夢ヲ見ルヨウニ、生キテイコウ―――――

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STEP2 熱風の大地


 カルバレイスまでの航路は長い船旅だった。
 セインガルドの大陸を大きく迂回する形で北西へ向かう。
 世界の中心から地図のはずれの島国までの二、三日と気楽な日数でたどり着けるはずもなく……
 一週間。
 ひたすら水平な青い海と空の狭間を船は順調に進んでいた。
 あるいは人間から見た場合、ヒマを持て余しながら、とも言う。
「それにしても がソーディアンの声が聞けるなんてなぁ~」
『だったらもっと早く言えばよいものを』
 人が悪い、とばかりの机上に上げられたディムロスの言葉に はやや顔をしかめる。
「どーせだったら驚かすタイミングで言いたかったんだけど、リオン話聞いてくれないし」
「いや、十分驚いたから」
「あの状況でいちいち言い分をきいていたら埒があかないだろう」
 会議室を前提としたのであろう船室にいるのはスタン、リオン、 の三人だ。
 乗船するなり見張り以外は自由行動となったため、全員集まる機会は意外に多くない。
 手元の本に視線を落としたままのリオンに は臆面もなく言い放った。
「リオン、シャルティエ貸してよ」
「なぜいきなり「貸して」なんだ」
 出して、でもなく見せて、でもないのは単にどちらも適当では無い気がしたからだけなのだが。
「シャルとも話がしたいから」
「……」
 それだけか。と視線だけで返事が返ってくる。慣れるとわかりやすい反応だ。
「自己紹介もろくにできないままというのはちょっと寂しいんだよ」
 そういうとリオンは黙ってシャルティエを机の上にあげた。
「しゃべっていいぞ」
 止められてたんかい。
『はじめまして!  。ぼっちゃんたら余計なこと話すな、なんて言うものだから…… の前だけだんまりだったんだよ。目の前でディムロスたちと話してるのに話しちゃダメなんてもう息がつまりそうでつまりそうで…』
 よほど話に加わりたかったのかシャルティエは凄い勢いで話しだす。
 まるで溜め込んでいたものを吐き出すように(まるで、ではなく寧ろというべきか)。
 苦い顔をするリオンとシャルティエのその様に思わず は吹き出しそうになる。
『もう一週間以上いっしょの人間を前に話すな、はないよね?』
「うん、でもこれからはいつでも話せるから。よろしく、シャルティエ」
『こちらこそ!』
 嬉々として。
 何がそんなに嬉しいのだろう、リオンはシャルティエの様子に密かにため息をついた。

 それからしばらく。
 話は の身の上に及んでいた。
 シャルティエがはじめて会話に加われたため、仕切りなおしとでも言うのだろうか。
 彼の他意の無い質問はけっこう痛いところをついてくる。
 ある意味、 に謎だらけなので質問しがいもあるのだろう。
『それで……自分が何をしていた人だとかっていうのは覚えてないの?』
「……」
「覚えて無くてもさ、少しずつでも思い出していけばいいんじゃないか?  の場合はマリーさんと違って断片的に記憶があるんだろう?」
 スタンがすてきにフォローしてくれた。
 まぁリオンにも魔の暗礁がどうとか、神殿内の構造とか話してるから記憶があるようなないような匂いは伝わっているだろう。
 でも「何してる人」って…この状況から何を設定しろと?
「……学者、かな」
「学者?」
 聞かないふりをしていたリオンがスタンと声を合わせて聞き返し、興味を持ったように顔を上げる。
 学者。
 それなら多少、人の知らないことを知っていても無理はないだろう。
「どう見たって「自称」という感じだな」
「うっ……」
 ソーディアンもソーディアンならマスターもマスターである。
 今のは無意識にいいところをついている。
「リオン、せっかく が何か思い出しかけてるのにそれはないだろ!」
 スタンはあくまでいい人だった。
『それで、その知識はその時に得たものだと?』
「そうだね、多分、おそらく、きっと」
  はなげやりに発言をする。
「だからそのテの情報ならまだいくつか頭の中に入ってるし……でも、それ、自分の生い立ちと一切関係ないからいちいち話しても無駄かな」
「無駄なんてことないよ。なんでもいいからさ、話してみたら?」
「そう? じゃあ──」
  はスタンに天地戦争に関する記述、それもディムロスたちが話してないであろう詳細な部分を、更に難解な言葉を使ってそらで読み上げる。
 例えば神の眼の直径とか。通常レンズの屈折率の話とか。
「ごめん! もうムリ!」
 案の定。
 はじまって三分とたたない内に音を上げるスタン。
この所業はからかい半分、そしてあまり深く突っ込むなよ、というしっぺ返しもやや含まれているということを彼は知らない。
『ふ~ん、凄いね。この時代でそこまで詳しい人ってなかなかいないよ、ねぇ坊ちゃん?』
「まだ、さわりの部分だろ。おい、もう少し話してみろ」
「……。ヤだよ~。あ、その代わりいいものみせてあげる」
『いいもの?』
 ディムロスの問いには答えず部屋を出て行く
 なぜ学者だというのに自分の得意分野を話すことを嫌がるのか(面倒だから)。
 せっかく興味を抱いたのにあっさり断られてリオンは呆れた顔をした。
 ちなみに、彼と との「同行の交換条件」は未だ達成されてもいない。
 話を振るとそこまで行けばわかる、としか言わないのだ。
 当面の死活問題に渋面する彼らに「じゃあ今までそこで実害が起きているのか?」と問いかけ、黙らせた記憶は新しい。
 怪物は出ると騒ぎにはなっているものの実際被害が出ていない事実に気付いたのである。
 つまり、 が彼らに与えた情報は恐怖のウワサと真実が異なる、ということ。
 その後も腑に落ちないリオンは何度か同じ問いをしたがヒントは出しても断言することは無かった。
