17 .合流
ウィスが、それから「連行」されたのは、まもなくのことだった。呼び出しは穏やかだった。けれど、選択権がないことをウィスは知っている。
「随分反抗的な目だったな。何をされるのか、知っていたようじゃないか」
「勘のよすぎる人間は、軍人には向いてないのかもな」
意識の片隅で声がした。ウィスの意識は深い眠りに誘われ、落ちる。それが戻った時、彼はまだ検査台の上にいた。
「気分はどうだね」
「最悪だ」
頭が割れそうだ。ウィスは片手で頭を抑えながら、目を眇めた。
その返答に検査員の何人かが怖気づいたような顔をしたが、主任らしき人物は助手から何かを受け取ってウィスに差し出した。
「ではこれを飲みたまえ、安定剤だよ」
嘘ではないだろう。ウィスは受取り、だが飲まずに手に握った。
「これから質問をいくつかしよう。答えてくれるね?」
「あぁ」
まだ、いじられている途中だ。ウィスは察する。
「君の家族構成は?」
「両親とシン、猫二匹」
「シンは卒業してからどこで何をしている」
「オレと同じくフォーマルハウト要塞に入った。配属はブラックフェンリル。エンデ中将のベグライター」
「いじられた」通りに答えた。抵抗力があるなどと知られてもいいことなどないだろう。エウロスの系譜は伊達ではなかったらしい。頭痛が激しいのだけはどうにかしてほしいが。
「よろしい。では、もう一度眠ってほしい。そして、今私が問うたことも忘れてくれ」
大人しく注射を打たれる。おそらくただの睡眠効果のあるものだろう。そして、目を開けた時、そこは病室だった。
「おや、目が覚めましたか?」
にこやかに話しかけてきたのはさきほど検査室にいた男の一人だった。
「どうしてオレがここにいるんですか」
「廊下で倒れて担ぎ込まれたんですよ。軽い貧血でしょう」
……軍人が貧血とかどれだけ虚弱体質だ。鼻で笑いながらウィスはベッドを降りる。頭痛は治まっていたが傾いだ機嫌はしばらく治りそうもない。
「どうしたんだ、ウィス。珍しく機嫌悪そうだな」
たまたま行き会った同僚にそんなことを言われたくらいだ。よほど顔に出ているのだろう。しかしこれではっきりした。シンは記憶操作を受けている。どういうわけか、喪失という形になっているようだが……なんとかしないと。
一緒に部屋に向かって歩いていると正面からやってきたのは、ベグライターのミカゲだった。
互いに、立ち止まる。
「おい、ブラックフェンリル付きのベグライターだろ。行こうぜ」
「先行っててくれ」
アンバーの瞳に目を合せたウィスは退かない。ミカゲは笑みもなくウィスを見つめる。
「お前、記憶はそのままか」
「あぁ、それでどうするんだ、あんたの上司に報告するのか」
「興味がないな」
先に視線をそらしたのはミカゲだった。伏せられた瞳には感情がない。
そういえば、前にもミカゲの前でシンに対して記憶を疑うような態度を出したことがあったが、ハウルの前で出すまで知られなかった。話してなかったのか。
ふと、疑念が生じた。
「お前、シンを助けたいのか?」
「何?」
「記憶が戻れば帝国から終われる立場になる。それがお前の守るということか?」
「!」
確かにそのとおりだ。ブラックフェンリルに配属されているシンは、今、決して不幸せそうではない。むしろそこは本来、シンが居ていい場所かもしれなかった。だが。
「シンは自分で選んでその道を歩んでいたはずだ。記憶はその軌跡だ。誰かが勝手に書き換えていいものじゃない」
「その為にお前の行く手が瓦解してもか」
「それでシンが救われるなら」
沈黙があった。
「……本当の意味で救いたいなら、シンからアズラエルの秘石を切り離す必要がある」
「何……!?」
踵を返すミカゲ。着いて来い。と言われているようでウィスはその後ろを歩いた。どこに行くと言うわけでもない。ミカゲは振り返らずに話を続ける。
