22 .ウリエル
謁見は翌日だった。すぐにウィスが取り次いでくれるとエムスからも即日に応答があった。その日、シンはグラキエース家の一員としてウィスについて皇子に引き合わされることになっている。皇室からのお達しに軍部や研究員たちが口出しなど出来るはずもなく、シンの一日は保障された。
「ウィス=グラキエース、ならびにシン=ベルクラント参上しました。この度は皇子にお目通り叶い光栄至極です」
謁見の間で跪く。グラキエース家とはいえ、今のウィスの身分は軍人だ。それなりの儀礼を払い口上を述べる。許され、顔を上げると、確かにあのエムスが玉座から笑みをたたえて二人を見下ろしていた。
エムスは手を上げて、人払いをする。そして玉座から降り、二人の前までやってきた。
「ごめんな? こんな堅苦しい形で。すぐに場所を移そう」
何かを察しているのかエムスはそう言って、謁見の間を出る。従者が血相を変えて飛んで来たが、それも払ってエムスは背を向けたまま笑った。
「ウィスに会うのは久しぶりだ。シン、ウィスはオレの幼馴染のようなものだから。安心していい」
「まさかあなたが皇子だったなんて……気づかなくてごめんなさい」
「いいんだ、その方が。ウィスもシンもオレとは今までどおり接してくれ、特にウィス」
初めて振り返って指をつきつけた。
「お前、誇り高いグラキエースの人間なんだから、軍人になったからといって態度を改める必要はない」
「エムス……」
おそらく同じ年くらいの友人はいないのだろう。エムスは一転させた表情を再び緩まして歩を進めた。
ほどなくしてとある部屋の扉を開ける。応接室というには飾り気のない部屋だった。あまりごてごてしたものが得意でないシンにとっては丁度良いくらいだが。窓が広く開放的で中庭の緑が良く見えた。
ソファに腰をかけるとエムスが両の手を組んで前かがみになった。髪の色と同じ淡いアイスブルーの瞳。その視線がシンに、ウィスに注がれる。
「さぁ、話してくれ。何が起こっているんだ」
「! エムス……お前……」
まさか向こうから聞かれるとは思っていなかった。ウィスの声を受けてエムスは静かに笑った。
「わかるさ。シンを連れてくるというからには、何かあるんだろう? この数ヶ月でシン=ベルクラントというグラキエース家に縁のある者が帝国から追われていたのは知ってたよ。だが、シンは戻ってきた。オレは外の町でシンと一度会っている。そのシンがオレのことを忘れ、エンデのベグライターになっていた。……おかしいだろ、それは」
エムスが知っているのはそこまでか。シンはどこまでを話すべきか慎重になる。ただの帝国の利益になるかならないかで受けた操作に関する矛盾。知っていることがその程度であればすべてを話すには軽率だ。
「帝国の統治権は皇室にある。だが、軍部は日増しにその力を増している。制御がきかなくなっている状態なんだ。シンがアズラエルの秘石の適格者である話も聞いた。……ウィスが今この時にシンを連れてきたってことは、困っていることがあるんだろう? 力になれることがあるなら、何でも言ってくれ」
シンとウィスは顔を見合わせる。安易にエムスは言うが、まだ早い。ウィスが切り出してくれた。
「エムス、事は帝国の内政にとどまらない。それでも聞く気があるか?」
真摯な顔で頷くエムス。アイスブルーの髪が揺れる。そして、ふいに聞いてきた。
「シン、テイトは元気か?」
「え? あぁ、うん。元気だよ」
「そうか、じゃあハイスを倒した『ラグエルの秘石の適格者』はルディアスだったんだな?」
唐突だった。
「記憶をなくしたはずのシンが消えた直後に、クロノスがラグエルの適格者と接触していることは聞き及んでいる。その適格者はハイスの手によって瀕死の状態に追いやられたとか。……適格者として追われていたテイトでないのだとしたら、他にラグエルの秘石を使いこなせる人間を、オレは一人しか知らない」
「エムス、ルディアスのこと、いつから知って?」
「ずっとだよ」
意外な答えだった。シンはウィスに、ルディアスはエディフィスの王子であったことを話してきかせる。それを待ってエムスは話を続けた。
