15 .侵略の残したもの
おそらくエンデが自分を傍においているのはアズラエルの秘石を持っているからであろう。しかし、ベグライターとしての役割に変わりがあるわけではなく。
めまぐるしい日々がまたはじまる。割と任務地までの往復はのんきだったがフォーマルハウトに戻ってくると時間は倍速だった。
「つ、疲れた……」
「大丈夫~? シン、ふらふらしてるよ」
思わず廊下の壁に寄りかかっているとグラスが声をかけてくる。
「大丈夫です」
「寄りかかったままだと全然説得力ないですよ」
ハウルもやってきた。
「シンはがんばっていることですし、休暇でも取ったらどうですか?」
「エンデ中将に殺されそうですが」
「今日の午後はずっと会議だからいなくでも大丈夫ですよ。休暇願い出しておきますね」
いつになく親切だ。甘えることにする。
そういえば、記憶する限り休暇なんてはじめてだ。どこへ行くかはすぐに決まった。まだ行ったことのない中央資料室だ。……図書館の代用に何か面白いものがあればいいと思うのは甘いかもしれないが、近いので行ってみることにする。入り口はパス制になっていて、ベグライターとしての身分証を差し込むと扉は開いた。意外と便利な身分である。
資料室は、閲覧スペースがあって、先客がいた。ここに入ってくるのだからどこかの司書かそれなりの位の人間なのだろうが、数千人が働くこの要塞でいちいち挨拶などしていられないので通り過ぎる。
「あれ? ……シンじゃないか?」
しかし、先客はシンのことを知っていたらしい。名を呼ばれて振り返る。
アイスブルーの髪の青年だ。見覚えはなかった。
「確かに私はシンですが……どこかで会いましたか?」
「ほら、エムスだよ。ジングルの町で」
「ジングルの町? ……行ったことないですけど」
え?
二人同時に首をかしげた。
「いや、同じシンだよな。どう見ても」
じーっと青年はシンを見つめた。
「あー…… ここ数ヶ月の記憶が飛んでるのでその間に会ったんですかね?」
「記憶が飛んでる?」
「でも、遠征以外でフォーマルハウトから出たことないはずだし」
はて。
再び二人して首をかしげる。
その時、柱時計が二度、鳴った。意外とアナログなものがあるものだ。
「あっ、しまった。戻らないと」
エムスはあわただしく読んでいた資料を戻して資料室の出口に向かう。
だが、ふと振り向いて聞いてきた。
「シン、今の所属は?」
「ブラックフェンリルでエンデ中将のベグライターやってます」
「わかった。じゃあ、またな」
「はい、また。……?」
思わず手を振りかえしてから疑問符を浮かべる。なんだったのだろう。
適当に資料を読んで、時間をつぶして部屋に戻る。途中でちょうど会議から帰ってきたらしいエンデに会った。
「お疲れ様です」
「休暇は楽しめたか」
「まぁそれなりに」
「次の遠征地が決まりましたよ」
帰ってきたばかりなのに、また、忙しいことだ。ハウルはにこにことしながら顔を寄せてきた。
「第五大陸(ファイフ)です。といっても今度は南のほうですけど」
「何があるんですか?」
「 テイト =クラインの消息が掴めましてね。空賊リンドブルムと落ち合うようですよ。どちらも帝国への反逆者。制裁を加えなくては、ね」
「 テイト ……」
どこかで聞いたことがある気がする名前だ。頭痛がしてきた。
「どうかしたのか」
「いえ、聞いたことがある名前だと」
「 テイト はお前の友人の ミカゲ を殺した人間だ。お前も、知っていたはずだぞ」
「 ミカゲ を…… ミカゲ が、死んだ!?」
ハウルの後ろで ミカゲ の瞳がすっと細くなる。シンはエンデを振り仰いだ。
「確かにデータベースに ミカゲ の名前は消えていたけれど……!」
「 テイト =クラインが殺したのだ。脱走した五日後のことだ。 ミカゲ =ラスヴェートは試験にパスしていたが入隊を迎える前に死んだ」
「そんな……」
胸がざわつく。 ミカゲ が死んでいた。それ以上に、何か、その名前を聞いて予感のようなものを抱いた。それが何なのかはわからない。けれど。
「お前には、 ミカゲ の仇を討つ機会を与えよう。第五大陸(ファイフ)で、 テイト を討て」
「……あれ、いいの? 前はお持ち帰りじゃなかったっけ」
「アズラエルの操者が現れたのだ。秘石を扱う者は二人は要らない。ラグエルの秘石だけを奪還すればいい」
「なーんだ、そういうこと」
グラスが無邪気に笑った。
「シン、 テイト はラグエルの秘石の所持者です。だが、彼は秘石の制御が出来ない。あなたは……できますね?」
「……やってみます」
その答えにハウルもエンデも満足そうな笑みを浮かべた。
第五大陸(ファイフ)の南西にはゼフィロスの系譜であるアルブム家があると言う。戦争は城からファーレンダー家にかけての北方で起こったために巻き込まれることなく残っているが、世継もなく今は沈黙を守っているだけだと言った。
