時は大尉ね、は、空軍基地でstrap transducerに発生した異常を調べ、ひずみゲージのブリッジにあった誰かの配線間違いをつきとめたわ」
「うん、それで」
立て板に水のごとく流れ始めた言葉を シン の一言が加速させる。
この時点で、カイルたちの顔には悲壮な色が浮かびはじめていた。
笑顔なのは シン くらいだ。
「その際に、"If there is any way to do it wrong, he will"(「いくつか方法があって、そのうち1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」)って言ったのよ。これを当時のプロジェクトリーダーが紹介したのがきっかけね」
意外と後が短い。
シン もこれは想定外だったのだろう。
とっさに聞いた。
「食パンを落としたらの例えって有名だけど、長いよね。もともと出回ってた シンクタンク内ではそれってなんて呼ばれてたの?」
「『選択的重力の法則』よ」
たかが食パンをぬったバターの行く末に、なぜ、わざわざ難しい言葉を用いるのだろう。
謎だが、今は、 シンクタンク寄りであるハロルドの思考回路に感謝する。
「でも、猫って常に足を下にして着地するじゃない。バターを塗ったトーストを猫の背中に括り付けた場合は、どうなるわけ?」
「いい点ついてるわね! それはバター猫のパラドックスって逆説があるわよ。どちらかが成り立てばどちらかが、成立しない。猫がいたらやってみたいわね!」
ハロルドは無駄に目を輝かせて、熱弁に入っていた。
シン の勝ちだ。
ジューダスはその瞬間悟る。
あとは放っておいても、勝手に弁論が続いた。
「思考実験はされているわよ。この実験が反重力を生むだろうってのもあるわね。明らかに冗談だけど。猫が地面に向かって落ちるとともに落下速度が減速して回転し始め、トーストのバターが塗られた面と猫の足の両方が着地しようとするため高速で回転しながら地面から少し上で浮いたところで安定状態になるだろうってのが定番よ」
ウケるんですけど。
しかし、この時点で思考することを放棄しているカイルたちには想像する余地すらない。
「まぁ回転浮遊させておくエネルギーを外部のどこかから得る必要があるから、旧時代のエネルギー保存の法則では成り立たないんだけどね」
「ということは今は何か成り立つ方法が?」
「いくつかあるわよ。一つは、空気中から熱を取り出し直接の運動エネルギーに変換する方法。困難だけど、理論上は可能ね。ちなみに想定結果では猫が先に足を下にして着地して、その直後にただちにひっくり返る、ってのもあるわ」
「それって着地までは猫の足の方がバターより強くて着地直後に力関係がひっくり返るってこと?」
「そうなのよ、そこで新たな疑問を生じるわけよ。大体、それが疑問ってことは、バターから先に落ちる可能性もあって…」
「 シン 、その辺にしておけ」
興味を失った総員に反比例して、興味を示し始めた シン の方にジューダスが声をかける。
はたと二人は我に返った。
微妙な空気が流れていた。
「ごめん、今からこの空気をリカバリーする自信はない」
賢明な判断だ。
そう思ったが、あろうことか先に冷静さを取り戻したロニが「いや」と声を上げた。
「結局ハロルドは、スピーチに走ったわけで、俺たちはお前の話も聞くぞ」
当初の『 シン が負けたら全員実験台』の条件を思い出したらしい。
不自然なまでに真面目な態度だ。
「そんな構えられても…」
改めて、というのは苦手な空気である。
「私はマーフィの法則を知っていたから、今度は君の雑学も聞いてみたいな」
苦笑して見守りに徹していたカーレルが、ようやく口を開く。
カーレルも軍師という分野では天才なわけで、ハロルドの兄でもある彼が知らない雑学などそうそうない気もするが。
「ん~じゃあ、数字の不思議シリーズ」
「え…オレ、理科は苦手だよ」
「カイル、数字なら算数もしくは数学だろう」
しかも最初の浮遊するくらげもあじさいの色彩変化も理科の分野だったが。
「大丈夫だ、偏見を捨てろ、カイル! シン なら俺たちの未来(明日)を救ってくれる!」
意味がわからない。
「計算しろとかいうわけじゃないから、あくまで雑学としてね」
