16 .望み
それ以上、そこに留まる事も出来ずに テイト たちはリンドブルムと別れ、第三大陸(トレース)へと取って返した。ルディアスを連れて。アズラエルの秘石が動いた以上、隠れているわけは行かないとたっての願いだった。
「どういうことなんだ。シンは……シンは、あいつらに操られているのか?」
イーグルの上で呟く テイト 。ヒューは背中で返答をした。
「いや、あれはシンの意思だ。……あいつら、シンの記憶を操作して手なずけやがったんだ」
「記憶操作……なら! ヒューならシンを元に戻せるのか」
「あぁ、戻せる。大人しくシンが俺たちの所へ来てくれれば、だけどな」
「……」
取り戻せる。 ミカゲ のようにはさせない。 テイト は心に強く決める。教会の中庭にイーグルを下ろす。いつものようにミストとティアスが待っていた。 テイト たちが帰ることを見こしているのは、ティアスの力だろうか。
静かにイーグルが降り立つ。彼らの姿を見たティアスはだが、笑顔を消した。
「どうしました? ティアス」
「……あ」
その視線は少しだけおびえを伴ってルディアスを見ている。あとで思えば彼女の思い起こされた記憶は過酷なものだったのかもしれない。けれど彼女は自らルディアスに近づいた。
「にい、さま?」
「ユースティア……元気そうだ」
微笑むルディアス。ティアスははじかれたようにルディアスに抱きついた。
「兄様、兄様……!」
そのスミレ色の瞳から大粒の涙がこぼれおちた。
「ティアスが、ルディアス王子の妹?」
「先代エウロスは、逃亡する王子と出会った。幼かったティアスは危険を避けるため記憶を封じ、教会に預けられたのさ」
「お前……! 知ってたのか」
「エウロスになってからだ。そんなこと話しても仕方ないだろうが」
「それは……そうだけど」
ティアスも戦争の犠牲者だったのか……家族と再会を果たしたティアスを前に テイト は笑みをこぼした。せめてもの、救いだ。
「さぁ、中へ入って。何があったのか聞かせてよ?」
ミストがいつもの部屋へ先導する。もうすっかり見慣れた部屋の片隅ではローゼンタが窓から入ってくる風に小さく揺れていた。
「シンが、まさかアズラエルの秘石の適格者だなんて……」
「全ては決められていたことなのかもしれないな」
ヒューが静かにソファに身を沈ませる。『エウロス』は知っていたのだろうか。 テイト はその疑問をぶつけてみた。
「あぁ、先代はルディアスに会ったと言っただろ? その時にティアスがシンを見て『黒い翼』と言った」
予言の力を持っているティアス。その時見えたのはどんな翼だったのだろう。第五大陸(ファイフ)で見た、あの姿だったのだろうか。
「それが何を意味するのかはわからなかった。だが、先代はシンの安全を確保するために記憶を消してシンを守っていた。……帝国はやがて、それをかぎつけエウロスを人として殺した。それが、俺の見た最後の先代の記憶だ」
ルディアスの話と現在までのシンの軌跡がつながった。語れば芋づる式にシンの素性が、明らかになる。それで語れなかったのか。
ヒューは溜息とともに司祭の帽子を頭に乗せた。
「運命ってヤツがあるなら、これが運命なのかもな」
「そんなもの!」
テイト は険しい視線でヒューをにらむ。
「そんなもののいるかよ! そんなもののせいで ミカゲ が……たくさんの人が死んだって言うのか!」
