7.尖兵
7.帝国からの尖兵
「ファーレンダー家は同じ第五大陸(ファイフ)にある。ま、イーグルならここから三日、ってとこだな」
この大陸はかつてエディフィス王家のものだった。今は帝国が治めているが、戦争で傷ついた小さな町は放棄されているものも多かった。そんな町をいくつか通りすがり、 テイト たちは第五大陸(ファイフ)の西側にあるファーレンダー領地へとやってきていた。ヒューの言うとおりちょうど三日目のことだった。
「ひどい……」
ファーレンダー家は既に失われていた。
門は傾げ、屋敷には火が放たれたのだろう。辛うじて残っている黒ずんだむき出しの壁がいましも崩れてきそうだった。蹂躙された後があちこちに残っている。
「ファーレンダー家は、エディフィス戦争の時に最後まで帝国に抵抗した。一族も皆殺しにされたって噂だ」
パキッ、と踏んだ瓦礫が小さな悲鳴を上げる。ここも美しい屋敷だったのだろう。庭は広大で、ふいに、笑顔と、短い春に満ち溢れる花の香が脳裏をよぎった。
「…………っ!」
「 テイト !」
頭が割れるように痛い。抱えるように膝を折った。ヒューとシンの声が遠くに聞こえた。
『よく聞きなさい』
誰かの声がする。
『このラグエルの秘石はお前が守るんだ』
あれは、……誰だろう。優しい目をした男だった。
『ノトスの系譜にかけて。……私の子供に生まれてきてくれてありがとう』
バラバラと足音がする。男は捕らえられ、その胸に銀の剣が突き立てられた。
モノクロの景色の中で、したたる血の色だけが赤く、鮮明だった。
それを テイト は「見て」いる。
剣を携えた男が冷たい笑みを口の端に浮かべていた。その男は、エンデだった。
記憶がフラッシュバックした。
「っ!!」
はっと我に返る。頭痛は去っていた。膝を折ったまま目の前にある屋敷にかつての面影を見る。
「ここは……オレの家だ……」
涙が知らずに溢れていた。
「記憶が戻ったの?」
その問いにはかぶりを振る。すべてではなかった。ただ、確証はあった。記憶の中で殺された男は、父さんだ。
「ごめん、まだわからない。けど、オレはここで生まれたんだ……」
瞳を閉じる。その裏には誰かはわからない誰かたちの笑顔で溢れていた。
「お前が、ノトスの系譜……?」
「……父さんは、エンデ中将に殺された。オレはきっと、記憶の奥底でそれを知っていたんだ。だから、あいつに会った時に暴走した」
ラグエルの秘石は使用者に同化すると聞いた。深い記憶とそれは繋がり、抑制が出来なかったのだろう。
「あいつは……オレの大事なものを、二度も奪った」
許さない。 テイト の瞳に強い復讐の色が芽生える。その時、瓦解した柱の上から声が降ってきた。
「エンデ様をあいつ呼ばわりなんて、凄いね」
ばっと三人は声のほうを見た。そこには少年と、眼鏡をかけた男がいた。
「あいつは……!」
「 テイト 、知ってるの?」
頷く。試験で一緒だった少年だ。囚人の首をくびり落したあの少年。
少年は、瓦礫の上に降り立つと、まっすぐに テイト たちに歩みを寄せた。
「ボクは、グラス=テンペスト。こっちはハウルだよ。君、試験の時に一緒だった子だよね」
「お前は、エンデの配下になったのか!」
「ぶぶーはずれ」
少年は何が楽しいのか人差し指で弧を描いて戯れにザイフォンを纏わせる。 テイト は身構えた。
「なったんじゃなくて『だった』んだよ。元からね」
「グラス君は新人に混じって遊ぶのが好きですからね。これでもブラックフェンリル、エンデ中将直属部隊の一人ですよ。私もね」
「ブラックフェンリル……!」
まさか、来ているのか? 背後に見えた影に テイト の殺意が高まった。
「いいね、その目。ボクたちを殺す気かな」
フォン、肩の高さに掲げた手でザイフォンが発動する。 テイト は容赦なくそれを放った。グラスとハウルが散る。
グラスは テイト と接近し、ハウルは背後の瓦礫まで退いてそれを見守った。激しくザイフォンがぶつかりあう。
「 テイト !」
「おっと、動いちゃ駄目ですよ」
ハウルが剣を抜いた。途端、風が圧迫され、地面がえぐれた。
ヒューが舌打ちしてとっさにシールドを張る。二人とも無事だ。 テイト は体術を交えながらグラスに攻撃を繰り返す。それを受け流しながらグラスはうっすらと笑みを浮かべた。
「駄目だよぉ? 気をつけないと。君は強くても本当に仲間を守りたいなら、離れるべきじゃないですね」
「な……!」
ハウルが動いた。剣を抜き、ヒューとシンへと迫る。先ほどの一太刀でハウルが相当の使い手であることはわかった。対人間に訓練されていないヒューではおそらく叶わない。シンの銃は的確にハウルの急所を狙ったが、はじかれる音だけが数瞬の間響いた。
しまった……!
