23 .一つの真実
教会は、いつもの静寂に包まれていた。エムスを連れて大聖堂に向かう。そこでは教皇が待っていた。
「エムス皇子、お久しゅうございます」
「ご無沙汰しています。……エクライザーを教会へお返しに上がりました」
「まさか皇子の体に封印してあったとは……盲点でしたな。しかし」
教皇はエムスを一目見るなり、瞳を伏せた。なんだろう。いやな予感がする。
「エクライザーは既に皇子の体に馴染んでしまったようです。取り出すことは出来ますまい」
「!? じゃあどうすれば」
「皇子、あなた自身がエクライザーを使えるようになればよろしい」
「しかし、それは門外不出の……」
そう言ったのはエムス自身だった。
「私は皇子を幼い頃から存じております。……あなたになら、託しても構わないでしょう。帝国はともに歩んできたエディフィスを滅ぼしたそのときから、黄昏に面しているのです。次代はあなたが担っていかなければならない。……そして、全てが済んだ時にはあなたに会わせたい方がいる」
「それは……」
「あなたの大事なご友人ですよ」
ルディアスのことだろう。彼はシアスタでその身を聖域の者に任せている。とても、歩ける状態ではなかったが、命はとりとめた。朗報の予感にエムスの顔が明るくなる。
「さぁ、こちらへ。聖典をすべて覚えてらっしゃる皇子には難しいことではありますまい」
「はい」
エムスは教皇に連れられて、奥の部屋へと消えた。
「エムスが使えるようになるまで、最低三日ってとこだな」
「結構、かかるんだな」
「本来なら教皇にのみ受け継がれる技だ。まぁ俺たちは万全に体調を整えておこうぜ」
久々の休暇でも取るように、ヒューは伸びをして外へ出て行った。エンデはウリエルを狙ってやってくるだろう。あるいは皇子の奪還という大義を振りかざしてくるかもしれない。
次に会うときが最後になるだろう。最後に、しなければならない。テイトは胸元に埋まっているはずのラグエルの秘石を握り締めた。
ヒューは三日と見積もったが、エムスは二日でエクライザーの扱いを習得した。帝都からブラックフェンリルに出立命令の下ったとウィスから連絡のあったその日のことだった。
「遂に、これで終わるんだね」
エンデが、アズラエルの秘石から生まれた素体たちが消えれば、そして二つの神の瞳の力がなくなれば、帝国軍が積み上げてきたものは崩れる。エムスはその時、帝国に帰り新たな時代を築くための改革に乗り出すと約束してくれた。
だが、神の瞳を無効化させるのはハウルやグラスを、ブラックフェンリルを退けてからだ。それまでは必要になるだろう。そう言って、エムスは危険を押してテイトたちについてきてくれることになった。
夜風の入る広い部屋で思い思いに皆は過ごしていた。テイトはティーポットを乗せたトレイを持つミストと共にその部屋へ向かっている。まだ夜は長い。月は少しずつ太くなってきている。回廊にも庭園を渡って春にさしかかった季節の香りを乗せた風が届いた。
「何考えてるんだ?」
その部屋でヒューがシンに聞いたのは戯れだった。物思いにふけっていたらしいシンは顔を上げた。
「ヒュー……ねぇ、全てが終わったら四神はどうなるの?」
そう聞いたシンの顔はどこか不安そうだった。
「簡単なことだ。多分だけどな、役目を終えれば天界へ戻る」
テイトは、それを戸口で聞いた。足を止め、だが、それに気づく者はいない。笑みを消してしまったヒューも、俯くランバートも、窓際で夜の闇を見つめるミカゲもこちらを見はしなかった。
「天界へ戻るって……じゃあ、ヒューはどうなるの?」
シンがそう尋ねた意味がわからなかった。
全てが終わって神が天界へ帰ったとしても、当然人としてヒューたちは「戻る」と思っていただけだから。
しかし、シンの中ではそういう結論には落ち着いてないようだった。答えはない。
「ランバート、ミカゲ……?」
二人を見て、なおいっそうその顔が不安に曇る。
「まさか、ランバートとミカゲも…? ミカゲもなの!?」
「そうだ。俺は既に死んだ人間だ」
ミカゲが答えた。ミカゲは誰にも過去を話していないといった。なぜその可能性を考えなかったのだろう。あの時ミカゲは、死に直面していたと言った。そのミカゲが一人、立ち上がれるはずがない。ミカゲは一度死んでいたのだ。全てが終わって神が去るのなら、今ここに存在するミカゲはどうなるのか。……想像はたやすかった。
シンは手を伸ばし震える手でその裾に触れ、ミカゲを見上げる。
しかし、今、シンはミカゲ「も」といわなかったか。なぜヒューがどうなるか聞いたんだ。
その光景に胸がざわついた。
「どういうことだよ、ヒュー、まさかお前…!?」
各々がそれぞれの世界に入っていたのだろう。テイトの声に驚いたように視線が集まった。ミストがひどく困った顔でその背を見つめた。
シンの顔が物語っている。「失言した」と。何を?
