8.罪の在り処
翌朝、 テイト たちは第六大陸(ゼクス)に渡ることを決めていた。旧エディフィス国内にはゼフィロスの系譜であるアルブム家があるが、全く正反対の方角になってしまう。いずれにしても世界の全土が帝国領である今となってはどちらへ行っても変わりない。ここからであれば、ボレアスの血を引くリーブル家の方が近いという理由だった。
「ボレアスか……あんたの血族なんだな」
神の瞳を持つものの行く末を見守るべく、ランバートが着いてきた。
ランバートはかぶりを振ってそれを否定した。
「俺はボレアスの血脈じゃない。先代はボレアスの子孫だったようだが……」
「えっ、現存する神様って……継承制?」
「まぁそんなところだ。選ばれる基準はわからないが……俺も元は人間だった」
今だって、どこからどう見ても人間なのに。事情はわからず、まだ知り合って日も浅く テイト がそれを言葉にすることはなかった。
「今は人間じゃないんですか」
テイト が口にしないことをあっさりシンは口にした。がくりと頭を垂れる テイト 。
「どうだかな。……使命とか宿命とか、そんなものとはかけ離れた場所にいたからな。神と呼ばれる仲間とも接触したことがないからなんともいえない」
静かな笑みを浮かべているランバート。大きなものを未知のものと共に背負っている彼はまがいようもなく「人間」に見えた。
イーグルは風を切って、第六大陸(ゼクス)に入る。リーブル家はシウテロスと言う街の中にあった。
「おかしいぞ、この街は。……やつらの臭いが充満している」
「やつらって……ソウルイーター?」
「そうだ。俺は別行動をする。リーブル家にはお前たちだけで行け」
ランバートが離れて、三人は高台にある広大な敷地の屋敷を訪ねる。門前払いを喰らうところだったが、聖域の司祭と見習いだとヒューが名乗ると門を通してくれた。
「……たまには役立つんだな。その肩書き」
「何言ってんだ。司祭パス持ってりゃお供ともども検閲はフリーパスだぜ。……その上、公共施設は使い放題、交通機関も乗り放題」
「お前、まさかそれ目当てに司祭になったとか」
「ま・さ・か」
怪しい答えが返ってきた。ついでにふっふっふと笑っている。意味がわからない。
「ようこそ、司祭様。当主のノエルです」
当主は華やかな雰囲気の若い女性だった。
「ヒュー=ロナスリストです。門戸を開いていただいたことに感謝申し上げます」
なんだ、丁寧にしゃべれるんじゃないか。司祭らしさを テイト にアピールしてる気もするが素直に感心することにする。
「今日は、どのような御用でこちらへいらっしゃったのでしょう?」
「実は、ラグエルの秘石について確認したいことがあり……」
「ラグエルの秘石、ですか」
場所を応接室に移して、話を続ける。不思議な香りのする紅茶が出てきた。花……? だろうか。 テイト の嗅いだことのない香りだ。
「秘石には制御する方法があると聞き及んでおります。神々の家(セラフィム)の四大公主ならそれをご存知かと聞き及びまして……不躾ながら突然お邪魔いたしました」
言葉を変えてヒューは巧みに聞き出そうとしている。ノエルは苦笑して応じた。
「それは四大公主とて知らぬことですよ。……継承者のみが知ることです。私が知っているのはそれだけです」
「つまり、持ち主が知っていると?」
「そういうことになります」
「……仮に使用者がそれを忘れてしまった場合は」
「その記憶を思い出していただくのが一番早いかと」
振り出しに戻った感のある結論だった。
「結局、茶飲みに来ただけかよ」
「でも、 テイト の記憶を取り戻せばなんとかなりそうだって、わかったじゃない。収穫はあったよ」
「お待ちください」
話が終わり、廊下を玄関に向かって歩いているとふいに呼び止められた。ノエルだった。
「せっかく来ていただいたのですから、今夜は当館にお泊まりください」
「それはありがたい申し出ですが……」
「なんだ? 断るのか? 珍しいな」
テイト に言われてヒューは彼を見、考え込むようなしぐさを見せた。それから思い直したのか「では」と申し出を受けることにする。
「部屋は三人一緒にしてもらえますか? 双子が離れると不安がるもので」
「だっ、誰が双……」
言いかけた テイト の顔を片手で押さえ込んでヒュー。
少し驚いたようだったが、にこやかにノエルはそれを承諾した。
夜。夕食も終わり、シンは窓から外を眺めている。
「ランバートは放っといていいのかな」
「あぁ、ソウルイーターは夜の方が活動が活発だからな。狩りの時間はこれからだ」
いい大人なんだから大丈夫だろ、とヒューは軽い。
テイト はベッドに腰をかけ、今日あったことを思い返している。
「オレが……オレ自身が知っているのか」
思い出せないことがもどかしい。答えは自分の中にあるはずなのに。
ヒューがその頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「なんだよっ」
「思い悩むな。悩んで記憶が戻るなら世話ないわ」
