6.夜のかけら
風と共に第五大陸(ファイフ)へ着いたのはそれから二日後だった。
第五大陸(ファイフ)と教会のあった第三大陸(トレース)をつなぐ街、ディルトリーに降り立つ。イーグルは本来二人乗りだ。ヒューはもう一機調達するつもりでいた。その間自由行動となり、 テイト はシンの服を買いに行くことになった。いつまでも軍服でいさせるわけにはいかない。
「……じゃあ、よろしく。 テイト が黒いから私、白系でいいよ」
「まぁその辺で差をつけないととっさの見分けが難しいわな」
「オレ、お金ってほとんど持ったことがないんだけど……これだけあれば足りるよな?」
「…………」
流れる沈黙。どこの箱入りだ、という視線がヒューから飛んできた。
「はじめてのおつかいか……うまくいくかな」
「むしろ テイト 、その服貸して。私、自分で行く」
「それくらい行ける! ちょっと待ってろ!」
意地で入ったばかりの宿を出る。宿は閑静な町外れにあって、ずんずんとしばらく通りを進んでいくとにぎやかな通りが待っていた。
そして。
一時間半が経過した頃に、なぜか テイト はへろへろになって帰る羽目に陥っていた。
「何かあった?」
「いろいろ……いや、なんでも」
自由な街は初めてだった。自分では気づいていないがだからだろう。話しかけてくる店員も気味が悪かったし、服を一着買うだけでこんなに疲れるとは思わなかった。
宿のベッドに倒れ込んだところでイーグルのメンテナンスに出かけていたヒューも帰って来た。
「服買ってきたのか。……女の子の服買うなんて、お前、初体験じゃないのか?」
どれどれ。とヒューはシンの手に渡った紙袋に興味を示した。
びらっ。シンが服を広げる。……。
「普通に男物じゃないか!」
「えっ、駄目だったか!?」
「いや、普通にこれでいい。気に入った」
「いいのか!?」
そもそもシンが女だとか言う意識がなかったのか、悩みもせずに似たようなサイズで選んでしまった。言われたとおり白い服だ。シンは本当に気に入ってくれたようだった。すぐに着替えて戻ってくる。機嫌が良かった。
「服の色が違うだけで印象かわるのな」
「いちいち比べんなよ」
ベッドの上にあぐらをかいて テイト 。部屋は有事の際にすぐ行動できるように三人、同じ部屋だ。 テイト がそうであるようにシンも特に気にしていない。
そんなこんなで日は暮れてしまった。
「オレはでかけてくる。お子様はついてくんなよ」
「お酒?」
「なぜわかる」
「なんとなく言ってみただけ」
ヒューはそんなふうにでかけていった。シンと二人きりになる。そういえば、いつもは ミカゲ を通して会っていたようなもので、二人になるのは初めてじゃないだろうか。不意に思い出した面影に胸が痛んだ。
「 テイト ?」
はっとして顔を上げる。自分によく似た顔がある。けれど、よく見れば表情は違っていた。鏡のようで、全くそうではない。今更気づいた。シンと自分は全く違う人間だ。学校にいる間、なぜ境界を作っていたのだろう、と。
「大丈夫?」
「あぁ、オレは平気だ。……シン、お前なんでオレたちがあそこにいるってわかったんだ?」
ふと、思い出したことを聞いてみた。
「シスターに聞いたんだよ。 テイト の友達だから助けたい、って言ったら教えてくれたの。……これが敵兵だったらどうするつもりなんだろうねぇ」
「いや、お前敵兵だったわけだろ?」
「さすが人を信じるシスターだ。見習いたい」
十分お前もお人よしだよ。苦笑とともに出掛かった言葉は声にはならなかった。代わりに。言うべきことを思い出す。
「お前から誕生日にもらったアミュレットだけど」
「うん?」
「帝国から出る時に、取り上げられたよ。ごめん」
謝ってはみたものの、やはり申し訳ない。そんな気持ちで俯いていた視線を上げると、シンは笑っていた。
「ってなに笑ってるんだ」
「だって、取り上げられたってことは、身に着けててくれたんでしょう? ありがとう」
「そ、それは……だってお守りだって言うから」
「じゃあこれ」
シンは自分の左手首に手を当てた。
袖の中でちゃり、と金属が動く音がした。そして右手でそれを取り出す。
「あげる」
「え……」
テイト の手の中に落ちた、それはあのアミュレットだった。