「 テイト 君……」
「落ちつけよ。俺は運命が決まり切ったものだとはいってないぜ?」
「……!」
「人は、自らの手で道を切り開きます。その先にある願いや幸せを掴むために。 テイト 君は、今何を望んでいるんですか?」
ミストの声が血の上った頭を覚ましてくれた。いつだって彼の声は優しい。
「オレは、シンを取り戻したい」
「君に、ラグエルの力がなくても?」
「そんなこと、関係ない!」
拳を握って叫ぶ。部屋は水を打ったように静まり返った。それも一瞬だけだったが。
「仕方ねぇな、つきあってやるよ」
ヒューだった。
「……いいのか? オレはもうラグエルの秘石の適格者でも何でもないのに」
「迷える子羊を救うのが、司祭の仕事なんだよ」
そしてヒューはがしがしと テイト の頭をかきまわした。
「 テイト 君ならそう言うと思ってました」
「ミストさん」
「ねぇ テイト 君、人はなんて不完全で、一途なものなんでしょうかね」
どこか寂しげに微笑むミストになぜか胸が締めつけられた。
「僕は一緒には行けないけれど……グラキエース家へ行ってみるといいですよ」
グラキエース家。シンの今の家族がいる場所。
エウロスの系譜。きっと、彼らは力になってくれるだろう。
テイト は頷く。
帝都に近づくことにはなるが、恐れなどなかった。
「記憶のロックが甘かったな。負荷がかかりすぎている」
エンデは点滴につながれたシンの姿を見て、冷たく言い放った。ブラックフェンリルはフォーマルハウトに向けて進路をとっている。あと二時間もすれば点滴は無数のコードへと変わっていることだろう。 ミカゲ はハウルの後ろで瞳を細め、それを聞いていた。
「意外と抵抗してますね。深層心理でのリンクはもう済んでいるはずなのに」
「それにしてもラグエルの秘石がルディアス王子の元に帰っちゃうなんて。ねぇ、早く回収しちゃおうよ」
「あせるな、『ラファエル』。楽しみは最後に取っておいてもいいだろう。……ウリエルを引き続き探すんだ」
「うん。……あとはウリエルさえいれば、ボクらは自由になれるんだ。楽しみだねっ」
エンデが薄く笑う。紅の瞳が冷たい光を放っていた。
「…… ミカゲ ……?」
エンデが去り、しばらくだった。 ミカゲ は呼ばれ、顔を上げた。シンが虚ろな瞳をこちらに巡らせていた。
「意識が戻ったのか」
「私……戻らなきゃ……」
うわ言のように、シンは呟いた。
「どこへだ」
「 テイト のところ」
記憶が戻っている。それとも混乱しているのか。呼吸が浅い。苦しそうに顔をゆがめるシンに ミカゲ は手をかざす。
「少し眠れ。……また楽になる」
エルブレスが淡くきらめき、シンはすぅっと眠りに着いた。
何もかも忘れれば、楽になる。覚えていれば辛いだけだ。
ミカゲ は遠い瞳で、眠るシンを見つめていた。
遠くで声が聞こえた。寒い。暗闇に突き落とされたような感覚。体が、動かない。自由にならないことの恐怖。
誰か……!
目が覚めると、そこは病室だった。……また、記憶が飛んでいる。神の瞳を使うと、こうなる。二度目は制御出来ていたと思ったのに。
シンは頭を押さえて、起きあがった。
時計を見ると、深夜だ。ベッドサイドの壁際にイスが置いてあって、そこに人影があることに初めて気づく。 ミカゲ だった。
(……眠ってる……?)
