-5.暗雲の向こう側
それを作ったのはハロルド=ベルセリオスには違いなかった。
イクシフォスラーは本来、成層圏の低層までしか上がれないはずであったが、リオンの知るものより大分、改造が施されていたようだ。
相当の高度を上げられるようになっていた。
この非常事態には幸いなことだ。
機首を上げると、あっというまに飛行竜ではたどり着けないだろう高度まで上昇を開始する。
低層にある雲は見る間に眼下へと下って行った。
進路を北東へ取り、リオンは一気にレバーをフルスロットにまで下げる。
ダリルシェイド上空を抜ければもう海上だ。
海面は、アクアヴェイルに起こった異変をよそに太陽の光を受け、きらきらと美しくきらめいている。
それもアクアヴェイルに近づくに従って、次第に怪しくなってきた。
やがて雨が降り出し、黒雲が眼前へと迫る。
(おかしい……)
乱層雲も積乱雲も発生する高度をとうに超えていた。
にもかかわらず、黒雲が視界を遮り雨は降り続いている。
リオンはさらに高度を上げた。限界高度ギリギリだ。
それで雷や分厚い雨の層は超えたようだが、まだ先は見えない。
前だけでなく、左右もろくに見えず、高純度性のレンズ磁針……スコープがなければとうに方向を見失っているだろう。
風を切る振動と、計器の微動に目を配りながらリオンは雲を抜けるのを待つ。
長く感じたが、イクシフォスラーの速度では、それは大した時間ではなかったろう。
唐突に。
青い空が開けた。
アクアヴェイルでの日々は、結界に閉ざされていることを除けば平和だった。
いまのところは、だ。
は、トウケイで拾った黒い球を手の中で遊ばせながら窓辺でじっと考え事をしていた。
「なんだい? そりゃ」
ジョニーが部屋へ入ってきて、気付いて覗き込む。
窓から入ってくる日差しはあたたかい。
転がしていた小さな黒球を指先でつまんで日に透かしながら
は逆に聞いた。
「何だと思う?」
ジョニーは、折っていた腰を伸ばして細い顎に指を絡める。
「宝石じゃないのかい?」
「うん、私もそう思うんだけど……不自然なんだよね」
それは鈍い光を持っている。
だから、ただの小石には見えずジョニーもそういったのだろう。
しかし、これがなんなのか、考えれば考えるほど不自然な代物だった。
「どこら辺が?」
「まず、みつけたのがこれだけでまわりに同じものがなかったこと」
ネックレスやブレスレットの類なら、ばらけた可能性があるので、同じものがあっていいはずだ。
サブノックが現れたので、敢えて探すこともなかったが、それはないだろうことは安易に想像できる。なぜなら。
「それから、装飾品であるなら、ひもを通す穴がない」
は器用に指先で回して見せる。
確かにそれはただの球で、穴はなかった。
「何かにはまっていたのかもしれないぜ?」
「あぁ、そういわれると……」
用途としては、例えば壺だとか盾だとかにはまっていた可能性はある。
それで
の持つ形のない疑問は、可能性として解けてしまった。
「そっか……そういう可能性もあるよねぇ……で、なんだと思う?」
ジョニーに手渡すとジョニーは軽く首をかしげた。
「黒い宝石ね。アクアヴェイルの周辺じゃパールも取れるけど、パールではなさそうだな」
「オニキスかなぁ……」
輝きはダイヤのように透明ではない。パールのように独特でもない。
の中で残る可能性もあったが、
はそれを見たことがないため、何の断定もできはしなかった。
そもそも「それ」がこのアクアヴェイルにあったろうか。覚えていない。
その「とあること」を聞こうとして口を開きかける。
「おっ?」
ジョニーがそれより先に窓の外に何かを見つけ、身を乗り出した。
「なんだ、ありゃ」
もつられて窓の方を振り返る。
空に光色の軌跡を描いて、流線型の機体がシデンの街の上空に到達しようとしていた。
「イクシフォスラー!?」
叫ぶなり
は、立ちあがって踵を返す。
屋敷を駆けでた
を追って、ジョニーも外へと出てきた。
イクシフォスラーは屋敷の裏手の草原に着陸体制をとった。
風をまとって静かに降下する。
「おいおい、これはなんなんだ!?」
「ハロルド=ベルセリウスの遺産だよ。乗っているのは多分……」
風が収まると案の定、出てきたのはリオンだった。
「リオン!」
駆けよる
。
「
、無事だったか」
ほっと頬を緩ませたリオンを見てジョニーは
「ほうほう?」
と何か言いたげににやにやした。
それでリオンは笑みを消してなにやら反論を視線で行っている。
はその様子に、いずれも相変わらずであることを改めて思い笑みを漏らす。
「そうだ、リオン。セインガルドは? リオンの方は大丈夫だったの?」
「心配していたのはこちらの方だ。セインガルドに異常はない。船が戻ってこないと聞いて……」
「それで心配でたった一人で駆け付けたってわけかい? 泣けてくるねぇ」
「うるさいぞ」
まだ会って一言しか発していないのに、うるさがられているジョニー。
ハンカチでそっと目元を拭うしぐさをしたところで本当に泣いているわけでもない。
事態が事態だからリオンの言い分は、わからないでもない表現だ。
「ということは異変はアクアヴェイルだけなんだ」
「あぁ、この国を取り巻くように嵐が吹き荒れているな。イクシフォスラーは切り抜けられるが、船は無理だ。飛行竜でもスピードと高度的にきついかもしれん」
場所を移して、邸内で情報を交換することになった。
といっても、原因は不明だからしてこれといった解決にはならなかった。
それでも互いの状況がわかればそれは進歩だろう。
リオンは、とりあえずと出された冷たい水でのどを潤して一息つく。
「イクシフォスラーだと、雲の上を抜けてこられる?」
「いや、それでも嵐の中も通ったな。頻繁に行き来できるという認識は避けた方がいい」
「状況がつかめれば今はそれで十分さ。リオンは
を連れてダリルシェイドへ戻るんだろう?」
「えっ」
当然と言えば当然だったかもしれない。
それでも何もわからない内にこの国を離れるのは気が引ける。
まるで置き去りだ。逃げるように、とも言える。
実際はそのようなことは全くないのだが。
の思惑とは別に、リオンはもうどうするか決めているようだった。
「あぁ、そのつもりだ。お前はどうする?」
「今シデンを離れるつもりにはならないなぁ……こっちはこっちで調べられることは調べておく。その上でセインガルドに救助要請が出せればいいんだが」
「可能だろう。調印文書も一緒に持ち帰る。評議会も国交が樹立したばかりの国を放ってなど置かないさ」
面子の問題であろうともそれはアクアヴェイルにとってありがたい話だろう。
ジョニーは笑顔を
に向けた。
「そういうわけだからお前さんは一旦ダリルシェイドに戻るんだな」
「でも……」
「この国じゃ、できることは限られてる。外で調べられることを調べてきてほしいんだ。わかるだろ?」
そう言われれば、仕様のないことだ。
むしろ言われた時点で
の頭には次に何をするか、思考が巡っている。
向かうべきはストレイライズだろう。
フィリアを巻き込みたくはないが、あそこなら何かこの件に関する記述が残っているかもしれない。
はそれでもジョニーに申し訳ないような気持ちがあった。
「兵士もできる限り連れ帰れよ。乗り切れない残りは面倒見るから」
「わかった、頼む」
リオンとジョニーの間で話は進んでいる。
こうして、明日にはダリルシェイドへ向かってイクシフォスラーを飛ばすことになる。
