風は無かった。
けれど陽は穏やかで…
嵐の去った空中庭園は、ただ静寂に包まれていた──
─絆の場所
信念を貫きとおした男の断末魔まで聞きながらその後を確認する勇気はなかった。
崩れ去った制御室の入り口の向こう側。遠ざかる守護竜の咆哮が彼方へ墜ち、代わりに完全なる沈黙がやってくると誰からともなくクラウディスの通路を覆う緑 の上に腰を落とす。
また、ひとり死んでしまった。
ダイクロフトに来てから、誰一人救えないことに無力感を抱いたスタンたちもまた、そうして次に起こり来る事態の為に今は休むほかはなかった。
一度足を止めてしまうとやってくるのは疲労。
少しだけ薄くなってきた光。射し込む木漏れ日はあまりにもうららかなのにどこか、重々しい沈黙だ。
居たたまれなくなって、あるいは、あの大樹のこともやはり気にかかっていた は一人重い腰を上げた。
「どこへ行く?」
「少し、見てくる」
何を、とは言わずにスタンたちの不安そうなまなざしを背に、今逃れてきた瓦礫の山へと は足を向ける。
止める者がいなかったのは、そちらにはモンスターなどの脅威が無いことがわかっているからだ。
崩れた天井が埋めようとしている通路の隙間に身体をくぐらせ、 は再び草地に足を着く。
見上げれば、蒼空。
守護竜が薙いでいった天井はもう影も無く、周囲を囲っていた壁も吹き飛ばされ半ば崩れていた。
けれど正面に聳える大樹は大袈裟に葉を落としたくらいで傷つかずに済んだようだ。
静寂が、庭園を覆っていた。
見回しても何者もの気配ももはやない。
バルックはおそらく守護竜の連れてきた強風に攫われてしまったのだろう。
その向こうは外殻だ。
惨たらしい最期はここにはなかったが、おそらく生きてはいまい。
それが自分たちにとって幸いかどうかは触れたくないところと思って は小さく吐息をついた。
そして再び、顔を上げてもう一度、正面の大樹へ続く階段を踏んだ。
足元は抉られていたりしないところを見ると守護竜は上空ギリギリを掠めていったに違いない。
破壊された壁は無残に崩れていたが、18年も経てば緑に覆われ立派な「遺跡」になるのだろう。
その光景を想って大樹を見上げる。
巨大なレンズは大樹の枝が風にそよぐたびに青い遊色を見事な曲面にゆらめかせた。
穏やかな風の中で見上げるならば、
戦いの時間が過ぎたならば、
それは美しい光景。
は身の丈もあるレンズにそっと触れてから大樹の根元にすとりと腰を下ろした。
背中を預けてもう一度見上げる。
途端に緊張が解けて身体から力が抜けるような感覚。
いかに人前で気丈に振る舞えようが、疲労の具合は誰も同じなのだ。
無人のその場所に来て始めて、意志の力という麻酔が切れてしまったかのようだった。
それにしても…
これほどに虚脱を感じるのは、やはり少々頑張りすぎたろうか。
大きくつかれる吐息。
次に訪れたのは強烈な眠気だった。
何かがおかしいと気付いたのはその時。
眠ってはいけないという意思に反して意識が落ちそうになる。
体の芯が、熱い。
変化としては急なものだ。
脱力感に耐え切れずに は身を横たえた。
息が上がり始めて───
「おい、どうした」
別段抗わなければならない理由があった訳ではない。
だが、そんなふうに睡魔と闘っていると声がかかったのはまもなくだ。
青いブーツが視界にちらつく。
『坊ちゃん、ひょっとして…』
返事はなく顔だけを上げた の様子にシャルティエがささやくと、リオンは傍らに膝を落として の肩を掴んで自分の方へ向けた。
そんな彼の視線は の身体をひとなでしてから、左腕に止まる。
「お前…やられたな!?」
何のことだか解らない。
そういった視線を向けて浅い呼吸を繰り返している を仰向けに横たえてリオンは腕だけを取った。
僅かに走る痛み。
さきほどの戦闘で、少しだけ掠められたものだ。バルックの飛虫に。
はっとしてリオンを見返す。
傷口を確認していたリオンは改めて を見て言った。
「毒だ。バルックの使う虫には神経を侵す毒をもつものがいる」
「…毒…」
なんだ…
は毒と聞いてなぜか安堵の息をつく。
普通であれば深刻な事態であろうが、原因が分かれば対処しようもあるというものだ。
証拠にリオンは、すでに血の止まっていることを確認すると立ち上がった。
「待ってろ。今、ルーティを連れてくる」
「待って、リオン」
だがしかし、それを止める 。
怪訝な顔で既に踵を返していたリオンは振り返る。
「大丈夫、パナシーアボトルがあるから」
…賢明な判断だ。
騒ぐほどでもないと理解してリオンは小さな吐息と共に歩を戻した。
リオンが現れたことで多少、緊張の度合いは復活している。
