インフルエンザ警報
その日… はどこかダルそうだった。
といっても表情に何が出ていると言うわけではない。
酷く微細な雰囲気と言うか、もはやこれは長年の付き合いがある人間でないと判別できない域だろう。
それは勘、というものに近いのかもしれない。
「どうかしたのか」
リオンは小さく腕をさすったその動作を見逃さなかった。
「え、何が?」
逆に何を問われているのかわからないといった顔をしたのは の方だった。
「今、腕をさすっていただろう。顔色が悪い…かどうか、お前はわかりづらいが調子でも悪いのかと聞いてるんだ」
一言余計ながら、具体的に聞いてみる。
不健康な肌色ではないが、いかにも太陽の下が大好きと言う肌の色とは普段から逆方向なので、真っ青にでもならない限りわかり辛い。そして、真っ青になった頃には限界が来ているあたりだろう。
それが容易に想像できるので、そうなる前に聞いた。
「あ~なんか、関節が痛くて……熱でも出るかな」
自分の身体に起こっていることへの、自覚はあるらしい。
「ただ痛いだけなんだけど」
「医者に行って来い」
「だから、熱もまだないんだってば」
そうやって様子見をしているうちに、症状が進むのはありがちだ。
もう冬に入るので、乾燥と低温化が大分進んでいる。風邪だろうか。
「今日は温まって早く休むよう努力する」
「発症したのはいつだ。他に症状は?」
「なんで医者みたいなこと聞くの?」
いつものやりとりとは違うことに違和感を抱いたのか、 は聞き返してくる。
「お前は、大丈夫大丈夫と言いながら、結局こじらせて一週間近くも寝込むタイプだ。本格化する前にさっさと治めろと言っている」
「それ、何年か前の年末で一週間も寝込んだのは一回きりだったよね…?」
そんなことが過去にあった。
本人的には年末の長期休暇に入って、気が抜けたところをやられたと分析していた。
そしてその年に限らず、冬の休暇に入ると風邪を引きやすいと言う事実にも気づいたらしい。
以降は、ウィルスに侵攻されないようしっかりと気を張っているため、ここ数年は寝込むほどの風邪を引いていない。すばらしい自己防衛力だ。
が。
「あの時は、風邪だといいながら絶対にインフルエンザだった。僕には確証がある」
「確かにこじらせて医者に行ったあとに処方された薬で熱は下がらなかった。インフルエンザだったんだろうね」
認めているあたり…
「そうでなければ肺炎だ。日常生活で命の危機に陥る馬鹿がいるか? 初期消火をすれば済む話が」
「だから今日は早く寝るって言ってるじゃない」
「風邪ではなく、インフルエンザだったときはどうする」
風邪はまぁおとなしくしていればなんとかなるが、インフルエンザとなると医者に行くのが間違いない。何よりも高熱で重篤化しやすいので、侮ると大変なことになる。
「というか、なんで今日のリオンはそんなに心配性なの?」
違和感が確実になったのか、 は眉根を寄せて尋ねてくる。確かに、いつもならば「さっさと寝ろ」くらいで済んだだろう。
自分でも、そう思う。
そんなわけで、リオンはその発言の原因になっただろうものを思い出して、自室へ行って持って来た。
無言で渡す。
「チラシ……?」
「疾病予防のリーフレットだ。ウィルス被害が本格化する季節に入る前に管理部が配るらしい」
それが統括部門に近い役割を担うリオンの元にお伺いのために先行して届けられていた。
世に言う「めくら判(上司が稟議の内容も見ずに印鑑を押す行為)」をせずに目を通したリオンを は褒めたくなったが、自分も文章を読むのが苦ではないのですぐに目を通しだす。
ここを見ろ。とリオンが指し示した箇所は以下のとおりである。
かぜとインフルエンザの違い
1.発症-かぜは徐々に発症/インフルエンザは急に発症。
2.初期症状-くしゃみ・鼻水・喉痛など/発熱、筋肉痛、関節痛など
3.発熱-ないか、微熱/38~40度
