-16.世界線
夢を見た。
子どもが、泣いている。
あぁ、でも……
今度はそれが誰だかわかる。
「やっぱり君だったんだね」
声をかけてきたのはあちらだった。
泣き声はやんでいた。
「……」
思案する、間。
「ここは、夢? 私の? それともあなたの?」
「ここは世界線だよ。ある意味でのね」
曖昧だった視界が、自立を帯びて自分のものになる。まるで今、目が覚めたように。
そうして は、目の前に少年の姿を見た。
周りには何もない。
漠然とした「世界」。 は似たものをみたことがあった。あれは『18年後』ーー……エルレインの作り出した世界だ。
「ボクたちは、同じ空間を共有している。物理的な空間でないこの世界を、そう呼んでいいのかは微妙なところだけど」
やはり「私」だったのだと言われたけれど、自分からすればそれはそのまま少年に当てはまった。
夢の中で泣いていたのはこの少年だ。おそらくは。
自分はそう認識した。
「それでも私の『夢』には変わらないんだよね。なぜあなたが私の夢に出てくるの」
自分には特別な空間に行く能力などないし、今そんなことを望んではいない。当然の疑問だった。
「繋がりやすいんだよ、君とは。『世界観』の問題かな?」
「……」
言われていることがわからない。 は首をかしげる。
「今までこんなにはっきり繋がらなかったでしょ。それが繋がったのは、やっぱりあなたが私に渡したあの鈴のせい?」
「そう、でもその様子だと別にボクに用があったわけじゃないようだね」
偶然なのか、以前同様繋がりかけたところであちらが気づいたのか、わからないが彼はそういってからなぜか笑った。
「君はボクに聞きたいこととかないの?」
そういわれれば山ほどあるのだが、これはどういう機会なのだろう。
そして、なぜこの少年は……
「ケルブ……って言ったよね。なんだか楽しそうだね?」
スパイラルケイブでもそうだった。特に何か目的があるわけでもなく、邪気や悪意は感じない。
「ボクは知らないものを識るのが好きなんだ。だから、君のことも、君がどんな世界にいたのかも気になるし、今何を話すのかも楽しみだよ」
「私のいた、世界……」
は瞳を伏せた。思い出せはするが遠い出来事のような気もする。『帰りたい』とは思わなかった。
けれど、帰りたくないかと聞かれると、なぜか少し胸が苦しくなる気がする。
『帰りたくない』という言葉は正しくないせいだろう。
「ボクに聞きたいことがあるなら、それも答えるよ。せっかくだからね」
「それは『何を聞かれるか』が楽しいから?」
「うん? 多分、そう」
ふふっと少年は笑った。
なんとなくそこに懐かしさを覚える。
ハロルド=ベルセリオス。彼女にも一般のそれを超えた好奇をがあった。それをふと、思い出した。
はそれでふと唇の端を緩めてじゃあ……と聞いた。
「まずはつまらないことを聞くよ。あなたの目的は、何?」
「普通はそう来るよね。目的はあの青い鍾乳洞で話したとおり。ボクは、ボクの世界に帰りたいんだ」
「アクアラビリンスに、そのための扉が本当にあるの?」
少年の目的は冥府の神の向こう。その後ろにあるだろう『扉』だった。
「さぁ、わからない……」
しかし返ってきたのは曖昧な答えで……
少しだけ少年の瞳にかげりがさした。
「でも、扉は別のどこかに繋がっている。ボクはそこが直接ボクの世界に繋がっていなくても、その先からまたボクの世界に繋がる扉をみつけるよ」
少年の言うことを理解するにはわからないことだらけだ。
知っても仕方のないことではあるのかもしれないが…… は聞いた。
「あなたの世界は、どんな世界なの?」
これはただの疑問と、好奇だ。
相手がただの「敵」ならそんなことを聞く必要はないのだから。
たちは扉ともどもマグナディウエスを再び封じなければならない。
けれど少年は、憚ることなく答え、待っていたかのように再び笑顔を浮かべた。嬉しそうに。
「ボクの世界は、とても美しい世界だよ。色々な世界への扉があって、それぞれがそれらを管理してる。交差するはずのない世界線の交差点に存在すると言われる世界……あぁ……見せた方が早いかな」
視界を端から鮮やかな色が駆け、それは景色になった。
