シャル日記 雪散歩
夜の内に薄く雪が降り、朝は銀世界だった。
日が薄くなり始めても青空が広がっていて、今日は一日中、いい天気だ。
坊ちゃんたちは、ハイデルベルグの城に一泊し、小春日の一日を各々過ごしていた。
「カイルとリアラはまだデートか」
あーあーと部屋でぼやくように椅子の上に反り返っているのはロニ。
坊ちゃんは窓の外を見る。
朝はひやりとした空気が席巻していたが、太陽が高くなってきた頃には大分気温が上がり、今も外は暖かい。
ここ数日も天気が良かったらしく、大通りの雪は溶けて珍しく石畳がむき出しになっていた。
「俺も夜の部にでかけてくるかな」
「ナンパなんてしたら、わかってるんだろうね!」
いそいそと気分を切り替えて出かけようとしたロニは、ナナリーに釘をさされてそんなことしねーよとどもりながら、椅子に座りなおしている。
「私、散歩に行ってくるね」
代わりというわけではないだろうが、がでかけていった。
確かに外に出かけたくなる天気だ。
昨晩は雪が降ったことで、空気が澄んで空の青さが増している。
僕の時代には見られなかったきれいな雪景色。
「僕も出てくる」
まだ時間としては余裕があるし、部屋にいても仕方がないと思ったのかメンツ的な問題か、坊ちゃんも部屋を出た。
そのまま城を出て、公園の方へ向かう。
そちらは割と除雪されているので雪は解けていて歩きやすい。
雪国だから部屋はずっと暖炉で温められているので、逆にこれくらい暖かい日は外でも風が気持ちがよさそうだ。
それに、どんなに仲間に慣れても、一人になれる時が坊ちゃんにとって、気が抜けるときでもある。
『坊ちゃん』
僕はあたりに人影がなくなったのを確認して坊ちゃんに話しかけた。
「なんだ」
歩きながらも視線だけ流してくれる気配が伝わってくる。
『を探さないんですか』
「……………どうして探さないとならないんだ」
特に問題は起こっていない。
も一人で行動するのが好きだから、たぶん、見つけようと思ってもこの広い街ではみつからないだろう。
みつけるつもりがなくても、ひと気がないところに行くとブッキングしやすいのはお約束だけど。
『なんとなく言ってみただけですよぅ。散歩に出かけただけでしょ…う…し……?』
「どうした」
突然の僕の歯切れの悪さに今度は足を止める。
振り返る坊ちゃん。そして、視界の端に「それ」をみつけたらしい。
「…………」
雪が解け切って、乾いてきているのは雪かきがきちんとされている通りだけだ。
そちらは明らかに道だけど、昨晩降った雪が、庭や道端に積もるのと同じ高さだけ積もったままだった。
そこに点々とついている一人分の足跡。
まだ新しい。
『これ、ですよね』
「こんなところに躊躇なく踏み込むのは、まぁあいつくらいだろうな」
そもそも夕刻に差し掛かろうというこの時間まで足跡もないのは地元民もそんなに用はない道だからだ。
方向的には公園側の道の先で合流する。整備された道を歩くのが、普通。
『行きましょうよ、坊ちゃん。追跡です!』
「……なぜ嬉しそうなんだ……?」
冗談で言ってみたら、ワクワクしてしまった。ただ歩いているよりなんだか楽しそうだと僕の勘が告げている。
「それに何を好き好んでそんな雪の中を……」
『そんなに長い道じゃなさそうだし! 行きましょうよ!」
ため息をつく坊ちゃん。口を開きかけたので……
