21 .中枢記録地(レコーダー)
中枢記録地(レコーダー)への道は平坦ではなかった。気流は荒く、その浮島にたどり着くには嵐の結界を突破する必要があった。ただ、それを通り抜けるのは神の守りの壁のみ。ヒュー、ランバート、ミカゲの力を借りながらテイトとシンはその地へ降り立った。
「ここが、中枢記録地(レコーダー)?」
あるのは荒れた教会だった。あの結界では人が近づくことなど出来るはずもない。手の入っていない教会は荒れていたが、時が止まったように差し込む光は穏やかで静かだった。
奥へ進むと、大聖堂にあったものに似た法陣が描かれた部屋にたどり着く。その先は神と呼ばれるものしか通れないかと思われたが、テイトとシンもその中央へと誘われ、記録の地(レコーダー)へと入った。
長い階段。エルブレスの明かりは足元を淡く照らし出す。地下は荒れた様子もなく永きに渡って姿を変えていない場所であると理解できた。
「ここが、記録の地(レコーダー)……」
いくつかの儀礼的な装飾の施されたフロアを抜けるとたどり着いた。そこには四つの巨大な石碑があった。それぞれ光の文字がびっしりと刻まれていたが、四つとも下にまでは到達していない。
「これが歴代の四神が記した記録だ。俺たちは不定期にここに記すことによって時代を超えて情報を共有してきた。……これが、ゼフィロスの石版」
「お前、一っっっ回も書き込んでないじゃないか」
「書き込むことなどない」
テイトの聞いた話から察すれば、ミカゲはゼフィロスとしての役目を放棄している。仕方のないことだった。
「あるだろ。エンデが魔王の記憶を持ってるルシフェルだとか、グラスが同種のラファエルだったとか。よく考えたらお前が一番近くにいて知ってるんじゃないか」
「スパイのようなまねをしたような覚えはない」
「そうかよ」
ヒューはその正面にあったおそらく東であろう方角の石版に手をかざす。文字が高速で刻まれた。
「書き込んだの?」
「あぁ。ま、一応な」
テイトの眉が寄る。ここに書き込むのは次代に残すためだ。つまりヒューと言う存在がエウロスとして何らかのアクシデントで消えた時。あまりいい話ではない。
そんな顔を見てヒューはテイトの頭に手を置いた。
そのまま左手にあった石碑の前に移動する。
「ランバートはマメに書き込んでるなー」
「これでも、この中では一番長い間ボレアスをやってるからな。……定期報告のようなものだ」
本当に意外にマメだった。
「それで、ノトスの記録は?」
文字はテイトたちの見たことのないものだ。読み取ることは出来ない。南側の石版の前に移動して、見上げたもののお手上げだ。
「待ってろ。全部読み込むからな」
ヒューは片手をかざして、光の文字を追う。
ランバートとミカゲも同じように文字を追った。但し、ミカゲは全てではなくごく最近と思われる箇所だけだ。ここへくるのは初めてだろうに。本当に興味がないようだった。
だが、ぴくりと一番最後のほうへ辿ったその指先が止まった。
「?」
再び読み込みを続ける。
「なんてこった」
そう、司祭の帽子をおろしたのはヒューだった。
「ノトスは完全にロストしている」
「完全に、って?」
「十二年前。エディフィス戦争の際、ウリエルの手によって取り込まれた。この世界にはもう後継者も存在しない、ということだ」
神が、死んだということだろうか。存在そのものが消えたのだと、続けてランバートは語った。
「ウリエルは? その後は……ってノトスが消えたなら、その後のことはわからないか」
「いや、書いてあるぜ。一番最後だ。『ウリエルは帝国には戻らないだろう』だと。……予言めいた終わり方だがな」
ヒューは途切れた文字を指差して、続けた。
「ルシフェルのことも詳しく書いてある。アズラエルの瞳から作られた五体の素体ははじめ、魔王の記憶などないただの兵器だった。だが、監視用素体であるルシフェルが暴走したガブリエルを鎮圧した際に、ルシフェルはその力を自らに統合させた。それが『魔王の記憶の欠片』。記憶を持ったルシフェルは自らを復活させるべく、暗躍を始める、とある。……ノトスには時間をさかのぼれる力がある。きっと過去にさかのぼって見たんだろう。ミカゲ、これは正しいのか?」
