-4.リオン
穏やかな日差しがダリルシェイドに落ちていた。
そんな空気とはお構い無しに不穏な報せが入ったのは1週間も前の話。
がダリルシェイドを離れてから1ヶ月が経とうとしていた。
「船が戻ってこられない?」
リオン自身はここしばらく手間取っていた最後の仕事を終えて、ストレイライズから戻ってきたばかりだった。
ようやく執務室の自分のイスに腰をかけて一息ついたところでの思いも寄らない一報は彼の表情を一転させるのに十分なものだった。
「えぇ、ここしばらくアクアヴェイルからの商船も来ていないので皆気にかけ始めたところなんですが、こちらからアクアヴェイルに向かった船も予定の寄港日を過ぎても戻ってきておらず調印が失敗したとの噂も流れまして…」
「あり得ない。所詮、噂だろう」
の方も予定通りならそろそろ戻っているだろうという頃だった。
そんなことがあるはずがない。
報告に来た兵士はその返答に表情を曇らせ先を詰まらせる。
それくらい彼の声は迷いの無い韻を踏んでいた。
アクアヴェイルと言う国はかつて、セインガルドの一部だった。それがある時反旗を翻して独立した。
前、セインガルド国王の即位以降は冷戦状態が続いていたが、何度も戦争があったのも事実。
ぱたりと連絡が途絶えればそれに対して疑いを抱くのも当然のことなのかもしれなかった。
そんな国に対しては未だに根深い確執を抱いている者もいる。
それは長い歴史の中で培われてきたものだから覆すのは容易ではないのだろう。
これらは旧体制における貴族や古株の文官に多い傾向で、彼らの発言力は弱くも無いだけに事態を悪化させる恐れもあった。
リオンは素早く考えを廻らせ、聞き返す。事態を正しく把握するには情報が必要だった。
「それはいつの話だ?その後、確認する手段は講じたのか」
自分の声が硬くなるのを抑えきれなかった。
自らも思い当たる可能性を考えてみたが、見つからない。それがますます思考をかき回すが兵士にはそれは伝わっていないようだった。
「えぇ、追って部隊を派遣しています」
「アクアヴェイルを刺激するつもりか!」
「す、すみません」
リオンの怒声に近い声に兵士は怯えたような顔をつくった。
彼が詫びる必要はない。釈然としない反応にリオンはいや、と声を低く落ち着けた。
考えてみればその方が都合がよい。
ジョニーやフェイトが相手ならば特に問題は無いだろう。だが、今の王はアルツール公。国として礼を欠くことはできない。
何もしていないだろう国にいきなり兵力を誇示するようなものを向けるのはご法度だ。
今回、おそらく部隊を派遣させた人間はアクアヴェイルに対してよからぬ目を向ける古参の輩だろう。
だからリオンもそういった意味で声を荒げてしまった。
が、リオンの思うように不和が起きたので無いとすれば可能性としては事件性の方が高いのだ。
だとすれば何かあったときのために、ある程度戦力は保持している者が派遣される方が良い。
───それもまた、彼にとっては不安の種には変わらないのだが。
「その部隊はいつ戻る?」
短く息を零すと、質問を続ける。
「早くてあと5日。オベロン社のクルーザーを使わせていただいています」
そうか、とリオンは頷く。
彼が「頂いています」などと言うのはリオンがオベロン社を取り仕切る人間の一人であることを知っているからだ。
オベロン社は騒乱後、そのネットワークと技術力を持って世界の復興に尽力し、ひとしりきの役目が終わったならばその後は解体される手はずになっていた。それはもう目の前だ。
一度は歴史上で忌まれたはずのその組織の遺産はこれからも人類の役に立つであろう。
そうして得た理解はただ待つこと。
兵士を下がらせるとリオンは深い息と共に窓の外を見上げた。
時を同じくして
もまた、見上げている空の色が同じであることを彼は知らない。
2日後。
待つには長かった。
遠征から帰着して残った仕事を片付けてようやく休みをとれるかという頃合のその日に放たれた鳩は相手に達するよりも早く帰ってきた。
その早さに期待するのは、何事もなかったという言葉。
例えば往路で帰りの船に行き会って戻ってきた、というものであったならば良かった。
しかし、事態は更に不安を煽り立てるものだった。
「言うなれば嵐の壁だな。あれじゃ帆船は乗り切れないぜ」
そうリオンに答えたのはシエーネだった。
シエーネは元ジャンクランドのジャンクハンターで騒乱時にはリトラーの助手を務めあげていた。
その後は風の向くまま気のむくまま、といった感じで復興拠点に出入りしたりカルバレイスへ戻ったりという日々だ。
その日、たまたまダリルシェイドにやってきていた彼は、未知の大陸にたどり着くべく部隊に同行していたらしい。
面白半分についていくなど怒鳴ってやりたいようだがそんなことをしても仕方ないのでそれについては流すことにする。
代わりに耐え難い現実が待っていた。
アクアヴェイル大陸周辺は止まない嵐が吹き荒れ、それらが遥かからでも目視できるほどの厚さで横たわっているという。
当初はクルーザで突破も試みたが、敢え無く断念。
彼らは進路をセインガルドへ戻して待ってみても天を突く黒雲は晴れることなく、結局帰還するしかなかった。