「行きましょうよ! 行きましょうよ!! 行きましょうよ!!!』
たたみかける。
「わかった! わかったから大声を上げるな!」
僕の声は坊ちゃんにしか聞こえてないはずですが。
坊ちゃんは雪道に足を踏み入れる。
くるぶしより少し深いくらいだろうか。
すでについている足跡を追うように、ざくりと雪を踏んで歩きだす。
すぐに積もる雪はさくさく歩けるくらい浅くなった。なぜだろう。
「しかし、こいつはまっすぐ歩けないのか」
『いつもは真っすぐすぎるくらい真っすぐですけどねぇ…』
そんなことを思っていると遠く続く足跡を眺めながら坊ちゃん。
路はまっすぐ行ってずっと先で右に折れているようだけど、足跡はあちこちに寄り道している。
『あ、でもこれ』
そのすぐ先、道端に寄って止まったようだ。僕が声をかけたので坊ちゃんがそこで何が起きたのかを見に行ってくれた。
『なんですかね、猫?犬? 犬だったら小型犬ですよね』
「こんなところに小型犬が来るか。鳥だろ」
鳥にしては雪に沈む、大きな足跡。肉球さえある気がする。
僕に身体があったら、それをまじまじ見ていただろう。の気持ちがわかる気がする。
坊ちゃんは足跡が途切れていることを示して、足を再び先へ向ける。
坊ちゃんの言うとおり、足跡は途中で途切れ、反対側も唐突に雪の中に現れていたので、中くらいの鳥が降り立って、少し歩いて飛んだ、という感じかなと思う。
「……」
『立ち止まってますね』
それからすぐに、の足跡は左手を向いて止まっていた。
つい、坊ちゃんもそちらを見たが何があるというわけでもない。
少し高くなったそちら側は、雪で道にかけてなだらかな丘のようになっている。足跡はそのまま、今来た方向を向いて沈んでいた。
『?』
坊ちゃんは少し考えてから、片足をつくようにしてしゃがむ。
足の踏み方、体重の乗せ方で体の動きがわかるんだろう。実際、の足跡はまさしくそのまま「足跡(そくせき)」という感じだし。
斜陽になりかけた西日が、ちょうど前方から真っ白な雪の上に当たってきれいだ。風が吹いた。
『わー! 何か、銀の砂が流れてるみたいできれいですねぇ』
さらさらと、積もった雪の表面を細かい砂のような雪の結晶が、夕方の光を取り込んで光って流れてくる。
風の方向は一定じゃない。坊ちゃんが顔を上げて北側を見るとなるほど、朝方の寒さで固くなっていた雪原の上を、光の粒が音を立てながら流れていた。
これが本当は花壇か何かできっちり段になっている場所を、なだらかな丘陵にしたんだろう。
立ち上がる坊ちゃん。
『はよくこういうことに気づきますねぇ』
思わず感心する。ただ歩いているだけじゃ見られない光景だ。
それに、それで深く沈む場所と雪が浅い場所があるのは風の加減でできるのだろうとわかる。
その後はなんとなくまっすぐ、突き当たるまで足跡は続いていて道なりに右折。
『すごい蛇行してますね』
「これはわざとじゃないのか?」
追跡がかかるとは思っていないだろうけど、わざととしか思えないくらい道幅いっぱいにカーブを描いて歩いている姿が目に浮かぶようだ。
『坊ちゃん、そっち! 道はずれてますけど!?』
「足跡は戻っているだろう。問題ない」
『でもそっち川でしたよね!? 水辺まで結構高さある……なんか縁まで見えないですけど!?』
「だから、川を見に行ったんだろう」
足跡は続いているけれど、もし際まで行き過ぎて落ちてたら!?
