-2.アクアヴェイルにて
それからしばらく……
は旧シデンの土を踏んだ。
騒乱後、アクアヴェイルはひとつの国となった。
元々複数の領土から成る公国であったが、モリュウ領もトウケイ領も外殻の落下や海上に堕ちた都市の余波を受けて壊滅してしまったため、今はシデン領に残った者たちが集い、国を盛り立てている。
王は民からも信望の厚いシデン領のアルツールがそのまま引き継ぐ形となったが、ひょっとしたらこの後はフェイトが継ぐことになるのかもしれない。
とは18年後…今の時代からなら15年ほど後の世界を垣間見た
のただの憶測である。
港に下りると広場には露店が軒を連ね賑わいを見せていた。
アクアヴェイルは肉より海産物を主とした食文化が発展しているのでこういったものが欠かせない。
北の海であるせいか並ぶ魚に彩りは少なく、なんとなく
の元いた世界を髣髴させる光景でもある。
魚嫌いにはとんでもない光景なのであろうが彼女にとってはどこか馴染み深い風景の一部分でしかなかった。
未だもって気付けばふらふらと旅に出ているジョニーは幸い旧シデン領に留まっており、セインガルドからの特使が着いたと知るや迎えに出てくれた。
「久しぶりだな!
。元気そうだ」
「ジョニーも。相変わらずみたいだね」
片手を大きく上げて、変わらぬ派手な赤い上着に、金の髪の上に乗る大きな帽子。長い飾り羽を揺らしながら歩を寄せる。
事前に出しておいた手紙を見て待っていてくれたらしい。
こんなご時勢であるから
の側も護衛をそれほどつけておらず、セインガルドから一緒にやってきた数名と共に気さくな三男坊に連れられて領主館に入る。
「ここは変わってないね」
本来なら「王邸」とも言うべきであろうが、長く続いた領主と言う概念はこのまま歴史として継いで行かれそうだ。
素朴なアクアヴェイルに他国のような華美な王制は似つかわしくない。
国交こそ、始まるだろうもののこの国にはこの国のあり方を続けて欲しいと思う。
「よく来てくれました、
さん」
使者の到着に、集まってくれたのはジョニーだけではなかった。
フェイトとリアーナもまた領主の館にやってきた。
一つの国になったと言っても、彼らには旧モリュウ領主としての権限は生きているので立会いと言う意味もあるのだろう。
最後の王がティベリウスであったトウケイ領主こそいないもののこうしてアルツール侯とまみえた調印は呆気ないほど遅滞なく進んだのだった。
「こんなに上手くいくなんて思いませんでした」
とは
の護衛として来た者たちの言葉だ。
元はセインガルドの兵士らしく、だとすれば接触したことのないアクアヴェイルに偏見を抱いていたのも当然だろう。
「そう?」
なんのことはない
の言葉に目を丸くする。
「この国は独特の文化を築いていたから、みんなも見てくるといいよ」
アクアヴェイルでの滞在期間は3日。
調印は一日目で済んだので、特にあとはすることもない。
その間に交流を深める、というのが特使を派遣する趣旨でもあるが、その点ではすでに任務は完了しているようなものだろう。
にとっても自由時間だった。
その間はフェイトに現在のアクアヴェイルの話を聞いたり、ジョニーの部屋で彼の奏でるピアノを聞いたりと与えられた時間を楽しんでいた。
無論、リオンへの土産も考えねばなるまい。ジョニーと出かけた、昼下がりだった。
「! なんだ!?」
激しい震撼が、街を襲った。
「地震?」
山津波のような音を伴って、大地が震える。立っているのもやっとなくらいで、安全のために二人は膝を地面についた。
店先に積まれた果物の山が崩れ、りんごが足元にばらばらと転がってくる。
人々の悲鳴と騒然とした声があちこちから聞こえてきた。
「長いな…」
幸い、落ちてくるようなものはない場所だったが、火山もないこの島国では珍しいことなのかジョニーが珍しく表情を曇らせて顔を上げる。
その視界を占めるのは、シックな街並みとひたすらに青い空だ。
やがて揺れが収まると二人は立ちあがり、埃を払う。
慌てて外へと出てきた人々も、一息ついて家々へと戻って行った。
建物などに被害はないようだ。
「津波、大丈夫かな」
「一応、海の方には常時監視を立てているから、何かあったらすぐに知らせるさ」
自分が港にいたらまず、潮の引き具合を見るだろうが危険なのでわざわざ行くようなまねはしない方がいいだろう。
