夢ヲ見ルヨウニ、生キテイコウ―――――

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STEP5 異国の王


 バティスタは王の座に立っていた。
 モリュウの町を一望できる、その場所に。
「貴様がジノのおやじさんを…!」
 背中を向けたまま、仁王立ちで町を望んでいるその姿に、ジョニーが怒りを込めてうなる。
 ゆっくりと振り向くその顔は、額に捕縛のティアラを抱きつつもどこか悠然とした気配で満ちていた。それは狂気なのだろうか。
 それとも余裕?
「フェイトをどうした!」
「あの坊ちゃんなら牢に入れてある。お前たちもすぐに後を追わせてやるさ」
「お前、額のティアラを忘れたのか?」
 挑発するような物言いにも動じず、リオンが馬鹿が、というようにバティスタを一瞥する。
 その手が同時に遠隔操作のスイッチに触れた。
「く、うぉぉおおお!」
 途端にガクリと膝をつき頭を両手で押さえる。
 一時的なショックを振り払うように頭を振るその前に影が落ちた。
「フィリアか……お前がオレをどうにかするつもりなのか?」
 電撃を食らっても消えない笑み。
 それは何を意味するのか。
 フィリアはぐっと、握り締める両の手に力を込めグレバムを見据える。
「グレバムはどこです?」
「まだオレに聞くのか」
 嘲るように、バティスタは笑みを浮かべたままフィリアを見上げた。
「今、グレバムの居所を吐くなら……命だけは見逃してくれるよう、とりなして差し上げます」
「ふん、お前、自分の言ってることが分かっているのか?」
 一瞬、その笑みを消した薄い唇は次の瞬間には不遜に歪んでいた。
 バティスタの横柄な物言いにフィリアは何を言われたのかわからないようだった。
 察して眉をひそめた には気付かず、追い討ちをかけるように言う。
「人の命を人が握ることができるのか」
 自ら改心させることではなく、命をはかりにかけさせることを持ち出してしまった。
 バティスタが言ったのはそういうことだ。
 自分の言った言葉の意味に気付いたフィリアの顔がみるみる青ざめる。
 その後ろで は閉口して成り行きを見守った。
 この期に及んで彼を生かしたいと思うのはフィリアの優しさであることは知ってた。
 が、バティスタの言うことにも誤りなどなく。
 軽い気持ちで自分の理解を曲げて、慰めることなどできはしない。
 神に身を捧げる敬謙なまでの道を歩んでいた彼女には重い言葉だったろう。
 精一杯の気丈さが崩れ落ちる。
 だが、フィリアがみずからの放った言葉の意味に押しつぶされるより先に、バティスタが猛然と爪牙を振り上げフィリアに切りかかった。
「フィリアっ!」
「あ……」
 スタンがクローをディムロスで受け止める。
 その背中を見て呆然とフィリアは、目前に迫ったかつての同僚の残忍な笑みを見上げていた。
 すかさずリオンがティアラのスイッチを入れるがバティスタは悲鳴を上げる肉体を他所に不敵な笑みを漏らしただけだった。ち、とリオンから舌打ちが漏れる。死の淵でふっきれた人間ほど厄介なものは無い。
「ふざけないでよ、あんただって似たようなことしてるでしょっ!」
 ルーティがアトワイトから晶術を放つとバティスタは一歩後退した。
「そーいうてめーらはどうなんだ? ここに来るまでに何人手にかけたよ」
「っ!」
「綺麗ごとなど問答しあっても意味はない」
 動揺するスタンの後ろから遠隔装置から手を離したリオンが切り込む。
 その刃を受けとめバティスタはにやりと不敵な笑みを浮かべて低くささやいた。
「へぇ? ガキだガキだと思ってたが……お前さんの方がオレたちに近いところにいるんじゃないのか?」
「!」
 キィン! と金属が金属を弾く音。
 一瞬リオンの顔色が暗い不快さを表したことを は見逃さない。
 多勢に無勢ならうまい方法だ。
 心理的動揺を誘い、スキにつけ込む。
 さすがに「司祭」だけあって心の機微を突いている。言葉の選び方も巧妙だ。
 が、
 その意図を理解した にとっては極めて不愉快な光景に他ならなかった。
 ガゥン!
