2.逃走
その日はいつもと同じ朝だった。ただ、違うことはといえば、卒業試験の日であるというだけだ。ふと、シンも空軍の試験を受けているのだろうかと思ったが、試験教官の声で テイト は現実に戻った。
「今日は、各チームに分かれて囚人と戦っていただきます。全員を殺したところで試験終了です。くれぐれも逆に殺されないように」
殺す、という言葉を聞いてとたんに試験生たちをとりまく空気が変わった。軍に入るものが目指すのは「守ること」だ。けれどそれは「殺すこと」でもありうる。だが、学校では殺人の実戦まではしなかった。
試験教官が閉ざされたガラス張りの部屋へ誘う。彼らはそれを外から見て、合否を決めるということらしかった。
「お前と同じチームになれたのは心強いな」
「あぁ、オレもだ。 ミカゲ 」
囚人が放たれる。大男が三人。いずれも凶悪そうな顔をしていた。放たれるのは殺気と殺意。どいつもこいつもイカれている。
そして「試験」が始まった。
これは精神面でもふるいをかけているのだろう。実戦を知らないものは多くが恐怖にとらわれ、脱落していった。それでも テイト と ミカゲ は他の数人の生徒と共に二人を床に沈め、最後の一人と対峙している。
「あの二人は前座よ、俺は同じようには行かないぜぇ?」
拳を引いたと思った次の瞬間。それを試験生の一人に向かって突きつけた。早い。生徒はよけきれずにわき腹を強打され、壁まで吹っ飛んだ。
武器が与えられないのが幸いだ。もし刃物でももたれていたら死んでいただろう。だがそれは テイト たちも等しい条件で、彼らは身、ひとつで囚人に向かっていた。
「今度はお前か?」
「た、助けてくれ……」
「避けろ、馬鹿!」
ミカゲ が動けなくなった生徒を突き飛ばす。しかし彼はその強靭な手につかまってしまった。
「くそっ!」
「 ミカゲ !」
テイト が床を蹴る。その腕めがけて渾身の力を込めて両手を組んで振り下ろす。緩んだ瞬間に ミカゲ も退きはせずに蹴りを繰り出す。
「ぐあっ」
動きが鈍った。刹那、二人は同時にザイフォンを発動させた。光の輪が捕らえるのは首。勝負はあった。
「どうしました? まだ試験は終わってませんよ」
だが、教官の言葉は無常だった。殺すことは簡単だ。ザイフォンを刃に変えてそのまま絞めてしまえばいい。だが、 ミカゲ は躊躇った。 テイト は無表情のまま答える。
「これ以上こいつは戦えません。勝負はありました」
次の瞬間だった。三番目のザイフォンが囚人の首をくびり落した。
「!」
「手ぬるいなぁ。悪いけど、ボクがもらっちゃったよ?」
それは テイト より年若く見える少年だった。無傷で残っているのだから、実力もあるのだろう。だが、彼は一度も仲間を助けはしなかった。それを テイト は確かに見ていた。試験もまるで遊んでいるようにほとんど攻撃はしていなかったように思う。しかし、今のザイフォンは、一瞬で人間の首を落した。強力だった。
「そこまでです。合格者は……今、立っている者とします」
それは、 テイト と ミカゲ 、そしてその少年だけだった。
夜。試験は終わったものの、寝付ける者は多くはなかった。 ミカゲ もその一人で、 テイト に声をかけてきた。
「 テイト 、起きてるか?」
「あぁ、どうしたんだ?」
「今日はありがとな」
横になったまま、 ミカゲ は手を頭の裏で組んで天井を見た。
「助けてくれたおかげで、合格できたよ」
「合格したのはお前の実力だよ」
「なぁ、シンもあんな試験、受けたのかな」
試験の終了は「殺すこと」。それは、普通に生きてきた人間には過酷な課題だ。
「どうだろう……でも、あいつなら、殺さないでなんとかするんじゃないか?」