「アズラエルの秘石は魔王の魂を宿している強力な兵器だ。エンデ中将の傍にいては、何度でも利用されるだろう」
「シンが『あの』アズラエルの適格者だったって言うのか?」
「そうだ。既に二度、遠征先で発動させている。それも本来の意思に反して行使しているせいでおそらく精神的に磨耗を続けている。アズラエルには意思がある。このままではいつか乗っ取られる時が来るだろう」
「どうしたら切り離せるんだ!」
一面ガラス張りの広間で、ミカゲは飛び交うイーグルの影を背に振り返った。
「オレならできる」
「!」
「だが、このフォーマルハウトでそれを行うのは危険だ。エンデに知れれば拘束されて繰り返すのがオチだろう。かといってシンを単独でここから連れ出すことはお前には不可能だ」
「オレには不可能……?」
含みを感じて、ウィスは聞き返す。答えは至極簡単だった。
「シンがそれを望んでいない」
確かにシンはグラキエースの人間を守りたいと軍を志望した。だが、それは自分も同じだ。手段になどかまっていられない。が、ウィスは思い出した。シンがここへ捕らえられたときの言葉。シンは自分にここで出来ることをして欲しいと言った。決して自分のために手を貸せとは言わなかった。自分が自分の思いだけで動けば、シンのグラキエースを守りたいと言う気持ちを壊すことになる。だが、それでは自分の思いはどこへやればいいのか。秤にかけることは出来なかった。
「……じゃあ、オレはどうすればいいっていうんだ」
「グラキエースと聖域に連絡を取れ。ブラックフェンリルは第二大陸(ツヴァイ)への次の任務が決まっている。チャンスは一度だ。オレがシンをアズラエルから切り離してグラキエース家へ連れ込む。帝国の記憶操作程度ならお前の父親でも解除出来るだろう。聖域は現存するエウロスとつながっている。あとはエウロスに任せればいい」
「……お前は、味方なのか?」
聞かざるを得なかった。自分に記憶操作を施そうとしたハウルのベグライター。だが、シンをここから連れ出そうとしている。それには間違いなかった。
ただ、黙っているミカゲ。記憶を封じられたシンが、信頼を寄せる人間。信じるしか、ない。
「わかった。グラキエース家はお前とシンを全力で守ろう」
「!」
「借りを作るのは嫌いだ。そんなことをすればお前もブラックフェンリルにはいられないだろ」
「オレは……オレには、神の加護などいらない」
ミカゲが瞳を細めて踵を返す。ウィスはその背中をただ、見送った。
細くなってきた月明かりの中、一機のイーグルが闇を疾走していた。その進路はまっすぐに西へ向かっている。テイトは野営の焚き火の明かりの向こうにその影をみつけた。
(なんだ、こんな時間に……?)
明かりもつけずに駆けるのは闇に解けるような黒いイーグルだった。訓練を受けたせいで夜目は利くほうだ。テイトははっきりとそれが誰であるかを見た。
「あいつ……!」
「どうした! テイト」
テイトは衝動的にイーグルを浮動させていた。一気に上昇させ、それを追う。ヒューとランバート、ルディアスが遅れてイーグルに足をかけた。
風がうなりを上げて耳元を抜けていく。ゴーグルをしてこなかった。瞳を細めながらテイトは漆黒のイーグルの真上に出た。
ミカゲ似たあいつだ。そしてテイトはその腕に抱えられたシンの姿を認めた。
「てめぇ!」
ザイフォンを最大出力で撃つ。光が闇の中に爆ぜた。ミカゲは刀を一閃させそれを払うと、眼下に広がる森にイーグルを急降下させた。
「逃がすか!」
ざざっとテイトも森に降ろす。細い木の枝が頬をひっかいたが気には留めなかった。ミカゲは月明かりのささない木々の陰にイーグルを留めていた。明るい髪の色は闇には姿を溶け込ませきれてはいなかった。待ち構えるように見上げるミカゲにテイトはザイフォンを纏わせた拳を突きつけた。が、その腕はザイフォンに阻まれる。
(! ……こいつ、ザイフォンも使えるのか!)