ミカゲは頷く。
「但し、他の素体はそれぞれそんな記憶は持っていない。ただの帝国の兵器だ」
「しかし、ラファエルはエンデに協力しているだろう。あれは何なんだ」
ランバートが聞いた。
「ラファエルはエンデから自分も魔王の欠片だと聞かされ、そそのかされているだけだ。復活の暁には自由になるのだと」
「違うのか?」
「エンデは他の素体の吸収を狙っている。その為にウリエルを探しているんだ。ミカエルはあの時にもう、統合されただろう。……気をつけることだ。ルシフェルは素体を吸収するごとに強くなるぞ」
あの時。ルディアスがミカエルを倒した時だろう。確かに、言われれば回収されたのはまずかったかもしれない。今言っても遅いことだが。
「気をつけろと言われても……まぁ少なくともウリエルはまだ見つかっていない。完全体とかになることはないだろ」
ヒューは自分の中で結論付けて、更に先を続ける。
「で、あとはエクライザーの行方だ。これは、帝国が持ち出したのが真実らしい。帝国の、幼い皇子の体の中に埋め込まれたと記されている」
「体の中に!?」
えげつないことをする。幼い、というからにはその皇子とやらは何も知らなかったであろう。今も知らないままなのだろうか。テイトはからみあう運命の予感に唇をかみ締めた。
「ミカゲ、皇子って知ってる? どんな人」
シンに聞かれてミカゲは再び頷いた。
「エムス皇子だろう? 帝国にあっては奇特な人間だな」
「エムスだって!?」
再び驚く。あの、エムスだろうか。いや、そんなはずはない。ジングルで会った青年を思い起こしてテイトは心中でかぶりを振った。確かに帝都出身だと言ったが、まさか……
しかし、シンがそれを見抜いたようにまさかを肯定した。
「テイト、それ多分当たりだと思う」
「なんでそんなこと……」
「私、フォーマルハウトでエムスに会った」
シンは自分も半ば信じられないと言った顔でぬるい笑みを浮かべている。
「記憶がなかったから、確認は出来なかったけど向こうは私を知ってた。間違いないと思う」
「おいおい、エムスってあのエムスか?」
王国復興の可能性を示唆したエムス。彼が皇子だとしたら、ただの夢物語ではなくなってくる。本気で考えているのか。
「エムスがエクライザーだとして、……そもそもエクライザーはなんのためにふたつの神の瞳を無力化するものなの? 何か、無力化するメリットがあるの?」
必要があるから存在することには違いない。だがそれがわからずシンが声を上げた。
それは遥か過去にさかのぼる記録なのだろう。ヒューはランバートと顔を見合わせると石版のずっと上のほうを見た。
「エクライザーの本来の役割は……魔王シャイターンを……人間として転生させることだ」
「魔王を人間に、だと?」
そこまでさかのぼってはいなかったのだろう。復唱したのはミカゲだった。そして改めてノトスの石版へと手を伸ばした。
「アズラエルの秘石には魔王の魂、ラグエルの秘石には神の魂。それらを均等化し、ゼロに戻す。……神は、魔王すら救う手段をこの世界に残したんだ」
魔王を救う。酷く、複雑な気分だった。何もかも許せと言うのだろうか。しかし、魔王として自らを復活させようとしているルシフェルは止めなければならない。瞳の継承者である自分の使命でもあり、因縁でもある。決着はつけなければならないだろう。たとえ、どんな形でも。
「どうしたら、エンデを……いや、ルシフェルを止められるんだ」
「エクライザーで二つの瞳に働きかけてやればいい。そして、魔王の器を破壊するんだ」
「魔王の器……」
「ルシフェルだ。アズラエルの秘石から生まれ、記憶を持ったルシフェルは器になりうる唯一の存在」
ミカゲが振り返り、言った。それをランバートが継ぐ。