瞳を細めたくなるくらい抜けるような青い空。その中空にいくつもの島が漂っている。下方は雲と…海だろうか。遥かかなたで青い平面が光を反射し、煌いている。そこに陸地と呼べそうなものは見えなかった。
島と島は橋でつながれ、あるいはまったく繋がっていないのに建物がそれぞれに見える。
物理的に「理が違う」の意味は一目でわかった。
「きれいだね」
思わずわぁ、と目を輝かせる 。異世界感としてははるかに現状より上だろう。もう、好奇としての疑問しか湧いてこない。
「あの島のそれぞれにゲートがあるの?」
そう言ったのは人が明らかに住んでいるだろうに、独立した島があるからだ。
少年は楽しそうに答える。
「そう、異界と呼ばれるこの世界のように本来は関わりのない世界も、ボクの世界の中を行き来するのも、ゲートを使うんだ」
そう言って、少年は島のひとつを指差した。
「あそこがボクのいた島。およそ16の世界へのゲートがある」
「そんなに!?」
その反応が嬉しかったのだろう。少年は を見て満足そうに笑う。
「君は世界が多数あることを否定しないんだね。他の世界と関わりを持たない世界の人間は、多くがまず、理解を示さないよ。そこから説明しても、大体が信じない」
この世界でそういうことを繰り返してきたのだろう。最後は小さなため息に変わった。
「私のいた世界でも、信じる人と信じない人のどっちが多いかって言ったら、考えてない人のほうが多いと思うよ」
「あはは、そこは二択じゃないんだ」
平行世界の存在、異界の扉、大体がファンタジーとして物語という形で人々は認識を終えるだろう。
異なる世界は物語という言葉を介して覗いているのではないか?
たとえばそんな、可能性にまでは至らない。
「それでもボクの島にあるゲートは少ない方だよ。新しいゲートはみつけた人が管理することになっていて、それぞれの世界から得た『知』『識』は中央塔で管理されるんだ」
「……あなたたちは、そんなふうに知識を集約することを生業としているの?」
「そうだよ。ひたすらに知を集約し、記録者として生きる。ボクにとっては……いや、ボクらにとっては、かな。それはとても楽しくて、素晴らしい生き方なんだ」
「知る」ことへの意欲、楽しさ。彼らの理の源はそこにあるのだろう。
だとすれば……たいていの世界は彼らにとって「怠惰」に見えるのかもしれない。
「だから、誰も争わない。知ることは学ぶことでもあるから、他者の経験を自分のものにすることもできるんだ。ボクらの世界はそうやって、みんなが前進しながら歴史をつづり続けてきた」
再び、翳る面差し。
それなのに、と言いたそうだった。
「君の世界の名前は?」
そして突然、聞かれる。
「私のいた世界に、世界としての名前なんてなかったよ」
「……ままあることだね」
珍しくはないのだろう。名前というのは他者と自己を区別するものだ。
世界がひとつであるなら、世界に名前をつける必要はない。
「ただ、惑星として名前はついてた。『地球』っていう……」
「地球、かぁ……聞いたことないな。国の名前の方がわかるかな」
辺境の小国だったら、逆にわかり辛い気もするが。
そもそも言う気がないので は黙っていたが改めて問われて答えた。音にすると懐かしいとともにこの世界では違和感を覚えざるを得ない響きだ。
「その国は、君の世界で大きい方?」
「大きさで言うなら小さいほうだけど、先進国の一員ではあったよ。あとは、元々は心を大事にする気質が強いかな?」
「なんとなくわかるね」
何がわかるのだろうか。逆に聞いてみる。
「惑星という概念を理解しているから、文明レベルはそれなりってこと。加えて、そもそもが精神感応力の強い世界のボクとこうして『夢』で会話ができる。まぁ個人差はあるんだろうけど、言葉を用いなくても察する資質があるんだろうね」
国民性だろうと思う。
同時に、言葉にしなくても伝わる故に偽ったり滅多なことを考えもしないであろう彼が、ひどく穏やかな人間に見えた。
事実、ここで「会って」から敵視する言の葉どころかその空気一つすら伝わってはこない。
「でも、争いの耐えない『世界』だよ。たくさんの国や思想があるからだと思うけど…あなたの言う理はこの世界にずっと近い」
というか、ほぼ同じだろう。
習慣、言語、何より多様な人間性に加え、進化の歴史。