『坊ちゃん、 は頼りになりそうですねぇ』
『シャルティエはずいぶん彼女が気に入ったようだな』
『うん? そうだね。だっておもしろいじゃない。それになんだか初めて会った気がしなくて……』
 それは単に がシャルティエを知っていてシャルティエも話しはじめると人なつこかったりするからだけなのだが。
「お前は喋りすぎだ」
 いつになく饒舌なシャルティエをリオンが諌めた頃、 が戻ってきた。
「これこれ、……武器と言えば武器かな」
 そういって が布に包まれたものを机の上にあげる。
 イスに座ってからもう一度取り上げて、スルリと布を払うと丁度、両手にのるくらいの黒い物体が現れた。
「デザートイーグル、っていう遠隔攻撃用の銃……武器のレプリカだよ」
 いわゆるモデルガンである。
 なぜ花もはじらう乙女がこんなもの……しかも圧縮ガス型でそれなりに威力がある──を所有しているのかは聞いてはいけない。
 こちらに飛ばされた時たまたま遊び用に持ち歩いていたので荷物の中に入っていたものだ。
「へぇ~武器なんだ。見たこともないよ」
「かろうじて天地戦争時代に似たものがあったんじゃないの、どう?」
『あぁ、似たようなものはあったな。またそれとも違うようだが……』
「ガスで充填した弾丸を打ち出すんだよ。これは二十七発まで偽装弾を装てんできる」
BB弾のことである。偽装弾とはよく言ったものだと思いつつ。
「使えるのか?」
「使えるけど……」
 グリップを握って壁にかかったカレンダーに向ける。
 次の瞬間バスっと鈍い音がしたかと思うと今日の日付に穴があいていた。
「うっわ、結構威力ありそう」
「でもおもちゃだからね。実戦には使えないよ。ガスも弾もここにあるの使い切ったら終りだし」
 まぁ牽制用にはなるかな。
 遊びのつもりで彼らに見せただけなのだが、それをなんとかして使えないかと考え始めた
 一瞬、目つきの変わったことに気付いたかリオンが貸してみろ、と銃を手に取った。
 そして、 と同じように持ってそのままスタンに向ける。
「へ?」
「あ、撃つときはそこのトリガー……人差し指にかかっているところを引いて」
「って、うわぁ!」
 がっちゃん!
 スタンの悲鳴と彼の後ろにある小さな水差しが割れたのは殆ど同時だった。
「扱いは簡単なんだな」
「うん、でも備品の破壊は止めたほうがいいよ? 空き缶に穴があくくらいの威力はあるから」
 人にあたると痛いし。
 とってつけたような言いようにスタンの顔が情けなく歪んだ。
「それから、銃口は人に向けないように」
『そういうことは最初に言うものだぞ、 ……』
 そんなふうになごやかに(?)していると、やがて甲板の方から慌ただしい気配が流れてきた。
 何事かと立ち上がった瞬間に船が大きくゆれて、思わずよろめく。
「怪物だーーーーーーーーーーっ!」
「!」
 スタンが勢いよくディムロスを手にして部屋を飛び出した。
 奥にいたリオンもすばやく戸口へ向かう。それに続く素振りを が見せるとリオンは鋭く言い放った。
「お前はここにいろ!」
「嫌だ」
「バカを言うな、足手まといだ」
 一瞬、足を止めて振り返るリオン。
「……。早く行かないと大変なことになるかもよ?」
「…っ! 死んでも知らんからな!」
 船倉を駆け抜けて、階段を上がる。声がした方向は反対側の甲板だ。
 チッ、と舌打ちするリオンに は駆けながら声をかけた。
「リオン」
「何だ!」
「ありがとう」
「……は?」
 まったく言っていることが分からない。
 リオンにしては間の抜けた反応で、かつ、いつもどおり顔を顰めて振り返る。
 その足は完全に止まっていた。
「心配してくれたんでしょう?」
 死んでも知らない。
 彼の使う言葉には、いつも微妙なニュアンスが含まれている。
 本当に足手まといというだけなら、それでも待機をさせるだろう。
 本人もおそらく無意識に使っているだろうその言葉の用い方は、気づかなければ単なる憎まれ口で、しかし知ってしまえばどうということはないのかもしれな い。
「バ、馬鹿を言うな!」
『坊ちゃん、顔赤いですよ……?』
 視線を逸らせてかすかに動揺した気配の直後、再び身を翻すその手元でシャルティエが叩かれたのか小さく抗議の声を上げた。
 その背中を喉の奥で笑いを押し殺しながら は追う。
 その事実に、彼を前にして気づけたことをどこか嬉しく思いながら。

 甲板へたどり着くと、海竜が大きく首をもたげて船の進路をふさいでいる姿があった。
「遅いじゃないっ! あいつがウワサの怪物みたいよ」
「あぁ」
 出現からその様子を目にしていたルーティの抗議の声を無視してリオンは、怪物を並び見る。
「でも、さっきからあのままなんだ。襲ってくる気配はないみたいだな」
 マリーの声を聞きながら がフィリアに目をやるとしきりに海竜を気にして行くべきかどうか悩んでいるようだった。
「フィリア。声、聞える?」
「え? いえ……声は。ですが私を呼んでいる気がします」
「うん、じゃ行こっか」
 そのままスタスタと船首へと向かう。
 半円状に甲板をとりまいている人々の中をまっすぐに。
 つられるようにフィリアが小走りで後についた。
「お、おいっ」
「大丈夫だよ。それより船、待機させといてね」
 そうだ、 はここに何があるのか知っているんだ。
 思い出したリオンは船員に待機を命じると自らも後を追った。
「ちょっと待ちなさいよ、あんたたちっ……どーいうこと!?」
 甲板の柵を越えて船首に立つと海竜がゆっくりと首を降ろしてくる。
 天地戦争時代の遺物。海竜ベルナルド。
 飛行竜と同じくそれは、乗り物で、しかし精巧な生体金属の造形はまるで魂も宿しているかのようだ。
 乗れ、という意思表示をうけてフィリアが背に上がる。
  はといえばドラゴンの鼻先を慈しむように撫でてその口元に微笑をたたえてすらいる。
