10.エウロス
テイト が目を覚ますと、そこは見慣れない部屋だった。頭がぼんやりする。何が起こったのか……思い出そうとして、鮮明に意識は覚醒した。
がばっと体を起こして、そして気づく。隣のベッドに、横たえられたヒューの姿があった。ベッドから起きて裸足で駆け寄る。 蒼白な顔、呼吸は……
「バカ……馬鹿やろう!!」
拳を握り、力任せにその体を叩いた。
「痛ってーーーー!!」
しかし、叩かれた本人は叫びと共に飛び起きた。
「……」
ぽかん、と見上げる テイト 。予想外の反応だった。
「誰がバカだ。けが人を殴るほうがよっぽどバカじゃないのか」
涙を浮かべて腹をさするヒュー。
「お前…!? 怪我は? 怪我はどうしたんだ! 大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃねーよ。あーあ、開いちまったじゃないか」
Tシャツをめくると包帯が厳重に巻かれていて、確かに血がにじんでいた。
じわり、と目に滲むものがあって テイト はそれを強引に拭った。
「無事……だったのか」
「ほっとしてんな、歩けるならティアス呼んで来てくれ」
「ティアス?」
半眼になって言うヒューに聞き返す。あぁ、と答えてドアの方を指差した。
「俺、お前らに置いてかれたんだけどティアスが来て怪我を治してくれたんだよ。ティアスは癒し系エルブレスの使い手だからな」
「置いてったって……全然覚えてない……!」
「そこらへんは俺も知らないから、シンたちに聞けよ」
言われたとおりに部屋を出る。どうやら宿のようだった。隣の部屋をノックした。
「はい」
扉が開いて、出てきたのは他ならないティアスだった。
「あ、 テイト 君、目が覚めたんだ? ……動いても大丈夫なの?」
「あぁ、オレは平気なんだけど……ヒューのやつが傷が開いたって言うから」
「傷が開いた? ……何したの?」
「いや、その……」
「 テイト !」
まさか殴ったとは言えずに テイト は口ごもる。その後ろからシンの声がした。紙袋を抱えたシンは テイト の姿を見るなり駆け寄って来た。
「大丈夫? どこも悪くない? 動いても平気なの?」
「二人して大げさだな。なんともないよ」
「大げさって……三日も目を覚まさなかったんだよ。それくらい心配はするよ」
「三日!?」
自分の方が驚いた。時間の流れは当然、感じられてなかった。そうだ、あの時どうなったのか聞かないと。
ティアスとシンも一緒に隣の部屋に移動する。どうせ話をするなら知らない人間がまとめて聞けるほうがいいだろう。ティアスが治癒術を施している間に、 テイト はシンに尋ねた。
「シン、ヒューが刺されてから何があったんだ? オレは覚えてないんだ」
「……」
「?」
押し黙ったシンの表情が少し曇った。それでもシンは話すことを選んでくれたらしい。ヒューとティアスを見ながら話し始めた。
「ラグエルの秘石が発動したよ。ハウルたちは退いていった。ランバートが察知して私たちも退かざるを得なかった。ヒューを残して」
「そうか、また、オレ……」
「でもそれで、私たち助かったんだよ。ランバートも今は出かけてるけど、無事」
シンが少し笑顔を見せてくれた。なんだか久しぶりに見た気がした。最後に見たのが、戦いの中での姿だったからかもしれない。少し、ほっとした。
「その後、置いていかれた俺はティアスに拾われてここにいる。詰まるところはそれだけの話なんだが」
「……そっか、それだけか……」
全員無事だった。それ以上のことはない。 テイト の中で、絡まりそうだった糸がほどけるような、そんな気分だった。
「はい、終わり。まだ、ふさがってるとこ浅いから、今日は動かないでね」
「おー」
施術が終わって、ヒューはベッドサイドにおいてあった司祭の帽子を片手にくるくると回して弄んでいる。
「 テイト 、お前に話しておかなければならないことがある」
……急に真顔になったが、帽子を回したままでは全く緊迫感がない。
「なんだよ」
「実はな」
部屋が一瞬静まり返った。
「俺はエウロスになった」
「は?」
「だから、エウロスになったんだよ」
「何言ってんだ」
「だ・か・ら」
「頭でも打ったのか。それとも熱でもあるのか?」
繰り返そうとした言葉をさえぎってずいっと近づくとヒューは盛大にため息をついた。シンとティアスを見る。何も言わなかった。
「嘘だろ?」