「まさか……お前も?」
「私は、帝国に保護される八歳以前の記憶がないの」
帝国に保護。
どきん、と鼓動が打った。帝国が「保護」などするのだろうか。
少なくとも自分は奴隷で、そういう「保護」のされ方しか知らない。
だからそういう可能性しか思い浮かばなかった。自分と同じ道を歩んだのでは、と。
そんな テイト を見てシンは微笑った。
「私は奴隷じゃなかったよ。たぶん、 テイト の方がずっと大変な思いをしてきたと思う。大したことない。それに今は家族って呼べる人もいるし、うん、幸せだよ」
「家族がいるって……家族がいるのにオレと一緒に来たのか!」
「選べないよ。 ミカゲ だって、そうだったんでしょう?」
「!」
そして、気づく。自分はシンに ミカゲ の最後を話していない。しかし、シンはそれを悟っているようだった。なぜか。逆に聞かざるを得なかった。
「何も聞かないんだな」
「何もって?」
「 ミカゲ のこと」
シンの顔が少しだけ悲しげに歪んで見えた。
「…… ミカゲ から手紙が来たよ。」
「え」
「もう戻れないかもしれないって。だから テイト を頼むって。 テイト が一人だってことは…… ミカゲ がどうなったのか、なんとなくわかるよ」
ミカゲ は、自分の友人であると同時にシンの友人でもあった。 ミカゲ のことだ。自分に向けるのと同じ笑顔をシンにも向けていただろう。それを、自分が、奪ってしまったのだ。
唐突に、気づいてしまった。
自分は奪われてばかりいるつもりだったが、そうじゃなかった。
「すまない……! オレが…オレが!!」
「そうじゃないよ、 テイト 。責めてなんかない。私も、たぶん ミカゲ も。でも、もしも ミカゲ がどんなふうにいなくなってしまったのか……思い出しても大丈夫な時が来たら話して欲しい」
「わかった。約束するよ」
今は無理だ。でも最後の笑顔は、シンにも伝えたい。傷が癒えて欲しいなんて思わなかった。ずっと抱えていようと思った。けれど、伝えられるその日は、早くくればいいと思う。
いつも矛盾ばかりだ。
強くなりたい。涙をぬぐいながら、願うのはそれだけだった。
そんな話をしたせいか夜は眠れなくなってしまった。三日ぶりの柔らかなベッドだというのに勿体無い。
物思いに沈みながら テイト は青い月に照らされる道に出た。満月なのか、見上げる空は明るかった。街中もさすがに今の時間は静かだろう。けれどそちらに行く気にはなれず、 テイト は更に町外れへと向かう。その時、ふと、聞こえてきた。不穏な喧騒。
「貴様ぁっ!邪魔立てするな!」
「邪魔で済むと思ってるのか? ……その魂は返してもらう」
ガガッと地面がえぐれる音がした。
誰かが戦っている。気配を察して テイト は駆けつける。果たしてそこには、黒い翼を持つ魔物がいた。
「ソウルイーター!?」
「!」
対峙していたのは大柄な青年だ。 テイト の乱入に、振り返る。その隙を突いてソウルイーターは、青年に飛び掛った。
「危ない……!」
「お前の魂も頂くぜぇ!」
ザイフォンを発動させるが、一瞬遅かった。青年はその手に胸を貫かれているかのように見えた。だが、見えただけだ。間一髪交わして脇に挟みこんでいる。
「あいにくと」
逆にその腕を片手で掴み返す。ぎしりと何かがきしむ音がした。
「俺の魂は既に神のものでな」
そのまま握りつぶす。ソウルイーターから悲鳴が上がった。
青年は左手をまっすぐに突き出すとその胸に手をうずめる。魔物はそら恐ろしい声でうめいた。
同じ人間だったとは思えない声だった。
「ぐぉおおおぉぉぉああぁぁ」
何かが握りつぶされた。そして異形の魔物のような表情をしたまま、ソウルイーターであったその人間は消えた。青年の手の内にわずかな光を残して。それもすぅっと宙に溶けるように消えてしまった。
「……」
青年は踵を返し、黙って テイト の脇をすり抜けた。
「あ、あの……!」
テイト が振り向いた時に、そこに青年の姿はなかった。
翌朝。
そのことを朝食の時間に話した テイト は後悔することになる。
「お前、夢見てたんじゃねーの?」
後悔させるのは例に漏れず、このアルビノの司祭だ。