ヒュー自身がそれを語った。
「そうだ。俺はあの遺跡で死んだんだ。もし、エウロスがこの身を離れ、天界へ帰れば……おそらく、俺は消える」
「そんな……!」
温かかった。呼吸だってしている。それが死んでいるなどといわれて、なぜ信じられるのか。
ランバートとミカゲを見た。二人ともただ黙っているだけだ。
何か、言葉が欲しかったのに。唯一それをくれたシンはヒューの言葉を肯定しただけだった。
「テイト……黙ってて、ごめん。ごめんね」
「黙っていろと言ったのは俺だ。責めるなら俺を責めてくれていいんだ」
なぜ気づかなかったのだろう。ヒューがあの時、「置いていかれた」時点でおかしかったのだ。仲間をみすみす置いていく人間は、ここにはいない。それが助かるはずの人間ならなおさらだ。だが、魂の行方を見ることの出来るランバートがそれをしなかった。その時点で、気づくべきだった。
ヒューはテイトがラグエルの秘石を暴走させたあの時に、死んでいた。……もしかしたら、自分が消してしまったのかもしれない。優しさゆえに黙っていた理由が見えた。
「違うな。ヒューを殺したのはオレだ。恨むなら、俺を恨め」
「誰も恨めるかよ! 今更!……ちくしょう!」
シンは拳を強く握り締め俯き、辛うじて泣くことを耐えている。
ミカゲはシンを傍に置いたままソファに腰をかけ、黒い髪を梳くように一度だけ撫でる。
相変わらず表情を映さないアンバーの瞳が少しだけ揺れた。
「なんだよ、オレは野郎か。それともランバートの方いくか?」
ヒューがそれを見て、にやりとテイトに笑いかけた。
「こんな時だ、抱きついてくれてもいいんだぜ?」
「だっ、誰が抱きつくかよ!」
「素直じゃねーな」
こんな時に、そんなことを言う。見守っていたミストが微苦笑を浮かべながらようやく部屋へ入ってくる。かちゃかちゃとティーセットが音を立てた。
「さ、おいしいお茶を持ってきましたよ。冷めない内に飲みましょう」
ミストがカモミールティーを入れる。花の香りが部屋に広がった。
促されて腰をかけたテイトの前にも差し出されたが、到底のどを通す気にはならなかった。
「テイト君、カモミールティー、嫌いですか?」
ふるふると無言で頭を振る。言葉を出すと、なぜか涙が溢れそうでそれもできなかった。
「悲観することはないぜ。……命はいつか終わりが来るもんだ。それが昨日か明日かの違いだっただけ……それに、これだけ善意を尽くしてるんだから、神も次は好きなものに生まれ変わる権利くらいくれるだろうさ」
「善意って柄かよ……」
ようやく出たのは憎まれ口だけだった。それでも上出来とばかりにヒューは笑顔でテイトの頭に手を乗せてかき回した。
「もし、生まれ変わるなら」
ランバートが珍しくヒューの話に乗ってきた。
「もし天界へ帰って生まれ変わるなら……オレは鳥がいい」
「鳥……?」
「そうだ。自由に大空を舞う鳥がいい」
もうボレアスとして生きると決めていた、だから、とランバートは言う。それがランバートの願いなのだろうか。それはあまりにもささやかなものだった。
「俺は、自分に生まれ変わりたいな。他に選択肢はないだろ」
遂に堪えていた涙が溢れた。だが、テイトは泣きながら、笑う。
「お前らしい」
「オレは……」
言いかけて首を振るミカゲ。まるで転生は望んでいないようだった。
「ミカゲ……聞かせて?」
「それなら」
それでも、望めとシンは言う。淡い笑顔からミカゲは視線を逸らし、それでも答えた。
「……それなら、オレはグラキエース家に生まれたい」
「グラキエース家?」
「ウィス=グラキエースとして生まれ変わりたい。誰かを守れる軍人になりたい。……お前の家族として」
沈黙があった。ヒューが笑う。
「お前な、一番贅沢な願望じゃないか。なんだ、そのピンポイントさは」
「うるさい」
ミカゲが、表情を歪める。めったに見せない、人間らしい顔だった。
「じゃあ、私も私に生まれ変わるよ。どんなに過酷な運命でも、繰り返してもかまわない」
シンが笑顔で応えた。それぞれが運命を受け入れて歩き出そうとしている。
自分も、受け入れなければならない。テイトはそれを強く感じていた。
「エムス皇子、お久しゅうございます」
「ご無沙汰しています。……エクライザーを教会へお返しに上がりました」
「まさか皇子の体に封印してあったとは……盲点でしたな。しかし」
教皇はエムスを一目見るなり、瞳を伏せた。なんだろう。いやな予感がする。
