そんな顔をするな
それとも、泣いてくれるのか?
また、 僕の代わりに…
−未来と、予感と
騒乱から1年半後…
ヒューゴ=ジルクリストはクレスタに移り暮らしている。
騒乱終結以来、それまでミクトランに乗っ取られていた彼の身体が思わしくなることはなかった。
ベルクラントで「初めて会った」その顔のまま、微笑む姿には覇気のようなものはどこか無かった。
それとも元々がそういう人柄なのか…
今は、娘であるルーティ=カトレット、そして最近そこへやってきたスタン=エルロンとともに穏やかな日々を送っている。
始終にぎやかな孤児院には暮らしていないが、昼間はそこへいることも多い。人柄の良いかつての学者は子どもたちの良い教師だった。
「なんだよ!ルーティさんのバカ!」
それから更に半年ほどたったある日のことだ。
もはや孤児院の経営権も移り絶対的立場であるルーティに勇気ある罵声を投げかけ、孤児院を飛び出しかけた少年。リオンはその戸口で危なく正面から衝突
されるところだった。
身体だけ退かせると、あっと小さく声を上げて脇にぶつかり一瞬、顔を上げる。
青い瞳に銀…というよりも灰色に近い髪を刈り込んだ少年は涙を瞳の端に浮かべていたが、思わぬ来訪者に笑顔がとってかわった。
「リオンさん!!!」
「こら、ロニ!待ちなさい!!」
「!」
孤児院の中からルーティの声が呼ぶ。
瞬間に少年はまた、表情をぎゅっと絞るように豹変させて、振り向きもせずに駆けていってしまった。
年にしては細い体が木々の向こうに消えるまで時間はそうかからなかった。
「あら、来てたの」
見送る背中にルーティの声がかかる。
そしてリオンもやや顔を渋くした。
「お前が僕に買い物を頼んだんだろうが」
「今度来るときでいいわよ〜、って言ったじゃない」
「それは買って来いということだろう?」
荒廃したダリルシェイド。復興は急ピッチで進んでいる。
ヒューゴが馴染み深いその街に留まらなかったのは、当時の環境の悪さに加え息子であるリオンの手を煩わせないためということもある。
復興の要といっても過言でもない少年は、多忙を極める中、青年に変わっていた。
自分より背の高くなった彼を見上げてルーティは、にまりと口の端に笑みを浮かべた。
頻繁に、とはいかないまでもこうして無理矢理呼べば来られるくらいにはなっている。
まして、ヒューゴに会う機会にもなるのだからと彼の姉は建前と本音の使い分けに容赦なかった。
「それよりロニはどうした」
「あぁ、あの子ね。また…」
それだけ言ってルーティは少しだけ困ったように笑った。
* * *
クレスタは外殻落下の被害から難を逃れた希少な町だった。
セインガルドでは田舎と呼ばれているが、それほどでもない。
それなりに整った石畳や町並みを眺めるたびに
はそう思う。
けれど町から一歩出れば手付かずの草原や海が近く、なかなかにのどやかな町には違いなかった。
宿を手配し、さてリオンの後から孤児院へ、と人影まばらな道を辿りながら周囲を眺めながら歩いていたその時。
(あれは…)
見覚えのある小さな人影をみつけた。
それは道を外れた丘の上にある。
天然か植林か判断のつかないよく育った木の根元に膝を抱えるようにして少年が座っていた。
「ロニ、どうしたの?」
「!!」
背後から声をかけられロニは、強張った顔を見せたがそこにいるのが
だと知ると少年の顔は緩まった。
笑みではなく、泣きそうな顔に。
いくらロニでもこれは子どもだ。ちょっと待ってくれと思いながら
は彼が泣かなかったことに感謝した。
少年にしてみれば自分が「どうしたのか」と聞かれる状態であるとわかったのが不思議だったのかもしれない。
膝を抱えていかにも気丈な表情だったのだが自覚はないようだった。
あるいは気づいてもらえたことで気が緩んだのか…今度はさっきより強くは無い顔で俯いて黙り込んでしまった。
無意識に声をかけられるのを待っているのだろう。でなければどこかへ行けと追い払われる。子どもの反応は、少し待てても我慢強くは無い。
そうされなかったので
はその隣に腰をかけた。
そこは少し高台になっていて、その向こうの草原からいい風が流れてきていた。
それでも少しだけ沈黙は続いた。
「珍しいね。凹むほど誰かと喧嘩した?」
「珍しくなんか無い…」
してない、と虚勢が返ってくるかと思ったが帰ってきたのは呟きだった。