本来、神々の家(セラフィム)は戦争には介入しない。教皇を選出する聖なる系譜として中立と誠を貫く立場である。ファーレンダー家が帝国に滅ぼされたのは、王国に加担したからだ。歴史が語る義は帝国にあった。エディフィスの語る義はどこにあるのだろう。
その日、 テイト はルディアスと再会した。
「ルディアス王子、預かっていたものを返しに来ました」
テイト はまっすぐにルディアスと向き合った。今ならばわかる。自分はこの人に、会ったことがある。それはファーレンダー家が滅んだあの日だけではない。城で、何度か会った。彼には幼い妹もいたはずだった。
「 テイト =ファーレンダー。本当にいいのか?」
「どういう意味ですか?」
「今、この秘石が必要なのは『私』ではなく、お前ではないかと思った。だから以前、会った時、オレはそのまま行かせた」
「……」
確かに必要ないかと言われれば「ある」だろう。けれど、自分の使命は本来の継承者に出会うまで、秘石を守りぬくことだったはずだ。だとすれば、今がそれを終える時だ。
「ファーレンダー家に託された使命を果たさせてください」
「そうか……」
ルディアスが テイト の胸元に手を伸ばす。呼応するように何かが頭の中で鳴った。ずずっと痛みもなく テイト の中から何かが現われる。それは青い宝玉だった。宝玉はルディアスの手の中で静かな光を放っている。
「確かに返してもらった。……今まで守りぬいてくれたことをノトスの系譜に感謝する」
肩の荷が、急に軽くなったようなほっとしたような、それでいてなぜか不安感を覚える テイト 。急に脱力感が襲ってきて テイト はソファに腰を沈めた。
「 テイト 、聞きたいことがあったんじゃないか」
ヒューに言われて顔を上げる。まだ、話は終わっていない。ルディアスもまた、正面のソファに腰をかけて テイト の問いを待っているようだった。
「ルディアス王子、エディフィス戦争の時、何があったんですか。帝国では帝国に残っている史実しかわからなかった。でも、オレは真実を知っておきたい」
「…… テイト 、正義は振りかざす側にある。王国の義は間違いなくあったと、私は今でも信じている」
そう前置きをしてルディアスは話し始めた。
「エクライザーは知っているか?」
「はい、二つの神の瞳を無力化するものだと」
「そう、帝国と王国は長い間協定を守り、互いにふたつの瞳を守ってきた。真に平和であった時代も、牽制し合っていた時代もある。その均衡は神の瞳がともに兵器にもなりうる存在だったからだ」
平和な時代には、守りの力として、不穏な時代には兵器として使うことのできる神の瞳。その本来の存在理由を超えて人はそれを利用しようとして来たに違いない。
ルディアスの声は静かだった。
「かつて協定が結ばれる前には現実に、神の瞳が互いの国への攻撃の道具として用いられたこともあった。私の父、エディフィスの王は歴史が繰り返されることを懸念し、神の瞳の兵器としての力を封じるべきだと主張していた」
当然それはエディフィス王家にとってもリスクであったろう。それを押して力を手離そうとする勇気に テイト は心をわしづかみにされたようだった。
「しかし、帝国はそれに応じずにある時、エクライザーは聖域から消えた。それを理由に帝国は王国を糾弾した。我々はエクライザーの行方などは知らなかった。その答えは帝国に侵略を許す結果になった」
「エクライザー消失には、エディフィスは関与していなかったんですね? なのに戦争なんて……」
「侵略の理由など、帝国にとってはどうでもよかったんだ。そして帝国は粛清を自らの義としてラグエルの秘石を手中におさめようとした。その義が正しくないと知る我々には意図は見えていた。ラグエルの秘石を渡すわけにはいかなかった。陥落する城から落ちのびた私は、いずれ自分が帝国に捕えられるだろうことを悟り、ファーレンダー家にラグエルの秘石を託した。……結果として、ファーレンダー家が滅びてしまったことには、申し開きのしようもない」
責めるべきはこの人ではない。帝国だ。エンデの冷たい笑みが脳裏によぎった。ルディアスに許しの言葉をかけ、 テイト は聞いた。
「その後は……王子はどうされたんですか」
「私を守る数々の人々の命と引き換えに、いくつかの町を逃げ延びた。南の果てで、リンドブルムの先代統領に拾われ、今もこうして生き延びている。……そういえば、もう一人のお前はどうした」
もう一人の自分。なぜルディアスがそう言ったのかはわからなかった。鼓動が大きくひとつ打った。
「シンは、帝国に捕えられました」
「帝国に……!?」
ルディアスの瞳が大きく見開かれる。揺れなかった感情が大きく揺さぶられているのがわかった。違和感を覚え テイト は眉を寄せる。
「王子……?」