 怪物におびえる人々を尻目に妙な光景だ。
  の瞳を占拠している好奇心と喜びの色を横目に
「…やっぱり学者っていうのホントっぽいかなぁ」
 スタンが恐る恐る乗り込んだ。
「さぁ、よろしく。ベルナルド」
 やがて、海竜がたどりついた先は古びた建造物だった。
 事実は天地戦争時代に利用された地上軍拠点ラディスロウなのだが、スタン達がそれを知るのは本来は、まだ先のこと。
 ラディスロウは千年の時を経て、まるで神殿のようにただ海底に鎮座している。
 荒れ果てた内部はもはや人のいた気配すらなく、ただ漠然と巨大な空間として広がっていた。
「お前が言っていたのはこのことだったのか…」
 いつしか導くような声をとらえたフィリアが先頭に立ち、奥へと進む。
 その最後尾でリオンが暗い空間を見回しながらつぶやく声が高い天井に反響した。
「だから『いる』じゃなくて『ある』っていったでしょーが」
 ほんの少し勝ち誇るような笑い。
 眉を寄せて何か反論しようとする素振りがあったが、開きかけた口からはなぜか苦笑じみた笑みが漏れただけだった。
「……」
「なんだ」
「いや、すっかり渋面されるか怒られるかと思ったんだけど」
「だったら始めからそんなことを口走るな」
 また元どおりの無表情になって、歩を進める。
「それで、これは一体何なんだ?」
「地上軍拠点、ラディスロウ。天地戦争が終わった後に、この海域に沈められたって話だから……人を襲わない怪物が現れるようになったことと関係あるとは 思ってたよ」
 ここへきてようやくタネを明かした の言葉にスタンたちも耳を傾ける。
「じゃあアトワイトたちも知ってたんじゃないの?」
『いいえ、私が眠りについたのはラディスロウが沈められる前だったから……』
 フィリアに聞える声と言うのは何だろう。
 未だ、他のメンバーはおろかソーディアンたちにもその声は届いておらず揃って首を傾げるばかりである。
『あ、ここ司令室だよ』
 フィリアが足を止めた先は、ひときわ大きなスライド式の扉がある部屋の前。
 扉はまるで待っていたかのように勝手に開き一行を迎え入れた。
 思わずシャルティエが懐かしいなぁと呟く。
 例え荒れていても長い間、過ごしていたはずの場所だ。感慨もひとしおなのだろう。
「あ、私そこらへん見てくるわ」
「えっ、あ、うん」
 その先には、四本目のソーディアン、クレメンテがいるはずだった。
 開け放たれたドアから中を見て呆けるスタンにこっそり話し掛けると、なんだかわからないままスタンが(勝手に)許可してくれたので は速攻一人で他の部屋を見に行った。
 別にいいや、クレメンテにはどーせすぐ会えるし。
 それよりラディスロウ見学である。
「おい、勝手に一人で歩き回るな」
「うはぁ!」
居住空間らしいエリアに入ったところで、立ち止まって見渡しているといきなり声をかけられ驚いた。
「り、リオン……?」
「モンスターがいることを忘れたか? 剣も使えない奴が黙ってこんなところでいなくなるなんてシャレにもならん」
「……一応スタンが許可してくれたけど」
「あいつに何の権限があると思ってるんだ。ここに入ってからどうも現状に頭がついてきてないようだったから電撃をお見舞いしてやったぞ」
 少しは活性するだろう、とばかりに憤然と言い切る。
 うわ、ナイスな選択ですね。
 人間の脳って電気信号で思考してるし理屈としては間違ってはいない(いえ、間違いだらけです)。
「……フィリアはどうした?」
「あぁ、司令室にはソーディアンがあってな。どうやらマスターの資質があったらしい。
詳しい話は聞いておくように他のヤツらに言ってある」
 懸命な選択だ。
 この場合、他のメンバーに を追わせたら(色んな意味で)一緒になって戻れなくなる可能性も高い。二次遭難の可能性も多いにあり。
 スタンに追わせたら迷子に、ルーティに追わせればお宝探索に、マリーに追わせれば日が暮れても帰ってこない気がする。
 結局自分が出ることが一番不安要素が無くて手っ取り早いことに気づいのであろう。
 そんな の解釈はたぶん、間違ってはいない。
 合ってもいないかもしれないことには は気づいていないが。
「へぇ……それはどうも。お手数かけますね」
 といいつつ幅広の階段を司令室とは逆の方向へ降り始める
「お前、僕の話を聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ~リオンがいるから大丈夫でしょ?」
 もちろん、そういう意味でないことくらいはお互い百も承知である。
「この先、シャルティエの居た場所じゃないの? 見ておきたいな」
『うん。このあたりは幹部の部屋だね……』
 リオンの顔色を伺うようにシャルティエは短くそれだけ応えただけだった。
 溜め息が聞えた。それから背後から階段を降りてくるブーツの音。
『その角を左に曲がるとカーレル中将の部屋だよ』
 シャルティエが先ほどより二トーンも高いだろう声で嬉しそうに教えてくれる。
 カーレル・ベルセリオス。
 天地戦争におけるソーディアンマスターの一人で、天地戦争の首謀者である天上王ミクトランを自らの命とひきかえに倒した男。
 私室、と言われると覗くようでなんだか気が引ける。
 なんだか踏み入るのも大事な物を荒らしてしまうようで。
 二人はそっとその部屋を通り過ぎてシャルティエの部屋へ向かう。
『懐かしいなぁ。イクティノス少将と一緒でさ。当時は緊張の連続だったっけ』
 イクティノスというのは現存する五本のソーディアンの最期の一本。少将、という軍人時代の言葉がぽろりと出るあたり本当に懐かしんでいるのだろう。
「まぁ、上官と一緒じゃなぁ……」
「今はその緊張の欠片もないんだな」
『あ、酷いですね。僕だって坊ちゃんを護るために、そりゃもう気合いれてますよ』
 気合を入れるシャル?
