3.教会
テイト が目を覚ますと、そこは白い空間だった。白い壁、白い床、白い天井。病室の配色を思わせたがそれよりもどこか温か味がある造りだった。柱には簡素ながらも何かのオブジェが彫ってあるし、植物も置いてある。だが、見覚えのない場所だった。
「あ、気づきました?」
「!」
ベッドから飛び降りてとっさに身構える。頭がぐらりとして危うく倒れそうになる。それを持たせながら相手を観察するとそれは白い服を纏った司祭の青年だった。
「駄目ですよ、まだ寝てないと」
おっとりと言うと彼は持っていた水差しをのせたトレイをベッドサイドに置いた。
「飲みますか?」
言われると途端にのどの渇きを覚えた。そういえば、帝都を出てから何も口にしていない。二日ほど南東にイーグルを飛ばしていたことまでは覚えているが……。
青年は怪訝な顔をした テイト に微笑んで、水をコップへと注いだ。
「大丈夫ですよ。ここは、第三大陸(トレース)の聖域です。あなたが何者でも、ここにいる限りは安心です」
「聖域……?」
ベッドに戻るように言われて、 テイト はそれに従った。どうやら敵ではないし、帝国軍につかまったわけでもないようだ。それはこの待遇がよく語っていた。
「はい、四大神を祭る中央教会です。僕は司祭のミスト=フリュートン。よろしくね」
水を受け取って口に運ぶ。そんなに冷たくはないのに、それは喉によく染み渡った。
コンコンコン、ノックの音がしてミストが返事をする。入ってきたのは銀の髪の少女と、白い髪の青年だった。
「良かった。気づいたんだ」
「?」
「彼女、ティアスとヒュー……こっちの目つきの悪い司祭があなたを運んできたんですよ」
にこやかに。ミストは笑いながら二人を紹介した。
ティアスはきれいな娘だ。それにヒュー。銀ともいえる白い髪など珍しく テイト はそれをじっとみつめてしまう。
「誰が目つきが悪いだ。目つきは悪くないだろう」
「そうですね、悪いのは言葉遣いでした」
にこにこしているのは天然だろうか。悩むところだ。ヒューは半眼になったがそちらは諦めたのかそれ以上何も言わずに テイト に向かって何かを投げてきた。
「おらよ、起きるときはそれに着替えな。……着てた服は帝国軍学校のもののようだが、どうするよ」
「!」
視線が鋭くなったのだろう。ティアスが少しだけ驚いた顔をする。しかし次の瞬間には首をかしげて笑みをこぼした
「大丈夫だよ。何も聞かないから」
「何も、聞かない?」
「ここはそういうところですから」
ティアスとミストが交互に言う。最後にヒューを見るとヒューは司祭の帽子の載った頭に手をやって片目を瞑った。
「迷える子羊に手を差し伸べるのが俺らの仕事だからな。ここは聖域、帝国の手も及ばない治外法権地帯ってやつだ」
そんな場所があるなんて、知らなかった……
テイト は、視線を落して記憶をたどる。自分は、外の世界について何も知らない。逃げ込んだ場所は幸運にもこの場所だったがこれからどうすればいいのか、見当もつかなかった。
「わけは話したくなったらいつでもどうぞ。秘密は厳守しますからね。名前は……聞いてもいいですか?」
「……」
「じゃあガキで決まりだな。それか羊。『子』は面倒なので略す」
「 テイト だ! テイト =クライン」
あまりの言い草にかっとなって テイト 。ヒューはしてやったようにににやりと笑った。
してやられた。
「そうですか。では、 テイト 君。まずは体の方をよくしましょうね」
にこりと笑って、ミストはベッドに近づくと テイト に向かって両手をかざした。光の輪が生まれる。暖かい。ザイフォン、いや『エルブレス』だ。
(この人……癒し系なのか……)
春の日差しの中にいるような心地よさを覚える。まだ残っている体の痛みが少しだけ引いた気がした。
「では養生してくださいね」
ティアスとヒューもミストと一緒に去ると部屋に沈黙が訪れた。
テイト は穏やかな空気の中で、横になって瞳を閉じた。けれどよぎったのは冷たいエンデの視線だった。はっとして閉じたばかりの瞳を開ける。そう自分はあの時、エンデに会った。
卒業試験の終了した翌日だ。卒業式まではまだ数日あった。たまたまエンデが卒業試験を見に来ていることは知っているが、自分には関係ないことだと思っていた。けれど。
扉の向こうで話すその男の姿を見たときに、 テイト は『暴走』した。体の中から湧き上がる力。
