18 .再会
テイト は沈痛な面持ちで眠るシンの横顔を見つめた。
「シン?」
呼びかける。するとシンはふっと応えるように目を覚ました。
「…… ミカゲ ……」
未だ夢を見ているように呟く。 テイト はそれをはっきりと聞いた。
シンは二、三度とまばたきすると体を起こす。
ぱたり、何かが落ちる。涙だった。シンはなぜそれを自分で流しているのかわからないように瞳をぬぐった。 テイト が初めて見た、シンの涙だった。
「シン……」
「 テイト ?」
「オレのこと、わかるのか?」
瞳をぬらしたまま微笑う。その瞬間、 テイト の中で何かの糸が切れた。シンを抱えるように抱きしめて、顔をくしゃりとゆがめた。
「良かった……本当に、良かった」
「 テイト ……」
シンも テイト の肩に手を回した。
「 テイト ……ごめんね。……ありがとう」
なぜ謝られるのかわからなかった。力を緩めて顔を見る。シンも テイト を見上げた。
「……なんで、謝るんだよ。謝らなきゃいけないのはオレのほうなのに」
「そんなことない。たくさん迷惑かけたから」
テイト は首を振る。それはシンのせいじゃない。誰よりも テイト がわかっていた。
「長い夢を見ていたみたい」
シンが少し遠い目をして言った。
「でも、夢じゃないんだね」
シンはブラックフェンリルで何を見てきたのだろう。その矛盾に満ちた記憶もまた、シンの中に確かに残っているようだった。
ほどなくしてヒューがやってきた。ヒューは今ならシンの記憶を解放してもいいという。こんな時に昔の記憶を思い出しても大丈夫かとも心配したが、シンがそれを望んだ。すべてが戻った時、シンはただ「そっか」と呟いただけだった。
「大丈夫か?」
「うん」
「本当に?」
「大丈夫」
そういったときもシンは微笑っていて。泣きも叫びもしない。それが逆に痛々しかった。でもそれは違っていた。
「ねぇ、 テイト 」
「?」
「私たち、たくさんの人に生かされてるんだね」
その記憶は確かにここにあるし、今に繋がるものに違いはなかった。
「記憶を思い出すたびに、大事なものが増えてく。今度こそ、私が守りたい」
「あぁ、そうだな」
自分も同じだ。何度だって、思う。守りたい。今度こそ。
黙って眺めていたヒューがふいにシンと テイト の頭に手を置いて力を込めた。
「守りたいと思うのは悪くない。けど、たまには頼ることも忘れるな」
「!」
「お前らはなんでも一人でやろうとするからな。でも、もう一人じゃないんだ。わかるだろ?」
「ヒュー」
見上げるヒューは瞳を細めて笑っていた。
その日、ブラックフェンリルはグラキエース家の上空を静かに通過して行った。あそこにはエンデがいる。ラグエルの秘石を持っていない自分はエンデにとってただの逃亡者だ。もう、固執される理由はない。なぜだろう。今は復讐の気持は心を焦がさなかった。 ミカゲ の仇は今でもとりたいと思う。けれど大事なものが増えすぎた。そんなせいなのかもしれない。
「 ミカゲ が言ってた。……エンデ中将は、ルシフェルだって」
「ルシフェルって、監視用素体のか?」
「でもそれだけじゃない。多分、魔王シャイターンの記憶を拾ってる」
「シャイターン!?」
部屋の窓ごしにブラックフェンリルの影を空に追いながらシンは瞳を細めた。
「アズラエルの秘石には意思があるとも言ってた。私はそれに飲まれてしまうところだったって」
そういえば。ラグエルの秘石はどうなのか、自然、視線がルディアスとぶつかった。
「ラグエルの秘石にも意思はある。……秘石が主と認めて初めてその力を引き出すことが出来る。そのことではなくてか?」
「確かに初めて使ったときは自分が自分でないような感じはした。けど、 ミカゲ が言っていたのはそういう意味じゃないんじゃないかと思う」
五体の生体兵器。秘石の意思。シャイターンの記憶。新たな情報は不穏な予感を抱かせるばかりだ。けれど、ヒューが気になることを聞いた。
「……シン、 ミカゲ ってやつはどんなヤツだったんだ。……俺たちの敵なのか? それとも味方になりうるのか?」
「どう、だろう。……嘘はひとつもつかない人だったけど」
もしブラックフェンリルに戻っているなら、そこで次に会うことがあるなら、おそらく「敵」になる。それは誰もが予感していることだった。
