13 .喪失
――深層意識にアクセス
――認証
――共振開始します
――共振率二十パーセント……二十五、三十、三十三、三十九……
何かのカウントが始まっている。シンはそれを脳の片隅で聞いた。
目を覚ますと、そこは見慣れない部屋だった。置かれた観葉植物、白いカーテン、ベージュの壁、落ち着いた配色だ。ただ、自分の体は何本かの管につながれなんとなく病人らしき気分だった。
「……気が付いた? 気分はどうかな。シン君」
いつからそこにいたのだろう。眼鏡をかけた男性に覗きこまれた。誰だろう。見覚えはなかった。その後ろには、もう一人、軍服の男性が控えるように立ってこちらを見ていた。
「あの……あなたは?」
上体を起こして、向き直る。その視線を受けて男性はなぜか目の前で上下に掌をこちらに向けてひらひらと振った。
「?」
「覚えてないの?」
「……はい」
今のは目が見えているかどうか、あるいは意識がここにあるかないかの確認方法だろう。記憶とは関係ない動きであった気がするが。背後に控えていた青年が呆れたようにため息をついたのが見えた。
「じゃあこっちは? ミカゲ 君だよ」
溜息をついた直後にがっと肩を掴まれ前に出される。 ミカゲ と呼ばれた青年の眉が寄った。
ミカゲ ……自分の友人と同じ名前。顔も似ている。でも、違う人だ。
シンは黙って首を振る。
「……じゃあ、エンデ中将は? グラスは?」
「……聞いたことはあるような……」
「……打ち所が悪かったかな。なんか君、記憶が飛んでるみたいだけど。……どこら辺まで覚えてる? まさか全部じゃないよね」
言われて、シンは記憶をたどる。直近の記憶はと言えばーー
「卒業式?」
「ちょ、そこから? ベグライターは? ブラックフェンリルは?」
「……空軍のブラックフェンリルですか?」
「そう、それ」
「それが何か?」
駄目だ、これは。男はがくりとこうべを垂れた。
「……ここはそのブラックフェンリルだ。お前は、エンデ中将のベグライター」
ミカゲ と呼ばれた青年が初めて口を開く。なんとなく事務的だ。
「……ちょっと待ってください。私はザイフォンを使えないんですよ? ただの空軍課程卒業者がベグライターとか」
「君は初陣でそのザイフォンを操って見せた。……その姿に惚れ込んだ中将がベグライターに引きぬいた、ってわけ」
「誰が惚れ込んだだ。適当なことを教えるな」
開け放たれたままの扉の向こうから、銀の髪の青年が現われる。赤い……口調の割に感情のないその瞳が印象的だった。
「シン=ベルクラント。お前は私のベグライターだ。……ここに来てからの記憶はなくても学校で培った経験で仕事は出来るだろう。早々の復帰を期待する」
暖かな言葉。……と取っていいのか疑問だが、期待はされているらしい。早々にエンデが去って、しばらくすると少年が走って来てベッドにどさりと勢い良く乗ってきた。
「シン、記憶喪失なんだって? それって楽しい?」
「楽しいわけないでしょう」
ひょいと両脇を抱えて引き離す。眼鏡の男性はハウルと名乗った。ハウルに降ろされてまた、乗ってきそうな勢いで少年はシンとの距離を詰めた。
「ボクはグラス。少佐だから君の上官だよー」
「グラス少佐ですか」
「君の世話は、 ミカゲ 君に頼むことにしましょう。 ミカゲ 君は私のベグライターなんです。……ベグライター同士仲良くしてくださいね」
「またねー」
ハウルとグラスは去って行った。
「あの……」
「…………」
腕を組んだまま、物思いにふけっているのかそれとも単に無視されているのか、表情のない ミカゲ の横顔からはわからない。
「 ミカゲ さん?」
「…………」
やりづらい。
「この点滴、邪魔なんですけどひっこ抜いてもいいですか」
「いいわけないだろうが」
意外と良心的なつっこみが返ってきた。
「私、どうして記憶がなくなったんでしょう」
「任務中に頭でも打ったんじゃないか?」
「そんなベタな理由ですか」
「オレは知らん」
答えることを放棄されてしまった。この人、世話とかしてくれるんだろうか。まぁ本来の仕事もあるだろうから、お荷物になってしまわないように気をつけなければ。
「仕事、戻ってくれていいですよ。どうせこの点滴が取れるまで待機でしょう?」
「今の仕事はお前を見張ることだ」
「見張るんですか」
「あぁ」
「…………何か、問題でもありました?」
意味深な言葉まわしをされて訊き返さざるを得ない。……悪戯とかしても許される部隊なんだろうか。方向性のずれた方での「問題」を考えてしまうシン。
ミカゲ はシンをじっとみつめた。
「お前の存在自体が問題だ」
どういう意味だ。
「見張られるような問題児ってことですか」
「そういうことだ」
ひょっとして、ここに入るなり私は全開だったのだろうか。猫を被ることは慣れているはずだが。今、どこまで地で行っていいのか本気で悩むシン。……結論。とりあえず、様子が分かるまでおとなしくしていよう。
「本当に……何も覚えてないのか」
「はい」
今度は珍しく向こうから話しかけてくる。即答すると ミカゲ は瞳を伏せた。
「私、 ミカゲ さんにはどんな態度を取ってたんですか」
「 ミカゲ でいい。お前は……そうだな……」
なぜか考え込んでいる。
「…………」
「なんで考え込むんですか」
「別に。好きにしたらいい」
「好きにといわれても……」
ミカゲ に似ている横顔。仲良くなれたらいいとは思った。この態度では仲良くなれていたのか、疑問だが。
「私、 ミカゲ に友人の話したことありました?」