急に不安になって、あわあわと訴えると坊ちゃんはため息とともに進路を足跡に沿って変えてくれた。
の足跡は……
「見ろ。川をのぞいただけだろうが」
『でも際どいですよ』
「……まぁあと一歩踏み出していたら落ちていたかもな」
幸いなことに、そのまますぐに道の方へ戻っていた。
「しかしあいつ…もと来た方へ戻らないで、なぜわざわざ外れたほうから道へ戻ろうとするんだ」
足跡は、そのまま土手の上(?)を軽く歩いて、植えられてまだ数年ほどしかたっていないだろう樹木の外側から回るように、元に道へ戻っていた。
『うーん。この木に手をかけて見て行ったのが、手に取るようにわかるようです』
「だろうな」
更に立ち止まる。今度は僕にもわかる。小さな鳥の足跡。
てんてん、と木の枝でつけたような沈んでいないそれを眺めてから先へ。
それからすぐにまた。
「……この道に入ってからまだ400mも来ていないと思うが、ずいぶん寄り道をするな」
『あはは。でもなんかこう、誰も足跡つけてないところに足跡つけるのが楽しいんでしょうね。わかる気がします』
いつもすたすたと歩いている彼女が、蛇行してあちこち見ているのはそれなりに楽しんでいるからだろう。
周りを見て回ることもだけど、足跡をつけて回る行為自体も。
蛇行はしているけれど、歩いている場所はダラダラしてはいない。それくらいは僕だってわかる。
そして、立ち止まった場所には大抵、何かがある。
『林を見ていたんですかね?』
「鳥がいるな。小さいのがたくさん」
坊ちゃんも気配はもちろん耳ざとい。
寒さが厳しくなると町に降りてくる小さな鳥たちがチーチーと呼び交わす声が聞こえる。
『これだけ雪が積もっていると、餌もないでしょうから大変ですね』
なるほど、スノートレッキングに加えバードウォッチングか。
そうすると僕らはという人のスノートレッキングをしている感じになるわけだけど。
残念ながら、そこからしばらく道沿いに行くと足跡は途切れてしまった。
公園方面に向かう道と逆に向かう道。
除雪がされていて、道に雪がない。
やれやれと言いながら、坊ちゃんはその道に出る。
『どうするんですか?』
「どうするも何も、元々ただ外に出てきただけで、あいつを探しに来たわけじゃないだろう」
そういわれれば、その通りだ。
当然のように人通りの少ない街はずれに足を向けて歩き出す。元々坊ちゃんも外の空気を吸いに来ただけだ。
ただ、さすがに止まっていると夕方の風は体を冷やすので歩く。
そしてしばし。
ふと、歩調が遅くなった気がした。ほんの一瞬だ。今はまっすぐな道を、まっすぐに歩いている。
周りは特に何もない、左手に城の壁と右手は小さな雪原状態で、散歩というならそろそろ引き返してもいい場所だと思う。
ハイデルベルグは壁に囲まれた街だが、北門というのは聞いたことがないし使ったこともない。あるにはあるだろうけれど、通用門程度なのだろうか。
そんなことを思っていると……
「……」
『坊ちゃん?』
「いや、引き返すか、もう少し歩くか迷っているところだ」
なんだろう。特に周りには人影もないし、変わったところは……
『そこに延々とついている足跡は、のですかね』
今更僕は気づいてしまった。
「僕は何も見ていない」
そうは言うがさっき、歩調が落ちたときには気づいていたんだと思う。
道があるのに右手の雪原の、割とど真ん中を誰かしらの足跡が併行して続いている。
そちらはそもそも雪が積もりっぱなしの場所のようで、パッと見てもそれなりに深く足跡は埋もれていた。
『……道なき道を進んでますねぇ……』
「僕には意味の分からない世界だ」
と、いうか他に誰一人としてそこに足跡を残している人はいないのだから、大抵の人間の発想の圏外なのだろうとは思う。
こう言ってはなんだけど、雪に慣れた子供たちだって道沿いで遊ぶことはあるけど、あからさまに、道として通る子もいないだろう。
これを道にするなら、苦行だ。
なんて言ってると、分岐した右手の道から人影が現れた。だった。
「ジューダスも散歩?」
「……」
普通に除雪された脇道から現れた姿に違和感を覚える僕と坊ちゃん。
なんだろう。
今まで見てきたのが、幻覚なのではと思うくらいふつうに道から出てきた。