 なんだか笑ってしまった。
「さぁ、もういいだろう。司令室に戻るぞ」
 ひとしきりそこでシャルティエの思い出に浸ってからリオンが満足そうな二人の様子を見て、促した。

「ありがと、ベルナルド」
  は船に戻ると海竜が姿を消してもしばらく海をみつめていた。
 海上で待機していた船はカルバレイスへと向けて再び滑り出している。
 ベルナルドの元へ戻る際に何度もモンスターと遭遇してしまい戦闘で疲れたらしいマスターたちは ほどの余力が無く、船室で休憩をとっていた。
 フィリアなど慣れない晶術を連発したため船に戻ってきた時点であやうく倒れるところだったくらいである。
 いきなり力を手に入れるっていうのも大変そうだね。
 日が傾いてきたその先に、手をかざすとキラリとプリズム光が散った。
 その指先には蒼い小さなディスク。
 実は、イクティノスの部屋でくすねてきたものである。
 あまりに満足な探索だったせいか今度に限って、護られっぱなしでも気にならず。
(むしろ周りの構造に気を取られっぱなしで申し訳ないドコロではない)
 上機嫌に口の端ににまりと笑みが浮かぶ。
「何をニヤニヤしているんだ、気持ち悪い」
「あれ、リオン。もう休憩終了?」
「ふん、あいつらとは鍛え方が違うからな」
 そう言って隣に並ぶ。その目線は既に遠くをみつめていた。
「もうすぐカルバレイスに到着だ」
 この時代、北のデビルズリーフを抜ければカルバレイス大陸は目前。
 太陽が大陸から鈍い角度で沈み始めてできる淡い光の中に、チェリクの港が見え始めた頃スタンたちも甲板に集ってきた。
 カルバレイスは天地戦争時代、敗戦を喫した天上人の子孫たちが押し込められたまま生きる国だった。
 迫害を受け、荒んでしまった過去はなかなか清算できず、未だに人々はどこかすねたようで、話をしようとしても買い物さえままならない。
 気分を完全に害されたルーティがとうとう往来で不満をぶちまけた。
「何っなのよ、この国は! いくら迫害を受けてたからって過去のことでしょ!? まともに話すら出来ないってどーいうことよ!」
「彼らにとっては迫害の歴史は過去ではなくて現在(いま)なんだろうね。仕方がないといえば仕方がない」
  がなだめるとへぇ、と感心したようにスタンが声を上げた。
はカルバレイスの人たちのこと、ちゃんと考えてるんだね」
「それじゃ私がさも何も考えてないみたいじゃない!」
 そうだろう、というリオンの視線に気付かずルーティがますます声を張り上げる。
 更に突き刺さるような視線が周りから集まったがおかまいなしだ。
ただでさえ目立つメンバーなのに…それでも気にしないのが彼らだった。
「大体、他国人を受け入れないくせに航路なんて走らせてんじゃないわよ。意味わからないわっ」
「やつあたりだねぇ」
「やつあたりですわ」
、あんただってさっき店で手痛いのもらってたでしょ、それでも同情してやろうっていうの?」
「同情?」
 はっ
  はその言葉を鼻で笑い飛ばして一蹴した。
「ルーティ、状況を理解するのと同情するのは別問題。はっきりいって私もあの態度にはぶちきれそうですよ」
 なんで敬語になるんだよ……
 笑いながら言い切った にスタンがやや怯えの色を浮かべていることには誰一人気づかない。
「それ以前に私、同情できるほど知らないから。そもそも自分でそこから出ようとしないでこうなってるんだったら知ったことじゃないし」
「……あんた、結構キツイわね」
 しかし正論だ。
 虐げられた者の気持ちを察することはできても本人がそこから抜け出そうとしない限りは。
 結局は箱詰めにされた世界で……いや、むしろ自分自身を箱詰めにして? 彼らは自らを哀れんでいるだけにすぎないのではないだろうか。もしも抜け出した いと思う人がいるならば、それこそ同情などと失礼な話で。だから人などたやすく憐憫の目でなど見られるはずもない。
「この国の人間は、自分たちがそんなことでかなしいとは思わないのだろうか……」
「そうですわね……いつ傷が癒えるのかはわかりませんが……いつかは気付くことを願うことにしましょう」
 気の長い話だ。
 その頃、寿命を全うしたとしても自分はとうに生きていなそうだが。
 フィリアが禅問答を始めそうだったので はルーティがそもそも不機嫌になってしまったことへと話題を戻した。
「まぁ、そんなに不愉快なら係わり合いにならなければいいってこと」
「正論だな。話がまとまったならさっさとバルックのオフィスへ行くぞ」
「バルック?」
 スタンの質問にぴたりと足を止めるリオン。
 振り返らないまま。その手元に久々に電撃のスイッチが覗いていた。
「お前は人の話を聞いていなかったのか……?」
  は小声でささやいてやる。
「オベロン支社の。船の中で話したでしょうが」
「あ、あぁ! バルックさんね、わかった思い出した!」
「……。 、甘やかすな」
 斜陽もすっかり西の山端へ隠れた頃、スタンたちはバルックのオフィスへ入った。
 神の眼が盗まれたこと、カルバレイスの首都カルビオラへ大きな石像が運び込まれたらしいこと、バルックとお互い情報を交換しながら次の目的地を決定す る。
「またストレイライズの神殿か……さすが司祭の行く先は知れたものね」