それでも何かを確かめたい
。
落ち着かない様子にジョニーがふっと笑って海とは逆の高台を指差そうとした、その時。
「おい、あれはなんだ……!」
誰ともつかない叫びにざわりと再びどよめきが起こった。
「何……?」
それで海の方を見やる。
ここからではまだ、海は見えない。
しかし、「それ」ははっきりと目視することができた。
高くそびえるように、唐突に遠く海上に表れたのは黒い嵐のベールだった。
嵐のベールは、アクアヴェイル全体を包んでいた。
ただし、嵐が街へ近づいてくるわけでもない。
ただ、それはそこにある。
その事実がわかるまで、数日を要した。
ダリルシェイドへの帰港の予定日が迫っていることはわかっていても、
たちは動けないでいる。
旧モリュウの黒十字軍が、様子を見に行ったものの、そこを突破することはかなわなかった。
早い撤退はむしろ、クルーを助けたと言っていい。後に指揮官であるフェイトはそう語る。
艦隊ですらそうなのだから帆船が突破できる代物ではないだろう。
セインガルドからの商船も無論、来られるはずがない。
事実上、アクアヴェイルと世界は隔絶された言ってよかった。
嵐の結界。
誰かがそう言った。
「一体、何が起きてるって言うんだ……?」
元々鎖国をしていた国だ。
食料などの備蓄には問題はなかった。
自給自足はできる。
だが、そういう問題でもない。
ジョニーは空を見上げながらつぶやいた。
アクアヴェイルの空は穏やかだ。
抜けるような青い空。その日は風もない。
それがまた現象を不可解にしていた。
「人為的なもの……にしては大掛かりだけど、自然現象にも思えないね」
はその隣で、黒雲から激しく吹き荒れているであろう雷雨のもたらす海上の黒い霧を遠く眺め見ている。
まるで手ごたえのない壁だ。どこまで続いているのかもわからない。
セインガルドは無事なのだろうか。
外の様子がわからないので、そちらの方が心配と言えば心配だった。
「アクアヴェイルの中のことは様子を見に行かせてるが、トウケイ・モリュウはいずれもう人が住める場所じゃない。何もないとは思うんだがな…」
しかし、ジョニーの予想に反して、その報告が入ったのは間もなくだった。
「トウケイ領に人影?」
ジョニーのピアノは閉じたままだ。楽天的なことは言うものの、気分的にそれどころではないのだろう。
それでも譜面が散乱したピアノの上を眺めながら
は促されてソファに腰を下ろした。
「あぁ、それも声をかける前に気付いて消えたらしい。怪しいと言えば怪しいんだがな」
「一人だけ?」
「一人だけだそうだ」
「それってやっぱり珍しいことなの?」
は首をかしげる。
里帰り、ではないがたまには故郷の様子を見に行ってみようという人間もいるだろう。
とはいえ、道などももう整備はされていないようだから一人で行く、というのも確かに酔狂なことであるのかもしれない。
は今のトウケイの様子がどうなのかわからないのでせいぜい考え付くのはそんなところだ。
「そうだなぁ……小さな外殻は何か所かに落ちたけどトウケイだけは直撃を受けたからな。街なんて瓦礫の山だ。もう誰も行ってみようなんてやつはいないさ。それに……」
ジョニーが青い瞳を細めて翳らせる。
瓦礫になるほどの規模で壊滅したならば、生き残りも知れているだろう。
運よく町の外にいたか、他の町にいたか……
「何にしてもこんな時期に、このシデンを出ようなんて思うやつは普通はいないだろ?だから逆に怪しいと、俺は思う」
「ふーん、じゃ、私もトウケイ領に行ってみようかな」
なぜそうなる。
とつっこんでくれる人間は残念なことにここにはいない。
「やっぱりそうくるか。お前さんがそう言ってくれるのは心強いが……」
ジョニーも行くつもりだったらしい。
「が?」
「一応、特使だからなぁ……何かあっちゃリオンに顔向けできない」
なぜかため息をついた。
後半が本音なのであろう。
特使であることとリオンに顔向けできないことは、脈絡がないからして。
しかし、彼の中でどんなリオンの反応が想定されているのだろうか。それは少し気になりつつ。
「ある意味すでに何かあるわけだし、じっとしてても仕方ないよ」
「ま、こうしてても
もつまらないだろうし、物見遊山のつもりで行ってみるか」
ふっと笑うと彼はいつも通りマンドリンを手に取った。
