4.ローダンセ
ミカゲ が来て三度目の朝が来た。しかし、 ミカゲ の姿は消えていた。
「なぁ、 ミカゲ を見なかったか?」
「なんだ? こっちには来てないぜ」
朝食の時間を過ぎても部屋に戻ってこない ミカゲ を探す。ヒューは大聖堂近くの回廊にいたが、見ていないという。ミストもティアスも、シスターたちも同じ答えだった。
まさか、もう帰ってしまった? いや、それはないだろう。別れの言葉もいえないままなんて、気持ちが収まらない。それは ミカゲ も同じはずだ。
ふと、胸騒ぎがして テイト は踵を返した。どこかに心当たりがあったわけではない。だが、その先はヒューがいた。
ヒューは空を見上げていた。
「どうしたんだ? ヒュー」
その視線が、空、というよりここでないどこかに行ってしまっているようで テイト は思わず声をかけた。
ミストがこちらに向かって駆けて来る。
「ヒュー! ソウルイーターが……!」
「あぁ、わかってる」
ソウルイーター? 疑問に思うまもなく彼らは駆け出した。
「何が……」
しかし、胸騒ぎが収まらない。 テイト は追うことを決めた。しかし、その腕にしがみついてくる者がいた。
「ティアス……!」
「……行っては、だめ」
「どうして!」
「 ミカゲ 君が……」
「 ミカゲ ? ミカゲ を知ってるのか!」
「来るなって言ってる」
「!」
振り払って駆け出す。
そこは教会の裏手にある崖だった。
背を向けたままの ミカゲ の後ろには、ヒューとミストがいる。何が起こっているのだろう。彼らは険しい顔で ミカゲ をみつめていた。
「 ミカゲ ……!」
「ガキ! 着いて来ちまったのか」
「 テイト 君、だめです。戻ってください」
「なに言ってんだよ、 ミカゲ がどうかしたって……」
「 テイト 」
ミカゲ が振り返る。いつもの笑顔はなかった。
「 ミカゲ 、どうしたんだ? こんなところで……」
「どうして来たんだ。……オレは……もう持たない」
「 ミカゲ ?」
苦しげに顔をゆがめる ミカゲ 。自分の肩を抱いてうめきだす。
「 ミカゲ !」
だが、駆け寄ろうとした テイト をヒューとミストが止める。伸ばしたその手は ミカゲ には届かなかった。
「 テイト 、……すまない」
「どうしたんだよ、 ミカゲ 。ヒュー、ミストさん、放してくれっ」
「だめだ。あいつはソウルイーターに喰われちまってる」
「なんだよそれ、そんなの知らねーよ!」
「 テイト 、殺してくれ。オレがオレであるうちに……」
「! ミカゲ ……何、言ってる……?」
ミカゲ が顔を上げる。
「殺して」
そういいながら ミカゲ は右手を上げその手からザイフォンを放った。 テイト たちに向けて。
「ちぃっ」
ヒューが動く。エルブレスがその手に集約する。 テイト の身はミストに抱えられ、何度も放たれるザイフォンから守られた。
「どうして……!」
目の前でヒューと ミカゲ の戦闘が始まる。それを テイト は愕然と見ていた。
「ソウルイーターは魔王の使い、文字通り魂を喰らって人を操ります。 ミカゲ 君は……魂が既に同化しかかっている。今、消さなければ永遠に闇をさ迷うことになります」
ミカゲ のその背から、異形の片翼が覗く。それはあっというまに広がるとその体を宙へ誘った。
『 テイト ……』
悲しそうな ミカゲ の声がする。
「殺してやる」
それも、 ミカゲ の声だった。
「神の御許へ召されやがれ」
「やめろ、やめてくれぇ!」
ヒューの攻撃ははじかれた。驚きに目を見開くヒューとミスト。 ミカゲ の声で、顔でその魔物は笑った。
「そんな攻撃では私は滅せられない」
『 ミカゲ 』がヒューの脇をすりぬけて テイト に迫る。ミストがエルブレスで張った結界を破ってその手が テイト を捕まえた。
「 テイト 君!」
「神の僕よ、この者を手に入れればそなたたちには用はない。退け」
『 テイト 、頼む。お前の手で』