 そういわれると元も子もない。
 出発は明日にして、今夜はバルックの家に一泊することになっていた。
「リオン、明日何時に出発する?」
「そうだな、五時でいいか」
「「五時ぃ────!?」」
 さらりと会話を交わした二人のセリフにスタンとルーティがはもって復唱する。
「なんでそんなに早いのよ!」
「お前たち、砂漠を渡ったことはないのか?」
 あるわけないでしょ、というルーティの返事。
 もちろん も同じである。
 カルバレイスの気候のことは「砂漠」であること以外は詳しくない。だが暑いのは既に判りきっていることで。
「バルックさん、この辺りは昼夜気温差はどれくらいなんですか?」
「今の時期なら、十五度~二十度といったところか。夜は十四、五度くらいはあるから乗り切りやすいだろう」
 ふーん、エアーズロックの春か秋だな。
 温度差は典型的な砂漠気候である。
「ちょっと! それって最高三十五度にもなるってコト!?」
「だが、内陸に入ればもっと厳しくなる」
 一番寒暖が厳しい砂漠なんて確か氷点下から四十三度とかめちゃくちゃな環境だったはず。
 砂漠と言えば真っ先に過酷さを想像していた はなんとかなるかな、と気楽なものである。
「今はまだ動きやすい季節だ。カムシーンも無いからな」
「カムシーン?」
「砂混じりの熱風のことだよ。ひどいと前に進めなくなる……んですよね?」
くん、と言ったか。砂漠は初めてではないのかな」
「いえ、聞きかじりの知識です」
 ほぅ、と感心したようにバルック。
「そんな訳であまりひどい寒暖差だと昼間は動けなくなるから朝夕がいいんだ。でも今はそんなに悪い時期じゃないみたいだね」
「砂漠って、そんなに大変な場所だったんだ……」
「お前、まさかひたすら暑い場所だとか思ってたんじゃないだろうな」
「……」
 スタン、図星。わかりやすい人である。
「本当はこれから出発してもいいくらいだ。休憩場所とのかみ合いもあるからな、とりあえずその時間でいいだろう」
「いざとなったらアトワイトの晶術でなんとか……」
『そんなことを考えるなら今日はちゃんと休んでおくのよ、ルーティ。』
 釘をさされて、ルーティ……だけでなくフィリアも肝に銘じる。
 一行がベッドに入ったのはいつもよりもずっと早い時間だった。
 しかし、バルックには早朝から迷惑なことに、怒声がスタンへと飛んだ。
 いつもより控えめな起こし方でしかも、いつもより早い時間に彼が起きるはずも無く──最後にはまだ白み始めたばかりの空の下、マリーと がスタンを引きずって出た。
「スターン……いい加減にしないと」
 なんとか町から離れたところで手を離す。
 半分寝ぼけたままの彼はドサリと地面に落ちた。
「置いてくよ?」
「そんなこと言っても聞こえていないんだから意味が無いだろう」
「生優しいのよ、 は」
 なんだ生優しいって。
 多分、使い方を間違っているのだろうがいずれにしてもあまりいい響きではない。
「だって朝っぱらから騒いだらご近所さんに迷惑だしさ……昨日フィリアにもらったフィリアボムでも叩きつけてみるか」
「いや、それ余計に危険だから」
 どこかテンションが低く不機嫌そうな にフィリアがそっとささやく。
さんも眠そうですわね」
「結局、三時くらいまでバルックさんと話してたからねぇ」
「……バルックと? 何を」
「内緒」
 スタンを置いたままふらふらと先へ進もうとする を追うようにリオンが北へと足を向ける。
「ちょ、ちょっと、スタンはどうするのよ」
 カチリ。
「うぎゃあぁああぁ!」
 リオンが電撃のスイッチを入れるとスタンは飛び起きて……再び倒れた。
「ちょっと強すぎたか……?」
「あんたねぇ」
 ルーティが回復晶術のファーストエイドで復活させる。なんとか目を覚ましたスタンがついて来るのを確認してリオンはカルビオラへ向けて進路をとった。
「暑い…暑いわ…」
 砂漠に入り、日が南中してくると昨晩の涼しさがウソのように苛烈な熱気が満ちてくる。
 焼け付く砂を踏みしめながらひたすら北へ向かう。
「フィリア、結構タフなんだな」
「え? えぇ……何事も精進ですわ……」
 さすがに司祭は精神的な鍛え方が違う。明らかに不満タラタラなルーティに対して、無理はしていない程度で疲れた気配を見せるフィリアが微笑を返した。
「ねぇ、オベロン支社なんだから何か乗り物とか用意できなかったの?」
「残念ながらカルビオラとの交易はない」
心なしリオンの返事も短い。
「あ~暑い暑い暑い!」
「ルーティ、さっき暑いって言うのはやめようって決め……」
「うるさいわねっ! 暑いものは暑いのよ」
 フラッシュバックと言うヤツだろうか。ゲームの中でも同じやり取りをしていた気がする。
 黙々と歩く は思わずぼんやりと考え砂に足を取られて転んだ。
 普段身のこなしが軽い が砂まみれになっているので驚いたように振返るスタンたち。
「……何も無いところで転ぶなんて……」
「無駄にショックを受けていてもしょうがないだろ、とりあえず立て」
 思わず座り込んだまま、精神的に沈んでいるとリオンが容赦なく急き立てる。不思議と一度腰をおろしてしまうと立ち上がれなくなるもので。
「どうしたんだ?」
「あ、いやなんでも」
 立てない。
 ……なんて、死んでもいえない。