ただ、はじかれただけだ。攻撃はされていない。衝撃で後退しながらテイトはその目を見た。ミカゲと同じアンバーの瞳……敵意はなかった。
一瞬動きを止めたテイトの前で青年はシンを片手でそっと草の上に降ろした。
「……?」
「テイト=クライン。今すぐグラキエース家へ向かえ。夜の内に着いて二日の間は外に出るな」
「何……?」
ヒューたちが追ってきた。黒いイーグルは再び滑るように浮動する。力を交えることなくミカゲはその横を通り過ぎ、闇色の空へと姿を消した。
その姿が木々の向こうに消えるとテイトはシンに駆け寄る。呼吸はしている。怪我もない。ただ意識を失っているだけのようだ。
「テイト、何があったんだ」
ほっと胸をなでおろしているとヒューがイーグルを降ろして駆け寄ってくる。ランバートとルディアスも続いた。
何が?
「わからない」
「は?」
「あいつが、シンを置いていったんだ。すぐにグラキエース家へ向かえって言ってた」
三人は顔を合わせる。疑問だけが残った。
しかし、ミカゲは東からやってきた。今から第三大陸(トレース)へ向かえば帝国軍に鉢合わせる可能性がある。予定通りグラキエース家に助力を請おうと四人はすぐにイーグルを西へ飛ばした。
疑問はすぐに解けた。シンを連れて門戸を叩けば真夜中にもかかわらず、執事が待ち構えていて、理由も聞かずに全員を中に入れてくれた。
シンはすぐに用意されたベッドに横たえられ、現れた当主のレイルードが部屋に入っていった。四人は応接室に通され、そこでその名を聞くことになる。
「失礼ですが、ミカゲ様はどなたですか?」
「!」
「ミカゲはここには居ない。俺たちはシンの仲間だ」
ヒューがうまく濁している。執事は戸惑ったように「そうですか……」と続けた。
「ウィス様から連絡はいただいています。ミカゲ様もこちらで匿うようにと申し付かっておりました」
「ミカゲを、匿う?」
テイトが思わず尋ねる。ミカゲがどんな風に繋がっているのか想像もつかなかった。
「はい。ミカゲ様は帝国軍の方ですよね? 今、シン様を連れてくるのは重罪に値すると聞き及んでいます。無論、シン様を連れてきてくださった、みなさまの身もグラキエース家で責任を持ってお守りさせていただきます。……ブラックフェンリルが帝都に戻るまでの二日間、外にはお出にならないよう。……すぐに暖かいものでも用意させます。お待ちくださいね」
執事はそう言って部屋から出て行った。
「まさかとは思うが、ミカゲがシンを助けたのか?」
「罠……には思えないな」
ならばなぜミカゲは一緒に来なかったのか。ブラックフェンリルに戻っていったのか。アズラエルの秘石はどうなったのか。疑問ばかりが心に渦巻く。
「そうだ、シンの記憶……」
「とりあえずは、帝国で抹消された記憶は戻しました」
扉が開き、レイルードが現れる。レイルードは一同を見渡して、ミカゲが居ないことを確認したようだった。
「あなたがたは? シンの仲間だと聞きましたが。……ミカゲ殿はどうされました」
「ミカゲは……多分ブラックフェンリルに戻ったんじゃないかと……」
推測だ。だが、ミカゲが他に行きそうな場所など思い浮かばなかった。レイルードは酷く驚くと共に苦渋の表情で瞳を伏せた。
「そうですか。……どんな事情があるのか、わかりませんが残念です」
「失礼ですが、ご子息から手紙が来ていたようで。事態を把握したい。拝見させていただけませんか」