「嫌だっ!」
人ではない力につるし上げられて、呼吸ができなくなる。 テイト の意識は急激に遠のいていった。白い、白い世界が脳を占有していく。
誰か、……誰か…… ミカゲ を助けて……
『……殺してやろう、私の手で』
「何っ?」
テイト の瞳が開かれる。銀の光がその瞳の色を染め上げていた。力なく垂れ下がっていた腕がすっと上げられる。
『滅びよ、悪しき使い魔よ』
テイト の口元に笑みが浮かんだ。それは確かに彼なのに、彼ではなかった。それはヒューもミストも、そしてソウルイーターでさえも理解した。その瞬間だった。
天から光が、落ちた。
『ぎゃあああぁぁぁぁ!』
クレーターが出来、その中央でソウルイーターの断末魔があがる。
「離れた!? ……いや」
テイト を放してがくりと膝を突く ミカゲ 。
急速に戻った意識の中で テイト は激しく咳き込みながら親友の姿を見上げた。
「 ミ……カゲ 」
「サンキュー。……さすが、オレのダチだな」
「 ミカゲ !」
手を伸ばす、しかし。
さらり、とその姿は風に解けるように消えはじめていた。
「 テイト 、ありがとな」
笑顔だった。掴もうと伸ばした手は彼の体をすり抜けむなしく空を掴む。
『親友。未来でまた、会おう』
そうして…… ミカゲ は白い翼と共に消えた。
テイト の涙だけを、そこに残して。
つい、昨日まであんなに暖かだった空気が、今は何も感じない。熱いとも、寒いとも。
膝を抱えたまま テイト はベッドの上で時間をただ、見送っていた。
「 テイト 君、少しは食べないと……また、倒れてしまいますよ」
「……」
「…… テイト 君、……ねぇ魂はどこへ行くと思います?」
ミストの問いは唐突だった。そんなこと、考えたこともない。 テイト はゆるりと顔を上げた。
「天上へあがるんですよ。そうして、夢をかなえた魂は、再び地上に転生する。…… ミカゲ 君、最後に言ってましたよね? 未来で会おうって」
生まれ変わるとでも言うのだろうか。そして、また自分と会えるとでも?
そんなものは生きている者の都合のいい解釈でしかない。それに……
「 ミカゲ の夢は家族を守ることだった。その夢だって……壊れちまったんだ」
「そう、なんでしょうか」
ミストの口調は穏やかだった。
「 ミカゲ 君がここに来たのはどうして? 自分で姿を消したのはどうしてなんでしょうね? ……僕にはわからないけれど…… テイト 君ならわかるんじゃないかな」
「……オレにも、わかりません」
考えることなんて出来なかった。ただ、あのソウルイーターは明らかに自分を狙っていた。で、あるとすれば ミカゲ はそれに巻き込まれたことになるのではないか。自分が殺したようなものだ。
「本当に……本当に、 ミカゲ を救う方法はなかったんですか、ミストさん!」
「……ソウルイーターというのは」
ミストが瞳を伏せて、話し始める。
「願いを引き換えに人間と契約します。契約した人間は、刻印を胸に抱き、針が一周してしまうとソウルイーターと魂ごと同化し、新たなソウルイーターとなります。そうしてソウルイーターは数を増やして主である魔王の帰りを待っている。そうなるともう、人間として救う方法はありません」
「 ミカゲ が! ミカゲ がそんなやつと契約したっていうんですか!」
ミストは静かにかぶりを振った。
「僕には ミカゲ 君がそんな人間には見えませんでした。……それに最後は魂は確かに天へ還って行った。彼は、ソウルイーターから解放された」
救われた……? 本当に、それは救いだった、というのだろうか。
テイト にはわからなかった。
「本来なら魂が持つ『夢』を引き換えにソウルイーターは契約します。でも ミカゲ 君は……僕には夢を叶えて逝ったように見えました」
「本当に……夢を叶えて……?」
だとしたら、どんなに救われるだろう。 テイト は思う。
ミカゲ 、お前の夢はなんだったんだ……? 本当に、叶えられたのか?