 複雑に顔を顰めてから は立ち上がった。
 マリーが髪や服ににかかった砂を落としてくれた。
「やっぱり、睡眠不足がまずかったかなぁ」
「もうすぐ休憩場所に着くはずだ。そこまで持たせろ」
 ひとりごちるとその様子に気付いているのか、リオンが前を向いたまま告げる。
 彼の言葉どおり砂丘を一つ上ると思いのほか近く、眼下に緑の色が鮮やかに映えていた。
「あ~! オアシスよ~!」
「水だー!ぃやっほぅ!」
「……元気だね」
「アレは単純と言うんだ」
 オアシスにたどり着くと一行は思い思いの場所に陣取った。
 即、泉へ足を浸しに行くもの、木陰に腰を下ろす者、周りを物珍しげに見に行く者。
 やっぱり元気だよ。
 水辺で騒いでいるスタンとフィリア、ルーティの姿に苦笑がもれる。
「食事をとったらこれから夕方まで休憩をとる。夜間に進めるところまで行くから仮眠をとっておけ」
 いつもだったら、 もあちこち見て回るクチだが今は、とてもそんな気にはなれない。
はしゃぐルーティたちに指示を送るリオンの背中を見ながら木に背を預け座り込む。
 風が緑を揺らす音が妙に涼やかなものを運んできてくれた。気が抜けたのか途端に睡魔が襲ってきた。
「おい、お前も水分くらいとっておけ」
「あ? あぁ……水筒の水くらい入れ替えといたほうがいいね」
 と、うとうとし始めたところで言われたので荷物から各自に割り当てられた水筒を取り出す。
 ふいにそれを取り上げたリオンの顔が訝しげに顰められた。
「飲んでいないのか?」
 妙に重い水筒。
 ルーティなど一時間も前に空になったと騒いでいたはずだ。
 リオンは距離を測っていたのでほどよく水分補給を済ませている。
 が、 のそれは半分も減ってはいないようだった。
「うーん、何かあったら困るし……誰もストックないと不安じゃない?」
「そんなことはお前が考えることじゃない。そのせいで、脱水症状になりたいのか?」
 呆れたようにリオン。
 そういえば十五分ほど前にもルーティに分けていなかったか。
「さっさとあいつらのところへ行って水分補給してこい」
 疲労が激しいのは水分不足のせいではないと思うのだが。
 思わず出そうになったあくびをかみ殺して はリオンの言うとおり水辺へ向かった。
 そういえば確かに、長い間気は張りっぱなしだったかもしれない。
 それに加えて激しい温度差と、睡眠不足。
 砂漠の旅は、結構楽しみだったのだけれど(そんなことを言おうものなら怒られそうだが)図らずしも具合を損ねてしまった。……せめて帰りの船まで持てば いいのだが。
 カルビオラに到着すると、一行は神殿へと向かった。
 ストレイライズの神殿は町の中央でひときわ大きく聳え立っていた。
「セインガルドが水を讃えるなら、カルビオラは空、か」
「え? 何の話?」
「私たちストレイライズの信奉するアタモニ教の教えですわ。よくご存知ですわね」
 なんとなく。
 宗教に興味はないが、讃えるものが神ではなく空と言うのが嫌いではない。
 尖塔がか細く突き刺さるような蒼空を見上げてこの地で讃えられるべきものと納得した。
「では、わたくし、行ってまいります」
 フィリアが一人、神官風のローブをまとった門兵のもとへと歩み寄る。この後は、彼女が手引きして夜に潜入となるはずだ。
 それまでは時間がある。
 少し休んで……
「あっ…?」
「え…? ってちょっと、 !?」
 よろめいたかと思うととっさに腕をつかまれる。
 そのままがくりと膝が落ちて、何が起こったのかわからないまま の意識は途切れていた。

 気がつくと、白い天井が目に付いた。
 窓のない静かな部屋。
  はベッドに寝かされている自分を確認する。
 枕元には薬と水さし、そして布に包まれる形でクレメンテが置かれていた。
『気がついたかの?』
「ここは、ストレイライズ神殿?」
『そう、お前さんは入り口で倒れてフィリアと一緒にここへ泊めてもらうことになったんじゃ』
 司祭がこんなでかい剣を持ち歩くのはおかしいことに気づいたのだろうか。
 あるいは のために?
 安易にソーディアンを手放したフィリアの身も心配しつつクレメンテに顔を向ける。
 まぁ神殿内だから「いざ」ということもないだろうが。
「時間はどれくらい経ったか、わかります?」
『一時間くらいか……今夜、フィリアが裏口を開けてリオンたちを招き入れることになっておる。時間はあるから、眠っておきなさい』
 薬が効いているのか、ずいぶん楽になっていた。
 そもそもたった今まで倒れるほどどこか悪いのだとすら気付かなかった──
「じゃあ七時までに起きなかったら起こしてください」
 帰りの行程で倒れたらシャレにならない。
  は体力を完全に回復させるべく再びベッドに潜り込んだ。
 ソーディアンとはいえ誰かがそばにいると気になって眠り辛いのだが贅沢は言っていられなかった。

 神殿内がひっそりと静まり返った深夜、二人は手はずどおり裏口へと向かう。
 薄暗がりのドア越しにフィリアが声を掛けると、既に待機していたリオンから返事があった。
 カチャリとカギを開けると闇夜にまぎれて身を滑り込ませてくる仲間たち。
 その数、総勢六名。
 「潜入」するにはめちゃくちゃ目立つんですけど……?
