20 .憧憬
どこかで見たことがある光景だった。緩やかに勾配を描くその先は崖になっていて、遠くまで見渡せた。広がる緑、青い空。美しい光景だ。
けれど テイト にはそれを美しいとは思えなかった。それよりも、思い出したことがある。
(あぁ、ここは……)
ミカゲ が死んだ場所だ。おそらくはエンデによってソウルイーターにされた ミカゲ を、自分の手で消してしまった場所。
気づくと、そこに見知った背中があった。
「 ミカゲ ……!」
テイト はその背に駆け寄った。 ミカゲ はこちらを振り向かずに、 テイト の名を呼んだ。
「 テイト ……オレ、死んじまったんだな」
「……っ」
胸に渦巻くのは罪悪感だった。心をつぶされそうになりながらも テイト は顔を上げる。だが、言葉など出ては来なかった。 ミカゲ が振り返る。その体は血に濡れていた。
「オレ、家族とお前のどっちか選べって言われたんだよ。でも選べなかった。…… テイト 、頼むよ。復讐してくれ」
「 ミカゲ ……?」
「まだやりたいことがたくさんあった。守りたいものもたくさんあったのに……このままじゃ、安心していけないんだ」
「オレは……」
「 テイト 、オレの無念、晴らしてくれるだろ? そのラグエルの秘石の力で、何もかも壊してくれ」
「!」
伸ばされる血にまみれた白い手袋。 テイト はそれを振り払った。
「どうしたんだよ、……親友」
「お前は、 ミカゲ じゃない」
「何言ってるんだよ、オレだよ。 ミカゲ だ」
「違う! ミカゲ はそんなことは言わない!」
あぁ、本当は知っていた。 ミカゲ はそんなことは望んでいないと。
自分を大事にしろと言った ミカゲ 。でも自分は、そんな ミカゲ を殺してしまったことをずっと悔いていて本当は、そんな自分を壊してしまいたかったのかもしれない。
今、目の前で言われたのはすべて自分の抱いている気持ちだ。 ミカゲ にはない、暗い憎しみの心。
「 ミカゲ は…… ミカゲ なら、自分を信じて、光のある道を辿るべきだって言ってくれる」
「……」
ふいに、 ミカゲ が沈黙し、 テイト を遠い瞳で見た。それが、笑顔に変わる。
よくできたな、 テイト
そんな声がして顔を上げた。強い風が吹いて白い羽が舞い散る。思わず腕でかばう。だが、 テイト はその向こうに テイト は懐かしい笑顔を見た。
「 ミカゲ ……!」
笑顔のまま、消える。あの時と同じ笑顔。 ミカゲ の思い出はいつでもまぶしい笑顔と共にある。
『あなたを、新たな主として認めよう』
光の中で、誰かが言った。
「ラグエルの秘石が、継承される!?」
「まずいですね。残念ながらあなたと遊んでいる場合ではなくなったようです」
ランバートと切り結んでいたハウルは視線を テイト に、ヒューに、そしてシンに投げかけた。
今、ハウルが優先すべきことはひとつだった。
「アズラエルの秘石の操者を確保します」
ミカゲ が、辛うじて繰り出したシンの反撃を避け、後ろに跳んだ。入れ替わるようにハウルの剣が振りかざされ、それは風の刃となって大地を切り裂いた。
「シン!」
「避けろ!」
だが、到底人間が一瞬で避けきれる速さではなかった。ザイフォンを発動させるが、遅い。誰もが起こるだろう惨状に叫んだその時だった。シンをエルブレスのシールドが守った。風が去って顔を上げる。そこに見えたのは ミカゲ の背中だった。
「おや? やはり裏切り者は君だったんですか」
シンからアズラエルの秘石を切り離した張本人。それはブラックフェンリルでは謎とされていた。そんなことができる「人間」はいないのだから。
「どうやって、その子から秘石を引き離したんですか?」
「……」
ミカゲ は答えない。だが、その瞳には離反の決意が既に秘められて見えた。
ハウルが続けざま剣を抜き放つ。衝撃は ミカゲ が刀を閃かせるたびに相殺された。
「それにそのエルブレスのシールド……困りましたね、聞きたいことが山積みになってしまいましたよ」
ミカゲ にハウルが猛スピードで接近する。二人は、ついに直接切り結ぶことになる。
「拾われた恩を忘れたんですか?」