「ジングルの町で話しただろ。エディフィスで友達が出来たって。それが、ルディアスのことだったんだ。……帝国と王国が戦争に入る前の話だ。まだ小さかったオレはその後、戦争でその場所が消えることになるなんて思っていなかった。ただ、優しくて懐かしい記憶だけが残ってる。……だから、できればオレはいつか戦争の真実を知って、もし何か間違いがあったのならそれを正すべきだと思っていたんだよ。シンはルディアスと一緒にいたんだろう?……ひょっとしたら、シンはそれを知っているんじゃないのか」
あぁ、この人になら話すことが出来る。それは直感だったが、間違ってはいないと思う。少なくとも、戦争の真実は話すべきだ。シンは、心に決め、ゆっくりと話し出す。十二年前の真実。そしてエクライザーの在り処を。
「……オレの中に、エクライザーが?」
そういったエムスはしかし、何か思い当たったようだった。アイスブルーの瞳から戸惑いの色が消え、それは細められた。
「何か、心当たりがあるのか」
「……シンは知っているだろう。オレには闇の力を無効化させる力がある」
ソウルイーターに襲われた時のことを思い出す。確かにエムスはあの時、ソウルイーターの力を霧散させた。エルブレスもザイフォンも用いずに、だ。
「あの力は子供の頃にはなかったものだ。あれがエクライザーの力だとしたら」
「エムス。もうひとつ、話しておかなきゃならないことがある」
シンはエンデとの因縁を、魔王シャイターンの話を包み隠さずに明かした。魔王復活を阻止するためにも今、エクライザーが必要であるということも。
「そんな、……そんなことが」
「そもそも魔王の魂を持つアズラエルの秘石から命を生み出したことが間違いだったんだ。帝国は人のいるべき領域を越えてしまった」
長い沈黙。エムスから苦渋の声が漏れる。
「今のオレにはそのレベルで国を動かすことは無理だ」
それは仕方のないことだ。彼が皇帝にでもなればまた話は違ってくるだろうが、今の状態では下手に帝国の意に反すれば皇子といえども無事ではすまないだろう。帝国の腐敗臭がした。
「……力になれるのは、オレ自身でしかないな」
「エムス?」
「一緒に行こう。すぐにでも、シンはここから出なければならないんだろう?」
「そんなことができるのか?」
エムスも立場がある人間だ。それにここは厳重なフォーマルハウト要塞の中心部でもある。シンにも増して許可なくここから出るのは困難なことに思えた。
「フォーマルハウトまでは自由に出ることが出来る。そこから落ち合って、帝都を出よう」
このまま一緒に出ては、誰がエムスを連れ去ったのか明らかになってしまう。エムスなりの配慮だった。
それから入念に打ち合わせをして、決行を明朝に決める。ウィスはここに留まり、有事の際は連絡を取ることになった。本人は、それを拒んだがなんとか説得して城を出る。脱出ルートにはイーグルを事前に用意した。ミカゲの姿はここに来てから見ていないがおそらくどこかで見ているだろう。無事であることを祈る。
朝日が昇る前にエムスは待ち合わせたエリアにやってきた。巡回兵の目をかいくぐり、ミカゲも合流した。
しかし、なぜか追っ手がかかってしまった。皇子ということがばれてしまったのだ。
「逃げれば追うとは犬みたいだね……ついに私は誘拐犯か。……」
「愉快とか言うなよ」
行く手に現れた兵士の足をミカゲの一閃が止めた。隙を突いてすり抜ける。イーグルはすぐその先にあるはずだった。だが、その行く手にも兵士が。囲まれた。
「シン、オレを人質にとって逃げるんだ」
「!」
しかしその時、シンはふいにミカゲにみぞおちを打たれた。気を失いかけ、小脇に抱えられる。ミカゲはそのままエムスの首筋に刃を突きつけた。
「貴様……ミカゲ=アヴニールだな!?」
「動くな。動けば皇子を殺す」
皇子を人質に取られて、兵士たちは動きを止める。
「アズラエルの秘石はもらっていく」
そう言い残してミカゲはエムスを連れ、テラスの手すりを蹴った。
その下にはイーグルがあった。
イーグルはすばやく起動すると一気にトップスピードに上がり、風を裂いて、フォーマルハウトを離脱した。