悪い意味ではなく、意志を曖昧な淵から引き上げるという意味で助かる。
その勢いでもって は自分の携帯用のパックから毒消しを取り出して煽った。
「ふぅ」
そのために起こした身を再びとさりと無造作草の褥に委ねる。
誰にも踏み荒されていない緑の波は柔らかく、なかなかに居心地が良いものだった。
頬に触れる草の感触に意識を傾けているとリオンは呆れたような息をついてから
「しばらくそのまま横になってろ」
と言い聞かせるように言って、空を…いや、大樹を、だろうか、見上げた。
特に意味があった訳でもないのだろう。
それからすぐに視線を水平に戻して の傍に腰を下ろす。
対処さえ済んでしまえば気は楽なもの。
も横になったまま大樹を見上げ、木漏れ日にまだだるい腕をかざして瞳を細めた。
『君ってば一人で行動する時はなんか危なっかしいねぇ』
「一人で行動するから、の間違いじゃないのか」
「気のせいだよ、そんなの」
人間、一度そういうことがあるとなんとなく先入観で「いつも」と思ってしまうものだ。
それが果たして今の状況に一致しているのかはともかく、なんとなく流されてしまってリオンは何か言いたそうだった。
「ねぇ、リオン。知ってる?」
「何がだ」
うららかな日差しに引き込まれるようにして眠ってしまったのは5分ほど。
おかげで薬が効いたのか大分軽くなった意識を相変わらず隣にいるリオンに振ると彼は横になったままの を見下ろした。
こういう時、なぜ肝心の「何を」とは言わずに知っているかなどと聞いてしまうのだろう。
まぁ切り口としては嫌いではない。
返してくれたそれなりの反応に満足してから は続ける。
「ここ、リアラとカイルが最初に会った場所なんだよ」
「!」
ラグナ遺跡がクラウディスだと言うことは18年後に話したことはあった。
クレスタに行った時だったか…さりげない雑談の中の一節としてだ。
けれどそれとカイルたちの話は繋げていなかったし、リオン自身も彼ら二人(正しくはロニを入れて三人)が出会った経緯──例えば遺跡と巨大レンズのを聞い てはいても、それとこの場所…現時点における天上の都市を繋げたりはしなかっただろう。
だから驚くのは当然だった。
『カイルとリアラって、誰です?』というシャルティエの問いかけに眉を顰めて沈黙を通したリオン。その気持ちを今は汲んで はくすくすと笑いながら続ける。
「シャルも知ってる人たちだよ」
『えぇ!?』
「思い出せないならそれでもいいが」
そう言われてシャルティエは黙り込んだ。そんなことを言われてそのままにする人間はいない。
きっとメモリーを総動員して記憶を端から漁っているのだろう。
一生懸命と言う感じは伝わってきた。
「するとこのレンズが…話にあったアレか」
「アレだよ」
『………』
う〜っと唸っているシャルティエを、意味深な言葉を吐いて放っておくあたり少し意地悪かと思いつつ。
「レンズはまだあるんだね」
「18年後の話だろ。それにこの状態で同じことがまた起こるとは思えん」
「そうだけど、何か不思議」
「下手な考え休むに似たり、と言う言葉を知っているか」
「知ってるよ」
今度は素でシャルティエが更に混乱をかもすような会話を交わす二人。
こればかりは思い出してというには矛盾を生じる発言になってしまう。
「あ、ちょっと楽しいことを思いついた。リオン、護身用の短剣とか持ってる?」
「?」
疑問符を浮かべながらも腰のベルトに手を回す。
彼くらいの剣士になると、いつも使う剣とは別に有事の際の短剣くらいは持ちあわせているものだ。「騎士の心得」というやつだろう。
もっとも腕がいいのでシャルティエを落とすようなこともなく使われた試しは多分ない。
は少し楽になってきた身体を起こしてリオンが手にした短剣を受け取った。
なかなか見事な装丁のものだ。
やはり実用と言うより「備えあれば憂い無し」に近いものがある。
「…これってクリスさんの形見とかそういうものじゃないよね?」
「なっ、なんでそういう話になるんだ!」
「いや、立派な剣だから…」
さっぱり意味の分からないリオンにとってはふいをつく形になったらしく珍しく慌てた。
「普通に護身用として持っているだけだ!使った試しも無い」
「そう、じゃあ」
しばらく借りていい?と言うと は立ち上がった。
大樹をもう一度見上げる。
風がさわりと木々を揺らし、レンズに光を落とした。
そのまま幹を廻るように向こう側へ姿を消そうとしたのでリオンも立ち上がった。
なんとなく、視界に入れておかないと何をしでかすのかわからない。
そんな複雑なリオンの心境とは裏腹に はすぐそこで立ち止っている。
彼女が見ているのは、木の根本。
「ここでいいかな」
複雑に根が絡んでうろになっている部分だった。