テイト が振り向いたその時、だが、割って入る者がいた。
剣を拳ではじき抑える。ランバートだった。
「……ソウルイーターの臭いがしていると思えば、人間か?」
「化け物に見えます?」
笑顔を浮かべたまま離れたハウルはそう大げさに首を傾げて見せた。
「少なくともお前は人間だな。……そっちは違いそうだが」
「お前……」
グラスの手が止まった。隙を突いて テイト の一撃が決まった。かのように見えた、が彼は後ろへ跳んでそれを避けた。
「ボレアスだな!? なぜこんなところに!」
グラスの顔色が変わった。笑顔は悪戯びれたものから凶悪な彩を帯びたものに変わる。
「殺してやる!」
ランバートに向けて地面を蹴る。今度はハウルが テイト に襲い掛かってきた。
「 テイト 君、君はラグエルの秘石を持ってますね?」
剣とザイフォンを交えながらハウルはそう話しかけてきた。
「交換と言うのはどうです。君が来てくれるなら君の仲間たちは見逃してあげましょう」
「……!」
「シン=ベルクラント。彼女の身元も既に割れてますよ。 ミカゲ 君のようにしたくないでしょう」
「お前、…… ミカゲ が何をされたか知ってるのか!」
離れる。刹那、沈黙があった。
「知ってますよ。だって、彼を尋問したのは私ですから」
それは悪魔の笑みだった。
「……なかなか強情でね、だからエンデ様は選択肢を与えたんですよ。家族か君か。選べなければ自分が死ぬ、と」
「な……」
「結局彼はどちらも選べなかったようですね。弱い者の末路だ」
「 ミカゲ を貶めるなっ!」
再び猛スピードで テイト はハウルに接近した。
「やれやれせっかく人が優しくしているのに。エンデ様ならこうはいかないですよ。本来、君に選択権はないのですから」
テイト の攻撃を防ぎながら、その視線がちらと横に流れる。視線の先にはヒューとシンがいる。また、狙われる。
そう思った刹那、 テイト の意識は飛んだ。
『去れ、悪しき者』
同時に、ターゲットを変えたハウルの背を追うように光が放たれた。
間一髪かわし、振り返ったその細い目が大きく見開かれた。
銀の色に染まった テイト の瞳が鋭くハウルを見据える。それを認めたハウルは笑い出した。
「やっぱり君が持っていたんですね!」
『私がラグエルと知ってなお、向かうつもりか。ならば死を』
手のひらをハウルに向かって向ける。あの時の光が降って来た。今度は数条だ。
ハウルはそれをすばやく避けるとランバートと戦っているグラスを回収して軽く、廃墟の上へと跳んだ。
「今日のところはここまでです」
ふっと テイト の意識が戻る。 テイト の目に映ったのは更に瓦解したファーレンダー家だった。
「 テイト 君、覚えておきなさい。あなたが神の瞳を手放さない限り何度でも、繰り返しますよ。次は誰が死にますかね」
「うるさいっ! 黙れ!」
不吉な笑みを残してハウルは消えた。
跡に残るのは、吹き行く風と沈黙だった。
「これは……まさか、オレがやったのか?」
ヒューとシンがやってくる。愕然とする テイト を前にヒューが告げた。
「そうだ」
「じゃあ、あの時 ミカゲ を消したのも……」
「すまない、 テイト 。俺じゃなかったんだ」
「オレは……オレが ミカゲ を消したのか」
震え出す両手に目を落す。ついてもいない血で真っ赤に染まって見えた。
「しっかりしろ! テイト =クライン!」
両肩を掴まれ、我に返る。
「あの時、お前は俺に礼を言った。 ミカゲ の最後の笑顔を、忘れるな」
「……ヒュー……」
そうだ、一度は救われたんだと思った。信じたい。それを信じたい。けれど……手の震えは止まらなかった。
リンドブルムの艇はすぐ近くに停泊していた。今夜はそこで一晩世話になり、明日には旅立たなければならない。
どこへ?