「本当みたい。……ランバートが認めたから」
「…………」
「なんだよ、その目は」
どんな目をしていたのかは自分では良くわからない。ただ、俄かには信じられなかった。いきなり、このヒューがエウロスだといわれても。
「『なった』ってどういうことだよ」
「それは……」
「死にかけたところ、エウロスが現れたんだよ。俺に継承しろってな。神に愛されし司祭であることは証明されたってわけだ」
そしていつものように テイト の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「エウロスになっても何も変わってねーじゃないか」
「いままで培われたもんがそう簡単に変わるわけないだろ」
そのままであるらしいことに安心する。
自分を取り巻く空気は何一つないと、その時 テイト は信じていた。
「でもお前がエウロスってことは、グラキエース家にいかなくても済むってことか?」
「それなんだけどな。……一度教会へ戻りたいんだが、いいか?」
「かまわないけど、なんだよ」
「エウロスを『継承』するんだ」
それについてはシンたちも聞いていなかったのか、首をかしげた。
「これは俺がエウロスになってわかったことなんだが、どうやら記憶はその代限りのようなんだ。歴代の記憶は、記憶の地(レコーダー)に刻まれ、そこで知ることが出来る。俺はエウロスを継ぐためにそれを見なければならない」
「それが教会にあるのか?」
「そう。第三大陸(トレース)の中央教会はもともと、エウロスを信奉する教会だった。そこにエウロスの記憶が眠っている」
「だったら行こう。……他のことも何かわかるかもしれないし。それに」
それは喜ばしい可能性だった。
「ヒューがエウロスの力を使えるようになれば、シンの記憶も戻るんだろ?」
「……」
「どうしたんだ、シン」
「そっか。そういうことか。全然気づかなかった」
自分の可能性については失念していたらしい。なぜ、三日もあって気づかなかったのか謎だ。
「まぁ、できることを願うばかりだな」
そして、翌日には出立だ。イーグルを使って第三大陸(トレース)に戻る。ヒューは服を駄目にしたので帽子以外は普通の服を着ている。とても新鮮な姿だが……
「お前、それ、おかしいぞ?」
「せっかくシンが拾ってくれたからな」
冗談にしか見えない。今日はティアスがヒューの後ろに乗っていて、帽子を両手で取った。
まぁ、ポケットに入るものでもないから両手がふさがっている間は持てなかったということだろう。
聖域に再び入る。教会の上空は結界が張ってあったが、なんなく解除してイーグルを中庭に降ろした。
「おかえり、 テイト 君。それにみんな」
迎えたのはミストだった。
にこりとしてシンを見る。ゆっくりシンと会うのは初めてだ。先は急がず、ミストの歩調で教会の中を歩く。
「無茶したみたいだね。ヒュー」
「ん? あぁ、まぁな」
「何にしても、また会えてよかったよ」
「ミストさん、ヒューに何があったのか知ってるんですか?」
ミストにはここに来てから何も話していない。しかし、彼は既にヒューがエウロスであることを知っているようだった。現に今向かっているのは「記憶の地(レコーダー)」への扉があるといわれる場所だ。
「そうだね。ティアスが予見していたから」
あぁ、それでティアスは単身、第六大陸(ゼクス)へ渡ってきたのか。意外と無茶をする。
記憶の地(レコーダー)への扉は、大聖堂の地下だった。床に描かれた紋章、それ自体が法陣になっているらしい。そこから進めるのはヒューだけであるらしかった。
「待ってろ。すぐに継承してくるからな」
無人の地下室に光が満ち、ヒューは姿を消した。
「……本当に、あいつ、エウロスなんだ」
「僕には、わかる気もするけどね」
「そうですか?」
戻ってくるまで、部屋にいようといわれたが、 テイト はシンと上の大聖堂に残った。
二人で、聖堂の椅子に腰をかける。
「 テイト はここで過ごしてたんだ。……なんだか、空気が澄んでる場所だね」
「あぁ……そうだ、ミストさんが管理してる庭があるんだ。あとで案内してやるよ」
「庭?」
「 ミカゲ にも案内したんだ。シンも気に入る花があるといいな」
「 ミカゲ は何か気に入った花があったの?」
ローダンセ。そういえば部屋においてきたあの花はもう枯れて捨てられてしまったろうか。ふと、それを寂しく思ったがシンに教えた。