4.合併症……(以下略)
「うわー、やっぱりあの大風邪はインフルエンザだったんだ。中耳炎も合併症だったか……」
「過去の話はいい。今のお前はどっちだ」
さぁ、とばかりに判断を迫るリオン。
「……」
黙って、眺めている 。
「こっち」
そう素直に指差したのは、インフルエンザだった。
「そうか……インフルエンザの可能性の方が高いのか……」
「感心してないでさっさと医者にかかって来い」
よしんば違ったとしても検査でわかる。熱が上がりきらないうちなら薬も聞くだろう。
「インフルエンザってかかったことないからわからなかったよ」
「違う。かかったことがないんじゃなくて、自覚がなかっただけだろう!」
基本、 は風邪であると思った場合、医者には行かず、自力で治す。ので、当然、そのような診断が下されるべくもない。 自身もそれにはまた素直に「そうか」と納得している。
「で、インフルエンザって風邪と同じように発症前に休めば治ると思う?」
「思わない」
風邪は一過性の感染症であり、症状は「早めに寝れば治る」範疇であるが、インフルエンザはすでに潜伏期間に入っているのならば気のせいで治るものではないだろう。さっさと白旗を揚げるのが正解。
ウィルスのことなど詳しくは知らないが、そう感じる。
「裏を見ろ」
言われて裏を見る 。両面印刷のリーフレットだ。
「……風邪は直接感染、インフルエンザは接触感染と空気感染か……だから管理部が流行させないようにこれ、作ったんだね。でも読まない人は読まないと思うよ」
で、読まない人が感染するの。
と は今冬の展開について予想をはじめている。
「読んでもすぐに医者に行こうという発想にならない馬鹿もいるがな」
「……」
さすがに誰のことを言われているかわかったらしい。
「そうだね……これ見るとインフルエンザの可能性も高そうだし、屋敷内で流行ったら嫌だもんね。発生源になるのも嫌だし。……憎たらしいくらい嫌な職場だったらわざと流行させに行くのもありだけど」
「なしに決まっているだろう!」
は、自分だけが倒れるのではなく、危害を加える相手には死なばもろともタイプであろう。いろんな意味で、危険人物だ。
「とにかく、こじらせる前に行って来い」
「今日?」
「……」
空気に怒りをはらませたリオンを前に は渋々と言った感じで立ち上がった。
本当にこいつは、自分の体調には無頓着だな。
がため息をついたが、ため息をつきたいのはこちらである。
というか精神力で持たせようとか、そろそろやめて欲しい。
数年前のアレは日常生活の中なのに、今思えば割と重篤な状態であったことを思い出す。
「リオンは心配性なんだから」
「お前が自己の心配に欠けているんだ」
呟きを聞きとめて、反論する向こうで はでかける準備をしている。
この屋敷内の健全化を持ち出されたら、動かざるを得ないところが律儀といっていいのか、もっと大事なことが別にあるだろうと言ってやるべきか。
「……手足の関節がさらに痛くなってきたので、一緒に来てもらえませんか」
そんなことを言っているうちに自覚症状が進行したらしい。
自分が心配なのではなく、医者の元へ行くまでの道のりをひとりで歩くことが億劫なのであろう。気を紛らわせるため、と判断する。
故に道中で倒れるとは思わないが……
丁寧な口調で言われて、断ることはせずにリオンはその日、過保護な付添い人のような状態で外へ出ることになる。
しかし、インフルエンザと判明した直後の帰り道で寄り道をしようとする を前に、それを本気で止めながら、本日、すべての選択は正解だったとまざまざ思うリオンであった……。
2017.11.28筆(12.30)
書いたときは季節的に早かったですが、そんなリーフレットが来たのでつい。
健康な人は感染しても重症化が少ないというし、知らない内にかかってる人もけっこういるんだろうなーと思いつつ。
||お題メニュー ||