「?」
「ケンカ…じゃないよ」
「そう、じゃあどうかした?」
「………」
「喋りたくないならいいよ、気が済むまでここでつきあう」
「いいってば!」
「そう?」
「あっ」
あっさり退かれると惜しくなるのか虚勢が削げる。
はそれでその場にいることにすると、話すのは止め、ただ草原を眺めた。
「…」
ロニは今年で7つか8つ…
そうして風にそよがれているだけでも気は紛れてきたようだった。
表情が、困惑から反省のようなものに変わっていた。
どれくらいいたろうか。
そんなことを思ったときだった。
「おい」
頭を木の幹に預けてすっかり清々しい気分になっていると聞きなれた声が呼びかけた。
「いつまでも来ないと思ったら…こんなところで何してる」
それは
にかけられたものだ。
見上げるまでもなくその体制で目を開けると視線を動かすだけで木の幹に手をついて見下ろしているリオンの姿が目に入った。
ロニの視線は感じているだろう。
構わずに彼はそちらをちらと見ただけだった。
「何してるといわれても…何もしてない?」
「聞くな」
呆れたようにリオン。
みるからに何もしていないのはよくわかる。
「宿とれたよ。さっきのとこ」
「あぁ、今の時期は空いてるからな」
そんな二人の何気ないやりとりを見上げながらロニはなぜだか苦笑している。
「何だ?」
「なんでもないよ」
「僕に言うことがあるんじゃないのか?」
「?」
ようやく自分の方に話しかけてきた青年を見返してロニはまだ幼い顔に疑問符を浮かべる。
確かに未来の面影はあるのに、そこにいるのは子ども、というのが不思議だった。
「ルーティに聞いたぞ。またヒューゴ=ジルクリストの悪態をついたそうだな」
「え?」
思わず聞きかえしたのは
。
当のロニはせっかく落ち着いた着たところだったろうにカァッ!と頬を高潮させて立ち上がった。
「だからなんだよ!リオンさんには関係ないじゃん!」
「あるだろ」
「どうして!!」
「僕は……裏切り者だからだ」
「え…」
ロニがデュナミス孤児院──当時は、クレスタ孤児院だった──へ来たのは騒乱が終わってから半年ほど経ってからのことだった。
その頃には、ヒューゴ=ジルクリストはすでにクレスタに居て、まだ誰とも馴染みの浅いロニのことも他の孤児同様接していた。
むしろロニは周囲の人間をあまり信用できず警戒心に満ちた子どもだった。
自我があるのに幼い時期に両親と死に別れた子どもというのはそういうものなのかもしれない。
ともかく少年は一人で生きなければならなかった。
このクレスタに来るまでは。ここに来るまでの半年はまだ少年と呼ぶにも幼かった彼にとっては辛く長い時間だったろう。
そのせいか、同年代の子供たちより頭ひとつ分、大人びていたし無邪気というほどはしゃぎもしない。当時はそんな子供。
しかし、老練したヒューゴのおかげもあってここでようやく安住の場所を得たかと思われた…その矢先だった。
彼はどういう経緯かで、ヒューゴ=ジルクリストがあの災厄を招いた人間であることを知った。
両親を殺した、あの騒乱を──…
以来、少年は憎悪にも似た感情をもってヒューゴを見るようになった。
彼がルーティの父であることも、やるせない事情があったのだと知りながらも。
後で考えてみれば…それは行き場の無い怒りを全てそこへ向けたようなものだったのかもしれない。
心を開きかけていた人間がそんな人間だったなど。
かたくなになるのも無理は無い年齢だった。
「いや、僕も、というべきか?お前も知っているだろう」
「なんで…」
まさかリオンが自らそんなことを言う日が来るなどもう無いと思っていた。
ロニの呟きを聞きながら、いきなりの告白に刺されるような思いを抱かされたのは
の方だった。
ロニは訳が分からないというように狼狽した色を浮かべて瞳をうろつかせ、けれど、意を決したように拳を握り締めてリオンを見返した。
「なんでそんなこというんだよ!リオンさんは世界を救った英雄の一人じゃないか!」
「けれどその前に僕はヒューゴの言うなりにスタンたちを欺いた。同じことだ」
「違う!!」
「違わない」
「っ!」
それも知っていた。知ってなおロニはリオンを避けたりはしなかった。
むしろ、この町にいない人間であることが幸いするのか、それとも他の理由なのかはわからない。
ただ、それは少年にとって信じがたいことには違いなかった。
