-13.ゆめうつつ
「ここが、スパイラルケイブ?」
それはファンダリアの北西。
ひときわ大きな山の麓に開いた入り口の奥に広がる空間だった。
風雪の届かない場所まで来ると遠くに打ち付ける水の音がどこからもともなく聞こえ始める。
ひんやりと冷たい空気に覆われてはいるが、湿度もあってそれは雪が解けるほどの温度を保っていることを教えていた。
「……やっぱり火山なのかな。地下水は大体温度一定だけど」
「お前、いつかも似たようなこと言ってなかったか?」
そのリオンの反応に、めざとく、だが素朴な疑問をジョニーが投げかけた。
「いつかって……来たことがあるのかい?」
「千年前に」
地上軍の拠点から北、オリジナルのアトワイトが攫われて訪れた場所。
何気に事実を答えすぎてリオンはため息をつきたくなるが、ジョニーには冗談なのか何なのかわからず少しだけ考えてから乾いた笑いを返した。
薄いヴェールのようにどこからともなく流れ落ちる淡く透明な水。
美しい地下渓谷だ。ジョニー自身もこんな時でなければ興味をひく光景であると思う。
少し進めばその名の由来である螺旋状に続く自然岩の道。巻貝のイメージだ。
緩やかに下り、橋のように中空に渡っている場所もあれば貫くように鍾乳石が柱となってはしごの役目をする場所もある。
人工的な明かりもない、太陽光も届かないこういった場所は、当然、地下層に行くほど暗くなるかと思いきや、そうでもないのがまた神秘的な光景だ。
「しかし、相当広いぞ。ここで鉱石ひとつがみつかるのか」
そう、今回の目的は最奥まで行くことではなく石ころ最低1個の発見である。
どれくらいの量があるのかわからないが、ここの中でさえ希少なら探索時間は相当かかるだろう。
「みつかるんじゃなくて、みつけるんだよ」
「お前は得意そうだから、今回はあちこち見て回ってろ」
リオンのお墨付きももらったが、結局最奥までみつからなかった。
まぁ大体最奥にそういうものがありがちなので、それもよいだろう。
しかし、そこに待っているものがいた。
否、待っていたのかはわからない。ただ、偶然にしてはできすぎているとは思う。
どこからともなく幾筋も流れ落ちてくる水は、地底に澄んだ溜りを作っていて、その前で少年はその水鏡の奥を覗いていた。
「クロシス……!」
法衣のようなゆったりとしたローブに身を包んだ少年のすぐ近くにその姿をみつけ、リオンは戦闘態勢に入る。
素早く剣の柄に手をかけ、表情を鋭く一転させた姿にジョニーは、一瞬目を丸くしたが、眉を寄せ、聞いた。
「知り合いかい?」
相手も気づいている。
だが、クロシスはこちらを振り返っているだけで動く気配も殺意も感じられなかった。
「あいつだ。をさらって不吉の証を交換条件に出してきたやつは」
それを聞いて、さすがのジョニーの表情も険しくなる。サブノックはリオンの様子と、何か感じるものがあったのかすでにいつでも動ける構えを取っていた。
「仕掛けてくる気配がないな」
「あの人、暗殺者なんだって。だから、気配や動きがなくてもいきなり来る可能性高いから、気を付けた方がいいよ」
それで得心したのか、サブノックは刀の柄を握る手にさらに力を込めて相手の一挙一動に集中している。
それに、あの少年。
少年はひとしきり透明な水を眺めていたが、やがて、振り返ってこちらに向き直った。
白い肩にかかりかける長さの髪に、桃色に近い朱色の瞳。
さまざまな人間が存在するこの世界でも、それは珍しい容姿だった。
背は、と同じくらいだろうか。年端のいかない面影を残す表情は、街に行けば普通に友人たちと無心に遊ぶ、そんなどこにでもいる少年のようにも見えた。
だが、油断はできない。
モンスターなど使役できないはずのクロシスが従えていたモンスター。あれらの主がクロシス以外にいたことは明白だったからだ。この少年がそうとも限らない。