それぞれが名乗ったところでヒューがそう聞くとレイルードは懐から一通の手紙を取り出した。そこには帝都でシンが受けたであろう出来事とウィス自身が受けた出来事が書かれていた。アズラエルの秘石の適格者であることと記憶の消去。そして、今日ミカゲが記憶を失ったシンを連れてグラキエース家を訪れること。その記憶を取り戻して欲しい旨と、その暁にはミカゲも匿ってほしいと言う旨を最後に手紙は終わっている。
「あの子たちに一体何が起こっているんです? ……私には知る権利がありませんか」
「いや、十分ある。エウロスの系譜にかけて、己の義を貫けると言うなら」
ただならぬ空気を察したのかレイルードは頷く。
それから、すべてを話し終わるころには空が白み始めていた。
「……そうですか。そんなことが……」
「意外に驚かないんだな」
「私の弟が記憶を失ったシンを連れてきた時から、予感はありました。運命の胎動はそのときには既に始まっていたのですね」
レイルードはどこか遠い瞳をしていた。
「約束しましょう。グラキエース家はエウロスの名にかけてあなた方に協力を惜しまない」
月を見ていた。日ごとに細くなっていくそれは、フォーマルハウト要塞にいる間はあまり見る機会のないものだった。
世も更けて巡回兵くらいしか姿を見なくなった頃……シンは、近づく足音に振り返った。
「ミカゲ」
青い光と闇を踏みながら現れたのはミカゲだった。ミカゲはシンの前まで来ると足を止めた。
「シン、お前言ったな。忘れたままも苦しいと」
「どうしたの? 急に」
「思い出したいか?」
いつもどおり、静かな瞳だった。シンは少し考える。忘れていたのはほんの数ヶ月。でも大事なことを忘れている気もする。抱く予感は変わらない。
「思い出したければ、一緒に来い」
ミカゲは白い手袋をはめた手を差し伸べた。
「但し、お前にとっては茨の道だ」
シンは手を伸ばしてその手を取る。確固たる意思があったわけではない。それがわかったのかミカゲはシンの手を引きながら聞いてきた。
「随分と、簡単に手を取ったな」
「……ミカゲが、初めて手を差し伸べてくれたから」
歩調が一瞬ゆるまる。だが止まることはせずにほど近い部屋に入った。
「横になれ。お前からアズラエルの秘石を引き離す」
シンは言われたとおりにベッドの上に身を横たえた。ミカゲが手袋をはずしてその傍らに立った。手をシンの胸元に差し伸ばす。その指先はずぶりとシンの体に埋まった。
「…っ!」
びくり、とシンの体が揺れた。息が一瞬できなくなる。深くミカゲの手はシンの中に埋まり何かを握るとそれをゆっくりと引き出した。黒い文様の入った紅い宝玉だった。
「秘石が近くにある限りあいつはこれと繋がっている。置いていけば、しばらくは気配で誤魔化せるだろう」
(あいつ?)
「ルシフェルだ。……あいつは既にガブリエルを取り込んで記憶を取り戻しかけてる。……お前は、このまま近くにいたらアズラエルに封じ込まれている意識に取り込まれてしまう。……だが、これでいいだろう」
体が重い。意識が薄らいでいくのをシンは感じた。
「これからお前をグラキエース家に連れて行く。そこで記憶は取り戻せるはずだ」
(ミカゲは? 一緒に来ないの?)
「オレは行けない。……神の加護は昔に捨てた」
(……)
言葉も紡げなくなる。自分が言葉を発しているのかも既にわからなかった。
「大丈夫だ。強制的に引き剥がしたから体が拒否反応を示しているだけだ。次に目を覚ましたときは、仲間が傍にいるだろう」
(ミカゲ……)
一度だけ髪をそっと撫でられる感触。
それが最後の記憶だった。