「へぇ~ ミカゲ が花に興味持つとか思わなかった」
「いや、多分ティアスが持ってた花だったからそう言ったんじゃないか?」
「なるほどね」
こんな会話を聞いたら ミカゲ はなんというんだろうか。否定するその声が聞こえた気がした。
そんなふうに、笑いあいながら話していると、時間は早くすぎていく。法陣が光りヒューが戻ってきた頃までそんなに待ったという気はしなかった。
「ヒュー」
「…………」
二人で迎えると、ヒューはなぜからしからぬ表情で二人を見た。なんだか、少し変わって見えて テイト は不安を覚える。
「ヒュー?」
「あぁ、悪い。急にたくさんのものを見たから、疲れちまってな。待っててくれたのか」
「待ってろって言ったの、そっちだろっ」
いつもどおりがしがしと撫でられてその手の下から見上げる。いつものヒューだ。
「 テイト 、お前の記憶戻してやるよ。……ミストたちのところへ行こう」
記憶が戻る。おそらく、温かいものだけではないだろう。すべてを知った時、ぐらついたりはしないだろうか。覚悟が必要な気がする。少しだけ戸惑いを覚えながらヒューについて歩いた。
部屋に入る。ミストの入れた甘いハーブティーの香りがした。そして、ふと壁際に飾られた花を見る。
「これ……」
「あ、それ テイト 君が置いていった花だよ」
まさか。枯れもしないで残っているなんて、触れようとして気づいた。ドライフラワーだ。
「ひょっとしてこれがローダンセ? ……ほんとだ、きれいな色」
「その花、ドライフラワーにしても色が変わらないんだよ。珍しいでしょ」
あぁ、だからなのか。「変わらない友情」。花言葉を思い出す。
そうだ、 ミカゲ のためにも前へ進まなければ。覚悟することに、不安なんて必要ないのだと テイト は気持ちを決めた。
「これから テイト の深層心理にアクセスする。心の準備はいいか?」
「あぁ」
手袋をはずし、ヒューの手が額にかざされる。その手のひらに光が宿った。
瞳を閉じると断片的だった記憶が、次第につながり始めた。それは鮮明で……
ファーレンダー家は平和だった。王国から派遣された騎士たちもよく自分を可愛がってくれ、笑顔と優しさに満ち溢れた邸だった。
しかし、それも帝国の侵攻と共に崩れ去った。神々の家(セラフィム)はいずれかの国に加担しない限り不可侵であったが、ファーレンダーはノトスの名にかけて、正しいと信じた王国への援助を惜しまなかった。
城が落ちたと知らせが入ったその日、ファーレンダー家に訪れたのは、まだ年若いエディフィスの王子。彼は王室に伝わる秘石の継承者だった。自分が殺されるだろうことを知って、ファーレンダー家にラグエルの秘石を託した。
やがて、帝国は秘石のありかを辿って、ファーレンダー家にやってきた。 テイト の父は、自分の行く末を悟り、幼いわが子の身の内に秘石を隠した。起こったのは「共振」。適合するための現象だった。それは過酷な痛みを伴い、 テイト の記憶はそこで消えた。そして、すべての記憶が消えた テイト は帝国に拾われ、飼われることになった。
これが、繋がった記憶だった。
「………… テイト 君?」
優しい記憶も、痛みの記憶も、身の内に帰って来た。それは十分耐えうるものだった。
ただ、ひとつの事実を除き。
「オレは、ラグエルの秘石の正当な継承者じゃない」
「え?」
「オレの中に制御するための記憶はなかった。本来の継承者に返すまで、護るためにオレに預けられたんだ……」
今の自分と同じか、それより幼いエディフィスの王子の面影がはっきりと思い浮かぶ。
怜悧な眼差し。それには確かに見覚えがあった。
「ラグエルの秘石は、返さないと」
「誰に?」
「ルアス……いや、ルディアス王子だ」
間違いない。今ならルアスの自分に寄せた視線の意味が理解できた。王子は空賊に身を寄せ、生き延びていた。失われた神の瞳を捜しながら。
「ランバート、お前……知ってたんだな?」
「確かにルアスはエディフィスの王子だ。正当な瞳の継承者。だが、秘石を持っているお前を見たときに、そのままにしておくことを決めた。だから俺は何も言わなかった」
「どうしてだ、どうしてオレに持たせておくんだ」
「さぁ、それはルディアスにしかわからないことだ。神の瞳の主がそう決めたんだ。お前を瞳に護らせると」
自分を瞳に護らせる。自分がラグエルを護る、ではなく?