「あぁ、君らがアクアラビリンスの開放を邪魔してる人?」
ひとしきり一同を見渡してからそう、声をかけてくる。
悪意のない声だ。が、内容は気に留めてしかるべきものがある。
「貴様らか、封印を解こうとしているのは」
サブノックを介し、互いの質問が一致した。だが、あちらがああ言った時点ですでに答えは出ていた。
「そうだよ」
臆すことなく、応じる。表情はさして変わらない。まるで日常会話だ。
「そんなに構えなくても、何もしないよ。どうせ封印の証は一緒に持ち歩いてはいないんだろう?」
頭が切れる。全員がそれぞれ持っていて、一緒に行動をしているときにこういう事態が起きたら一度ですべてを奪取されかねない。
敵の状態が分からない以上、リスクを分散するためにもそれぞれが別の場所にいったんそれらを預けてきていた。
「で、君らはなんでこんなとこに来たのさ。ここには何もないよ」
「何もないならなんで、そっちこそここへ来たのか聞きたいね」
少年の問いに、ジョニーが返す。もともと戦うこととは無縁にいたがるジョニーには、戦闘になると荷が重いだろう。
ただ、察しがよすぎて冷や汗のようなものを感じながら口元に笑みを浮かべる。
少年の警戒心のなさが逆にその場に異様な緊張感を作り出していた。
「別に。ただ、こういう場所が珍しかったから来てみただけだよ」
本当なのかウソなのか。判断がつかない。
ただ、それが真実である可能性は次の瞬間にかすめるようにして浮上した。
「ボクの世界には、こういうところがないからね」
「……ボクの世界……?」
ふと、少年の笑みが視線を止めて消えた。
その視線の先をじっと見て黙る。その様子がおかしいと思ったのか、寡黙なクロシスが声をかけた。
「どうした、ケルブ」
それが少年の名前だろう。名前を呼ばれたことにはさして反応をせずに、視線の先にいる者へつぶやくように声をかける。
「君……」
それはだった。
「前に会ったことがある……?」
リオンたちの注意もクロシスたちから離れ、に向けられた。
「ない……けど」
ふいの質問にからもつぶやくような返事。
突然のことに瞳をまたたくと少年は強く否定した。
「いや、あるよ。君のこと、覚えている。泣いていたじゃないか」
その言葉に、全員がそれぞれに驚いた表情を見せる。とくになじみの深いジョニーは無論、一度としてそんな姿などみたことがないのだから、ケルブという会ったこともない人間にそんなことを言われれば驚き以外の何者でもなかった。
それはリオンにとっても同じことであるが。
だが、にそんな記憶はない。会ったことなどない。断言できる。だが、なぜだろう……何か胸騒ぎがする。
「知らない。あなたには会ったことなんてない」
そうして、かぶりをふる。
そう、こんなに特徴的な容姿をしていれば、忘れるはずがない。
だが、何かが引っかかって、その戸惑いのをすべてを隠すことはできなかった。
いつもとわずかながらに違う雰囲気が伝わったのか、口をはさむこともできずにリオンたちはその会話を見守るしかない。
「あぁ……そうか……」
少年は、理解したようだった。
朱色の瞳を細めて、何かを思い出すように一瞬だけ遠くを見た。
「夢で会ったのか……」
ぽつり、とつぶやく。
「それは会ったとは言わないだろ。そんなこと言われりゃ誰だって戸惑うぜ」
ジョニーが思わず大きなため息とともに言い返す。呆れか、安堵か……固唾をのむように止まっていた空気が動き出した。
「残念だけど、ボクは君たちとは違うんだ。ボクの世界では、その程度の精神感応力は当たり前なんだよ」
「何?」
聞き返すまでもなく少年が続ける。
「実際顔を合わせるのは確かにこれが初めてだ。けど、確かにボクと君は会っている。『見た』という方が正しいかもしれないけれど」
「そこで『私』が泣いていたと?」
「そうだよ、思い出した。故郷に帰りたいと言っていた」
「!」