「……歴代の四神がいながら、魔王を封じられなかった理由、それは魔王の器がみつからなかったからだ」
「人間は、自らその器を作り出してしまった。……愚かな行為だが、これは長い戦いに終止符を打つチャンスでもあるわけだ」
「なら」
テイトが顔を上げる。
「オレはそのチャンスを生かしたい」
「だが、その為にはアズラエルの秘石が必要だ。シンが再び操者としてリンクする必要がある」
「そうか……」
そうだった。アズラエルの秘石は魔王の魂。エンデの傍にあっては活性化され、シンをやがて取り込んでしまう可能性があるとミカゲは危惧を示す。テイトもこれ以上、シンを危険には巻き込みたくなかった。それに、エクライザーにしろ、アズラエルの秘石にしろ手に入れるには帝都へ向かう必要がある。
しかし、シンの心は既に決まっていた。
「いいよ。行こう。帝都へ」
「……とは言うものの、まさかたった五人でフォーマルハウトに乗り込むわけにはいかないよね」
それは切実な問題だった。
「戦力的にはできないこともないけどな。できれば帝国そのものを敵に回したくない」
「すごく今更な上に、向こうはそう思ってくれないだろうけどね」
ラグエルの秘石を使えば、一撃離脱も可能だろう。だが、それでは無意味に多くの人間の命を奪うことになる。あくまで目的はアズラエルの秘石およびエクライザーの奪取だ。穏便に済ます方法があればそれがいい。しかし、テイトにはいい方法は思いつかなかった。
「で、ひとつ提案があります」
そう言い出したのは他でもないシンだった。
「私にエウロスの加護を、ってのは無しかな」
「? どういう意味だ?」
ランバートが聞いた。
「ウィスには帝国の記憶操作が無効だった。つまりエウロスなら耐性があるってこと。その耐性を分けてもらうことは出来ないのかな」
「お前、何をする気だ」
「私が帝国へ戻る。アズラエルの操者は私だけだから、また帝国は私に秘石を埋め込んでくると思う。記憶の操作も一緒にね。私はそれにひっかかったふりをして、秘石を持ち出す。どう?」
名案、とばかりにシンの瞳が光を帯びる。何が楽しいのか、生き生きして見えた。
「そんな危険なこと、させるわけにいくわけないだろ!」
しかしテイトは承諾しなかった。ただでさえ自由など保障されない。下手をすれば監禁されて実験体ということも考えられた。危険すぎる。
「じゃあ、代替案」
「それは……」
こういう時、シンは強い。かけひきになるとテイトは負けてしまう。言葉に詰まったテイトをシンは畳み込んだ。
「ないでしょ? それにもしもの時、犠牲は私一人で済む」
「犠牲とか言うなよ!」
「その時は、テイトが助けに来てよ」
なぜこんな時に笑顔なのか、わからない。ヒューは降参したように帽子を手に取った。
「……全員で潜入ってのは無理だ。シンの言うとおりにするしかないな」
「ヒュー!」
「……テイト、シンを取られるわけには行かないがお前も取られるわけには行かないんだ。余計なリスクは避けるべきだ」
正論だった。今すべきことは見えている。だが、秤にかけるようでテイトには一人で行かせる気にはなれなかった。
「心配すんのが悪いって言ってるわけじゃねぇ、シンも一人でやろうとしないで俺たちを頼っていい」
「頼ってるよ。ちゃんと後ろを支えてくれるってわかってるから、私はこういうことが言えるんだよ」
揺るがない信頼。そうか、シンの笑顔は自分たちに寄せるその証なんだ。
テイトはそれを知った。ヒューもそれに気づいたらしく、仕方ねぇと頭をかく。
「オレがフォーマルハウトに潜入して、合流の機会を伺う」
「できるのか? お前だって今は反逆者だろ」
「かといって一人で行かかせるわけには行かないだろう。フォーマルハウトの内部は把握している。パスコードも知っている。行くならオレが適任だ。あとは適当にキーカードを持っているやつを捕まえて入れ替わればある程度は誤魔化せる」