「彼女は……オレの記憶が正しければ、ゼフィロスの血に連なる者だ」
「!」
シンの過去を知っている人間がいる。 テイト はソファから跳ね上がるようにテーブルに手を付いた。
「シンを……シンの過去を知ってるんですか!」
「戦争が起こったあの日、彼女は王都に来ていたんだよ。アルブム家の者はすぐに避難させたが彼女だけはみつからなかった。その後、本当に偶然だったが、奴隷商人の手からオレが救い出し、一緒に逃げていたグラキエース家の人間に託した」
「なぜ、アルブム家に帰さなかったんですか」
疑問だった。記憶がなくなった時期は定かではない。だが、記憶があってもなくても、帰すべきではなかったのか。もし、戻っていたならシンは今頃は戦う方法など知らずに暮らしていたかもしれない。
テイト の心に非難じみたものが浮かび、それは言葉となった。ルディアスは瞳を伏せる。
「そんな時間はなかった。長く一緒にいれば巻き込んでしまう。それに……アルブム家があるのは王国領だ。ファーレンダー家の二の舞にならないとは限らない」
自分の軌跡をたどられれば尚更だったのだろう。
「それに、彼女は……」
重ねて言ったその時だった。ふいに胸を押さえてルディアスが深く俯いた。苦しそうな表情を見せ、呟いた。
「……っ来る」
「大変です! 上空三ブロック西にブラックフェンリルが現われました!」
男が躊躇なくドアを開けて飛び込んできた。
「来やがったか……!」
テイト たちは表に走り出た。三ブロック先と言ったが、既にブラックフェンリルは上空まで来ていた。
高度を下げた旗艦のハッチに人影が見える。 テイト はそれをはっきりと見た。エンデ直属のあの三人、それにシンだった。
「待て! テイト !」
イーグルに飛び乗って機首を上空に向ける。ランバート、ヒューが慌ててそれを追う。
「あはっ向こうから来てくれたよ」
「知ってます? そういうの飛んで火にいる夏の虫って言うんですよ」
ミカゲ がハッチを蹴る。同時にグラスとハウルがイーグルに飛び乗った。一撃だけが繰り出され、 テイト はそれをザイフォンで弾く。 ミカゲ は軽やかに後方へ跳ぶとそこに滑り込んだハウルのイーグルに立った。
「お前たちの狙いはオレなんだろ、シンを返せ!」
「本人が帰りたいって言うなら返してもいいんですけどねぇ」
「寝言は寝てから言いやがれ!」
凝縮されたエルブレスがハウルに向かって放たれる。ランバートが拳をグラスに振り上げた。
「おっと、相手が違うでしょ」
エルブレスが ミカゲ の刀に一閃される。
ランバートの拳はグラスの前にふいに現れたザイフォン使いによってはじかれた。
「わぁ、シン。ボクのことも守ってくれるの!?」
「な……」
割って入ったのは帝国軍の軍服を纏ったシンだった。グラスのイーグルの上に立って、まっすぐにこちらを見ている。風がその長い裾をはためかせた。
「シン!」
とっ、とシンはグラスのイーグルを離れた。空中でランバートにザイフォンを放つ。それは爆裂し、その煙幕をかいくぐって、シンはランバートのイーグルに飛び乗った。一気に距離を詰められてランバートは素手で応戦する。
繰り出されるランバートの一撃。それをふわりと避けて蹴りを一発入れるとそのまま後方に跳ぶ。
「あ、フォロー忘れた」
グラスが悪びれもなく呟く。その足場はない。だが、シンは中空にぴたりと静止した。
その背に、黒い翼が生えていた。
「うわぁ、便利だねぇ」
「お前ら、まさかシンを……!」
「まさか。良く見てください。彼女はソウルイーターですか?」
ふっと動いた。次に狙ったのは、 テイト だった。
違う。ソウルイーターじゃない。近くにその顔を見る。深い闇色の瞳は、いつもの怜悧さを失ってはいなかった。
「シン、やめろ……!」
ヒューとランバートに ミカゲ とグラスが襲いかかる。ザイフォンを交えながら訴えるが、シンは退かなかった。
「手ぬるいぞ。殺れ」
ふいにエンデの声が脳裏に響いた。シンは再び後方に跳び、距離を取る。それを見た ミカゲ とグラスもふいに撤退した。
「あれは……やばいぜ」
「シン!」
中空に留まったシンの周りにいくつもの光球が浮かんだ。それは次の瞬間、無限の光源になり光のラインが空に走った。
「神の瞳だ!」
「!」
ヒューが巨大なシールドを張る。いともたやすくそれを突破し、光の奔流に巻き込まれるかと思われたその時、ふいに爆風だけが テイト の周りを後方へと抜けて行った。
「ルアスか……」
ランバートの声はどこかほっとしていた。片手をかざしたルディアスが、対峙するように中空にとどまっている。
その瞳は鋭くシンを見据えていた。
「ヒュー、神の瞳って……どういうことなんだ!」
「アズラエルの秘石だ。シンはそいつを使っている」
再びシンが手をかざす。光球の光度が増した。次の攻撃が来る……!