自身の戸惑いの理由が、分かった気がした。
それは確かにも『見た』。
子どもが泣いていた。かえりたい、と何度も聞いた。
いつの頃からか、聞こえていた。誰の声かもわからない。見知らぬ子どもが泣くその声を、明確に聞いたのはつい最近だ。
けれど、それは「夢」だった。
ただの夢だったはずだ。
「心当たりがあるのか?」
サブノックが聞いてくる。の顔色が変わったのを見てリオンが止めようとしたが、はその前にこたえた。
「その夢は私も見た。でも、泣いていたのは私じゃない。……子どもだった」
「その夢は……」
今度はジョニーが反応を示す。アクアヴェイルでそんな夢を見たと話をしたのは記憶に新しい。
ジョニーの顔を見ては黙ってうなづいた。
「どういうことだ?」
会話の流れを止めるつもりだった。けれど、リオンが堪え切れずにジョニーに聞いた。
「今の話の通りさ。アクアヴェイルでは知らない子どもが泣く夢を見ると言ったんだ。寝覚めが悪い、ってな。……帰りたい。その子どももそう言っていたといったっけか」
自分ではない。ケルブが「会った」というのであればもしかしたらあれは──
「ふーん? そういうことか」
少年は、再び一人で得心したようだった。
話すことが好きなのか、悪びれもなく教えてくれる。
「『同調』。ボクと君は、ここじゃない故郷の生まれだ。でもたぶん、君とボクの世界は違うね。ボクは元の世界に帰りたくて帰りたくて、仕方ないんだよ。君も多分そうなんだろう?」
「! 違…っ」
隠していたつもりはない。「故郷」と言った今のケルブの話し方なら、異界の人間だと断定はされづらいだろう。けれど、その違和に気づかないほどここにいる人間は鈍感ではない。隠していたつもりはないから、動揺する必要はない。
けれど、言わなかったことを、知られていなかったことを他人に暴露されるのは穏やかではない話。
だから「故郷」という言葉に対して「世界」という言葉に対して、さまざまな可能性を考えようとしている今のリオンたちの前でそれ以上は、言ってほしくない。
けれど。
「違うの? 理の違う世界で生きるのは、辛いだろう? この世界にボクは必要とされていない。ボクに必要なものも足りない。だからボクは早く帰りたいんだよ」
少年はつづけた。
「それがお前の目的なのか」
しかし、サブノックが意志の強い声で問うた。彼は、のことをまだよく知らない。だから、その言葉の意味より彼にとっては、ケルブの目的の方が重要であり、それは今、この場で正しい問いだ。
「そうだよ」
少年はやはり、素直すぎるくらいストレートに答えた。
精神感応の力があると言った。だから、言葉で偽ることの無意味さを知っているのかもしれない。
「ボクはボクの世界に帰る。そのために、あの迷宮の最奥にある扉を通る必要がある」
「おいおい、お前さんがここじゃない世界の人間らしいってのはこの際置いといたとしても、そのためにこの世界は大変なことになってるんだぜ?」
「ボクがいなくなった後のことなんて知らないよ。必要とされてないんだから、ボクも必要としてないし」
「稚拙な理屈だな」
リオンが吐き捨てるように言った。その時初めてケルブはさきほどまでの純然と会話をし、浮かべていた笑顔を鋭いものにした。
「君のことも知ってる。ボクが元の世界に帰るためにたくさんこの世界の知識を吸収する、その過程での話だけど。君だって世界より一人の人間を選んだんだろう? ボクにはボクの故郷の方が大事なんだ。同じことじゃないか」
「!」
リオンが大切な人のために選択したこと。それはソーディアンマスターが全員そろって騒乱の終結を迎えたことで、史実としてあまり追及はされていない。せいぜい後世に書き残されても1行か2行程度のものとなるだろう。どれだけ情報を入れたのか、ケルブのそれはすでにこの世界に暮らす一般の人々よりはるかに上回っているようだった。