腕を組んだまま瞳を閉じて、深い呼吸をしている。窓から差し込む月明かりは青く室内を照らしている。
「……」
シンは月明かりに誘われるように、そっとベッドを降りた。
「どこへ行く」
ぎくり。眠っていると思っていた ミカゲ が瞳を閉じたまま声をかけてきたので思わず動きを止めた。
「えーと……散歩」
「こんな時間に散歩とか正気の沙汰じゃないな」
ようやく目を開けて彼は腕を解いた。
「またお目付け役? ……大変だね」
「他人事か」
大人しくベッドに戻って腰をかける。長い夜を過ごすための話し相手が出来たようだ。
「私、どれくらい倒れてた?」
「二日だ」
その間中、自分を見ていたのだろうか。意外と……
「……なんだ」
「実は暇なの?」
「そんなわけないだろ。ここにいるのは夜の間だけだ」
静かなる怒りを感じたので苦笑して謝る。
ミカゲ は小さくため息をついた。
「『どこまで』覚えてるんだ」
「んー……ラグエルの秘石の操者が出てきたとこ。防いだけどそのあとから記憶がない」
わずかな沈黙が落ちた。
「ねぇ、 ミカゲ 。私、何か大事なこと忘れてない?」
「……なぜそう思う」
「わからないけど。あの テイト って子…… ミカゲ を殺したって言われたけど憎いとは思えないんだ」
シンはベッドの上で膝を抱えた。
「じゃあなぜ戦った」
「 ミカゲ と戦ってたから」
「……」
「グラス少佐も狙われたし。 ミカゲ は気をつけろって言ったけど仲間でしょ? ……私は、誰かを殺すためじゃなくて守るために戦いたい」
だからアズラエルの力も適切に使えるようになりたい。恐ろしい兵器だが、だからこそ正しく使えるようになりたい。今、思うのはそれだけだ。
「アズラエルの秘石もシールドの力がついてて良かったよ。なんか守った、って感じがするし」
「今の話」
「?」
「他の人間の前ではするな。絶対だ」
「……仲間を守りたいってこと?」
わけがわからず聞いた。違う、と ミカゲ は短く否定する。
「 テイト =クラインを憎めないと言うことだ」
「……どうして?」
「どうしてもだ」
ミカゲ はそれ以上は言わなかった。しかし確かに反逆者に敵対の意思がないなどというべきではないだろう。心構えもなってない。 ミカゲ を見ればそれが必要なことはよくわかる。
「そうだね……でも、あの子が ミカゲ を殺した理由。知りたい」
抱えた膝に頬を寄せる。そういえば、 テイト は自分の名前を呼ばなかったか。なぜだろう。何か、大事なことを思い出せそうだ。
「あまり詮索はするな。知れば辛くなることもある」
「でも、忘れたままも苦しいよ」
何を? 自分の発言にはっとなる。やはり何か、忘れているのだ。それはとても大事なこと……
ふいに、がっと ミカゲ に両肩を掴まれた。
「忘れるんだ。お前は、何を思い出してもそれを誰にも話すな」
「 ミカゲ ……?」
ふっと肩から手を離し、 ミカゲ は踵を返した。そのまま部屋を出ていく。そのまま ミカゲ は戻ってこなかった。
翌朝は問診から始まった。記憶に関することを詳細に尋ねられる。一度ほつれたひっかかりは簡単には治らなかったがその気持ちを医師には話さなかった。 ミカゲ には話せても、彼らには話す気がなかっただけでもある。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが……
その後は自由時間だ。支障はないと判断されて、復帰は明日からだった。
「シン」
フォーマルハウトの中を歩いていると、声をかけられる。ウィスだった。
「また遠征だったんだってな。……何か変わったことはなかったか?」
「ウィスは心配性だね。この通り何ともないよ。また記憶は飛んだけど」
「なんだって?」
ウィスの表情がなぜか急に険しくなった。
「いつからだ」
「えっと、遠征中の……」
「その時、あいつらはお前をどうした」
「え、あいつらって?」
「私たちのことですか? ウィス=グラキエース君」
距離を詰められているとその背後に現れたのはハウルと ミカゲ だった。
「!」
「あ、中佐。こんにちは」
「はい、こんにちは」
笑顔で返答してくる。そんなハウルをウィスは殺意をはらんだ目で睨みつけた。
「どうしたんですか?」
「あんた、シンに何をした」
遂に、我慢できなくなったようにウィスは低く問いかけた。
「何って何が?」
「…………」
だが、ウィスは黙してしまう。口を引き結ぶと彼はかぶりを振った。
「そうですね、その方が賢明です。さすがはグラキエースのご子息だ。シン、あとで執務室においでなさい。おいしい紅茶があるんですよ」
いつになく機嫌よさそうにいつもどおり黙した ミカゲ を従えてハウルは去って行った。
「ウィス、どうしたの?」
「なんでもない」
「でも……」
「なんでもないんだ」
ウィスは苦しげに呻くようにそう、絞り出した。