「ミカゲ……?」
軽く咳き込みながら見上げる。
「お前が皇子を連れて逃げたら、ウィス=グラキエースにも嫌疑がかかる可能性がある。あぁ言っておけば少なくともお前も反逆罪にはならない。身分は公には保留になるだろう」
「あぁ、そういう……って、ミカゲが重罪人に」
「今更だ」
なんでもないように言った。
イーグルが滑り込むべきはグラキエース家だった。先に到着し、待っていたテイトたちはそこにブラックフェンリルの姿を見た。ブラックフェンリルはまっすぐに帝都へ向けて動いている。どうやら帰還途中のようだった。
「おいおい、まさかとは思うが鉢合わせたりしないだろうな」
潜入から三日だ。この速さで戻ってくれば理想的だが、今は戻ってくるなと願う。しかし。
「……アズラエルの秘石が動いた……!」
テイトにはわかる。それがすぐそこまで来ている。彼らは接触してしまったようだった。
「なんだと!?」
駆け出すテイト。すぐにイーグルに飛び乗り、上空を目指した。四ブロックほど先の空中で彼らは交戦中だった。
「ミカゲ君、あなたがいなくなってブラックフェンリルは空前の人手不足ですよ。戻ってきてくれません?」
「……」
ミカゲのイーグルの後ろにはエムスがいる。連れ出すことには成功したらしい。しかし、機動力の活かした戦い方をするミカゲにとって、エムスを守りながらハウルの相手をするのは難しいことだろう。テイトは間に入って、ハウルへ先手を打って出た。
「テイト君ですか。丁度良かった。エンデ中将閣下があなたと一度、手を合わせてみたいとおっしゃってましたよ」
「何だと!?」
殺気に振り返る。エンデはブラックフェンリルの中だ。だが、確かにその手が挙げられるのをテイトは見た。
その瞬間に、音を立てて空間がゆがんだ。ドン!という衝撃音と共にテイトはイーグルから吹き飛ばされた。
それをヒューがキャッチする。
「あぶねぇな、あの距離からこの威力かよ」
「このっ」
「テイト、よせ!」
ラグエルの秘石を発動させる。秘石はテイトを主と認めている。制御することは難しくなかった。だが、その力は強力な闇色のザイフォンにはじかれてしまう。
「駄目ですねぇ、その程度ではエンデ様には近づくことも出来ませんよ」
シンもまた、アズラエルを発動させ、グラスと打ち合っている。制御をしているのかルディアスと同じように翼もなく中空に浮いていた。
「あははっ、いいね。もっと本気で来なよ。来ないならボクの方から行くよっ」
闇色の光が爆ぜた。ランバートが援護に入る。
「ダメダメ。もうお前らボクの正体知ってるんだから生かしておけないよ」
少年の体が、ランバートの大柄な体と交錯する。最も四神で戦闘能力に長けたボレアスの拳を、グラスは正面から受け止めた。
「いいんですか? あまりここに長居をすると」
ハウルが口の端に笑みを浮かべる。
『私の元へ戻って来い』
エンデの声がふいに響いた。
びくり、とシンのからだが揺れた。
「まずい! テイト、シンを連れてここを離れるぞ!」
しかし、遅かった。
シンの背に黒翼が広がる。その瞳は緋く、刹那、光を失った。
だが、次の瞬間には凶悪な色を帯びて、笑みを伴い見開かれた。
エンデの姿がかぶって見える。
シンは手をこちらに向かって上げた。が、一足早くイーグルを飛ばしたミカゲがシンを確保した。
「戻れ! それは魔王の力の欠片に過ぎない。そんなものに支配されるな!」
シンの瞳がその声を聞いて再び色を失う。
「ミ、カゲ……?」
「そうだ。オレだ。自分をしっかり持て。制御しろ。お前はアズラエルの秘石の主だ」
瞳に色が戻った。
「エンデぇぇ!」
許さない。
テイトは再びラグエルの力を放つ。また、奪われるのだと思った。これまで失ってきたものの面影がよぎる。
しかし、その攻撃はエンデには届かない。
「返すぞ」
来る。……テイトが守る番だった。しかし、早い。せいぜい各々が自分を守るしかない時間しか与えられはしなかった。
「ダメだよ、テイト君」
しかし、その声と共にエンデの放った攻撃は拡散した。
白い……羽……?
