例え行く先を失くしても
想いは果てることもなく
歩んでいける
君とならどんな明日が来ても怖くない
ただ信じてる、真実もウソも語られず
その心が向き合えるなら
ただそれだけで────
─ 音の色 ─
アルジャーノン号はノイシュタットを出発し、スノーフリアへと向かう。
一度モンスターに痛手を受けた船内は客の慰みもそこそこに、深夜の眠りについていた。
薄暗いメインホール。
アイグレッテを出発当初はまだこの時間も明かりは灯り、静やかにグラスを傾ける大人たちの姿を見ることが出来たが、今はそれもない。
コポコポと巨大な水槽の中で酸素が吐き出される音だけが聞こえていた。
ガラス一枚張りの、まるで水族館のようなきれいな水槽だ。
埋め込められる形で奥の壁を彩る中に大小さまざまの魚たちが、ひらひらと絶えることなく泳いでいる。
底に沈む岩の合間で眠っているものもいる。
彼らにはまぶたがないので本当に眠っているのかも怪しいがおそらくその表現も間違いはないのだろう。
明かりの落とされた空間で淡く青に、あるいは碧に発光するライト。
もう数少なくなった技術──レンズの動力を使っているのだろう。今の時代の火の暖かさではない蛍光的な光がぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
ホールの奥に設置されたグランドピアノに頬杖をついて
はそれをみつめていた。
ただ、きれいだと思う。
たゆたう水のゆらめきは見ていても飽きないし、そういう光の加減も好きだ。
ぼんやり眺めていると時間も忘れてしまう。
「おい」
しかし、どれほど経った頃だろうか。
そう声をかけられ、振り返り、むしろ振り返ってからびくりと
の肩は少し跳ね上がった。
「な、なんだジューダスか…驚かさないでよ」
「何もしていないだろう#」
明らかに自分の姿を認めてから驚かれたことに憤慨するジューダス。
暗闇に黒装束で仮面なんか被られてたら誰だって驚きます。
例え常日頃見慣れていたとしても。
失礼と言えば失礼な反応をしたことはさておき、
は座っていたピアノのイスの背もたれを抱くようにして体を反転させた。
「どうしたの、こんな遅くに」
「それは僕のセリフだ。こんな夜中に1人で熱帯魚の観察などしているのはどこの馬鹿かと思えば…」
よほど機嫌を損ねたらしい。
なぜここに来たのかは定かでないまま話は流れてしまう。
は
でちょっと眉を寄せたが「馬鹿」と言われたこと意外は特に気に触れることではないらしい。
「きれいだよ?昼間は人がたくさんいるし明るいから雰囲気出ないけど…ほら、暗いとライトが際立つし」
「まぁ鬱陶しいものが見えなくなるのは確かだがな」
ふん、と腕を組んでそっぽを向いた。
肯定しつつもジューダスの機嫌は傾いたままらしい。
「そうそう。ジューダスもたまにはゆっくり見てみたら?なんだか落ち着くしね」
と再び体を正面に向けようとするとむき出しのままの鍵盤に触れ、淡い闇の中に小さな済んだ音が響いた。
驚くほど軽い鍵盤だ。よく調律もされているようだった。
ジューダスの視線も自然、そちらへ向く。
「ピアノ…か」
コッ、と先ほどは立てなかった足音を立ててジューダスはピアノに歩み寄る。
ホールから一段上がったピアノの下は大理石になっていて、よく靴音を響かせた。
磨かれた黒曜石のような蓋いに、淡い光に照らし出された黒衣の姿が映りこむ。
じっとみつめているので何を考えているのだろうとその横顔をみつめてみたがやはりよくわからなかった。
そのただ何かを考えていたらしい深い紫の瞳がふいに視線を合わせ、こう言った。
「お前、ジョニーがいた時に一度ピアノを弾いたことがあったろう」
「あぁ、ピアノじゃなくてオルガンね」
「どっちでもいい。弾けるんだな?」
「弾けないよ」
「…。弾いていただろう?」
弾けるのかと言われれば、答えはNOだ。
何せ独学で好きな曲しか弾かないし、それもかなり気まぐれだった。
習っていてそつなく弾ける人を世間一般的に「弾ける」レベルであるならば比べること自体間違っている。
まぁ猫踏んじゃった10周くらいだったらノーミスでいけるだろうけど。
弾ける内に入っているとは思っていないのは事実だ。
なので、弾けない、と言うとジューダスは眉を寄せて困惑とも確認ともつかない表情を浮かべた。
「確かに弾いたけど…個人趣味の範囲だし」
「誰でも個人趣味だろ、普通」
遂に溜息の域に到達したらしい。
先にこの問答からドロップアウトしたのはジューダスだった。
「まぁいい。あの時と同じのでいいから弾いてみろ」
「えぇぇ〜…!」
本気で嫌そうな
。
個人趣味と言うなら弾くのは嫌いではないだろうになぜ嫌がるのか。
「弾けないのか」
「そもそも、人に聞かせられるようなものじゃないから」
つまり本当に「個人」趣味であるらしい。
誰かと共有して切磋琢磨しようだとか「下手の横好き」でとにかく誰かに聞いてもらいたいという部類ではなく
「好きなときに」「好きなだけ」「好きなものを」「1人で」楽しむささやかな趣味、と。
もしくは彼女の場合「どこまでいったら弾けると胸を張れるのかわからない」のかもしれない、と思うジューダスはいい加減、彼女の性格を理解してきていると言える。
なんとなく察したジューダスがもう一声押しの一手をかける前に、
の方からもう一つの「お断り」の理由が述べられた。