シン がため息をつきながら話し出した。
「波が1分間に海岸に打ち寄せる回数って知ってる?」
ごく身近な話題だが、全員が首をひねった。
「18回だよ。でね、これは私たちの呼吸の数とほぼ同じなの」
「そうなの?」
まぁ偶然の許容範囲だ。
さして驚きはしない。 シン は続ける。
「そこで問題。人間の平均体温は?」
これは体温計というものを手にしたことがあるものなら大体知っているだろう。
「36度かな」
普通にカイルが答えた。
「そう、そして人間の脈拍は1分間に72回打つのが平均」
「……倍になっているのか」
簡単な法則だ。ジューダスがすぐに気づいた。
いかに計算が苦手な人間でも2倍にすることくらいはできる。
改めて、それぞれが脳内で繰り返して「へぇ」という声が上がった。
「更にそれを倍にすると144」
「なんの数字だい?」
「正常な人間の血圧の上限、って言われてる」
「また人の体だ!」
生物は海から生まれたことと関係あるのかもしれない。
別のいきものはわからないが。
「ちなみに下限は72ね。ところで、人の体を作ってるもので一番多いのって何だと思う?」
「え」
「水分、かしら」
カイルが考えた一瞬でリアラが答えると
「あぁ、7割水だよな! それは俺も聞いたことがある。でも70と18は関係ないだろ?」
ロニは素直な疑問を返してよこした。
「ちょっと難しいかもだけど、水の分子記号は『H2O』…水素が2個、酸素が1個くっついてできてるんだ」
「足しても3個だろ?」
「ところがこれを質量…ものの絶対的な量で考えると、酸素は1個あたり水素16個分になる。つまり水の質量は水素の2+酸素の16で」
「18!?」
「他にもいろいろあるよ、ねぇハロルド」
「もうその手には乗らないわよ」
涼しい顔で振り返るとかわされた。
彼女なら自分の知らない法則などすぐに、即興でもみつけてくれるだろうに。
ただ、かわしたということは、実際、18で割り切れる現象が数多あるということではあると思う。
「で、一見18に不思議があるようで実は9が不思議な数字だったり」
「まぁ、18の倍数ということは9の倍数でもあるということだな」
若干弱いかもしれないが、まとめに入る。
「それって当り前っちゃ、当り前だよな」
「じゃあ逆に18から見て、9ってどんな数字?」
「半分でしょ?」
倍ということはつまりそういうことだ。
「18の一の位と十の位をばらして足してみ」
「1+8…9になった!」
偶然なのか、必然なのか。そこまで考えないことにする。
「人の体の連絡孔…目とか鼻とか穴が開いてるところは9か所。感覚器官は全部で27か所」
「9で割れるよ…」
ちょっと怖くなってきたのかナナリーの顔は笑っているが、驚きを通り越している。
「血圧に戻ると上限と下限の中心値は108。ロニにたくさんあるものも108個」
「………なんだい……?」
心配になったのかナナリーが眉をひそめて本気で聞いてきた。
ロニも同じ顔だ。
「煩悩の数」
「フッ」
珍しくジューダスが笑っている。
カイルとリアラも噴き出した。
「確かに、そんなのばっかりだね!」
「ひっでぇなぁ…」
不安が吹き飛んだ顔でナナリーが言うとロニは頭をかいた。
「人間の生命波動も9ヘルツ、って言われてるね」
カーレルが会話に参加してくる。
「兄貴」
「いいじゃないか、ハロルド。この勝負はもう決まってしまったみたいだし」
渋い顔をした妹にカーレルが笑いかけると、ハロルドも眉を少し寄せたが、すぐに吹っ切れたのかしょうがないわね、とばかりにため息をついた。
「これだけ共通事項があれば十分不思議だと思うけど…まだ何かあるの?」
その様子にカイルが聞く。今度はハロルドに、だ。
「そうね、天体に関して言えば、宇宙は72年に一度位置を変えるし、宇宙の一回転は25920年だわ。1日の秒数は86400秒だからこれも9で割り切れる。極めつけは、その1秒を表す光の振動周期の倍数は、9192631770倍。9で割れる」
「すまん、もういい」
「そういわずに聞きなさい。ほかにも太陽の周期とか、考えてみるとあらゆる天体の反復する周期、同一の出発点に回帰する循環周期はすべて9と言う母数を持っているようね」
さすがにそこまでは知らなかった。大自然の驚異である。