ミカゲ はやはり答えない。ただ、その顔が嫌悪にゆがんだ。
「あなたの人間らしい顔、はじめてみますよ」
ギィン! 金属の音がして、二人は離れた。
「シン! ぼーっとするな!」
「ちっ、邪魔をするな! エウロス!」
横からヒューに突き飛ばされる。グラスの手がシンがいた空中を掴んでいた。
「ラファエル、観念してもらおう」
ランバートがその間に立った。
「ボレアス……エウロス……邪魔なんだよ! お前ら!」
闇色のザイフォンが両の手に生まれる。通常、ザイフォンが放たれるのは片手からだ。人間にあるまじき光景だった。
「ついに本性を出しやがったな」
「うるさい! 死ね!」
跳ぶと同時に眼下に向かって両の手を突きつける。ザイフォンはそのまま刃になって重力を歪め大地に刻印を施した。ヒューはシンを抱えたまま左に跳ぶ。ランバートは右に。
「まったく、もったいないですよ。君みたいな人間は、そういないでしょうに。でも」
「……! 待て!」
一閃し、 ミカゲ がそれを防いだ隙にハウルは踵を返した。次に狙いをつけているのは テイト だ。無防備な少年は、だが、ふいにこちらを向いて立ち上がった。
テイト はしっかりと立ち上がった。その視線はエンデに組するものたちを射抜く。
いまならわかる。秘石は力を貸してくれる。 テイト は胸元に自分とは違うものの意思を感じながら右手をかざした。光が集う。それはザイフォンではなくエルブレスに限りなく近いもの。
「オレの仲間たちを苦しめた罪は贖ってもらう」
ザイフォンを繰るように光環を纏わせると テイト はそれを間近に迫ったハウルに放つ。ハウルは避けきれずにそれを剣で切り捨てようとしたが、思った以上の威力だった。想定外の力で弾き飛ばされる。膝を突きながら後退し、舌打ちをした。
「覚醒してしまいましたか……」
『それでいい。……その力はそのまま私のものになるのだから』
エンデの声がした。 テイト が長く対峙する時を待ち望んだ相手がそこにいる。ハウルの後ろに影を見て、 テイト は険しく表情を変えた。
「お前は許さない。もうこれ以上、何も奪わせはしない」
笑う気配があった。
『ミカエルを回収しろ』
「はっ」
ハウルは自分よりもはるかに大きいミカエルを肩に担いで迎えのイーグルに飛び乗った。グラスもそれを見て悔しそうな顔を残し、去っていく。
司令塔を失ったクロノスもまた、 テイト から警告を受けて撤退を始めた。後に残ったのは草原を渡る風だけだった。
「ルディアス!」
テイト はすぐ背後で息を浅く繰り返す青年の傍らに両膝を折った。ヒューたちも集まってきていた。街に運び込んでも、長くは持たないだろう。誰の目にも明らかだった。
「 ミカゲ ……お願い、ルディアスを助けて」
シンが少し離れた場所に立つ ミカゲ に声をかける。視線が集った。
「奇跡は起こせない」
「それでも、街に運べるようになれば命はつなぐことはできる。血を止めるだけでもかまわない。力を貸して」
「……」
草を踏んで、 ミカゲ はルディアスに近づく。 テイト は厳しい視線でそれを見上げたが、片膝をついて手袋をはずし、ルディアスに手をかざす。そこから生まれる光はミストの持つ癒しの光と同じどこか優しい香りがした。
「この、エルブレスは」
ヒューが驚愕に目を見開いた。光はいよいよ強くなる。 テイト には、それが奇跡のように見えていた。血が消えていく。ルディアスの表情も次第に眠るように穏やかになっていった。
誰の目から見ても命は取り留めた。それは確かだった。
「お前……ゼフィロスか……?」
胸をなで下ろしかけたその時、ヒューの呟きにはねるように顔を上げた。
「ゼフィロス……だって?」
シンもランバートも驚いたように ミカゲ を見ている。だが、 ミカゲ は顔を逸らしただけだった。
「確かにお前はゼフィロスだ。なぜ、今まで黙っていた。……なぜ、帝国に加担していた!」
「オレはゼフィロスなんかじゃない」
しかし、 ミカゲ は否定する。その瞳は苦々しく細められていた。
「ヒュー、待って。先にルディアスを医者へ連れて行こう? ミカゲ も一緒に来てくれるでしょ?」