何が起こったのかはわからなかった。思い出そうとすると頭が割れそうだ。が、それでも記憶をたどればそれは確かに『暴走』としか言えなかった。あふれ出るザイフォンはエンデによって相殺された。だが、理由も聞かれずに気づけば「エンデ中将に反逆した」とされて、 テイト は牢に放り込まれていた。
「していない!」そう叫んだところで誰も耳は傾けなかった。なぜか今までにない命の危機を感じた。それは彼に直接鞭を向けた者たちがもたらすものではなかったが、自分の身を守るために彼らを殺してしまった。
もう、帝国には戻れない。 ミカゲ はどうしただろうか。無事に、何事もなく学校に戻れただろうか。それだけが心配だった。
教会の空気は花の香に満たされ甘く、優しかった。
テイト が今まで感じたことのない空気だった。それゆえに戸惑いもしたが、ティアスが手を引いてミストの管理する庭園を案内してくれたり、ミストが時折、神の言葉を語って聞かせたりと少しずつではあるが空気に慣れることができた。
ただ。
「おー、ガキ。今日も元気そうだな」
「ガキじゃない、 テイト だ」
……こいつだけは慣れない。ヒュー=ロナスリスト。自分をここへ運んでくれた人間だが、感謝する気になれないのはなぜだろう。しかし、聖堂を覗けば『勤め中』のその姿があり、それを見ている分には司祭には見えた。
「……どうです? ヒューは、『神に愛されし者』としてこの教会では人気ナンバー1なんですよ」
「うそ!?」
「何全力で疑問系なんだ、こら」
ミストの発言に思わず叫ぶと後ろからがっしと頭を握られた。
「アルビノは神に愛されし者の印と言われます。ゆえにヒューはこの教会のシンボル的司祭でもあるんですね」
……アルビノっていうのか。
彼の色素の薄さは先天性であるらしかった。白い髪に淡い色の瞳。確かに見た目だけ見ていれば、白い司祭服にしっくりこないこともない。
「待遇はともかく、あんまいいことはないぜ? アルビノだからな、長時間外にも出られないし」
「そう、なのか」
「まぁ普通は」
最後の一言が気になるんだが。
勤めが終わったらしいヒューとミストと歩く。どこへ行く、というわけでもないがこの教会は広い。まだ見ていないところはたくさんあった。歩くのはリハビリがてらミストに勧められたことだ。
高い日がステンドグラスに差し込んできらきらと輝いている。 テイト は巨大な像のある広間にやってきた。
「これは……?」
「エウロスですよ」
「エウロス?」
「ご存じないですか?」
シンからもらったアミュレットのことを思い出す。あれは制服のポケットに入れていたが、持っていたものはすべて取り上げられてしまった。もう、 テイト の手に残っているものはない。
「少しだけなら……記憶をつかさどる神様だとか」
「そうですね。エウロスはこの世界を守るといわれる四神のうちの一人です」
「四神?」
「お前、エウロスは知ってるのに四神は知らないのか」
ヒューに無意味に頭に手を乗せられてむっと見返す。戦場で、軍で必要なこと以外は教えられてはいなかった。帝国軍は神に祈る必要はない。 テイト が知らないのも無理はなかった。
「魔王シャイターンを封じた神様のことだよ」
後ろから現れたのはティアスだった。花を両手に抱えている。それをはい、とミストに渡すとティアスは テイト の横に並んで像を見上げた。
「天上には、神様の神様がいてね。昔シャイターンが地上で災いを振りまいたときにその四神を遣わして、シャイターンを封じたんだって」
「封じた……ってことは、シャイターンはまだどこかで生きてるってことなのか?」
「四神を持っても封じるのが限界だったんですね。シャイターンの魂は封じられ、その欠片は記憶を失って世界に漂っていると言われています」
にわかには信じられない話だ。おとぎ話自体遠い場所にいた テイト にとってはなおさら。どう受け止めていいのかわからなかった。
「エウロスのほかにもノトス、ゼフィロス、ボレアスっていう神様がいるんだよ。ゼフィロスとボレアスの像は他の塔で見ることができるよ」
「ノトスって神様は?」
「ノトスの塔は立ち入り禁止です。十二年前に像が崩れてそのままだそうで……」
「ふーん」
なんとなくそれを見たい気はしたが、それ以上の意味はないことを知って テイト は再び像を見上げた。
「あ」
「どうしました?」
「んー…… テイト 君に神のご加護を。……会いたい人が来るよ」
会いたい人?
