5.旅立ち
天から降り注いだ一条の光は、第三大陸(トレース)に駐留する帝国軍が目視できるにも値するものだった。
人々は新たなる天使の光臨とも、神の再誕とも囁き、噂は広がっていった。
「……あれはなんだったんだ?」
「愚問だね。僕には、ラグエルの秘石の力以外の何者にも見えなかったけど」
「 テイト があの秘石の持ち主だってのか」
神殿の、自室の窓からヒューは遠くの空をみつめたまま呟く。ラグエルの秘石、それは兵器であり神から賜わされた守りの力であるとも言われている。世界の東部にかつてあったエディフィス国が有していたものでもあった。
ヒューはそれが発動した時に何が起こるのか、文献でしか見たことはない。だが、ミストはそれを知っているようでもあった。
「しかし、あの秘石はエディフィス戦争で失われたって聞いてるぜ」
十二年前に起こった戦争は、永らく栄えてきた帝国と王国のバランスを大きく崩し、世界は帝国の名の元に統一された。帝国の繁栄と共に、多くの奴隷が生み出された変革期でもあった。
「僕たちは テイト 君の過去を全く知らない。あるいは彼の過去に何かあるのかもしれないね」
「しょうがないな、聞いてみるか」
おとなしく テイト が過去を語るようには見えないが。それに、 テイト は家族はいないといっていた。それなりの過去があるのだろう。ミストも難しい顔をしたが、否定はしなかった。
「あいつがラグエルの秘石の持ち主だとしたら……まさか隠しておくわけにはいかないよな。……気が重いぜ」
それを話すと言うことはつまり、 ミカゲ に手を下したのは テイト 自身であるとつきつけるようなものだ。最も、礼を言われたくらいだから、解放と捉えてくれれば心の重荷にはならないだろうが。手を下した事実には変わりない。それをどう捕らえるかの方が気がかりでもある。
「 テイト 君なら大丈夫だよ。強い子だ。それに教会は四神を信仰している者の味方、だしね?」
何が言いたいのかはわかった。間接的に力になれといっている。聖域をつかさどる教皇は、本来、国王と帝王とも対等な立場にある。ラグエルの秘石は別名、神の瞳。それを持つものが正しい心を持っている限り、助力は惜しまないだろう。それも判断する必要がある。
「俺に見張り役になれってか」
「見張りなんてとんでもない。そんな打算的なこと、神はされないよ。でも放っておくわけには行かないし一応教皇にはヒューが責任持つって報告しておくね」
「ちょ、勝手に人の行く手に茨を敷くな」
ヒューの訴えはいつもの優しい笑顔で一蹴されてしまった。
「迷える子羊を救うのが僕たちの役目だよ」
大聖堂の前、噴水のふちに腰をかけて テイト はぼんやりと行きかう人々を見つめていた。時々、またその中からひょっこりと ミカゲ が現れるのではないかと思ってしまう。そんな時、自分に自分を引き戻すのは結構な作業だった。
「ここにいたのか、 テイト 」
ヒューだった。
「お前、また何か考え込んでただろ。あんまり考えすぎると深みにはまるぞ」
図星だった。思わず眉がよったのを見て、それをヒューも察したようだった。
「少し体でも動かしてみたらどうだ?」
「お前が相手するのかよ」
ヒューはそれほど良い体格をしていると言うわけではない。華奢かというとそうでもないが、少なくとも戦闘系の仕事をしているとは思わなかった。最も、司祭としてデスクワークや神殿内の仕事をしているようにも見えないが。ザイフォンとは異なる性質を持つ攻撃系エルブレスを扱える者ゆえの役割と言うことだろう。
「お前は俺に勝てないぜ」
「言ったな? あとで吠え面かいても……って、何するんだ! 担ぐな!」
いきなりだ。意外な力で肩に担がれたかと思うとそのまま半回転させられて、芝生の上に逆さに転がされた。
空が、青い。
「ほれ、俺の勝ち。今日は肉体労働したくない気分だし、空でも見てぼーっとするのも悪くない日だと思うぜ」
そういいながらヒューは今まで テイト が座っていた噴水のふちに腰をかけた。
「なぁ テイト 。お前、何がしたい?」
「何……」
いきなりそんなことを言われても困る。 テイト は芝の上に転がったまま眉を寄せた。
今、したいことなどない。
「これからのことだ。どうしたいんだ」
「……オレ、 ミカゲ の仇を討ちたい。オレが狙われてるなら ミカゲ が死んだのはオレのせいなんだろう。だけど ミカゲ に何か、償いたいよ」
「償い、か」
ヒューはそれについては何も言わなかった。いいとも悪いとも。もしかしたら間違っているかもとは思っていた。自分の気が済むだけではないかという可能性にも気づいていた。でも、あの出来事が偶然ではないのだとしたら……そこにはなんらかの「敵」がいる。気持ちは止められなかった。
「どうしてソウルイーターに狙われたのか、それはわかったかもしれない」
「ホントか!?」
テイト はがばっと上半身を起こして勢いよくヒューを振り返る。ヒューは淡い瞳で テイト を見下ろした。
「そのために必要なことだ。よく聞け。お前は神の瞳について、知ってるか?」
「神の瞳?」
知らない。察してヒューは先を進める。