しかし、これ以上続けるのは酷であるし、先ほどの二の舞なのでここで止めておくことにする。
「9は完全数、って呼ばれてることもあったね」
シン の世界の話である。
そういう意味で科学力に乏しい時代から使われていたのだとすれば、とてつもない事態である。
「調和数ともいわれているわ」
9の母数を割り出す『Σ』という記号は、9番目の文字でもある。
「ところで、3番目の勝負の目的ってなんだっけ」
シン が若干本気モードで聞いてきたので、思わずあっけにとられているハロルド。
「言っておくがそいつは、記憶力は悪くないが興味のないことはすぐ忘れるぞ」
ジューダスが飽きれるように補足した。
「まぁいい…まぁいいわ……」
ハロルドが勝負を捨てた瞬間だった。
「実験の話は、なかったことにしてあげる」
わー!と歓喜の声が上がる。
世紀の天才でありながら、著書というものをまったく残さなかったハロルド。
一冊書いたところ「難しすぎて、さっぱりわからん」とカーレルに言わしめたというエピソードを シン は知っている。
唯一の敗因はと言えば、己の知識の出力の仕方だろう。マイペース故と言えばそれまでだが。
「 シン 、すごい! ハロルドに勝ったよ!」
「負けてない。免除してあげただけよ」
「天才様は、負けず嫌いだなぁ? なぁ」
そしてロニは再び蹴りを食らう羽目になる。
「理解できない方が悪いんじゃない」
ふん、と小さな体でふんぞり返ってハロルドはロニを見下した。
「お前はどう思うんだ?」
「ハロルドが正論」
「「「……………」」」
「だから……あんたのそういうところが……まぁ、嫌いじゃないけどね」
ハロルドがため息をつく。カーレルはそれをもの珍しいものでも見るように目を丸くしてみている。
懲りずに立ち上がったロニも含めて、ここぞとばかりにハロルドを囲んで仲間たちがそれぞれに騒いでいる。
その輪の外からカーレルは シン の肩にポンと手を置いた。
「楽しいね」
「そうですね」
「ハロルドはあれで負けず嫌いだけど、人を相手にそれを発揮する日が来るとは思わなかったよ」
にこにこしながらカーレル。
「……私が人間ではないような微妙な言われ方ですが」
「お前は人というより『現象』なんだろ」
言い得て妙だ。
「せっかく、ハロルドを負かしたんだから、何かお願いのひとつも聞いてもらうといいよ」
「負けてないわよ!」
喧騒はまだ落ち着きそうもなかった。
それでも兄に言われたことが気になったのか、みんなが解散してからハロルドが シン のもとへやってきた。「お願い」を聞いてくれるという。
「じゃあ、ソーディアンの制作を成功して」
シン はとくに何か希望していたわけではないので、一番希望すべきことを言う。
「それは『お願い』に入るのかしら」
さすがのハロルドも呆れた微妙な顔をした。
「ハロルド、私はみんなを少しくらい驚かすことはできても、科学者でも技術者でもないんだ。ハロルドにはハロルドにしかできないことがたくさんある」
ハロルドは、本当の『天才』だ。あらゆる意味において。
時々は、あるいは人の常識の面においては不器用ではあるが。
シン はそれがハロルドをむしろ人らしくしているのであると思う。
「だからそれを成功させてほしい」
シン の静かな声を聞いて、ハロルドも珍しく波風のない真面目な顔をして、見返した。
それもほんの一瞬であったが。
「…当り前じゃない。私に失敗なんて言葉はないわ」
次の瞬間には、いつもの調子で、呆れたような、
それでいて、自信に満ちた声でそういってハロルドはひらひらと手を振って背を向けた。
「ほらほらー! 遊びは終わりよ!」
そして一度散った仲間たちを再び、呼び集める。
「物資保管所に行くわよ!」
**20160306UP**
長いーハロルド、長いよー
雑談なので、当初はお題あたりに入れようかと思いましたがラストは真面目に終わったのでD2に入れてみました。
少しでも「へぇ~!」ってなってもらえたらうれしいです。
昼過ぎに、散歩に行こうと思っていた日に限って、天気が崩れだす(←リアルタイムのマーフィの法則)
そのおかげで、更新作業できたので、まぁよしとします。
人間万事、塞翁が馬。
|| Home || TOD2
小説メニュー