一番大柄なランバートがルディアスを医院へ運び込んでランバートを残し、一同はほど近い宿へ入った。割り当てられた部屋はシンと一緒。 ミカゲ はヒューと同じ部屋だ。
「ヒュー」
「んだよ、そんな顔すんなよ。いじめやしねーよ。……お前の恩人なんだろ?」
「うん」
シンが ミカゲ をちらと見る。だが ミカゲ はかすめるほどに視線を合わせただけで表情もなくそれを逸らした。……本当に恩人だとか、シンとの関係が掴めない空気が流れている。
「……シン、あいつがゼフィロスだって、知ってたのか?」
ゼフィロスの力の象徴は癒しの力、そしてエウロスであるヒューとランバートがそれを見て「認めた」。何よりもそれが ミカゲ がゼフィロスであると語っている。
シンは振り返って、だが、首を振った。
「知らない。それが本当だって言うなら今だって信じがたいよ。 ミカゲ はいつだって「人」だったから」
人だった。その意味するところが理解できなかったが、なぜか胸の辺りが苦しくなった。ヒューもランバートも既に「人ではない」。特にランバートはその使命に向かって動いているのは出会った時からわかっていることだった。ヒューも、おそらくはエウロスとしての記憶を継いだ時から使命を果たすべく動き始めている。だが、それは、今までの人間としての彼らを運命が大きく変わってしまったことを意味する。少なくとも、ヒューのそれを変えてしまったのは自分だと再認識させられた。
けれど、 ミカゲ はそれを拒んでいるのだろうか。表情のない視線を思い出す。拒む、というのも違う気がする。
「多分、ハウルたちも気づいてなかったんだと思う。帝国軍で、 ミカゲ はゼフィロスとしての力を一度も使うことがなかったんだろうね。……どうしてかな」
シンがわからないことが自分にわかるはずがない。自分の親友と同じ名前を持つ男……帝国で表情もなく刃を振るっていたゼフィロス。シンを助けた ミカゲ はシンの前でも笑わない。何を思い描いてみようもなかった。
ルディアスはシアスタに残し、リンドブルムと連絡を取った テイト たちは ミカゲ を加え、再び大陸の境を越えた。第三大陸(トレース)を超え、第四大陸(フィーア)に入る。ラグーンに入れば街はない。最後に寄ったのが、南端のヴァンの町だった。
「ここから更に東に向かえばアルブム家だ。シン、寄りたいか?」
「行かない。中枢記録地(レコーダー)へ行くのが先」
ヒューに対して、なんとも感傷のない返事が返ってくる。その強さが逆に心配で テイト はシンを見た。顔に出ていたらしい。シンはいつもの涼しげな笑みを少し苦笑に変えて テイト に笑いかける。
「本当は、怖いのかもね」
「え?」
「本当の家族に会うの。どんな顔していいのかわからない。私の家族はずっとグラキエースの人たちだけだと思ってたから」
それでもいつか会わせてやりたい。自分にはもうないものだから。会うべきなのだと思う。 テイト は素直にそれを伝えた。
「じゃあ、全てが終わったときは。でも一人じゃ怖いから、 テイト 、一緒に来てくれる?」
「あぁ、約束する」
その時シンはどんな顔で笑ってくれるのだろう。それを思うと少し、自分も救われた気分だった。
夜が更け、猫の爪で引っかいたような細い月が出ていた。弱い月明かりの中、 テイト はなぜか眠れずに部屋を出た。宿の廊下に落ちる窓から入る淡い光と影を足元に見ながら歩く。ふと、人影をみつけ足を止めた。小さな宿の小さなバルコニー。そこに ミカゲ の姿があった。
手すりにかけた片足に頬杖をつき、風に淡い色の髪を遊ばせている。その背中が親友のそれと重なり、 テイト はそちらにふらりと近づいた。
振り向いたら、記憶にあるその面影が笑ってくれる気がした。けれどその透明な瞳が見つめるのははるか遠く。ただ、それだけだった。
気配もなく、青年はただ佇む。それがどこか不思議な光景だった。
我に返っても声もかけられずその場を離れることもなぜかできず、どれくらいの時間が流れたろう。おそらく、大した時間ではなかったと思う。
「何か用か」
先に声をかけてきたのは ミカゲ だった。
「!」
琥珀色の瞳が振り返り、 テイト の姿を映した。