「魔王シャイターンが地上に降臨し、四神はそれを封じた。その時に用いたのが神の瞳と言われている。神の瞳はふたつあって、ひとつは帝国が、ひとつは旧エディフィス王家が所有していた。神の瞳は、民を守るためのもの、ひいては世界を守るためのものとして永らくふたつの国の王は協定を結んで守り続けてきた。だが、十二年前の戦争の時に、エディフィスにあったはずのラグエルの秘石は消えてしまった」
「……今もみつかってないのか?」
「帝国は躍起になって探したさ。しかし発見には至らなかった。伝承によれば島をひとつふっとばすほどの力があるとも言われる兵器だ。万一使い手が現れれば厄介なことになる。……そして、神の瞳は魔王の魂と神の魂を宿していると言われている」
兵器という現実的な話と、神と魔王という伝承の話。それらを同時にされて テイト は混乱した。ヒューは一体何が言いたいのか。続きを待つしかなかった。
「つまり、魔王が復活するのにも必要なわけさ。魔王の復活を望むソウルイーターが欲しがるのは当然だ」
「ちょ、ちょっと待った。それとオレが狙われた理由に何の関係が……」
「わからないのか?」
まさか。と思う。まさか
「その神の瞳をオレが持ってるとか言わないだろ?」
ヒューの瞳が細くなる。少しだけ間があって彼は瞳を閉じた。
「その通りだ」
「そんなわけないだろ! オレは何も持ってない!」
声が自然、大きくなった。驚いた人々の視線が集まる。まずいと思ったのかヒューは場所を変えた。片隅のベンチだった。
「ミストが言ったんだ。おそらく間違いない。お前はラグエルの秘石を『持って』いる」
「そんなもの、どこに」
トン、ヒューの人差し指が テイト の胸を指し示した。
「お前の中だ。ラグエルの秘石は、一説によれば使用者に同化する。もっともこの聖域のある帝国では適格者が永らく不在で真偽のほどは不明だが」
「でも、帝都にいる間はソウルイーターになんか会ったこともなかった!」
「それはお前が、持っていると『知られてなかった』からだろう。それにソウルイーター単体にはそんな知恵なんてない。あのソウルイーターは『特別製』だった。……思い出せ。お前を狙うに値するやつはいなかったか?」
「!」
思い出すまでもない。エンデだ。あいつは自分を追っている。だが、ソウルイーターは到底人間が扱うものではない。その関連性が読めずに テイト は困惑した。
「どうした? 話せないのか」
「いや、話すよ」
そして テイト は、卒業試験後に起こったことをヒューに話した。ヒューからも同じ反応が返ってくると思っていた。エンデは人間だ。ソウルイーターなど扱えるはずがない、と。しかし答えは逆だった。
「十中八九、そいつだな。お前は帝都でラグエルを暴走させた時に、その存在をそいつに勘付かれたんだ」
そこまではわかる。拘置されたのも、それについて聞き出すためだったのだろう。だが。
「ソウルイーターの件はどうなるんだよ。あいつらは人間の敵なんだろ? いくら帝国でも飼いならしているなんて聞いたことが……」
「機密事項だ。ここからの話しは他言無用だ。それが守れるなら聞かせておきたいことがある」
ヒューの瞳は真剣だった。息を呑んで テイト はひとつ頷いた。
それを認めてからヒューは声音を低く話し出した。
「帝国はもうひとつの神の瞳、アズラエルの秘石から五体の生体兵器を生み出している。アズラエルは魔王の魂を封じた神の瞳だ。その五体には闇を行使する力がある」
「まさか、エンデ中将が……!?」
「可能性は高いな。五体は人間にまぎれて軍に配備されたと聞いたことがある。あるいは、そいつの配下に紛れ込んでいるかのどちらかだ。いずれにしてもそのエンデってやつは闇の者に通じている」
全てが繋がった。 ミカゲ を殺したのは帝国だ。おそらく…… ミカゲ は、自分を逃がしたことを知られたのだ。それで、自分をおびき出すえさとして使われた。そう思ったその時だった。激しい憎悪の気持ちが胸の内に生まれるのを テイト は感じた。エンデに対して、そして、そんな状況を作り出してしまった自分に対して。
「やめておけ。復讐は割に合わない」
心を見透かされたようだった。唐突に言われて我に返る。握り締めた拳に、血がにじんでいた。
「でも、あいつは……!」
「どうしても復讐したいなら、チャンスを伺え。今、お前が帝都に言っても死ぬか洗脳されて一生飼い殺されるかがオチだ」
悔しいが、その通りだった。かみ締める唇からも血の味がした。いつもそう、自分は血にまみれている。その臭いから逃れられない。
だが、それを知ってなお、この教会にとどまる気にはなれなかった。
「ラグエルの秘石はお前の持っている力だ。それについて知ることも、お前の力になるかもしれない」
「秘石を知ること……」
「そうだ。いつからラグエルの秘石はお前の中にある? 心当たりはないのか」
あるわけがない。 テイト は幼い頃から帝国に飼われていたのだから。それ以前の幼い記憶はない。もしかしたら、そこに何かあったのかもしれないが。
ありのままを テイト はヒューに伝えた。
「そうか……その記憶が少しでもあれば何かわかるかもしれないんだがな……」
その時だった。ふいに影が通り過ぎていった。
鳥……?