神の瞳を手放さない限り何度でも、繰り返す。ハウルの言葉が反響する。
行く場所などないのではないか。部屋は暖かかったが、そんな暖かさなど何も感じはしなかった。帰る場所だって既にないのに。
「 テイト 、大丈夫?」
「……」
シンの問いにも答えられずに、ただ自分の手をみつめる。シンは片手を自分の両手で包み込むようにして握ってきた。
「ありがとう。守ってくれて」
「オレは、何も守れてなんかない!」
「そんなことない。無力なのは私の方。ごめんね、弱くて」
顔を上げると寂しそうに微笑うシンの顔がある。こんな時でもシンは泣かない。自分よりずっと強く思えた。自分の弱さも、受け入れる強さがある。
強くなりたいと思ったのに、自分はそうしているだろうか。心のどこかで、無力だと嘆くだけではないのか。
「それでも テイト の力になりたいよ。きっとヒューも同じ。だから、これからも一緒にいさせてね」
「!」
こつ、とシンは額をあわせてくる。
もしも自分が、ハウルの言うとおり帝国へ投降していたら。そんなことを考えていたその先だ。いつもそう。もしも、を考えると誰かがそれを止める。止めてくれる。そうして、いかに愚問であるかを知るのだ。
握られた手は、温かかった。
「シン、話すよ。 ミカゲ が最期に、どんな顔をして逝ったのか……」
「あいつらが強いのは仕方ないな。ハウル=レパードにグラス=テンペスト。二人ともブラックフェンリル、エンデの精鋭部隊の中佐と少佐だ。そして問題はあんた。あんたはボレアスなのか」
ヒューがなかなか帰って来ないので、二人はこの珍しい飛行艇の探索を兼ねて、彼を探しに出かけた。ヒューはコントロールルームにいた。
ここのデータベースからハウルたちの情報を漁っていたらしい。そちらがひと段落着くと、ランバートに聞いた。単刀直入だった。
「ボレアス……って、四神の?」
「四神は、今もこの世界にとどまっていて、ソウルイーターを狩り続けているって話だ。信じがたいが、あんたがボレアスだとすれば テイト の話も納得できる。素手でソウルイーターを狩っていたらしいな」
「…………」
ランバートは何も応えなかった。
他に人影はない。ヒューもそれくらい踏まえての発言だろう。「ボレアス」が彼だとしてもそれを知っている人間がこの艇の中に他にいるとは思えなかった。
「それに、グラスってチビはお前をボレアスだと言っていた。あいつはなんなんだ。人間じゃないのか」
「…………」
「ランバートさん、黙ってるってことは肯定とみなされますよ。そんなに答えたくないなら私、艇中の人に聞いてきます」
「待て」
間接的に「言いふらす」と言われてランバートもさすがに顔色を変えた、踵を返して実践のそぶりを見せたシンの肩をつかんで引き止めた。
「お前は、神の瞳の現在の保持者だったな」
テイト に視線が向く。そして、認めた。
「ならば、あの時お前が俺の狩りを見たのも運命だろう。そう、俺は『ボレアス』だ」
「……本当に……?」
「すべてを話すことは許されていない。だが、俺と戦っていたあのグラスと名乗った者の正体は伝えてもいいだろう」
ランバートは自分に言い聞かせているようだった。
切れ長の瞳が少し鋭さを帯びて細められた。
「あれはおそらく戦闘用素体『ラファエル』だ」
「戦闘用素体……?」
帝国が神の瞳から作り出した五体の生体兵器。闇の力を行使する存在。以前聞いたヒューの話を反芻した。
「帝国にはアズラエルの秘石から生み出された五体の素体が存在する。戦闘用素体のミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル。そしてそれらの暴走がないよう作られた監視用素体ルシフェル。その内、ガブリエルは暴走して既にルシフェルが粛清済み、ウリエルは消失、残るのが三体だ。俺はミカエルと思しき人間に接触している。消去法であいつはラファエルかルシフェルということになる」
言動から確かに「監視側」ではないと思われる。
生体兵器ラファエル……だとすれば、強いはずだ。
「しかし、あいつは俺がボレアスだと見抜いた。本来、やつらにそんな『記憶』はないはずだ。現にミカエルは俺には気づかなかった。……何が起こっている?」
ラファエルに接触したことはランバートにとっても新たな事件であったらしい。手をあごにおいて考え込む。 テイト とシンは顔を見合わせた。
「ミカエルは誰なんだ」
「陸軍第三艦隊クロノスの司令官のハイス=ラーヴァだ。もし、出会ったら気をつけろ」
エンデは、フォーマルハウトにいる。帝国の中枢だ。そこへ至るにはラファエルはもちろんルシフェル、ミカエルとの戦闘も避けられないかもしれない。ラグエルの秘石を扱えたなら……その壁を越えることが出来るだろうか?
シュン、と電動の扉が開いてルアスが入ってきた。
「話は終わったのか?」
「あぁ、終わったぜ」
もうこれ以上、話せることはない。ということだろう。ランバートは空賊らしい表情でひらひらと手を振った。
まただ……
ルアスの視線が テイト を見据える。なぜだろう、自分は彼を知っている気がした。
「そうだ、あんたのおかげでオレ、記憶が少し戻ったんだ。……礼を言わせてくれ」
「そうか。良かったな。 テイト 」
え……
反応は意外だった。今まで無表情に近かった紫の瞳が優しく細められた。そして、名を呼んだ。何か、思い出せそうな気がする。けれどもどかしいほどにそれは胸に引っかかって出てはこなかった。
「それで、これからどうするんだ。ノトスの子」
「オレは、ラグエルの秘石を制御できるようになりたい。そうだ、あんたたちはラグエルの秘石を捜してたって聞いたけど……」
なんのために? 聞くより早くルアスは元通りの静かな表情で答えた。
「もういい。ノトスの系譜が継いでいるとわかったならそれで十分だ。……それはお前が守って、いや、それでお前が守るんだ」
「オレが、守る……」
そう、そのために旅を続けなければならない。 テイト はまっすぐにルアスを見返して頷いた。
「ラグエルの秘石を扱う方法は、神々の家(セラフィム)の主が知っているはずだ。行くといい」
「あなたは……」
少しだけ微笑む。多くを語らずに、ルアスは去って行った。