「じゃあどうしろっていうんだよ」
「グラキエース家に行ってみる?」
そう言ったのはシンだった。
「グラキエース家って……エウロスの?」
「そう。ちょっと遠いし帝都に近い領内を移動しなきゃだから危険かもだけど」
「何か、解決方法がありそうなのか」
「……一応、当主はエウロスの力を継いでるって言われてたよ」
エウロスの力。すなわち、記憶に関する事項だ。
「記憶が戻せるのか!?」
「時と場合による」
「え……?」
「戻せる人もいるし、戻せない人もいるみたい。私は、戻してもらえなかった」
「!」
行ったことがあるのか。それでもエウロスのアミュレットをつけていたシン。シンは自分が幸せだといったが、ひょっとしたらシンにとっても記憶を取り戻すことは何よりも大事なことであるのかもしれなかった。 テイト は我知らずに、左手につけたアミュレットに触れた。
「って、お前も記憶喪失なの?」
「うん。八歳から前がわからない」
「じゃあ家族は?」
「本当の家族は知らない」
「どうやって暮らしてたん……だっ!! 何すんだ、クソガキ!」
テイト は思い切りヒューを殴りつけた。デリカシーがないにもほどがある。そう伝えるとしゃあしゃあとヒューは
「俺は今、シンの人生相談に乗っている」
と言い切った。
「どこが人生相談だ! 一方的に聞いてるだけだろ!」
「お前にとって聞いちゃいけないことか?」
振り返って、シンに聞く。なぜかどきりとした。 テイト の知らない過去が、そこにあったから。
「かまわないよ。聞きたいの?」
逆に聞かれる。ヒューの視線が テイト に流れた。知っておきたい気もする。でも聞いてはいけないことだと思っていた。遠慮が顔に出ていたのか、ヒューはがっと左手で テイト の頭を掴むと「聞きたい」と言った。
シンは窓辺から自分に割り当てられたベッドに戻ってきて腰掛けて話し始めた。
「記憶のある八歳の時には、ある人と一緒に暮らしていたよ。とても優しい人で多分、父親みたいな存在だったんだと思う。けど、ある時、その人がいなくなって、軍に保護された。それが十歳の時だった。それから十四歳まではアビス元帥に飼われてた」
「アビス元帥ぃ!?」
とんでもない名前が出てきた。事実上、軍のナンバーワンである。どうして保護されたシンがそこまで行くのかが理解できない。
「いや、それよりも飼われてたって」
「黒髪黒目(ブラックアイ)は希少だからじゃない? 護衛用だかに育てようとしてたらしく、毎日訓練させられたっけ」
「お前も……お前もなのか? お前もあんな思いを?」
奴隷としての訓練は命がけだった。生きるためにはたくさんの人間を殺してきた。それは主に囚人であったが、それでも同じ姿をした生き物を殺すことには抵抗がなかったわけではない。
だが、いつしかそんなことにも慣れていく。そんな自分に何も感じない自分がいた時期もあった。今思えばぞっとする。
「 テイト 、私は テイト より多分、ずっとぬるい訓練だよ。専用の部屋にほとんど閉じ込められっぱなしだったけどシミュレーターばかり相手にしていただけだから」
「そう、なのか……」
ほっとした。けれど、普通の人間に比べれば辛い思いをしてきたことだろう。それをぬるいという。そういえば、以前も大したことはないといっていた。
「お前ら、ヘビーな人生送ってんな」
「そうかな」
「なんでそんなへろりとしてられんだ?」
「我慢、ってすればどこまでもできるでしょう? だからどこまでしていいかわからないんだよ。で、結局乗り越えられるからそれって結局大したことなかったのかなーとか」
「お前、それ危険だぞ」
ヒューが顔をゆがめた。本当に危険だ。自分の痛みや限界に疎いのではないか。一人にしておけない人間だと思う。
「それで? 我慢してお前、四年も訓練に明け暮れて実は結構強いんじゃないか?」
「一応学校は総代で出たけど。でもそれが?」
「お前、謂れのない嫉妬とか受けてそうなタイプだな」
そういえばシンが本気で戦っているところを見たことがない。
「シン、今度手合わせ……」
「嫌だ。ザイフォンとかめんどいし、肉弾戦は苦手だから テイト とはしたくない」
「……今、おまえ、ザイフォン面倒とか言わなかったか……?」
「…………もう寝る、おやすみ」
逃げられた。時間も時間なのでおとなしくヒューと テイト もそのまま寝ることにした。
…………。
深夜だった。三人は襲ってきた気配に同時に飛び起きた。
「何もいない……」
「いや、上だ!」
天井の端にはりつくように人間がいた。人間? いや違う。ソウルイーターか。
「ちぃっ! 神の御名を冠する光よ……」
ヒューがエルブレスを放とうとするが、背後から黒い闇に襲われた。闇は水のように現れ、ゴムのようにその体を縛した。
「うそだろ……? 気配が全然しないなんて……」
目の前にいるのは擬態しているだけだった。それは姿を崩すと闇になって足元にすばやく移動してきた。ごぷっと音がして、闇が這い上がってくる。
(呑まれる……!)