真顔で加護をといわれた直後に、破顔一笑。わけがわからない。
にこにこと笑うティアス。なぜか彼女は唐突に テイト の手を引いて教会の外門までやってきた。今、ここを出ることは死を意味するだろう。 テイト にとっては生死を分ける線でもある。意味がわからずそこから行きかう人々を見た。
「何があるって言うんだ?」
「わかんないけど」
「……わからないならなんでここに来たんだ?」
「わかんない」
わからないのはこっちの方だよ。おそらく自分より年上だろうに、幼い子供のような表情をするティアスにがくりとしたくなる自分がいた。
「 テイト !」
その時、自分の名を呼ぶものがいた。外からやってきた人間だ。「彼」は笑顔を見せてかぶっていたフードを払った。
「 ミカゲ ……?」
「そうだよ、オレだよ。やっぱり無事だったんだな! テイト !」
「 ミカゲ !!」
思わず駆け寄って、人並みにもかまわず抱きついた。
「なんだよ、大げさだな。お前が抱きついてくる側じゃねーだろうが」
「良かった……無事だったんだな」
「オレはなにもねーよ。……お前のことが心配で、もしかしたら、って思って来たんだ」
「もしかしたら?」
「帝国軍はお前のこと、探してるよ。でもまだみつかってないみたいだから……イーグルで短時間で逃げ込める場所って言ったらここくらいしか思いつかなかったんだ。ビンゴだったな」
「そっか」
ミカゲ の無事に、それ以上の言葉は出てこなかった。俯くと涙がこぼれそうだ。でもそんな顔を見せられなくて テイト は俯いた。
「 テイト 君、お友達ですか?」
「ミストさん」
「ひょっとして テイト が世話んなってる人か? はじめまして! テイト の親友の ミカゲ です」
門の前まで、ミストが迎えに来ていた。 ミカゲ はそれを見ていつもの笑顔で名乗る。
その隣のティアスにも気づいて挨拶をしていた。
「すっごいかわいいこだな! テイト 、やるじゃないか!」
「なっ、何がだよ。ティアスはオレをここまで連れてきてくれた人だよ」
うりうりとほほを拳で触れられ テイト は、それでも笑顔になった。
「 ミカゲ 君も中へどうぞ。積もる話もあるでしょう?」
「あ、はい。ありがとうございます!」
目の前に来た ミカゲ をティアスが見上げる。一瞬だけ心ここにあらずといった顔をしたティアスにミストが声をかけた。
「どうしました?」
「きれい」
「?」
「この子は人の魂の色が時々見えるんですよ。 ミカゲ 君。あなたの魂は何色なんでしょうね?」
そう微笑みながらもミストはその色をティアスには聞かなかった。だから テイト たちも聞けないまま部屋へと移動した。けれど。
ミカゲ の魂がきれい……それはなんだかわかる。親友として、とても嬉しく、なんだか誇らしく思った。
それからの時間は早かった。帝都で起こったことを話し、ここで世話になった間のことを話し、聞いたことを話し。
気づけば日は暮れかけていた。
「あっ、ごめん、 ミカゲ 。オレ、自分のことばっかり」
「いや、いいんだ」
ミカゲ は終始真剣に耳を傾けてくれていた。教会の話になると笑顔にもなってくれた。それが嬉しくて、話し続けてしまったが……ふと気づいて テイト は話しを切った。
「お前、学校にいるときよりいい顔してるよ。いっそここで司祭になっちまえば?」
「そんなの向いてないに決まってるだろ。でも……」
「でも?」
いきなり現実に引き戻された気がした。いつまでもここに、いていいのだろうか。彼らはそれを拒まないだろうが、また、暴走してしまったら。巻き込んでしまったら。不安はよぎる。
「いや、なんでもない。それより ミカゲ の話しも聞かせてくれよ」
「バーカ。まだ、一週間経ってないんだぜ? その時間で何が激動するって言うんだよ」
「そ、そっか。そういえば卒業式は終わったよな。ここへは休みを利用して?」
「……そうだな」
ミカゲ はただ微笑うだけだ。試験の後には短いながらも休業期間があった。それを利用してきてくれているのだとすれば、またすぐに別れることになる。けれど、ミカゲ にとってはそれが一番良いのだ。 ミカゲ は夢をかなえることができる。約束は……叶えられなくなってしまったが。
「そうだ、じゃあ帰ったらシンに……謝っておいてくれないか。あいつがくれたアミュレット、取られてしまって」
まだ途中なのに ミカゲ は テイト の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「ははっ、 テイト は相変わらずちっさいな」