「僕には魂の行方が見えるんです。……君の代わりに、ちゃんと見たから」
優しく笑う。それがなぜか痛くて。
テイト は顔を覆った。涙が、止まらなかった。
少しだけ、食事をする気になった。味はよくわからなかったけれど、たぶん、周りの優しさを受け入れるだけの力は出たのだと思う。
それでも涙は止まらなかった。
俯けば涙がこぼれてしまう。たった一人の親友は、先に逝ってしまった。
「まだ泣いてんのか、お前」
「悪いかよっ…… ミカゲ は…… ミカゲ はオレのたった一人の親友だった。誰もいないオレにとって家族みたいなものだったんだ」
「家族、か」
ヒューが遠慮なくベッドに腰掛けてくる。帽子を手に取り、粗雑な扱いで放った。それが テイト の視界に転がってくる。
「あ……」
テイト は俯いたまま、器にスプーンをおいてひっかるように声をだした。
「あんたには礼を言っておくよ。……ミストさんに聞いたんだ。ソウルイーターは普通、一度魂と同化したら離れないって。でもあんた、……そいつを引き離してくれただろ?」
「お前、覚えてないのか?」
「?」
テイト はソウルイーターがどんな風に消えて言ったのかを覚えていなかった。気づいたら、 ミカゲ は戻っていて、そして笑顔を残して消えた。それだけが鮮明だった。
「いや。……そうだ、オレが ミカゲ を殺したようなもんだ。……恨んでくれてもいいんだぜ」
「なんでそうなるんだよっ、オレは礼を言ってるんだぞ!?」
「それだけ元気があれば大丈夫そうだな」
くしゃ、と頭をなでられる。釈然とはしなかったが、何か、歩き出せそうな気がする。
「……なぁ、司祭ってソウルイーター退治もするんだな」
「みんながしてるわけじゃないぜ? オレは攻撃系のエルブレスが使えるからな。退魔専門になってるけど。ミストは主に防御や刻印の解除系だ」
「刻印…… ミカゲ には、そんなものなかったよ」
「そうだな。あいつは契約なんてしてなかった」
ヒューが肯定したことにほっとする。何も知らないのに、そう言わしめる ミカゲ の存在を誇りにも思う。
「じゃあどうして……」
「わからない。けどな、気をつけろ。狙われてるのはお前だ」
わからないことだらけだ。でも、知らなきゃいけないことはたくさんあるのだと、それだけはわかった。
「 テイト 君」
扉を開けて、ティアスが現れた。手には白やピンクの花を持っていた。
「あのね、この花…… ミカゲ 君がきれいだって言ってくれたの」
「 ミカゲ が?」
受け取る。ミストの庭のものだろう。 テイト も見たことがあった。
「ローダンセ。意味はね」
ティアスが笑顔で教えてくれた。
「変わらぬ友情」
「……っ!」
「あっ、またこいつ泣いてる!」
「うっさい!」
花を抱くようにして、落ちる涙を テイト は見ていた。でも、今はそうしているのも悪くはない気がした。
「……そういえば」
ようやく涙を拭くその頃、それまでヒューもティアスもそばにいてくれた。
ティアスは テイト の問いに首をかしげる。長い髪が肩からこぼれ落ちた。
「ティアスは、 ミカゲ は来るなって言ってるって、オレを止めたよな。なんでわかったんだ?」
「あー、それはな」
なぜか答えたのはヒューだった。
「ティアスはたまーに予言じみたことが出来るんだ。まぁあんま具体的じゃない割に、本人も意味わからないことが多いんだけどな」
「あの時は…… ミカゲ 君の声が聞こえたよ。予言じゃない」
そう言ってティアスは苦笑した。
「お前を拾ったのだって、ティアスが気になることいったからなんだぜ」
「な、何?」
「…………教えない」
「なんだよ、それ!」
ヒューは再び帽子をかぶって部屋を出て行く。逃げた。ずるい大人だ。
残ったのはティアスと テイト だけ。
少しだけ沈黙が流れた。
「 テイト 君、迷ってるの?」
「! ……それも予言か?」
「わかるよ、それくらい」
ティアスはいつもの笑みで笑った。
「迷うことって苦しいよね。でも……その先で道が選べたら、きっと無駄じゃないと思う」
何を選んでも、信じてる。
ミカゲ の声を、思い出した。
「まだ選ぶことも難しいと思うけど……きっと、 テイト 君は光のある道が選べるよ」
「……ありがとう」
元奴隷だと知っても、同じことを言ってくれるだろうか。たぶん、言ってくれるだろう。そう思えるくらいには自分は、この人たちを信じ始めている。
そんな自分に、戸惑いはない。けれど、人をあやめてきた自分が光の道など選べるだろうか。矛盾は心に渦巻いていた。