言葉の違いは テイト の胸に小さなかけらとなって留まった。
「それでも、返さないと。オレが持っていても、意味がないものなんだ」
「いいのか? それを使って ミカゲ の仇を討つんじゃなかったのか」
「ヒュー!?」
ミストがいさめるようにその名を呼んだ。
「……仇は討ちたい。でも、自分のものではない兵器を利用して破壊することは、帝国のしていることとどれだけ違いがあるのか、わからない」
使命と感情の間で気持ちがぶれる。エンデといつか決着はつけるべきだ。でも、それとこれとは別問題なのだ。自分に与えられた、繋げられた命と使命を知り、 テイト が今、できる決断はそれしかなかった。
「お前がそういうなら、そうするといいだろう。リンドブルムには俺から連絡を入れる」
「ありがとう、ランバート」
それが終わったら ミカゲ ……きっと決着はつけるから。少しだけ、待っていて欲しい。
「ヒュー、知っていたら教えて欲しい。どうして、帝国はエディフィスを攻めたんだ」
「きっかけはエクライザーの消失だ」
「エクライザー?」
最後まで抵抗を決めたファーレンダー家。戦争が始まった理由はまだ知らない。それは幼い テイト の記憶にはなかったことだ。知識として知っておくべきだろう。 テイト は尋ねた。
「エクライザーは神の瞳の兵器としての力を無効化する力がある。元々聖域にあったものだ。だが、十二年前にエクライザーは消えた。エディフィスの先代の王は兼ねてから無効化を訴えていてな。それはエディフィスの仕業だった。故に帝国は義を持って兵器を独占しようとするエディフィスを滅ぼした。これが帝国の歴史書に書かれた史実だ」
「真実は……お前でもわからないのか」
「エウロスの記憶にはエクライザーのことは記されていなかった。結局、今も発見されずにいるというのが俺が知っている史実だな」
「史実……」
それは信用できない。真実は結局は、自分の目で見るしかないのだ。やはりルディアスに会うべきだ。 テイト は心に決めた。
「わかった。ありがとう。……それで、ヒュー。もし、余力があるなら」
テイト はシンを見る。今度は、シンの番だ。失っている記憶が、優しい記憶であるといいのだが。しかし、ヒューは静かに首を振った。
「どうして!」
「駄目なんだ。シンの記憶には封印がかかってる。先代のエウロスが絡んでる。俺には手が出せない」
「エウロスが……?」
それ以上は言えないのだろう。ヒューは口を閉ざす。
「いいよ、 テイト 」
「シン?」
「なんとなく、そんな気はしてたんだ」
なぜか、シンはそういって小さく微笑った。
「前に言ったでしょう? グラキエース家の当主が記憶に関する力を持ってる。でも、時と場合によって救える人と救えない人がいる。……私の今の家族はね、グラキエース家の人たちなんだ」
「!」
聖別されたアミュレット、戻らない記憶、それは確かにその可能性を示唆していたかもしれない。シンはその可能性を続ける。
「当主は一度も私の記憶を戻そうと試みたことはない。一緒に暮らしていながら、自分の子供にせがまれても、無理だって一点張りだった。だとしたら、私の記憶は意図的にその人か、それ以上の人に封じられてるんじゃないかって思うでしょ?」
いつから悟っていたのか。シンの声音は乱れなかった。
「すまない」
「謝らなくてもいいよ」
「けどな、シン。これだけは伝えておく。その封印はお前を護るためのものだ。いつか俺が解いてやる」
「うん。楽しみにしてるよ」
フェアではない気がする。自分の記憶だけが戻るなんて。それでもシンは笑顔だった。