嵐の前で往生していたアクアヴェイル・セインガルド船籍の商船は保護して一緒に連れて返ることは出来たらしい。
「途中、カルバレイスからの帆船にも会ったんだけど向こう側も同じだってよ。船の行き来がぱったり途絶えたって事はおそらく周りがそうなんだろうな」
シエーネは難しい顔をしながらも指先をぐるりと回して説明して見せた。
周りがそう…
リオンがその言葉を飲み込むのに要したのは刹那的な時間だ。
飲み込み、そして脳内で反芻する。
つまりは、アクアヴェイルは隔離させられているということだ。
それも、もう数週間も前から。
「どういうことだ……?」
それは自問だった。じっとりと暗いものが心の奥底を這いずるような不快さが言葉に滲む。
気付いても自分を宥めようとは思わなかった。そんなことをしているヒマがあるなら考えなければならない。
「計測される磁気はめちゃくちゃだった。…さすがに高度レンズ動力のクルーザは問題なかったが、普通の羅針盤じゃ方向も怪しいだろうな」
「……」
「……リオン、
は向こうに行きっぱなしなんだろう?───心配だな」
敢えて考えようとはしなかった事実を言葉にして突きつけられる。
そう、心配だ。まして自分が、一人で行くように言ったのだ。
それが原因で無いにせよ、何か誰かを責める口実が欲しい気分だった。責められるのが自分であるにせよ。
「あいつはわざわざ嵐に帆船をつっこませるような馬鹿な真似はしない。……街にいるなら無事だろう」
気持ちとは裏腹な言葉が冷静を装うために口をついて出る。
嵐の壁の向こうがどうなっているのか、今は考えたくも無いことだった。
いずれ、想像の範疇では無い。
そんなふうに自分を諌めるあたり冷静なのか、取り乱しているのか自分でもわからなくなってきそうだ。
「とにかくその嵐が止まないのであればこちらから突破するしかないわけです」
開け放たれたままの扉から会話に参加してきたのはレイノルズだった。
彼は元王立研究所の研究員だ。
研究者とみるなら現場主義なシエーネとは対照的で研究室にこもって紙面・無形問わずデータを扱うのを得意とする。
まだ若い彼の後ろには、評議会のメンバーの数名が揃っていた。
「何か方策があるのか?」
挨拶もせずリオンは会話を続ける。
彼らは部屋へ入ってきて応接室はそのまま会議場と相成った。
「海か空かしか経路ないことは確かですが…」
結局、唯一の解決策はそれしかなかった。
「本気で突破する気なら生半可なものじゃ無理だぞ。それに多分、今回の部隊に入ってたやつは行きたがらない」
シエーネが顔を顰めるようにして言うところを見ると軽く言い除けてはいたが死ぬほどの思いはしたのだろう。
海か空か。
そして生半可で無いもの。
すると方策はあっけないほどあっさりと絞られるのだった。
「飛行竜かベルナルド、ですね」
「ベルナルドは無理だろう。海中も様子が知れている」
「じゃあ飛行竜しかないということか」
評議会のメンバーも次々と意見を継いで行くがどれも決定性は欠けて聞こえた。
その原因はまず、原因の解明に向け決が取られていないことにあった。
それほどの異常事態が発生してもそれはセインガルドのことではない。多大な犠牲を払って、する必要があるのかといった表情が迷いになって浮かんでさえ見えた。
もっとも、そこに世界を救った「英雄」の一人がいるともなれば話は別なのだろうが。
そう思い当たってしまってふつりとリオンの心を何かが刺した。
「飛行竜はすぐに用意できるのか」
それは彼女が英雄の一員でなければ放棄されるであろうと言う可能性。
「今はノイシュタットに出ています。戻ってきてメンテをかけて…出たばかりですからすぐに呼び戻しても早くて2週間というところですかね」
「時間がかかりすぎる」
「帰還者の証言によると嵐のはじまりからアクアヴェイルまでの距離は数十キロあります。高度を考えると雷雲の距離によっては墜ちる可能性もありますから…その辺りも鑑みてからでないと…あっリオンさん!?」
ガタリ。
最後まで聞き終わらないうちに席を立ちマントを引っつかむようにして肩に回す。
これでは埒が明かない。
それがわかったならばもはや時間を無駄にする気はなかった。
「おい、リオン!」
ホールを抜け、長い廊下を通って自室に向かうリオンを追い呼び止めたのはシエーネだ。
足をとめずに振り返り追いつくのを待つ。
「どこに行くんだ!」
追いついてきて早足に一歩後ろにつきながら叫ぶように訊いた。
「準備だ」
「なんの」
「ファンダリアへ向かう」
「何!?」
絶句の声に初めてリオンは足を止めた。
もはやその表情に苛立ちはない。ただやるべきことを決めてさっさと行くと言わんばかりの表情でシエーネに返した。
「イクシフォスラーを使う。天地戦争時代の遺産だ。あれなら飛行竜よりも早くアクアヴェイルへ向かえるからな」
「…そんなものがあるのか?」
「あぁ、どうせ僕にしか使えない。危険に晒されるのも僕一人だ。誰も文句はないだろう」
「誰もって…」
「すぐに立つから伝言しておいてくれ」
「リオン!」
再び歩き出した背中を追うその声は扉に阻まれてしまった。
シエーネは戸惑うように、扉の前にしばらく立ち尽くした。