そして、ミカゲがシンのサポートに入ることになった。問題はまだある。
「エクライザーはどうする?」
「とにかくエムスに接触してみるよ。ウィスの力を借りよう。グラキエースを経由してウィスに連絡を取ってみる」
ウィスはグラキエース家の後継者として皇室を時々、訪れることがあったとシンは言った。交流があれば、エムスとも面識があるかもしれない。
「わかった。任せるよ。けど、危険だと思ったらいつでも脱出するんだ。……ミカゲ、もしシンが退かないときはお前が連れ出してくれ」
「わかってる」
第二大陸(ツヴァイ)に戻り、ウィスと連絡が取れるのを待ってから合流の場所を決めて、ミカゲが先にフォーマルハウトへ向かった。シンは単身、検問を越える振りをして捕まった。帝国まで護送されるのに一日あれば十分だろう。また、エンデのベグライターに指名されてブラックフェンリルに乗せられてしまっては動きが取りづらくなる。帝都に護送されてから数日間が勝負だった。
シンが次に気がついたのは王立研究施設だった。記憶は……ある。悟られない内に動かなければならない。散々いじられたのだろう、頭は酷く痛んだが、体は動かないわけではない。シンは早速、行動を開始する。ウィスに会わなければ。
幸い、ブラックフェンリルからの見張りはついていなかった。前回シンを取り逃がしたのは帝国においてはエンデの失態であり今回はあくまでフォーマルハウト要塞に配属されているアズラエルの瞳の操者として扱われるようだった。チャンスだ。
「シン!」
向こうの方からみつけてくれた。
「ウィス、無事だった? 何もされなかった?」
「それはオレの台詞だ」
ウィスはシンを連れて監視カメラのない小さな会議室へと入る。
「一人で戻ってくるなんて、また危険なまねを……今度こそ、何があったか聞かせてくれ」
「おじ様からはなんて?」
「なんても何もほとんど一行文のやり取りだったよ。誰かに見られたらまずいことだったんだろ?」
グラキエースの封かんがそう簡単に破られるわけはない。その上で慎重を期すやりとりをしてくれたのだろう。ウィスはまだ何も知らないようだった。
「その前に、……エムス皇子とは連絡が取れた? 会えそう?」
「あぁ、久々に話がしたいと公式に謁見には取り付けたよ。その時の手紙に家族を連れて行くかもしれないと記したら何か察してくれたらしい。快い返事だった」
「そう」
あのエムスが皇子であるとすれば、自分がグラキエース家の人間であることは既に知っているだろう。そして一時は追われていた身だということも。もしかしたらジングルで会った時でさえ、名前から気づかれていたかもしれない。見逃してくれていたのだろうかと今更気づく。いずれにしてもエムスがどういう人間かを見極めてからこの先をどうするか決めなければならない。
ウィスは自分が話すのを辛抱強く待っている。本当はこれ以上巻き込みたくないので話したくはなかったが、ウィスには知る権利があるだろう。だが、まだ早い。今話せば危険に引き寄せてしまう気がする。シンは迷った。
「ウィス、エムスに会ったらその時は話す。今は待って」
「オレに何も知らないままお前の力になれって言うのか」
まっすぐな瞳だった。
「お前はそうやって、一人で背負おうとする。お前はオレのことを心配して言ってくれているのかもしれないが、オレだってお前が心配なんだ。……オレにはその荷物を少しでも背負うことが出来ないのか?」
「ウィス……」
本当は、ずっと聞いて欲しかったのかも知れない。シンは胸を衝かれた想いで、すべてをウィスに話した。ウィスは黙ってそれを聞いている。
「ごめん、もっと早く話すべきだったね」
「いや、そうか……そんなことが……でも」
ウィスはまたいつものまっすぐな瞳でシンを見た。両肩をつかまれる。
「お前がどこの誰でも関係ない。今は大事なオレの家族なんだ。……無茶だけはしないでくれ」
「ありがとう、ウィス」
敵地のど真ん中。それでも味方がいることが何よりも心強かった。