「それにああいう曲を弾けるような気分じゃないし」
『と、言うと?』
耐え切れなくなったのか背中からシャルティエが声を上げた。
この見通しのよい部屋には誰もいないことが明らかなのでジューダスも何も言わない。
もそれが自然であるようにシャルティエに返事を返す。
「元々、ああいうしんみり系の曲ってよほど気が乗らないと弾かないんだよね。明るい気分の時に暗い曲は弾けないのと一緒」
「お前は芸術家か」
「ジューダス…本当の芸術家だったらきっと浸りきっちゃうよ?自分の弾く曲に酔いしれて雰囲気まで変えろと言うのはちょっと無理」
ちょっとといいつつ思い切り無理そうな口調にやや納得してしまうジューダス。
ジョニーに例えればその様も想像に易いのだが、
であるとどうにも想像しがたい。
思わずその葛藤の果てに溜息で括ってしまった。
『じゃあジョニーといた時はそういう気分になれたってこと?』
シャルティエ、なんて余計な一言を。
他意のない思いつき発言に、楽譜立てに両手で頬杖をついていた
の顔にありありとそう言いたそうな表情が浮かんでいた。
あまり触れて欲しくない。
逆にジューダスの興味は惹いてしまったようだった。
「ジョニーと…?………………それこそ想像できないんだが」
確かに「あの」ジョニー=シデンでは無理だろう。
主に「遊び人」で「お調子者」で「緊張感の持続しない」「歌音痴」なあの青年像では。
ジューダスはひとしきり視線と共に思考を巡らせてから、本当に理解できないと言う顔をしていた。
「まぁ…計らずしも歌までご披露したくらいだから、そういう気分だったんだろうねぇ」
『「歌?」!』
不用意に驚かれ、はたと誤魔化したくなる
。
『へぇ〜
が!?聞いてみたいなぁ』
そら来た。
ひやひやしながらも
は返事する。
「嫌」
それもまた「個人趣味」だ。
彼女の中では他人にご披露などしない楽しみ方である。
否。
むしろそれこそ個人的価値観により聞いて欲しいなどとも思わない。
「別に大したものではないんだろう?だったら聞かせてみろ」
ジューダスまで…
「絶対、嫌」
それにはにこやかな拒絶が待っていた。
こういう時は何があっても首を縦に振らないものだ。
かといってジューダスがそれで素直に退くかといえばむしろ逆。
そういう断り方をされると、なんとしても歌わせてやりたいと言う気になる。
「ジューダス」で呼ばれるようになってからは成りをひそめていた負けず嫌い(バルック談)が奥底に見え隠れする瞬間だ。
しかし、
は彼が次に何らかの手段を試みる前に、ピアノの上に転がっていた業務用のペンでメモ用紙に何かを書き始めた。
「はい、あげる」
「…」
歌詞だった。
おそらくあの時に弾いていた曲につくものなのだろう。
歌わないが伝えようとする辺り彼女らしい解決方法である。
そこには朝に溶ける星の夜と、人々の求める光の存在感。それでも尚、夜であることを選ぶ、そんな言葉が綴られていた。
そして、歌わないけれど
は何気なく呟いた。
「…私は、昼も昼なりにいいけど、夜も好きだな」
ジューダスの視線はメモを辿っている。
その耳にどのように届いたのかは定かではない。
最後まで目を通すと顔を上げて再び
の、深い闇色の瞳を見た。
「何が潜んでいるかわからない、闇でもか」
「そうだね、全てを暴くような光より、多少寛大な闇の方が好きかも」
その答えはほんの少しの機知と、いらずら心が潜んで見えた。
本当に思い付きだったのだろう。
けれど意味は深い。
そう言ってから今の自分の答えが気に入ったように
の顔には笑顔が浮かんだ。
「でもね、光がなければ影は朧で、影がなければ光は虚ろなんだから…どっちも必要なんだよ、きっと」
だから月の夜は美しいのかもしれない。
光も闇も寛大で、調和する夜。
曖昧な闇をベースに光と影の織り成す世界。
けれど確かに、その存在感は互いを侵すことなく確立されている。
旅に出て、何度もそれを見てきた。
メモにはまだ歌詞が綴られていたが、
は後は触れようとはしなかった。
「気分的に」触れたくないんだろう。
ジューダスもその辺りは同様の扱いなので、見なかったことにしておく。
なんというか、こういうところこの2人は良く似ている、と思うシャルティエ。
ひとしきり話が済むと話題を切り替えた。
『ねぇ
…じゃあ、明るい曲なら今、弾ける?』
「うーん…弾ける…けどなんていうかそういうのは、ジューダスはご所望じゃないんでしょ」
「いい。何でもいいから…弾いてみろ」
それはちょっとした妥協なのか
それとも気分が乗ったのか。
はちょっと考えてから、ペダルを踏むと鍵盤に指先を走らせた。
薄闇に沈むホールに控えめに響く
透明な音色
それはただ透明で
どこか優しい曲だった。
あとがき**
192000HIT水さんによるリクエスト「TOD1中の歌が出てくる話」。
歌、歌詞、話題問わずということで内容に少し触れてみました。
スタンたちが光ならジューダスは闇。
無論、連載当時からそんな意味も込められています。
TOD1に出ていた月を守る夜でいい、というイメージは…言わずもがな、ですね。
さて、今回は夜の話ですがじゃあ夜の世界でもいいか、と言われたら
ヒロインは「でもね、ひなたぼっこも好きなんだ」とあっさり言われそうです。
おまけ:ヒロインが弾いた(かどうかはわからないけど)曲+その後スクチャ(別窓)
水さん、リクエストありがとうございました。