「ヒュー! テイト !」
普通の銃では効かない。 テイト がザイフォンを放って縛していた闇を断ち切る。同時にヒューも自分でそれを断ち切った。闇は退いた。
「どこかに親玉がいるぜ!」
バン!と扉を開いて駆け出すヒュー。三人は一階に降りて、あたりを見渡した。ヒューが何かを感知したように再び駆け出す。
「あら、どうされました? 司祭様」
「ノエル……! お前、何を隠してるんだ」
「何のことですか?」
「そこを通せ。その先からソウルイーターの臭いがぷんぷんするぜ」
その先は地下室になっているようだった。ノエルは優しい笑みをふいに消して手を前に差し出した。闇がまとわりつく。
「司祭とその見習いなんて、なんてすばらしい捧げものなのかしら。あなたたちがこの館にとどまってくれたら、きっと私の願いが叶うわ」
「願い……?」
ノエルの背後で闇が形を取った。死神のようなそれは、自分の一部を切り離してそれを闇の刃に変えた。
「なっ!?」
「ヒュー、あれもソウルイーターなの!?」
「いや、ノエルはソウルイーターには憑かれていない。あれはただの使い魔だ」
だが、捕らえどころがない。エルブレスを炸裂させるとぎゃっと悲鳴を上げてノエルと使い魔が怯んだ。隙を突いて地下へと駆け込む。
「これは……!」
鍵のついた扉をザイフォンで吹き飛ばすと、そこに居たのは二人の老人だった。いや、老人に見えるだけなのだろう。纏っている服だけが、それよりも若く見えた。
そこに一体の死神が取り付いている。その周りを無数の朧な光逑が舞っている。
「はじめて見たぜ、バニッシャーだ……」
「何……?」
「どういうことなんだよ、ソウルイーターとは違うのか?」
「あぁ、バニッシャーはソウルイーターの親玉みたいなもんだ。ソウルイーターを通じて狩られた魂を喰らって完全体になると、契約者の針の進みを倍速にして人間を苗床にソウルイーターを増やす。厄介な存在だぜ」
死神の姿を持ったそれは襲ってくる気配はない。ヒューが言うには、不完全なうちは胎児のようなものだと言った。今のうちに、消してしまわなければ、と。
「どうしてそんなものがここに……」
「契約したやつが居るからさ。なぁ、あんた自分の親を生贄に捧げやがったな?」
気配に振り返る。ノエルが追ってきていた。
「そうよ。見られたからには死んでもらうわ」
「無理だなそりゃ」
闇の触手が再び伸びる。今度はとらわれはしなかった。
「バニッシャーには契約者という名の給餌役が必要だ。けど、それはただの人間だからな」
シンが銃を構えた。つまりノエルを止めれば、事態は止まる。ヒューがエルブレスを放って、闇の触手を払っていく。かいくぐってシンの放った銃弾は、ノエルの足を止めた。
「 テイト ! お前はあいつに憑いてるヤツをザイフォンで消し飛ばせ!」
「!」
頷いて床を蹴る。急接近し、発動したザイフォンはノエルの背後にわだかまる闇を捉えた。闇は霧散する。刹那、ヒューが祈りの言葉と共にエルブレスをノエルに向かって放った。
「きゃあ!」
光が地下に満ち、ノエルは悲鳴を上げて前のめりに倒れた。
「う……」
「あんた、あれが家族だって本当なのか」
テイト がその前に立つ。死神の前に横たわる二人はもう動きはしなかった。
「仕方ないのよ、こうしなければ私はこの屋敷に縛られたまま……」
信じがたかった。家族が居ない辛さを テイト はよく知っている。それがいるだけでどれほど救われることだろう。なのに、それがいるのに自分から手放している人間がここに居る。
ヒューが法衣を翻し、死神に向かい合う。祈りの言葉が響いた。
「この狭い世界から出て行きたかった」
エルブレスの力は生まれかけの死神を闇に返し、二人の人間を天へと返した。魂、だったのだろう。漂っていた光球は空に解けて消え、静かな闇が地下に戻った。
ノエルが涙を落す。それでも何も戻ってはこないし、犠牲になったものは多いはずだった。
「そんなの……自分を哀れんでるだけじゃないか」
「あなたにはわからないわ。生まれながらに運命を背負った者の気持ちなんて……!」
「随分と独善的だな」
仕事を終えたヒューが テイト の横に立った。
「この家がどんな場所だったのかは知らないが、運命なんて比べられる重さはないんだよ。……神はその人間が乗り越えられる試練しか与えない」
「乗り越えられる、試練……」
「そうだ、出たいなら出れば良かったんだ。あんたは自由なんだから!」
涙にぬれた瞳をノエルは上げた。そして、ふと、気づく。
「……あなた、そういえば黒い髪に翡翠の瞳……」
ファーレンダーの血筋を伝え聞いているのだろう。 テイト は視線を逸らす。
「……そう、そういうことなの。私の罪を、ノトスが暴きに来たのね」
そんなつもりはない。 テイト はただ、その場を離れた。
シンが、ヒューが続く。
「罪だと思うなら、次は間違えるなよ」
ノエルは、ただ暗闇の中で、涙を落し続けた。