「エクライザーは既に皇子の体に馴染んでしまったようです。取り出すことは出来ますまい」
「!? じゃあどうすれば」
「皇子、あなた自身がエクライザーを使えるようになればよろしい」
「しかし、それは門外不出の……」
そう言ったのはエムス自身だった。
「私は皇子を幼い頃から存じております。……あなたになら、託しても構わないでしょう。帝国はともに歩んできたエディフィスを滅ぼしたそのときから、黄昏に面しているのです。次代はあなたが担っていかなければならない。……そして、全てが済んだ時にはあなたに会わせたい方がいる」
「それは……」
「あなたの大事なご友人ですよ」
ルディアスのことだろう。彼はシアスタでその身を聖域の者に任せている。とても、歩ける状態ではなかったが、命はとりとめた。朗報の予感にエムスの顔が明るくなる。
「さぁ、こちらへ。聖典をすべて覚えてらっしゃる皇子には難しいことではありますまい」
「はい」
エムスは教皇に連れられて、奥の部屋へと消えた。
「エムスが使えるようになるまで、最低三日ってとこだな」
「結構、かかるんだな」
「本来なら教皇にのみ受け継がれる技だ。まぁ俺たちは万全に体調を整えておこうぜ」
久々の休暇でも取るように、ヒューは伸びをして外へ出て行った。エンデはウリエルを狙ってやってくるだろう。あるいは皇子の奪還という大義を振りかざしてくるかもしれない。
次に会うときが最後になるだろう。最後に、しなければならない。テイトは胸元に埋まっているはずのラグエルの秘石を握り締めた。
ヒューは三日と見積もったが、エムスは二日でエクライザーの扱いを習得した。帝都からブラックフェンリルに出立命令の下ったとウィスから連絡のあったその日のことだった。
「遂に、これで終わるんだね」
エンデが、アズラエルの秘石から生まれた素体たちが消えれば、そして二つの神の瞳の力がなくなれば、帝国軍が積み上げてきたものは崩れる。エムスはその時、帝国に帰り新たな時代を築くための改革に乗り出すと約束してくれた。
だが、神の瞳を無効化させるのはハウルやグラスを、ブラックフェンリルを退けてからだ。それまでは必要になるだろう。そう言って、エムスは危険を押してテイトたちについてきてくれることになった。
夜風の入る広い部屋で思い思いに皆は過ごしていた。テイトはティーポットを乗せたトレイを持つミストと共にその部屋へ向かっている。まだ夜は長い。月は少しずつ太くなってきている。回廊にも庭園を渡って春にさしかかった季節の香りを乗せた風が届いた。
「何考えてるんだ?」
その部屋でヒューがシンに聞いたのは戯れだった。物思いにふけっていたらしいシンは顔を上げた。
「ヒュー……ねぇ、全てが終わったら四神はどうなるの?」
そう聞いたシンの顔はどこか不安そうだった。
「簡単なことだ。多分だけどな、役目を終えれば天界へ戻る」
テイトは、それを戸口で聞いた。足を止め、だが、それに気づく者はいない。笑みを消してしまったヒューも、俯くランバートも、窓際で夜の闇を見つめるミカゲもこちらを見はしなかった。
「天界へ戻るって……じゃあ、ヒューはどうなるの?」
シンがそう尋ねた意味がわからなかった。
全てが終わって神が天界へ帰ったとしても、当然人としてヒューたちは「戻る」と思っていただけだから。
しかし、シンの中ではそういう結論には落ち着いてないようだった。答えはない。
「ランバート、ミカゲ……?」
二人を見て、なおいっそうその顔が不安に曇る。
「まさか、ランバートとミカゲも…? ミカゲもなの!?」
「そうだ。俺は既に死んだ人間だ」
ミカゲが答えた。ミカゲは誰にも過去を話していないといった。なぜその可能性を考えなかったのだろう。あの時ミカゲは、死に直面していたと言った。そのミカゲが一人、立ち上がれるはずがない。ミカゲは一度死んでいたのだ。全てが終わって神が去るのなら、今ここに存在するミカゲはどうなるのか。……想像はたやすかった。
シンは手を伸ばし震える手でその裾に触れ、ミカゲを見上げる。
しかし、今、シンはミカゲ「も」といわなかったか。なぜヒューがどうなるか聞いたんだ。
その光景に胸がざわついた。
「どういうことだよ、ヒュー、まさかお前…!?」
各々がそれぞれの世界に入っていたのだろう。テイトの声に驚いたように視線が集まった。ミストがひどく困った顔でその背を見つめた。
シンの顔が物語っている。「失言した」と。何を?