変わらぬトーンで即答されて言葉を詰まらせ、それでもロニは顔を正面に向けたまま。
そこには感情には揺れない深い紫闇の瞳がある。
激情を秘めずとも、強い瞳。
「ヒューゴが責められるなら僕も責めるべきだ。ロニ、見誤るな」
「知るかよ、そんなこと!」
耐えられなくなったように少年は再び背をむけ丘を下っていった。
後に残ったのはリオンの小さなため息だけ。
「リオン…」
「あいつ、ルーティに罵声を浴びせて飛び出したんだ」
「は?」
途端の変調に思わず聞き返してしまう
。
「…ヒューゴさん、じゃなくて…?」
「ルーティに、だ。帰ったら往復ビンタだな」
「それは…散々な1日だね…」
強情な少年はすぐには孤児院には戻らないだろう。
けれど、とっぷり日の暮れた頃…
1日の締めくくりはリオンの
の想像のままにならざるを得ないようだった。
* * *
弔いの鐘が鳴っている。
騒乱終結から二年と少し…ヒューゴ=ジルクリストは逝った。
咽び泣く喪服の花嫁の背をさすりながらスタンはただ彼女をなだめている。
そこに、新たな命の宿ったことを見届け、ただ生まれる子に触れることは出来ないままの逝去だった。
ひっそりと式らしい式でもなく、田舎町は静かに彼を送ったがその後、遅れて訪れる人は意外なほどに多かった。
誰ともなしに集った人々の中には、
の知っている顔もある。集積レンズ砲に携わった技術者やオベロン社、そして屋敷でもみかける人々…
(この空気…苦手だな)
ただ、笑うものはいない。
は何度かこういった場に参列を経験しているが大抵、義理で来て、不謹慎に無関係な笑い話などする人間もいるものだ。
そういう人間を見るたびに苛立ちと、去り行く者への葬送の意味に疑問を抱いていた。
悲しまずともいい。ただその敬意の無い無神経な振る舞いに対して、だ。
今日はそういった輩がいないのは幸いだった。
けれど、それとは別に本来その場にある雰囲気そのものが…居心地を悪くさせる。
さめざめと瓦解している緊張感が織り込まれ、なんともいえない胸騒ぎのようなものを覚えさせた。
墓から戻り、今日だけ間借りしている教会にも人が集まっている。
その内一人、また一人と弔問者は姿を消し…
どれくらい経ったろうか。
はリオンの姿がないことに気がついた。
それで自分もようやくその場を離れていいのだと悟る。
今日ばかりはここから抜けてしまうことは出来なかった。
なんとなく、リオンやルーティから目を放してはいけない気もしたし他人事ではないようにも思えたからだ。
ようやく開放されたように
は外に出た。
薄闇の迫る東の空に吹く風が妙に新鮮だった。
それからゆっくりと…町の奥の丘の上にある墓場へと歩を向け…
もう誰もいないと思っていた。
しかし、思いがけず真新しい墓の前には黒い影が立っていた。
まだ辺りはそれほど暗くない。
それでもそれが影に見えたのは、まとっている服と髪の色故だろう。
坂を上りきったところで
は足を止め、そこからしばらく眺めていた。
不用意に立ち入ってはいけない気がしたからだ。
しかしただ立ち尽くしていた彼は、花々が手向けられた墓の前からふいに振り返った。
遠めにもわかる。深い紫水晶の瞳。
彼は何もいわなかった。
ただ、振り向いたまま…立ち入られることを拒んでいないのを理解して
は静かに歩き出した。
向き合う寸前で彼は再び墓のほうを向き、二人は墓の前に並ぶ。
「…」
無言だった。
彼は泣いても笑ってもいない。
ただ透明な瞳で遠くを見つめるように墓をみつめていた。
こんな時は何を言っていいのか分からなくなる。
気の効いた言葉など出て来ず、また、そんな言葉は軽々しく口にもしたくない。
もどかしさを感じながらも黙っているしかなかった。
……それが、彼女の優しさだとリオンは知っていた。
「父は──」
ふと、リオンが口を開く。
彼がヒューゴ=ジルクリストを父と呼ぶのは珍しいことだった。大抵人と話す時はこの2年、余所余所しい呼び方でもある。
それか、呼ぶこと自体を控えていたかのどちらかだ。
「知っていたんだ。自分の命がそう長くは持たないことを」
「うん」
涼しくなってきた風に髪を揺らしながら
は頷いた。
ヒューゴ=ジルクリストは知っていた。
ダイクロフトでミクトランと別離したときから、先は長くないということを。
だから、2年というのは意外に長い時間だったのかもしれない。