 という のつっこみは心の中にひっそり仕舞っておくことにした。フィリアの後ろにいる の姿を見てスタンの顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「具合はもういいの?」
「うん、薬も飲んだし」
 看病しておいてもらってこれから家捜しするのも何である。
『そりゃわしがつきっきりで看病したからのぉ』
 冗談にしても。
 なんか嫌だ。
  の眉がありありと潜められると同時にシャルティエたちが口々にクレメンテにブーイングを送った。
「馬鹿なことを言っていないで行くぞ」
 その様子を一瞥してリオンが先頭に立つ。
「フィリア、何かそれらしい情報はつかめたか?」
「はい、神像は聖堂へ運ばれたと言う話です」
 目的地を聖堂に定め、フィリアが道案内をする。
「あ、リオン。そっちじゃない」
 ふいに後方を走っていた が彼らを呼び止め、反対の暗がりを指差した。
「こっちの方が近道だ。それにそっちは当直室がある」
 フィリアの見学という名目の下見では用が足りていなかったのだ。
  は夕方に一度起きて一人で探索したため、神の眼があるだろう場所周辺の見取り図は頭の中に入っている。
 リオンは頷いて引き返してきた。
「いつのまに、確認されたんですか?」
「フィリアが夕方の説法につきあってる時に。この先に神官用の通路があるからそこだったら誰にもみつからないはず」
 そこは丁度、聖堂の裏手がわに出るように、細く伸びる通路だった。
 いわゆる舞台裏というヤツだろうか。裏口からあっさりと聖堂の中へと侵入することが出来た。
「セインガルドよりは狭いけど、似たようなつくりね」
「はい、じゃあスタン。そこの机の下を調べてみようか」
 あらかじめチェック済みの がスタンに指示をとばすと腑に落ちない顔のままスタンは説法台の下を覗き込んだ。
「え? ……あっ! スイッチがあるよ!?」
「……。仕掛けまで同じとは……馬鹿にしているのか?」
 いや、むしろ作った方が馬鹿なんだろう。こんなものでよく千年も神の眼を隠蔽できたものである。
「私は見張りに残ってるから行って来ていいよ」
「では、私も残ろう」
 こんなところで追い込まれたらまさしく袋のねずみだ。
 ぽっかりと空いた隠し通路の入り口を前に、ゲームじゃよく皆して突入したなぁ、と が現実問題を回避する。
 一人では不安もあったがマリーが手を挙げてくれたので安心だ。
「気をつけてね」
 いや気をつけなければならないのは自分の方なのだが。
シ ナリオどおりだとまず間違いなく見張りが来てしまう。普通に考えて巡回兵だっているんだろう。
、誰か来る」
 願わくば、来ないで欲しいと思っていたがやはり避けられない事態だった。
 だが、靴音は静かなもので。
 裏口からここにくるまで穏便に済ませたせいか、それはまだ彼ら何をしているのか「発見」されていないことを示していた。
「マリー、剣しまって」
 素早く隠し通路の扉を閉めて、剣の柄に手をかけたやる気満々のマリーを台の下へと押し込む。
 巡回の神官がカンテラを照らしたのはそれとほぼ同時だった。
「誰だ!」
 びくり、と は振り返った。
「こんな夜中に何をしている?」
 そこにいたのが女一人だったことに安堵したのか、神官の声は第一声より緊張が抜けて聞こえた。
  はカンテラを揺らしながら近づいてくる神官の方へと歩み寄る。
「ごめんなさい。昼間、聖堂を見られなかったからつい……」
 殊勝な態度でそういうと神官の口調が丁寧語に変わりもう一度同じことを聞いてきた。
「神殿では見かけない顔のようですが、どうやってここに入ったのです」
「今日、この神殿の入り口で倒れて司祭様と一緒に一泊お世話になることになっていました」
 ありのままに。
 伝えると神官はあぁ、と昼間の記憶をたどったようだった。ウワサくらいは届いていたのだろう。
「そうですか。しかし具合が悪いならこんな時間に出歩くのは感心しませんね。早いところ部屋へお戻りなさ─────」
「あれ? 扉が閉まってる! おーい、 ~!?」
(ドンドンドン)
「!?」
 バカスタン!