 動きを止めた瞬間に一発だけ打ち込む。
 仲間にあてることも危惧していたが今は単発(スラッグ)弾。
 集中力さえ削がれなければこの距離ではずすようなヘマをしない自信があった。
 バティスタは、思いがけず右足をつらぬいた熱さにうめいて後ろへ倒れ込む。
 なんとか膝を突くだけでとどまり、不可解な顔を へと向けた。
「てめぇ、何をしやがった……」
「それを聞いてどうする?」
 まさにバティスタにとっては意外な伏兵だったろう。
 目に見えない何かに急襲された。
 そんな感覚が他の何よりも警鐘を打ってやまない。
 仲間たちにとってもそれは予想外の出来事で。
  はフィリアの横をすり抜けて銃口を上げたままバティスタに近づく。
「その汚い言葉、司祭が聞いて呆れるね」
「仲間たちに最前線で戦わせて、高みの見物をしている奴が言うセリフか?」
「全くだよ。もっと力があったらいいのにね?」
 あっさり認めた にバティスタの顔から笑みが消えた。
 心理戦は通用しない。直感的に悟ったその口は閉ざされる。
  が取り合う気が無いのは誰の目からみても明らかだった。
「貴方の目的は何」
「ふん、さっきも言った。聞かれて話すかよ」
「グレバムについて世界を征服すること? それとも人類のゴミを掃討すること?」
「……なんだと?」
 そう問い返したバティスタの顔から狡猾な色は消え失せていた。
「……貴様、何を知っている?」
「さぁ? わからないから聞いている。優しい司祭さん、あなたもこの世界に失望したのかな?」
「……!」
 何を言っているのか、スタン達には理解できなかった。
 それは の純粋な疑問。
 優しかったというバティスタ。
 彼を変えてしまったのは何だったのだろう。
 知識欲と仲間を侮辱された静かな怒りで の口調は抑揚を失っていた。
「ふふ、お前、何か抱えているな?」
「だったら何だと? 私は貴方のように見失ったりしない」
「なるほど? いつまで保つかな、その強さ」
「……」
 挑発には乗らない。
 それどころか次第に感情を消し始めた の様子にリオンは気づいて、我知らずに記憶を手繰り寄せた。
 ついこの間、似たようなことがなかったか?
 心の隅に何かひっかかりを感じてならない。
 そうだ、バティスタを尋問した時。
  ではなく、自分があぁだったのか。
 ほどなくして行き当たり、リオンは を制すように彼女の前に片腕を差し渡す。
「大丈夫、私は正気だから」
「お前、それじゃあ僕が正気じゃなかったようじゃないか」
 バティスタに言葉を発しようとしていたリオンは先に がそういったのでつい反論してしまう。
  はその間もバティスタから目を離さない。
 だが、その言葉に唇の端がわずかに吊り上がったのも確かだった。
「フィリア、何か言いたいことがあるんじゃないの?」
さん……」
 一部始終を見守りながらも手を組んで震えていたフィリアはどこかおびえるように顔を上げた。
「まかせるから。フィリアのやり方でやってごらん」
 はっとしたよう目をみはる。
 ぎゅっと唇を結んだ次の瞬間に彼女の瞳には決意のようなものが浮かんでいた。
 今度は履き違えたりしない。
 はっきりと顔を上げて、バティスタに歩み寄る。
「バティスタ、グレバムの居場所を教えて下さい」
「さっきも言った。言わなければどうするつもりだって?」
「待ちます」
「何?」
「あなたが話してくれるまで。貴方が何を考え、何をしようとしているのか、教えて下さい」
「……。相変わらず甘いな。その優しさが命取りだとわからないのか」
「えぇ、優しさを失ってしまっては、私ではありませんから」
 毅然と。
 微笑みすらするフィリアをバティスタはどこか眩しそうな眼差しで見返した。
 それから頭を抱えるように片手を額へ押し当てる。
「あわよくばヤツを転覆させてオレが王者になってやろうと思っていたが……ここまでか」
「バティスタ……?」
「グレバムはティベリウス大王と組んで手始めにセインガルドを侵攻するつもりだ。お前らに、止められるかな」
「止めて見せます」
「ふん、強くなったな。だが。それじゃ何も変わらんのだ! ……っうおぉぉぉぉ!」
 突如としてバティスタを襲う電撃。
「リオン!?」
「僕じゃない! 自分でティアラをはずしたんだ!」
 さすがにその光景にリオンにも焦りの色が浮かぶ。
 しかし、時は既に遅く。
「致死量の電流だ。もう……」
 バティスタが倒れ、静寂の戻った室内にリオンの声が静かに告げた。
「バティスタ……」