にしては大きい。振り仰ぎ、目を見張った。それは、帝国軍の飛行艇だった。
「まずいな、中へ入るぞ!」
「でも……あいつら、もしかしたらオレを!」
「はいそうですか、ってくれてやれないだよ。行くぞ!」
悲鳴が巻き起こる。飛行艇の何機かは強引に広場に着陸をしようとしていた。
テイト はヒューとともに大聖堂へ駆け込む。そこには、ティアスとミストが待っていた。
「帝国軍から通達が入りました。ラグエルの秘石を教会が隠していたとして、強制執行に入ると言う内容です。もう、尖兵が入り込んでいるようですが。こちらへ」
聖堂を抜け、いくつかの通路を通り過ぎ、階段を降りる。その先には闇が口を開けていた。
見通せるだけで角が十数ある。迷宮のようだった。
「ここを抜ければ、聖域外だ。覚悟はいいか」
「待ってくれ! こんなことをしたらここにいるみんなは……」
「気にしないでください。我々はあなたの味方です。我々のことを思うなら、行ってください」
自分がいなくなれば、教会に神の瞳を扱うものなどいなかった。そう弁解することも出来る。それに気づいて テイト は行くことを決意した。頷く。その時、駆ける足音がした。
近づいてくる。一人だ。撒けるだろう。だが、ティアスの一言がその足を止めた。
「待って」
待つまでもなく、運命の時は数瞬だった。現れたのは……
「 テイト !?」
帝国の軍服を纏った テイト だ。誰もが見間違えた。
「シン!」
構えることも忘れ、迎え入れる。
切らせた息を整えながらシンは笑顔を見せた。
「良かった、 テイト 。無事だったんだ」
「どうしてお前がここに!」
「どういうことだ? お前の兄弟か何かか?」
「違う、友達だ」
「だが、帝国兵だな」
ヒューが手をまっすぐにシンに突きつけた。攻撃の波動がまとわりつく。だが、シンは怯まなかった。まっすぐに見返す。それからかまわずに テイト に顔を向けると言った。
「私が囮になる。服を替えて」
「! 駄目だ!」
なぜシンがここへ来たのかわかった気がした。端から軍を裏切る気で来たのだ。ここへ至る経緯は不明だが、シンの迷いのない瞳がそれを物語っていた。
「時間がない。ここにももうすぐ帝国軍が来る」
これ以上、自分に関わることで誰かを傷つけたくない。 テイト は譲らなかった。
「絶対に駄目だ! お前は軍に戻るんだ!」
「無理だよ。もう誤情報流してきたし。それに……」
足音だ。今度は複数だった。シンが携行していた銃を構える。
「やめろ!」
階段を下りてきた帝国兵へ向けてシンは躊躇いなく撃つ。帝国兵の放った銃弾はその頬を掠め、軌跡を残していった。
「ほら、もう戻れない。 ミカゲ だって、こうするよ?」
「お前……」
本当に、勘弁して欲しい。どうして数少ない友人はこんなにお節介なのか。 テイト は表情をゆがめた。
そんな二人をどう見たのかヒューは二人の襟首を掴んで用意されたイーグルへと放り込んだ。
「!? ヒュー!」
「スピードは落ちるが仕方ねぇ。一緒に行くぞ!」
ふわりとイーグルは浮動する。 テイト は残ったミストを振り返る。
ミストもティアスも微笑っていた。
「言い訳は適当に考えますから。行ってらっしゃい、 テイト 君」
「ミストさん!」
ドゥッと風を巻き上げイーグルは暗がりを駆け出した。あっというまに二人の姿は見えなくなる。
「お前も無茶するな。シンだったか」
「……そう、シン=ベルクラント。あなたは?」
「ヒューだ」
少しだけ窮屈なイーグルの席で テイト は二人の会話を聞いていた。
「本当に似てるな。確かに囮は悪くない案だが……」
「旗艦に入るまでは持たせる自信はあったんだけど」
「な・に・が・自信があっただ。そんな自信はいらねーんだよ!」
最後部で耐え切れずに手が出た。シンの頬を後ろから掴んでひっぱる。
「痛いよ、 テイト 」
「もっと痛い目にあうところだったんだぞ!」
「ガキ! 立つな! 危ないだろ!」
危うくバランスを崩してイーグルは左右に揺れた。
迷宮は既に抜けている。教会はもうはるか遠く、小さく見えた。
「本当に……もう、勘弁してくれ。オレは誰も失いたくない」
腕を預けて、シンの背に額をつける。細い背中だ。
「…… テイト ……」
シンはそれ以上何も言わなかった。ただ、手を重ねてくれる。暖かかった。それが消えてしまうことは、もう考えたくなかった。