「お前が記憶の封印を受けている間もか」
「何度か、記憶が戻りかけたことがあったよ。でも今思えば、それを偽るようなことは一度もいわれなかった。……その時も私は前からブラックフェンリルにいて、エンデのベグライターだって言えばそれで済んだことなのにね」
無表情に近い瞳を思い出す。けれど決して無機的ではないあの瞳。『 ミカゲ 』と同じアンバーの色。面影が重なりかけ テイト はそれを振り払った。 ミカゲ のことは忘れない。けれど、それを重ねたくなかった。
「魔王の記憶の欠片を持つものが、魔王の魂を持ってる。なんだか、不穏な話だ」
ランバートがソファに身を沈めながら窓の外を見つめた。
「そういえば、エンデはウリエルも探してるっていってた」
「ウリエル? ウリエルは消失したってランバートは言ってなかったか?」
「そう聞いてる。十二年前の戦争の時に帝国から失われたのだと。ノトスとの最後の通話はウリエルに接触したということだった。ノトスはその時にロストしている。そしてウリエルの存在も帝国から消えた。考えられるのは、相討ちだ」
間があった。その疑問を口にしたのはルディアスだった。
「しかし、エンデはウリエルを探している。ウリエルは、未だにどこかに存在していると言うことか?」
「シン、なぜエンデがウリエルを探しているのかは知らないのか」
ヒューが淡い色の瞳をシンに向けた。シンは「んー」と考え込みながら首を振る。
「エンデが探してる、っていうより私の見た記録では帝国自体が探してることになってた。多分、帝国にとってウリエルがどこかに存在していることは確定事項なんだろうね。そうするとランバートの推測も根底から崩れることになりそうだけど」
当時、ノトスとウリエルの間に何があったのか……それを想像するには誰もが情報が欠けていた。
「確か、エクライザーはノトスの管理下にあったな。……一度、ノトスの記憶を見る必要があるかもしれない」
「記憶を見るって、そんなことできるの?」
「中枢になる記録の地(レコーダー)があってな。そこには、四神全ての記憶が刻まれている。そこへ行けば情報の共有が可能なわけだ。だが」
ヒューが溜息とともに帽子を下ろした。意味はないのだろう。それを見たまま、言い辛そうに切り出した。
「そこから先は今の テイト やシンには関係のないことだ」
「!」
「ヒューは私にグラキエース家に軟禁されていろと」
神の瞳から離れた自分。反論出来ない テイト に対してシンはすぐにそれを却下してみせる。
「軟禁ってな、お前は大人しくしてろっていわれたの忘れたのか?」
「ブラックフェンリルが帝都に戻るまでって言われたんでしょ。いずれにしても明日が過ぎたら私はグラキエース家から離れるよ」
「何だって!?」
これに驚いたのは テイト だった。グラキエース家は身の保証をしてくれている。ここにいれば安全なのだ。少なくともここはシンの家であり、彼女の居るべき場所だ。シンにはここにいてほしいと思っていた。……いるのだと思っていた。
「私は多分、まだ狙われてる。ここにいたら、ここの人たちを巻き込んでしまう。それだけは避けたいんだ」
「それを言うならオレだって、同じだ。反逆者には変わりない。……ルディアスも行くんだろう? 一緒に連れて行ってくれ」
なぜそんな言葉が出たのかはわからなかった。咄嗟だったが、後で思えばそれは深いところにわだかまったものを全ての答えへ導く光であったのかもしれない。
「それに、オレがノトスの系譜であるなら、見届けたいんだ」
ルディアスは黙ってそんな二人の姿をみつめている。
「困ったお子様たちだぜ」
ヒューは司祭の帽子が乗っていない自分の頭に手を置いて嘆息する。
「乗りかかった船ともいうね。航行中の船から放り出されても困るの。わかる?」
「あーわかったわかった」
「だが、お前たちにとって危険な旅になるぞ?」
「今更だ」
テイト もシンも退く様子はない。頑とした様子にルディアスの頬がほころんだ。
「いいんじゃないか。二人はもう関わり過ぎている。それに、いてくれれば心強いだろう」
心強い。ルディアスからそんなことを言われるとは思っていなかった。確かに仲間は守りたいと思う。けれど、頼りにされることは、どこかくすぐったくて嬉しかった。