  が思うと同時にリオンが事態に勘付いたのか叱責する声が聞こえた。
 遅いよ。
「お前っ……!」
「……っマリー!」
「任せろっ」
 掴み掛かられそうになるところをかわして説法台の下に隠れていたマリーが嬉々と剣を抜き、入れ替わる。
 隠し扉を再び開くと臨戦体制のマスターたちが駆け出てきた。
「ごめん、失敗した」
「気にするな。スタンのせいだ」
 とスタンをみると見事なコブを2つ作っていた。殴られたらしい。
「ぐわぁっ!」
 マリーに切りかかられて咄嗟に呼子を鳴らした神官はそのまま床に倒れ伏す。つい今しがた苦笑して自分の身を案じかけてくれた人間が傷ついている。
 正直、胸の痛む光景だった。
「話は後だ、脱出するぞ!」
 だが、宿直兵が駆けつけるのが早く、出口のホールにたどり着く直前で彼らは挟み撃ちに遭った。
「くっ、やらなきゃだめか」
「相手が人間だからと言って手を抜くなよ」
 スタンとリオンが背中合わせに短く言葉を交す。
 スタンよ、元はと言えばお前のせいだ。
 責任とって背中をつきとばしてやろうかと思った だったが彼女とて人間が傷つく……どころではなく殺されてしまう場面などできればお目にかかりたくはない。この先、否応無しにそういった場面に出くわす だろうことはわかっていたが。そんなわけで手始めにフィリアボム(小)を前方のグループに投げつけた。
「うぐぁ!」
 爆音とともに足元にヒットする。躊躇なかったのは足止め程度だったからだ。一発、二発、三発。
 狙いは正確だった。
「スタン! 人を切りたくなかったらとっとと走れ!」
 脱出優先。
 理解したのか、ルーティがアイスウォールで後方グループを牽制した。
 人間相手に逃げるだけなら晶術で十分だ。
 全員が正面の入り口から走り出すと、リオンが振り返りグレイブで見事なまでに扉を封じた。破壊したともいう。聖なる神殿の正門の凄惨たる様にフィリアが 思わず痛々しい顔をするがリオンは動じない。
「あのさ……これ、一応セインガルドの所有物なんだよねぇ……?」
「不幸な事故だ」

 カルビオラの神殿に神の眼はなかった。
 グレバムとの確かなつながり。
 そして一度は安置された形跡と、そこに残った波動をソーディアンたちは感じ取っていたが、その後の手がかりは完全に途絶えていた。
 神殿の後処理依頼を兼ね、一度バルックのオフィスに戻ることにしたリオンたちは再び砂漠を渡る。
 チェリクに着く時間から逆算して、帰路は余裕があるため夕方にたどり着いたオアシスで一行は翌朝まで過ごすことになった。
 行きがけには味わえなかった砂漠の旅を はとことん堪能している。
 喉の渇きを潤すオアシスの冷たい水、砂地に映える緑の群集、そして天頂に上る白い月。
 夜の帳が下りると寝静まった仲間たちの元を離れ、オアシスから出て近い砂丘を登る。
 見通しがきくから魔物の姿も襲われる前にみつけることができるだろう。
 退路があることに安心しながら周りを見渡す、月光を妨げるものは何も無い。
  はその中に一人、立っていた。
 たった一人で。
 しかし不安なものなど何1つ感じ無い。
 むしろ不思議とこういった瞬間が最も安心できる時でもあった。
 誰もいない。だけどたくさんの存在を感じる、そんな瞬間。
 自分がさらけ出される、どこか研ぎ澄まされる高揚感。
 歌でも歌いたい気分で少し歩いて、それから月に照らされる砂のうねりをぼんやりとみつめていた。
 それはあまりにも幻想的で。
 時間を忘れる兆候だ、と思う。
「……何度一人で抜け出せば気が済むんだ?」
「あと…四回くらい?」
 隙あらばこの先行くであろうフィッツガルドとアクアヴェイル、ハイデルベルグ+予備というところだろうか。
 唐突にかけられた、しかしもう聞きなれた声に振り返ることなく冷静にカウントしてみる。
 あ、でもラディスロウの時のように街とは限らないからその倍くらいは単独行動するかもしれない。
 思考をあちこちに飛ばし始めると背後から盛大な溜息が聞こえてきた。
「リオンこそ。こんな時間に起きて何してるのかな?」
「……月を見ていた」
「うん、私もだよ」
 晧々として。
 ひっそりと息を潜めるような星々の中央で輝く満月を見上げる。白く透明な光は砂にくっきりと二人の影を落としている。
「……要は、どーしても一人になりたいと思うとブッキングするんだね、私らは」
 行き着く先が一緒と言うか。
 雰囲気もへったくれもない発言にリオンの表情が複雑に顰められた。
 もちろん溜息も忘れない。
「とりあえず言いたいことはたくさんあるが──」
その内の九割くらいは は予想できるものだろう。
「また、寝不足で倒れられてはかなわん。早く戻れ」
 しかしリオンから返ってきたのは残りの一割の可能性で。
 なんだか、この頃化かし合いをしているようだ。
 唐突に は思った。
「何を笑う?」
「いや、なんでも」
 いかに相手の裏をとるか、なかなか楽しみなゲームではある。
「リオン、もしも神の眼が戻ったら────どうするの?」
ふいの質問にリオンが目を見開く。
どうするか? というよりカルビオラでみつかっていたらどうしたと思う? と訊きたかったのだが、うっかり口が滑ってしまった。
それから、その場合はこのパーティはどうなるのだろう、とごく普通に考えてしまった自分が安易に漏らしてしまった言葉だった。
「どうするとは、どういう意味だ」
とたんにリオンの顔から表情が消え去り、すっと眼が細められる。
それはおそらくまだ先の。
今は触れてはいけないことだった。
いや、触れるべきなのか。
はこのところの居心地のよさにあやふやになりかけていた不安を思い出してしまう。
リオンにしてもそれはおそらく同じだった。
セインガルドに近づけば否応無しに『任務』であることを思い知るだろう。
自然の雄大さが見せる開放と言う名の夢は終わってしまう気がした。
『坊ちゃん……』
 途端に張り詰めた空気と、沈黙にいたたまれなくなったシャルティエが呟くようにリオンを呼ぶ。
 本来なら戯れ程度の一言だ。なぜ が相手だとここまで過敏になってしまうのか。
 シャルティエにはわからなかった。
「ごめん。意味なんてない」
 どこか辛そうな顔をしてうつむいた をリオンはただみつめていた。
 本当は。
 よほどリオンのほうが辛いのだろう。
  が知っている彼の強さと、ともすればいつも追い込まれそうな状況を思い出してしまったら何も言えなかった。
 そもそも私は何がしたいんだろう?
 決めてはいたけれど、決意に欠けていたかも。
 ふ、と自分の不安を払拭するためだけにここにいるわけではないことに気付く。
 顔を上げるとそこにはつい今ほどより静かな紫闇の瞳があった。
「…ごめんね、戻るよ。せっかくの月夜だけどオアシスからでも見えるからね」
「……。あぁ」
 落ち着きを取り戻した、だがどこか色のない瞳で頷いてリオンは白い砂丘を降りだした。
 眼下の緑の中ででちらと紅い炎が揺れる。
 仲間のいる場所へと。

 決めた。
 運命というものがあるならば。
 私は、それを変えてみせる。

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