が不都合を感じないのはそのおかげもあるのかもしれない。
「そう……それが、君が『帰りたがらない』理由?」
そして、改めて聞かれてしまう。
「正直、考えたことはあまりないよ。私には『今』しかないから……それだけが理由かといわれれば違う、と思うけど。この世界にいられる理由が、それなりにあるんだろうね」
あえて考えないようにしていた。
考えれば泥沼にはまってしまう可能性もあったからだ。
たとえば、いつまで自分はこうして「ここ」にいられるのだろうか、など……
それでも、一緒に行こうという少年の手を取るわけには行かなかった。
「あのクロシスという人は……リオンの話では、とても誰かの手伝いをするような人じゃないみたいだったけど、なぜあなたといるの?」
そして、答えが出ないまま質問を変えた。
「クロシスが手伝ってくれない人? まさか」
少年は少し驚いたような顔をしてから、また笑った。
「クロシスは、いつもボクを助けてくれるよ。一緒にボクの世界に行くんだ」
それはスパイラルケイブでもそう言っていたかもしれない。
ケルブの世界が見たい、と。
「クロシスはボクとおんなじ。初めて会ったとき、帰る場所がなくて諦めてたよ。ひどい怪我をしていて、ボクが助けるか聞いたらいらないって言われたんだ。でも、一緒に来る?って聞いたらなんだか少し興味を示したようだから、助けてみた」
どんな出会いだったのだろうか。それだけ説明されても想像できなかった。
ただ、リオンの話から帰る場所がないことを伺うのは容易だったし、きっとケルブはこんな調子で話しかけて言葉で有無を受け取らないうちに彼を助けたのだろう。
その後の彼の心境変化はわからないが、帰る場所がないのなら……新しい世界に行ってみようという気になったのかもしれない。
と同じように、一緒に行こうと手を差し伸べられて。
それが、感情も持たずに生きてきた彼の、小さな希望になっているのだろうか。
「さて、せっかくだから提案だよ。さっきも話したようにボクの目的は『扉』なんだ。いずれ、君たちも封印を解くつもりなんだろう? あの迷宮を封印しなおすために。ボクは別にこの世界を滅ぼしたいわけじゃない。たまたまその先に目的地があっただけだから……」
ケルブは交渉に入って、楽しそうだった瞳にたたえた光を少し鋭いものに変えた。無意識であるのだろうが。
「君たちの持つ『不吉の証』をボクらに譲ってくれないか」
想定内だ。
封印が解けたならあとは好きにしていい、ということだろう。
だが……
「それは無理だよ。リスクが高すぎる」
「君自身は信用してくれそうだけど、そういう問題でもないか」
現実問題だ。
タイミングが狂えばマグナディウエスが地上に現れることになりかねないし、そうでなくとも何が起こるのかがわからない。
現状、もっとも最善の選択はおそらくは……思いついてしまう。
けれど彼らのすべてを理解するにも、その上でリオンたちを説得するにも時間がかかるだろう。
『共闘』。
現時点では、ありえない。
たった一度この場で話しただけで、それを提案するにはそれこそリスクが高すぎる。リオンたち3人を危険にさらしかねない選択はとるべきではない。ひとつの選択の可能性、今はただその程度の選択肢だ。
思案する を前に、ケルブはじゃあ、と代替案を出してきた。
「ボクが譲るよ。順番はどうでもいいんだ。10日後、すべてのこちらの持ち札を解呪のためにセットする。それとも指定の時間があるかな」
ピュアブライトができるまでおよそ一週間、期間内に残りの不吉の証を回収しきればむしろ頃合だ。
冷静に考える一方で、困惑も生まれる。
「それは、私の一存では決められないよ」
即決はできかねる。
そもそもこの「夢」で起こったことをすべて話すべきなのか?
熟考しなければならないだろう。
「まぁいいや。覚えてさえいてくれれば。話があるなら今度は君のほうから呼んでくれればいい。……あぁ、君の世界へ続くゲートはわからないけれど、僕の世界に来たなら、きっと探すことができる。君にも僕の世界を見てもらいたいなぁ。クロシスみたいに」
そこにあるのは純然たる言葉だった。
だからだろうか。彼の暗殺者の心をも動かしたのは。
夢は、少年の夢を伴って未だ、続いていた。