「確かに、ソウルイーターになった人間が消える時は魔物みたいな顔してるやつがほとんどだ。でもな、いくら司祭でも素手はない。素手は」
追い討ちは止めない限りいつまでもかかってくる気配だった。
「お前、まだ引きずってんだろ。懺悔ならいつでも聞いてやるぞ? オレは神に愛されし司祭だからな」
「何が神に愛されしだ! 長い間外に出られないとか言って二日もぶっ続けイーグル飛ばした奴はどこのどいつだ!」
「お? なんだ? 喧嘩売ってんのか? エルブレスでシールドを張りつつダメージがないように保っているこのたゆまぬ努力に気づかんのか! チビが!」
それには気づいていた。ヒューは教会を出てから二日、エルブレスで自らを保護していた。そうしなければ外を歩けない。アルビノの生来の弱さだ。
だが、この精神力のどこに生来の弱さを感じよう。
「それは関係ないだろ! それこそ、たゆまぬ努力とやらで素手で退治くらいしみりゃいいだろ!」
「ご馳走様ー」
ヒートアップしている テイト 立ちにかまわずシン、食事終了。男たちの熱きバトルはまだ続いている。
「ところで、ここから先はどこかへ行くあてがあるの?」
その一言で、 テイト とヒューはぴたりとおとなしくなった。
「ここまで来たんだ。エディフィス城に行ってみるってのはどうだ?」
提案したのはヒューだった。
「あそこはもう放棄されてるでしょう? ありとあらゆる資料も回収されて処分されたって聞いてるよ。何か残ってるかな」
「実はティアスがエディフィスって言ったんだよな。例によって具体的なことはさっぱりだが」
「ティアスって?」
ティアスのことを知らないシンに説明する。見送ってくれた内の一人だと説明したら、顔と名前は一致させたようだった。
「 テイト 、なんか教会も楽しそうだね」
「なんでそうなるんだよ。こういうのがいるんだぜ?」
「こういうのとか言うな」
ディルトリーを出発する。イーグルは二台になり分乗していた。今はシンが一人と、ヒュー・ テイト になっている。
「何でオレが……!」
「それは俺の台詞だ! お前がじゃんけんで負けるから!」
空軍学校に所属していただけありシンはイーグルの乗りこなしも完璧だった。むしろ、遊んでいる。フリーダムである。
「あんまり森につっこむなよー危ないぞー」
「はーい」
返事だけは良い。ヒューもそれで気が済んでいるらしく深くつっこまない。
「それにしても、なんだか寒くなってきたね」
「第五大陸(ファイフ)は北方領土もあるからな。北上すればもっと寒くなるぞ」
息が白くなってきたので用意していたコートを上に着込んで先へと進む。
「あ、雪……」
ちらり、と小さな欠片が降ってきた。積もるほどではないが、野営に支障は出るだろう。シンは少し不安そうな顔をする。
「どうしたんだ?」
「あんまり寒いのは苦手」
「そうなのか」
苦手なものを初めて聞いた気がする。もっとも、軍学校では頻繁に会っていたわけではないけれども。
「オレは大丈夫だな。割と寒さに強いかも」
「うらやましいな、鈍感なやつは。ちなみに俺は寒いのは大っ嫌いだ」
「お前のことはどうでもいい」
「落すぞ、ガキ」
雪はいよいよ本降りになってきた。
ゴーグルをつけて飛ばすとそれからほどなくして、尖塔が見えてきた。
「あれがエディフィス城だ」
ふたつの尖塔のうち、ひとつは崩れかけている。
壁に、柱に、庭に、戦争の爪あとは、生々しく残っていた。
「……立ち入り禁止になってるけど、どうする?」
テイト はかつて美しかっただろう庭の中央から城であったものを眺めた。心なしか、記憶にある気がする。雪と城。どこかで見た光景だ。
「オレ、ここに来たことある……」
ゆっくりと城の周りを巡る。だが、それ以上のことはわからなかった。代わりに城の西外壁に来たところで、停泊する飛行艇を発見した。外から眺めていてはわからない位置だ。
「これは……!」
「おっと、そこまでだ。あんたたち、何の用でこんなところへ来た?」
背後に、動いたエルブレスに振り返るとイーグル三機がこちらに向いていた。ついでにその上に乗る男たちの手の銃口も。
相手の素性もわからない以上、いきなりの乱闘は避けるべきだろう。手を上げて、ぶっきらぼうにヒューが答えた。