ガガガガッと激しい音ともに攻撃は再び弾かれたが大地に深い穴を穿つことになる。
「ラグエルの秘石が主を変えた……いや、あれは……」
ハウルがハッチに退避し、風を纏わせながら眼鏡を手で押さえた。
「本来の主。つまりルディアス王子ですね」
「えー、死んでなかったの?」
「あちらにも制御できる神の瞳があるとすると少し厄介ですよ」
シンの攻撃の手はやまない。本来、街一つを破壊できる力であるが、規模を小さく絞ることで起動スピードを上げているのだ。
防ぎながらルディアスの瞳が細く眇められた。攻撃に転じる。それを感じて、 テイト は叫んだ。
「ルディアス、やめてくれ!」
「母艦を狙う。隙を見てシンを奪回するんだ」
シールドを解く。同時に膨大な量のエルブレスが上空に集うのを テイト は見た。シンの攻撃がキャンセルされる。天に向かってその手が突きあげられた。刹那、降り注ぐ光。アズラエルのシールドが展開される。
「今だ、行け!」
ヒュー、ランバートとともにイーグルを駆る。
その前に ミカゲ とハウル、グラスが現われた。
「邪魔……するなぁ!!」
渾身の力で薙ぎ払う。ザイフォンは刃となってハウルに襲いかかる。
ミカゲ が再びイーグルを蹴り、接近したが構わずにすり抜けた。
もう手を伸ばせば届く距離だ。 テイト はとにかくシンを掴もうと手を伸ばす。
「!」
それを見たシンの目が大きく見開かれた。
「がはっ!」
もう一歩と言う所で横から突き出されたハウルの一撃が脇腹に当たって テイト はイーグルから放り出された。
「大丈夫か! テイト !」
ヒューが確保した。
(あのアミュレットは……、……っ!)
シンは確かにその時、見た。 テイト の袖から覗くエウロスのアミュレットを。
その途端、何かがフラッシュバックした。あるはずのない記憶がスライドのように断片的に脳裏に浮かんで、消える。
「……うっ……」
急激に襲う頭痛。頭を抱え、シンは呻いた。制御が利かなくなる。
「うあぁぁぁ!」
「いけません! 回収します!」
「させるかっ」
近づくイーグルに最大出力でエルブレスをお見舞いするヒュー。シンは自身を支えきれずに落下を開始している。
「シン!」
テイト はイーグルを蹴って、もう一度手を伸ばす。
届け……!
もう少しだった。グラスのイーグルが急接近している。渡すわけにはいかない。
そして、 テイト はその腕をつかんだ。
引き寄せ、迫る地面を見た。ランバートのイーグルが滑り込む。ドサリ、と落ちた。だが、それは テイト だけだった。落ちる黒翼の、影。
見上げる。そこに テイト は緋い瞳の悪魔を見た。
『この体は渡さぬよ』
「……な……」
翼が、散った。再び意識を失うシン。いや、今のはシンだったのだろうか。手を伸ばす。だが、その手にシンの体は落ちてはこなかった。
横から滑り込んだイーグルがさらっていったのだ。 ミカゲ だった。
「待て……!」
ブラックフェンリルは撤退を始めている。イーグルはあっというまに収艦されるとその影を消した。
跡には破壊の痕跡だけが、大地に残されていた。