ヒュー自身がそれを語った。
「そうだ。俺はあの遺跡で死んだんだ。もし、エウロスがこの身を離れ、天界へ帰れば……おそらく、俺は消える」
「そんな……!」
温かかった。呼吸だってしている。それが死んでいるなどといわれて、なぜ信じられるのか。
ランバートとミカゲを見た。二人ともただ黙っているだけだ。
何か、言葉が欲しかったのに。唯一それをくれたシンはヒューの言葉を肯定しただけだった。
「テイト……黙ってて、ごめん。ごめんね」
「黙っていろと言ったのは俺だ。責めるなら俺を責めてくれていいんだ」
なぜ気づかなかったのだろう。ヒューがあの時、「置いていかれた」時点でおかしかったのだ。仲間をみすみす置いていく人間は、ここにはいない。それが助かるはずの人間ならなおさらだ。だが、魂の行方を見ることの出来るランバートがそれをしなかった。その時点で、気づくべきだった。
ヒューはテイトがラグエルの秘石を暴走させたあの時に、死んでいた。……もしかしたら、自分が消してしまったのかもしれない。優しさゆえに黙っていた理由が見えた。
「違うな。ヒューを殺したのはオレだ。恨むなら、俺を恨め」
「誰も恨めるかよ! 今更!……ちくしょう!」
シンは拳を強く握り締め俯き、辛うじて泣くことを耐えている。
ミカゲはシンを傍に置いたままソファに腰をかけ、黒い髪を梳くように一度だけ撫でる。
相変わらず表情を映さないアンバーの瞳が少しだけ揺れた。
「なんだよ、オレは野郎か。それともランバートの方いくか?」
ヒューがそれを見て、にやりとテイトに笑いかけた。
「こんな時だ、抱きついてくれてもいいんだぜ?」
「だっ、誰が抱きつくかよ!」
「素直じゃねーな」
こんな時に、そんなことを言う。見守っていたミストが微苦笑を浮かべながらようやく部屋へ入ってくる。かちゃかちゃとティーセットが音を立てた。
「さ、おいしいお茶を持ってきましたよ。冷めない内に飲みましょう」
ミストがカモミールティーを入れる。花の香りが部屋に広がった。
促されて腰をかけたテイトの前にも差し出されたが、到底のどを通す気にはならなかった。
「テイト君、カモミールティー、嫌いですか?」
ふるふると無言で頭を振る。言葉を出すと、なぜか涙が溢れそうでそれもできなかった。
「悲観することはないぜ。……命はいつか終わりが来るもんだ。それが昨日か明日かの違いだっただけ……それに、これだけ善意を尽くしてるんだから、神も次は好きなものに生まれ変わる権利くらいくれるだろうさ」
「善意って柄かよ……」
ようやく出たのは憎まれ口だけだった。それでも上出来とばかりにヒューは笑顔でテイトの頭に手を乗せてかき回した。
「もし、生まれ変わるなら」
ランバートが珍しくヒューの話に乗ってきた。
「もし天界へ帰って生まれ変わるなら……オレは鳥がいい」
「鳥……?」
「そうだ。自由に大空を舞う鳥がいい」
もうボレアスとして生きると決めていた、だから、とランバートは言う。それがランバートの願いなのだろうか。それはあまりにもささやかなものだった。
「俺は、自分に生まれ変わりたいな。他に選択肢はないだろ」
遂に堪えていた涙が溢れた。だが、テイトは泣きながら、笑う。
「お前らしい」
「オレは……」
言いかけて首を振るミカゲ。まるで転生は望んでいないようだった。
「ミカゲ……聞かせて?」
「それなら」
それでも、望めとシンは言う。淡い笑顔からミカゲは視線を逸らし、それでも答えた。
「……それなら、オレはグラキエース家に生まれたい」
「グラキエース家?」
「ウィス=グラキエースとして生まれ変わりたい。誰かを守れる軍人になりたい。……お前の家族として」
沈黙があった。ヒューが笑う。
「お前な、一番贅沢な願望じゃないか。なんだ、そのピンポイントさは」
「うるさい」
ミカゲが、表情を歪める。めったに見せない、人間らしい顔だった。
「じゃあ、私も私に生まれ変わるよ。どんなに過酷な運命でも、繰り返してもかまわない」
シンが笑顔で応えた。それぞれが運命を受け入れて歩き出そうとしている。
自分も、受け入れなければならない。テイトはそれを強く感じていた。