「どうしたの」
坊ちゃんも同じ心地なのか、黙っていると聞かれてしまう。いや、と時間を動かして会話をする。
「あの足跡はお前か?」
思わず来た道と併行についている足跡を指さして訊く坊ちゃん。
「うん」
あっさり肯定された。
「よくわかるね」
「わかるだろう」
なんとなく呆れたように息をつく。
『公園の手前の雪かいてない道も通ったでしょ。ずっと辿ってきたからねぇ』
僕も笑いながら顛末を言ったら……
「シャル!!」
『ひゃっ』
怒られた。
「辿ってきた……?」
の眉が訝しげに寄せられる。
そう、は観察するのは好きだが、観察されるのは嫌いだ。
つまりトレッキングされたとなれば、こういう反応になる。
「違う! シャルが気になるというから、同じ道を通ってきただけだ」
……言い方が変わったところで、内容は同じです。
しかし、言い方で大分変るのかは表情を戻した。
「それは苦行だったのでは」
「言っておくが、この道に入ってからは僕は道を外れていないからな?」
なんだかすごい会話になっている。
最ももこの畑だか雪原だかよくわからない場所を突っ切ることについては苦行だと思っているらしい。
その辺は僕が訊く前に、坊ちゃんが続けた。
「大体苦行というならお前はなぜこんなところをつっきっているんだ」
「せっかく今日はブーツだから、平地を歩いてもつまらないと思って」
ものすごく、わかりやすい。
坊ちゃんは沈黙してしまっているけど。
今度はが続けている。
「それに雪の中を歩くのって、ただ道を歩くのとじゃ体の使い方が違うでしょ? そんなに距離はないのに、すごく体力を使ったよ」
街中雪中行軍。
なぜ普通に休もうとしないのか。それともそれも楽しいのか。
……まぁ、楽しいんだろう。
「……」
「ジューダスは? 大分日が沈んでいたけどまだ散歩するの?」
私は帰る。とばかりに。
「いや、なんだか急に疲れた気がする。僕も帰る」
自分が一因などと思いもしないは「大丈夫?」と気にかけてくれるが、大丈夫でないことは何もないだろうから大丈夫だ。
そして、二人そろって歩き出す。
『僕、前から思ってたんですけど』
つい、余計なことを言ってしまった。
「「?」」
『坊ちゃんとって、白黒コンビですよね』
「「………………………」」
雪景色の中だと、ことさら色が映える。
坊ちゃんの黒い服との白い服。
好みの問題かもしれないけど、髪の色は同じなのに、なんだかおもしろい。
「……性格はネガポジコンビではない」
「そこは誰も言ってないだろう!」
坊ちゃんが突っ込んでいる。
はボケているつもりもないし、普段は善良なつっこみ(ストッパー)側であるので、それこそそこは白黒をつけるのは避けよう。
「そうだよね、どちらかというとジューダスとシャルの方がネガポジという感じはする」
『えっ、それって……どっちがネガっぽいの?』
「そういわれると……困るな」
坊ちゃんはネガティブかといえばそうでもないし、僕は……うん、今はネガティブではない。断じて。
息まく僕の気配を感じたのか坊ちゃんはに反論をしている。
「困るならわざわざその表現を使うな!」
「主に、シャルが一人でネガポジを繰り出していると言ったら納得する?」
「……まぁそれならいいだろう」
『ちょ、酷いです! なんで勝手に結論付けてるんですか! 僕はいたって前向きです!!』
「今はな」
坊ちゃんは前に視線を向けてそれを全く動かそうとしない。こうなると取り合ってもらえなくなる兆候だ。
『今って何ですか! 僕はいつだって……』
「ネガポジコンビというか、凹凸というか、いいコンビという意味だよ。たぶん」
『いい締め方なのに、たぶんとかつけないで!』
自分で言っておきながら、もそういったきり遠くを見始めてしまう。
こう言ってはなんだけど、僕から見ると二人の方がある意味いいコンビだと思います。
春に向かう道すがら。
小春日和のトレッキングは、けっこう楽しく、暖かい。
2020.2.13筆(2.19)
今冬は暖冬で助かりますが、運動不足。
河原も散歩しよ。
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