「ない」
即答。……配属された時にまっさきに話していてもよさそうだが、本当にどんな関係だったんだ一体。思いつつ、いい話題であるとなんとなく嬉しくなった。
「 ミカゲ は、私の友人に良く似てます。年は多分違うけど、なんとなく面影があるって言うか」
「 ミカゲ =ラスヴェートのことだろう?」
「知ってるんですか」
「同じ名前だと言うことくらいはな」
ずっと立ちっぱなしだった ミカゲ はベッドサイドにおかれたイスにようやく腰をかけた。
「……立ち居振る舞いも性格も全然似てないようですが」
「そこまで似ていたら気持悪いだろ」
表情が少しだけ動いた。初めて感情を出してくれた気がする。笑顔の方向性ではなかったが。
「 ミカゲ はすごく表情豊かでしたよ。……こっちの ミカゲ は笑わないんですか」
「……今、笑う必要はないだろ」
「必要性が出たら笑ってくれるって、それって結構笑えません?」
「…………」
一瞬驚いたような顔をした後、 ミカゲ はふっと、口元をほころばせた。かと思ったのだが。
「減らず口を叩くのは、この口か?」
半眼になって頬を抓られる。
「痛いです、 ミカゲ さん」
なぜ怒られるのか、わからない。
ミカゲ はすぐに手を離すとふいっと横を向いた。もう表情は消えている。
「あの、エンデ中将もあんまり感情的っぽい人じゃなさそうですけどあんまり笑わないんですか」
「にこやかに笑っているところを想像してみろ。気味が悪い」
いや、あなたハウル氏のベグライターですよね。更なる上官に向かって結構な口のきき方だ。
「ハウルさんとグラス少佐はあんなに表情豊かなのに……軍人として珍しいくらい」
「ここは特殊なところだからな。そう思って臨んだ方がいいぞ」
両腕を組んで瞳を閉じる。それ以上、あまり話す気はなさそうだ。
そういえば、自分は軍人なのだ。戦地に赴けば限りない生死が待ち受けている。
なぜだろう。その事実に、違和感を覚えた。
「ベグライターってお茶とかも入れるんですか。……ってそんなわけないか」
点滴が外れて自室へ案内される傍らで、 ミカゲ は答えを待たずに自答したシンに呆れたのか溜息をついた。
「そう思う根拠は、何かあるのか?」
「 ミカゲ が、ハウルさんにお茶入れてるところとか想像できなかったから」
自分を引き合いに出されて更に ミカゲ の表情が微妙なものになる。彼は黙って沈痛な面持ちで額を抑えた。
「大丈夫ですか?」
「お前はオレの想像の斜め上を行く発言をするな」
「それはどうも」
フォーマルハウト要塞の中を歩いて行く。新人の部屋は共同のはずだが、シンの部屋には自分だけのようだった。ベッドはあるがルームメイトはいない。
卒業から、数か月……の割に、荷物はなぜかほとんどなかった。まぁ常に移動を繰り返す空軍に所属しているなら当たり前なのだろう。着替えだけはきちんと揃っている。
「明日からブラックフェンリルでの仕事に復帰してもらう。朝五時に中将の執務室に来るんだ」
「早っ」
「中将はお忙しい方だからな。夜も遅いぞ」
「……だから私、平軍人で良かったのに……」
我ながら志が低いと思いつつ。
「シン!」
「あ、ウィス」
同じく彼もフォーマルハウト要塞に配属されていたらしい。駆け寄って来ていきなり肩を掴まれた。
「無事だったんだな!? 何もされなかったのか!」
「何もって何が?」
訳が分からず問い返すとウィスの手が緩まる。驚きに見開かれた目は、少し険しくなって隣にいた ミカゲ に注がれた。
「ウィス=グラキエースか。……どうかしたか?」
何事もなく ミカゲ も言った。ウィスは何か言いかけたが飲みこむように口を閉ざした。それから、シンを見る。
「体は? 大丈夫なのか」
「なんともないよ」
「そうか……なら、いい」
肩から手を離し、視線そらす。様子が少しおかしい。名前を呼びかけたところでシンは ミカゲ に呼ばれた。
「次に行くぞ」
「はい。じゃあまたね、ウィス」
「あぁ、また」
「今のが噂のグラキエース家の嫡男か」
フォーマルハウトの中を案内しながら、 ミカゲ が聞いてきた。
「お前の家族なんだな?」
「そう……私が空軍に志願したら、同時期にウィスも空軍に志願しててグラキエース家は混乱に陥ったことがあります」
「まぁ……次期当主が軍人になるなど前代未聞だろう。お前の志願書も見た。『帝国の為に』と書いてあったな」
「建前です。一番受かりそうな理由を書いただけ」
何が求められているのか、把握すればそれだけ門戸は広くなる。もし志願書がアビスの目にとまっているならばその理由にさぞかし感激したことだろう。
「本当の志願理由は何だ?」
「大事な人を守りたい、かな。当初は家族だったけど、今は友達とかも」
「 ミカゲ のことか」
「守るっていうより、一緒に戦っていけたらいいなぁと」
「…………」
そういえば今頃、どうしているだろうか。あとで情報センターに行ってみよう。思いながらシンは尋ねる。
「こっちの ミカゲ の志願理由はなんだったんですか?」
「理由なんかない。ただ自分の利点を生かしていたら、引きぬかれただけだ」
「それでよく面接通りましたね。化かし合いの世界なのに」
よほど正直なのだろう。逆にそれが良かったのかもしれない。あるいは、群を抜いて利用価値があるからかのどちらか。本当の実力の持ち主なら見出されても当然だろう。
「化かし合いの世界、か。そうかもしれないな」
ミカゲ は足を止めて、一面ガラス張りの回廊から下界を見下ろす。帝都ははるかまで広がって見えた。