「幸せそうだった」
「…」
「だから、これでいいんだ」
その瞳がようやく揺れた。
けれど、
に向けられたのは哀しみではなく、どこか寂しそうではあるが優しい微苦笑だった。
控えめがちに風が夏の終わりの丘を吹き抜けた。
これを境に、世界の文明レベルは一時的ながらも再び、一歩衰退することになる。
この世界で人が何を求め、何を作り上げていくのかは
未来に向かって歩むしか知るすべはない。
けれど、ここに残ったのは小さな痛みと 想い出と…
「リオンさん、ごめんなさい!!!」
黙って感傷に浸って帰る道。
すっかり暗くなった坂の上に小さな影が両の拳で自分のズボンを握りながら立ちふさがっていた。
「…………」
何の妖怪かと思ったが、それはロニ=デュナミスだった。
反応を待つように少年は頭を垂れて瞳を強く瞑っている。
息を止めている勢いだが走ってきたのかそれは無理だったらしくすぐに大きく肩を上下させ始める。
それとともに、彼はちらりと視線だけで伺った。
反応がそれほどの間、何も無かったからだ。顔を上げればなんのことはない、いつもと変わらぬ無表情な…というか人を見下ろしたような…実際お見ろされ
る位置にあるのだが、──姿があった。
「何の話だ」
普通にわけがわからんといわんばかりにリオン。
「だって俺…あっ」
意外にせっかちなのでみなまで聞かずに歩き出す。
後をついてくる形になって少年は小走りに弁解を始めた。
「聞いちゃったんだ。ヒューゴもリオンさんのお父さんだったって!」
「…」
少々言葉がおかしいようだが、そこは年齢もあって流すことにする。
多分、ルーティと同じようにと言いたいのだろう。
「だからどうした?」
隠していたわけではない。
必要ではないから言わなかった。ルーティはどうだか知らないが。
この分では泣いていた彼女が何かうっかりスタン相手に漏らしたのだろう。
それを聞いていた程度なのだと思う。
あっさりそんなことを言われてロニは戸惑うように言葉をにごらせた。
一度は止めた足をリオンはまた動かし始める。
あわてたように着いてくる少年。
「だから…あんなことを言ってごめんなさい!!」
「あんなこととは?」
ようやく振り返ってリオン。
子ども相手に容赦ない。
「…ヒューゴ…さん…を、責めるようなこと」
「それは僕に謝ることじゃないだろう」
それは本音であるのか眉根が少々複雑に寄せられる。
「でも…」
「後で墓を参ってやれ。それだけで許されるだろう」
「本当に?」
許される、と聞いて少年の顔から少しだけ強張りが落ちた。
「それから謝るならルーティだな。今はやめておいた方がいいと思うが…それまで言い訳を良く考えておくことだ」
「うっ」
何か嫌なことでも思い出したのかロニは先ほどとは違う意味でなぜだか強張った笑みを浮かべながら。
「リオン、言い訳って…」
「事実だ。自分の言ったこと、考えたことをよく振り返るんだな。それが悪かったと思うなら…繰り返すな」
「……」
「だが、悪くないと思うことにまで妥協する必要はない」
「分かりやすいね」
てこてことまた歩き出す。
ロニにとってはまだ難しい話だろう。
少年はじっと話を反復するようにその場で悩んでいたが…
遥か先まで置いていかれる頃に気づいてようやく追い駆け出した。
「待ってよ、二人とも!」
「追いつきたければ18年分早く走ってみたらいいんじゃない?」
「意味がわからん」
ようやく夜の帳の下りたクレスタは、
さざめき始めた星の下、元通りの静寂に包まれてていた。
運命に翻弄されたもの、流された者、そして抗い掴み取った者──…
誰も忘れはしない。
これは、運命の物語
そうして、また新しい物語は始まる…
あとがき**
連載終了時から書きたいなーと思っていた話です。
D2のセリフ(「信じ続けろ」とスタンに言われている。18年後でもそれができていないと自分で言っている)からロニは来たばかりの頃は頑固な問
題児だったのだと思います。
ブログを読んだ方ならご存知かと思いますが、ヒューゴがどうなるかも既にD3連載時(ACT13)にはもう決まっていました。
全てが上手くいくわけでもない。だからこそ先へ進む価値もある。
根底にあるのはそういうものなのかもしれません。
察していたリオンはある程度覚悟してたのでルーティほどショックは受けていませんが…
複雑ですね、相変わらず。