「俺たちは、ただの旅人だ。偶然、発見しただけだ。あんたたちをどうこうするつもりはない」
「へぇ、アルビノの兄ちゃんがこんなところまで旅行なんてそれこそ珍しいじゃねーか。やましいことがないならちょっとおとなしくしてるんだな」
男たちは二人一組になって、イーグルをまず降ろさせた。それから後ろ手に縛られる。ここまでされると窮屈で縄をぶっちぎってやりたくなるが、 テイト は大人しく従うシンを見てそれを抑えた。逆に言えばいつでも消える縄の太さだった。
「どうかしたのか?」
「あっルアスさん。ただの侵入者ですよ。危険があるようならいつもどおりに」
なんなんだ。
その先は言わなかった。ルアスと呼ばれた青年と目が合う。刹那、ルアスの瞳は大きく見開かれた。
その視線の先は、自分とシンだ。
「どうかしやしたか?」
「いや……なんでもない。……お前たち、双子なのか?」
「たぶん、赤の他人です」
たぶんとか言うな。目線でシンに訴える。確かに互いに記憶がないのでない可能性でもないと今更、気づいてしまう。だが、しかし。年は確実に違うので双子はない。
そのままルアスは外へ向かっていって、逆に テイト たちは奥の部屋へと放り込まれた。しばらくしてやってきたのは、見覚えのある男だった。
「あ、あんたは……!」
「あの時の子供か」
「?」
ディルトリーで見かけた、あの青年だった。
「どうして、あんたがここに……」
しかし、青年はそれに応えなかった。じっと三人を見ていたが、やがてふいっと視線を逸らした。
「こんなところに現れるのは未だにこの城に残る魂を漁るソウルイーターか、軍の人間くらいだが……」
「ランバート。違う。この子達は関係ない」
ルアスが現れた。わかっているのかランバートと呼ばれた青年は頷いた。
「お前は司祭だな? ここに飛行艇があったことを他言しないと神に誓うなら見逃してやらないこともない」
「神に誓って。我々に空賊リンドブルムの所在を帝国へ密告するメリットは何もないからな」
ヒューは挑発しているとしか思えない口調で言って、口の端に笑みを浮かべる。
見抜いたことに刹那、驚いた顔をしたが同じく食えない笑顔で応えてランバートは三人の縄を解いた。
「それで? 司祭が記憶喪失の二人を連れてなぜこんなところをうとついているんだ」
お返し、とばかりにルアスが鋭く突いてきた。
「あぁ、さっき私が多分とか言ったから……」
シンはその根拠に納得している。
「空賊に言う義理はない」
「ラグエルの秘石」
「!」
ルアスの言葉は テイト を動揺させるのに十分だった。
「我々も探していた。教会の者なら知っているだろう。あれは帝国の手に渡すべきものじゃない」
「それでここを根城に? 城の中になんかもうないんだろ」
うまく誤魔化せているだろうか。 テイト の瞳に、ルアスの紫色の瞳がぶつかった。ただ、みつめる。見透かされる気がした。
「ファーレンダー家を訪ねてみるといい。何か手がかりがみつかるかもしれない」
「根拠は?」
「黒髪に翡翠の瞳はノトスの血筋だ」
それは、 テイト の髪と瞳の色。
それだけ言うとルアスは部屋を出て行った。ランバートが残る。
「人の助言は素直に聞けよ。司祭殿に神のご加護を」
そして彼もまた、出て行った。
「ファーレンダー家?」
「ファーレンダーはノトスの系譜だ。しかし、あそこは……」
言い淀むヒュー。だが、その先が続けられることはなかった。
「……勝手に出て行っていいってことかな」
「だな」
タラップを踏み、再び外へ出るとイーグルは二機並んで置いてあった。去れ、ということだろう。言うとおりにイーグルに乗り込み更に進路を北西へ取る。
「ヒュー、あいつらのこと知ってたのか?」
「あぁ空賊リンドブルムか? まぁ、エディフィスの義賊としては有名だな。昔からいたらしいけど、戦争後は奴隷を解放して回ったりもしてた時期があった。そのせいで帝国から目をつけられちまったみたいだけどな」
奴隷を解放……。そんな人間もいるのだと テイト はふと思い出す。あの、ルアスという青年。不思議と空賊には見えなかった。ランバートはいかにもだったのだが。
いや、しかし人は見た目に寄らないものだ。目の前の司祭の存在に思い直した。