こうして二人きりになるのは初めてだ。用などあるはずもない。この数日もどこか無意識に避けていた。 ミカゲ に似ているのに、 ミカゲ とは全く違う。親友の面影を抱いた青年を前に テイト はなんとも言えない気持ちで視線を逸らす。
沈黙が、わずかに辺りを支配した。
「あ……あんたは、なんでシンを助けたんだ」
辛うじて出たのは、そんな言葉だった。
ミカゲ は静かに瞳を伏せると再び視線を遥かに馳せた。
「聞きたいのか?」
「聞きたくないわけ、ないだろ」
売り言葉に聞こえて、 テイト は表情を険しくして拳を握り、一歩踏み出した。
「オレは昔から帝国軍に所属していた」
意外だった。無口な ミカゲ が、ゼフィロスであることを否定する彼が、過去を語るとは思っていなかった。言葉は静かに闇に解けて消えた。
「あの日、オレたちはあるクーデターを鎮圧するために、前線に出た」
オレたち、 ミカゲ は言う。そこには テイト の知らない誰かの存在があった。
「戦力は五分五分と言ったところだった。もしかしたら帝国軍が押されていたのかもしれない。それでも背中を守りあいながらオレたちは戦った」
いつも一人で戦っていた ミカゲ 。背中を誰かと守りあっていたなど俄かには想像がつかなかった。夜風が二人の髪を揺らす。
「しかし、やっと来たと思った援軍は、味方ごと砲撃を開始し、見る間に敵も味方も区別なく命は失われていった。戦友たちはオレの目の前で、帝国の手で死んで行った。オレも味方であるはずの帝国軍からの攻撃を受け、おそらくは死ぬ寸前だった。……その時に、神の姿を見た」
それがゼフィロスだったのだろうか。どんな姿であったのか テイト には想像もつかなかった。あるいは、教会にあるような神々しい姿だったのだろうか。 ミカゲ は遠くを見つめながら続けた。
「空が青かったのを覚えてる。倒れたオレは手を伸ばし願った。仲間を助けてくれと。けれど願いは叶わなかった。……気がつけば一人、屍の荒野に立っていた。……帝国軍は敵を殲滅させて、斥候をよこしたがオレはそれを皆殺しにした。……その時から、オレの心は死んでしまった。奇跡なんて、この世界にはないんだ」
何を言っているのか、わからなかった。ただ、 ミカゲ はその時に大事な人を、ものを失くしてしまった。それだけはわかる。心がちくりと痛んだ。
「帝国に拘留されて、拷問を受けても何も感じなかった。その時に時間は止まってしまった。やがてオレはブラックフェンリルに拾われ、ベグライターとして戦うようになった。……長い間、目に映る光景はモノクロだった。背中を守る人間なんてもういない。もうそんな必要もない。どうでもよかった。神も、悪魔も」
遠くに馳せていた瞳が、少しだけ色を戻して伏せられた。
「『いつか並んで戦えるようになったら、その時は背中を護りあうようになろう』」
静かな呟きに、 テイト は顔を上げた。
夜の闇を照らす淡い光は、青い闇を作り出していた。
「シンが言ったんだ。……どうしてだろうな。その時、昔の仲間のことを思い出した。……長い間、忘れていた気がするのに」
「シンが……?」
「オレはその手を取らなかった。けれど、大事なことを思い出した気がした。……それからもあいつが何かを言うたびに、モノクロになったオレの記憶は色を取り戻していった。全てじゃない。今も、記憶は遠く見える。けれど、オレが動くには理由は十分だった」
記憶を失ったシンが、 ミカゲ に助けられたように、 ミカゲ もシンの存在に救われた。それを テイト は知る。
なぜだろう。目の奥が熱くなった。こいつは、過去のオレと同じだ。大事な存在をなくして、心を失いかけて、笑うことを忘れてしまった。それでも、今、少しだけこちらに戻りかけている。
それもようやく、だ。
「……これで納得したか?」
「シンは、……それを知っているのか?」
一度だけ目を手のひらでぬぐって テイト は聞いた。
「誰にも話したことはない」
「なら、なんでオレに話すんだ」
「さぁな」
ミカゲ は手すりから降りて、 テイト の横を通り抜けた。そのまま静かな足音が遠ざかる。 テイト は夜風の残るバルコニーに、佇み続けていた。