「なんだよっ」
「帰るのはまだ先だ。もうそんなこと考えないで、もっと話しをしようぜ、な?」
そうやって二人は夜が明けるまで話しをした。ついこの間まで一緒だった。だから話すことなんてそんなにないはずなのに。昔の話をたくさんした。まるで出会ってからの軌跡をたどるように。それが楽しくて、二人は眠ることを忘れていた。
「おら、ガキども起きやがれー!」
バン! 扉が開く音で二人は目を覚ました。眠ることは忘れていたが体は勝手に眠っていたらしい。ほぼ徹夜状態で目をこすりながら体を起こす。
「なんだよ、くそ司祭かよ」
「口が悪いぞ、 テイト =クライン」
「あんたに言われたくない」
ミカゲ は油断するとまた寝ている。朝食を食いっぱぐれると聞いて、揺さぶり起こして食堂へ連れて行く。食前の祈りのその間も寝かけていた。軍人志望者としてここまで油断している姿も学校では見られなかったが、それだけ安らげるものがここにあるということだろう。 テイト は思わず笑みをこぼす。
「良かったね」
「え?」
「君のそんな顔、はじめて見ましたよ」
「やればできるんだな」
何を。
ミストとヒューに言われて、つい言いたくなるがそれすらも今は心地よくて。 テイト は穏やかな気分で食事を済ました。
「ここはミストさんの管理する庭なんだ。食用のハーブとかもいっぱいあるんだぜ」
「なんだか テイト はホントにここの人間みたいだな。やっぱり司祭が合うんじゃないか?」
それは無理だ。人を殺しすぎてる。 テイト はただ苦笑で返すしかなかった。ティアスが花の世話をしている。それを遠目にベンチへ腰を下ろす。
「あのな、 テイト 。オレ、お前に伝えたいことがあってここへ来たんだ」
「どうしたんだ? 急に」
「お前、この先どうするかはもう決めたのか?」
「……それは……」
いつか決めなければならないこと。しかし、まだ迷いはあった。光も先も見えない、標もなく迷っている。ただそんな状態だ。
だが、 ミカゲ は テイト の背をたたくと笑った。
「そんな顔するなよ、親友! オレはな、……お前が何を選んでも信じてるよ」
迷ってもいい。 ミカゲ の瞳はそう言っていた。その先で選ぶこと。それだけは忘れるな、と。
「だからお前は、自分の信じた道を進めよ?」
「 ミカゲ ?」
「オレは何があってもお前のダチだからな」
「なんだよ、それじゃまるで……」
もう会えないようじゃないか。
それは言葉にできなかった。言葉にしたらそうなる気がしたから? それとも会うべきではないと自分が知っているから? わからない。けれど、「また会おう」とは言えないのだと テイト もまた気づいていた。ここにいる限りは、会えるのかもしれない。けれど、そうでない日が近く来ることを、感じていたのかもしれない。
「それと、お前は自分を大事にしろ」
急に落ちるトーン。消える笑顔。えっ、と思うまもなく ミカゲ は先を続けた。
「お前、一人にすると栄養剤だけで食事済まそうとするしな。睡眠時間もきっちり取れ。夜きちんと寝ると背が伸びる。それだけじゃない、免疫機能も上がるしお肌もつやつやになるし、とにかくいいこと尽くめだ」
真顔。
「オレの肌がつやつやになって誰が得するんだよ……」
「人の話を聞いてなかったのか。背も伸びるんだぞ」
「うっ」
痛いところをついてくる。実際、 テイト の身長は、決して女では高い身長ではないシンと同程度なのだから。
「とにかく、自分を大事にするんだ。自分を大事にすることが、自分を大事にしてくれる人を大事にすることにもなるんだからな」
「そんなやつ……」
「いないとは言わせないぜ」
ミカゲ はいつでもまっすぐに テイト を見てくる。
あぁ、適わないな。いつも、 ミカゲ には適わない。
テイト の頬は自然と崩れた。それが テイト の答えだった。
ミカゲ も笑顔になった。
「それでいいんだ。お前、よく笑ってくれるようになったよ」
「それは ミカゲ がいてくれたからだ。感謝してる」
「でもお前、オレ以外の前じゃまだあんま笑わないからな。笑えるようになれよ?」
そうなれたらどんなにいいか。
ミカゲ といると温かくなる。きっと「笑える」のはそんな時だから。今が、幸せだった。たとえそれが今だけのものだとしても。
庭園を去っていく二人。風が吹いてティアスはその背を遠い瞳で見送った。
「……もうすぐ、消える…………」