「そうだな。お前がそうだったみたいに」
自分だってそうなのに。
ミカゲ は優しい。人殺しの世界には向いていない気がする。けれどそれが「誰かを守る力」になるのなら向いているのだろうともいえる。 ミカゲ には光に向かって進んでほしいと思った。
「でもこれで、フォーマルハウトに入れるんだ」
何を思ったのか。がばっと起きる ミカゲ 。 テイト を見た。
「 テイト 、オレ、大事なものを守れるように強くなるよ。お前が今日助けてくれたみたいに、オレもお前がピンチになったら必ず助けに行く」
「 ミカゲ ……」
テイト も体を起こした。
「じゃあオレも約束するよ。お前がピンチになったら、きっと助けるから」
「あぁ! 約束だ」
「約束するよ」
夜の蒼さの中に ミカゲ の笑顔が映える。その笑顔は テイト にとって長い間支えになるはずのものだった。
それなのに。
テイト は ミカゲ に手を引かれて走っていた。血に汚れた手。その手を離してほしいと何度も思った。だが、 ミカゲ は決してその手を離さなかった。
「この先に、イーグルをかっぱらっておいた。お前はそれで逃げるんだ!」
誰もいない回廊を駆け抜ける。幸い、追っ手は来なかった。皆殺しにしたのだ当然だろう。 ミカゲ は テイト が捕らえられた部屋まで最短の距離にイーグルを用意してくれていた。すぐに二人はそのテラスへと出ることになる。
「 ミカゲ ……」
「 テイト 、何があったのかわからない。だけどオレはお前のこと信じてる。忘れるな」
話したいことがたくさんあった。自分にもどうしてこんなことになったのかわからない。けれど、ここに留まっていては ミカゲ にも被害が及んでしまう。 テイト は言葉を飲み込み、イーグルへと足をかけた。二人乗りの小型飛空艇は、彼を連れて行くこともできる。しかしそれは決して叶えてはいけないことだった。
「オレはお前の親友だからな」
「あぁ。……忘れない」
「行け!」
起動するとふわりとイーグルは舞い上がった。振り向くことくらいは許されるだろうか。すぐにトップスピードに上がったイーグルは、大きく弧を描き上階のテラスの前に来た。首を回した テイト が見たのは冷たい視線だった。
(エンデ中将……!)
ゴゥッ
風が鳴る。それ以上、振り向くことは許されなかった。 テイト は虚空へ向けてイーグルを飛ばす。それを追撃するように強大なザイフォンが放たれたのを背に感じた。
「ぐはっ!」
とっさにザイフォンをシールドに致命傷を防ぐことはできた。だが、どこまで逃げられるのか……それは自分にとってもわからなかった。
青年は短い巡業を終え、聖域への道をたどっていた。
「アルビノの俺に巡業とかなんの嫌がらせだよ、ったく……」
「ヒューは司祭様だもの。しょうがないでしょ」
しかもイーグル使うのではなく、徒歩で。ぶつくさいいながら渓谷を歩いていくヒューと銀の髪の少女。もう教会は見え始めている。今度の巡業もようやく終わる。
だがしかし、ふと、青年の足は止まった。
視線の先には倒れ付した黒髪の少年がいる。
「……」
ヒューはその横を素通りしようとした。その腕を少女が引きとめる。
「駄目でしょ? 軽やかにスルーしちゃ」
「行き倒れとかよくあることだろ? よくある光景にいちいち目を留めるほど暇じゃないの!」
「んーでも」
「どうした?」
ふと、少女は少年を覗き込んだ。そのまま黙り込む。ヒューも何を思ったのかその様子を黙って見つめた。
「……白い、羽」
「あ?」
「わかんないけど。……連れて帰ってあげようよ」
少女がヒューの姿を振り仰ぐ。少しだけ考えてヒューはその頭に手を置いた。
「お前が言うんじゃしょうがないな。ティアス」