それが舞い散ったのを見た気がした。
後ろから、抱きとめられるようにテイトは守られた。
「ミスト……さん?」
「憎しみや復讐の心はルシフェルにとって糧になるだけ。何かを守りたいなら、その気持ちをぶつけるんだ」
姿は見えなかった。だがそれは確かにミストだった。
翼もなく、イーグルもなく現れたミスト。その姿にエンデの……ルシフェルの口元に壮絶な笑みが浮かんだ。
「遂に現れたな……? ウリエル」
「なん、だって……」
「その服は司祭ですかね。まさか聖域に隠れていたなんて」
「……テイト君とシンは、僕が連れて行きます。あなたたちも今はお引きなさい」
沈黙があった。
「いいだろう。自ら出てきたお前に免じて、今日は退こう。……テイト=クライン。エクライザーを使うなら使うがいい。その時はお前たちが死ぬ時だ」
ハウルとグラスが退いていく。ブラックフェンリルは二人を回収すると北へと去っていった。
イーグルを一旦、草原に降ろしてテイトはシンの元へ駆け寄り、無事を確認する。
「シン、大丈夫か!?」
「ごめん、またテイトたちを攻撃するところだった」
テイトはどこか憔悴した表情のシンに抱きついた。
「テイト?」
「いいんだ、無事なら……良かった」
「逃げ切れなかったのはオレの責任だ。すまない」
三人乗せていては無理というものだ。よく守ってくれたと思う。テイトはミカゲにかぶりを振った。
そして、ミストを振り返った。ミストはいつもよりどこか寂しそうな笑みで、少し離れた場所からこちらを見ていた。
「ミストさん……あなたがウリエルだって、本当なんですか?」
帝国の生み出した生体兵器。ノトスを滅ぼした存在。今まで影となり日向となり支えてくれたミストがそんなものだとは本人の口から聞いても信じがたかった。
「うん。僕はね……」
風の渡る草原で、ミストは微苦笑をもらす。
「生まれたときから戦うのが嫌だったんだ」
「戦うのが、嫌?」
「でも存在理由はそれしかなかった。十二年前のエディフィス戦争。あの時、僕はファーレンダー家を守っていたノトスと戦った。でも、どうしてだろうね。追い詰めた。それでも消してしまうことは出来なくて」
十二年前。まただ。すべてはその戦争を発端に始まっていることだった。
「ノトスはそんな僕を見て、自分から手を差し伸べてくれたよ。自分が消えるのはもう時間の問題だと悟ったからかもしれない。僕は『彼女』の力を統合した。いや、僕が彼女に統合されたのかもしれない。……気がついたら僕は泣いていた。涙なんて与えられたはずがなかったのに。今でもそれが、ノトスのものだったのか僕のものだったのかわからない。でも、僕はその時、もう帝国にはいられないと思った。……僕は、逃げ延びて、聖域の小さな司祭に拾われた。……ねぇ? ヒュー。それからは長い間、平和だったね」
「……」
聖域の小さな司祭。それが誰のことなのかはわかりきったことだった。ヒューはミストがウリエルだと、知っていたのだろうか。けれどそんなことは大した問題ではなかった。
「僕はノトスと統合し、自分が魔王の欠片であるやルシフェルが自分を狙っていることを知った。それからは、ずっと聖域に守られてきたけれど……逃げるのはもうやめだ」
「ミスト、お前……」
「君たちを見てたらね。思ったんだよ。運命というものがあるなら、僕もそれに立ち向かうべきだと」
そしてミストは微笑んだ。いつもの笑みだった。
「さぁ、教会へ行こう。エクライザーで神の瞳に本来の力を取り戻させるんだ」