しゃがみ込んでから確かめるようにリオンを見上げる。
それから彼女は、短剣をうろの奥に収めた。
「?」
「この戦いが終わったら、取りに来よう」
「………………」
どんな発想だ。
沈ませに来たはずの空中都市においてはありえない申し出に
とっさに返事は出来ずにリオンはしばらく様々な意味を込めて沈黙を繰り出していた。
「同じ場所に落ちるとは限らんだろう」
「それでもいいじゃない。一緒に取りに来よう?」
「…」
同じ事を言われて再び沈黙する。
今度は一緒に、と言う言葉がついている。
時折のダイレクトな誘いは素直ではない人間にとって返事に窮する。
「外殻が破壊できても何年も悠長に動けるような状態にはならないかもしれんのだぞ」
「じゃあ、何年先でもいい」
「…」
問答を続けてもいつでもいい、いつかでもいいで終わってしまうだろう。
つまりリオンが「YES」か「NO」で答えるまでは。
「…辿り付けない場所に落ちたら?」
これ以上言うことが無くて結局繰り返しになってしまうリオン。
「いいよ」
あっさり。
取りつく島も無い。
彼女にとっては、目的を達することだけが約束の意味ではないのだろう。
リオンは長い長い溜め息と共に白旗を上げた。
「わかった…保証は出来んが」
相変わらずひねている。
真理であっても素直じゃないと思わせるのは彼自身の責任だ。
はそれでもいいと思う。
「借りたものは返さないとだからね。その時を楽しみにしてるよ」
『…』
「シャル?」
『……』
と、そこへどうも記憶を手繰り寄せる作業は断念してしまった様子のシャルティエ。
言葉の代わりに漂っているのはむくれているような気配。
返事がないことを確認すると、はぁと大げさに溜息をついてリオンは自分のマントの下を覗くようにしてシャルティエを見た。
「おい、シャル」
『いいですよ。どうせ僕は記憶力の悪いソーディアンですから』
「いや、そういうことじゃなくて…」
『どうぞみんな終わったら探しに来てください。二人でね』
「ちょっと、シャル」
意図はせずとも込められた可能性を、小さな痛みのように察して はわずかに表情を曇らせる。
考え様によってはただのからかい言葉でしかない。
けれど彼らにとって、それは進んで形にはしたくない言葉だった。
これから事実として訪れる可能性。
ソーディアンがどうなるか、記憶を取り戻した二人にとってその先は想像に易い。
だからこそ、二人は蔑ろにするようなことを言うつもりもないし、シャルティエにもそんなことは言って欲しくない。
少しだけ思わぬ卑屈さと皮肉を宿してしまった言の葉に、 が本気で心をかき回されるより早く口火をきったのはリオンだった。
「そうか、じゃあ代わりにお前を置いていこうか」
「『えっ』」
「お前を短剣の代わりにおいて置こうかと言ったんだ。そうすれば取りに来られるしな。
それまで何年かかるかわからんから一人で待ってもらうことになるが」
「『……………』」
言われていることを反芻して理解に努めようとシャルティエ。
「…そうだね、そうしたらまた三人で会えるよ」
『ちょ、ちょっと待ってください!!!』
リオンの言っていることをいち早く察した 。
その清々しい笑顔は調子を合わせているのだが、一瞬にしてリオンのアイデアを評価しての本気モードなのか微妙なところ だ。
その微妙さがシャルティエのなんだかわからない不安を煽って彼に叫びを上げさせた。
「「何か不都合でも?」」
『僕が悪かったです!!』
こんな時ばかり息合わせないで下さいと懇願するシャルティエに、どこか はつまらなそうな顔をして、リオンは勝ち誇ったようにふっとクールな笑みを放って見せた。
「シャル、機嫌直してよ?」
謝ってはみたものの再び唸ったシャルティエを覗くようにして 。
そういわれてしまうと直さないわけには行かない。
結局はいつもの通りであるし、彼らなりの思いやりに応えられないほうが恥ずかしい。
どちらに向けてか もういいだろ、と約束はそこに置いたまま言葉で背を押すと はすっかり軽くなった足取りで一足先に緑の階段を降りていった。
階段を降りきって振り返る 。
リオンもまた緑の階段を踏みながら、仲間の元へ向かうその手元でシャルティエはもう一度だけ、ヒントを求めるように意識を上へ向けた。
『坊ちゃん、さっきの話…』
「お前も知っていることだ。…思い出せるさ」
相変わらずのマスターの応答にシャルティエは三度唸り込む。
けれど、少しだけいつもと違う口調。
待っていたようにそよいだ風に、遠い何かを掠め見た気がした。
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