それは違う、といつもならば言うも、今日ばかりは思うように動けなかった。
「異世界の人間」。その事実は、たいしたことではないと思っていたつもりだったが、つきつけられれば、そうではなかったのかもしれない。
「この世界の人間は、言葉でいくらでも相手を欺こうとできるから、僕にはとても居心地が悪い。でも」
ケルブはふいに手を差し伸べた。
に向かって。
「一緒に行かないかい? 君はボクと同調をした。分かり合えると思うんだ」
「おい、ふざけるなよ……」
さすがのジョニーもその提案には表情を険しくして、の代わりに遠く離れた手を振り払おうとした。
けれど、ケルブの表情は真剣だった。
「ふざけてなんかない。いつでも帰る場所のある人間に、それがない人間の気持ちがわかるのか」
それは彼がを「この世界の人間ではない」と明確に宣言したようなものだった。
思わず閉口するリオンとジョニー。
彼らは、の出自について知らなかったのだから、当然と言えば当然の反応だ。
そうじゃない、と言いたい。けれど先に口を開いたのはケルブだった。
「……わかってないって感じるよ。でも君は、知っているね。知らなくても、慮ることができる人間だ。言葉を超えたところで感覚を共有するのがボクらの世界の理。この世界で出会った多くの人間より、君はその感覚に近いものがある。……この世界には精神力に関与するレンズというものがあるだろう? あれをつかいこなすのと、少し似ているのかもね」
そう、例えば、ソーディアンのマスターの資質は確かに、人の心を慮る力にも大きく関係していたと、は思う。
ディムロスが昔はソーディアンの声もほかの人間も聞くことができた、と言っていたように。
「ボクの世界は、君とは違うけれど、君が君の世界に帰れるように手伝ってあげるよ。ボクの世界は、そういうのも得意なんだ。たくさん扉があってね。きっとすぐに帰れる」
そうして、笑顔でさし伸ばされた手。
はそれを前に紙のように白い顔色になってしまったまま、動けない。
その顔を見てしまったリオンは、唸るようにしてを後ろに下げると、クロシスに聞いた。
「ならば、お前の目的は何なんだ。クロシス。まさか、それだけのために協力をしていると?」
「その通りだ」
帰ってきたのは肯定。
見返りは、求めていないようだった。かといって、情が湧いているといった風もない。
かつてのミクトランに育てられた暗殺者は、だが、以前にはなかった自らの意思でそうしているには違いないようだった。
「クロシスはねー、ボクの世界を見たいと言ってくれたよ。だから一緒に行くんだ」
あまりにも、無邪気に笑う。
そうして、ふと、思いついたようにケルブはローブのポケットを漁った。
そして、2つのものを取り出す。遊色の踊る小さなオーブのついた小さな鈴飾りと武骨な石ころ。
「こっちももらってくれるなら、これもあげるよ」
白い天然の岩の床を軽い靴音を立てて近づいてくる。クロシスは動かないので、本当にここで争うつもりはないのだろう。
渡そうとしている相手はで、その前に立つリオンは警戒していたが、その前まで来ると少年は自ら歩を止めた。
代わりに、そのふたつのものを差し出す。
刹那、見守るような沈黙が下りた。
は、静かに一歩踏み出すと、その手のひらに乗っているものを受け取る。
鉱石が、ベルセリウムだったからだ。
ちりんと鈴飾りが小さく鳴った。
ベルセリウムを受け取るための条件として、渡されたソレ。
「それはね、ボクと話がしたくなったら深く念じればいい。君とボクの同調がうまくいくなら、つながることがあるかもね」
そうして、ケルブは2、3歩軽く下がると、バイバイと手を振った。
もうここに用はないから去れということだろう。
深入りをしてクロシスが動くと厄介だ。それに……
リオンはどこか遠い目でじっと手の内にある飾りに視線を落としたを連れ、スパイラルケイヴを後にすることにした。