 僅かな沈黙の後、フィリアの嗚咽する声だけが辺りをはばかるように、しばらく響いていた。

 刹那の王を失ったモリュウの城は、あまりにもたやすくフェイト=モリュウの元へと戻った。
 たやすいというには少なからずの血が流れたのも確かだが。
 傷ついたフェイトが横たわるベッドの脇でジョニーが軽口を叩いている。
「早くよくなって美人の奥さんに心配かけないようにしないとなぁ?」
「もう、ジョニーったら……でも本当に皆さん、ありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
 ひどい怪我を負っていたものの、ルーティの晶術と手早い救出のおかげでフェイトは明日には歩けそうな顔色を見せている。
 その姿にリアーナは花のような笑顔をこぼして礼を述べた。
「いやぁ……無事でよかったですね」
「ちょっと……何デレデレしてるのよ」
 ファンクラブがあるというだけあって流石にキレイな人だ。
 エレノアの後に速攻リアーナと結婚している辺り、フェイトはあなどれないなんて思いつつ は窓際のイスに腰をかけて皆の話に耳を傾けている。
「それで、ティベリウス大王がセインガルド侵攻を目論んでいるというのは事実なのか」
 戯れは無視してリオンは本題を切り出す。
 それが事実であれば、神の眼奪還の任務だけでは事が済まない。
 場合によってはセインガルドの軍を動かすことになるだろう。
 大局を把握するのに遊んでいられなかった。
「あぁ、バティスタとか言うやつはそう言っていたな。あの王ならやりかねん」
「ひょっとして……アクアヴェイル内でも反目しあってたり?」
「少なくともシデン・モリュウの人間は何であいつが王になったかわからないみたいだな」
 事実としては、王になるべきシデン領主を陥れた卑怯者であるのだが、フェイトは簡単にはそこまで話してはくれなかった。
 国家機密というヤツだろう。恥さらしとも言うかもしれない。
「グレバムのことはご存知ありませんか」
「すまん、わからんな。ただ、トウケイからの連絡が途絶える前にティベリウスが異国の客人を迎えたとは聞いている」
「きっとそれだよ!俺たちもトウケイに行かなくちゃ!」
スタンがわかりきったことを述べてくれた。
「時間がない、僕達はトウケイへ向かう。船を貸してくれないか」
「それはもう。あんたたちはオレといわずこのモリュウの恩人だしな。アクアヴェイル最強の艦隊をつけてやるよ」
「あなた!?」
「黒十字軍を出す」
 にやりと包帯にまみれた腕を上げてフェイト。
 心配そうなリアーナに投げかけた笑みをそのままもう一度、一同に戻してくる。
 言い出したら聞かないのか、リアーナはふっと微笑んで小さく首を振った。
 仕方が無い、というように。
「いいのか? 仮にもお前たちの王だろう」
「もう我慢ならん。いずれにせよトウケイからの連絡は途絶えているんだ。もし、事が無くても調査ということで済ませるさ」
 切符のいいことだ。
 リオンも笑みでもって答えた。
「オレも行くぜ」
「こら、水をささないの!」
 セインガルドとアクアヴェイル最強艦隊が手を結ぶという歴史的瞬間に、マンドリンを抱えたジョニーが言ったので思わずつっこむルーティ。
「本気だって」
「その楽器でどうするっていうのよ」
「そりゃ愛と勇気のラブソングを───」
 やめておけ。
 ルーティが取り合わないせいか、ジョニーもノリでマジメな顔が出来ず話がかみ合わない。
 うっかりこのまま留守番させられそうな勢いなので は助け舟を出してやった。
「ルーティ……その人、シデン領主の三男坊だからさ」
「「えぇっ!?」」
 誰がハモったのかよくわからない。
「お前、知ってたのか?」
「うん」
 短い返事にジョニーが苦笑を漏らす。
「まぁ、この際、それは関係ないんだけどな? 私怨てヤツさ」
「ジョニー、お前まだ……」
「……。いいだろう。足手まといにだけはなるなよ」
 ジョニーの言葉に何か感じるものがあったのか、それとも正体が判明したせいか、リオンが短く言うとジョニーも苦笑の顔のまま、彼に向き直った。
「恩に着る」

 バティスタ……つまりグレバムたちの手のものに抑えられていた黒十字軍の艦隊はすべての準備を終えることが出来ず先発としてフェイトと一行を乗せ、とりあえずの出航をした。
 トウケイ領はアクアヴェイル南東の島。
 4つの島の合間を抜けるように黒い艦隊は航行する。
「フェイトと同じように牢に捉えられていた側近から聞いた。ジノのおっさんが殺されたのはティベリウスから最後の使者が来てからだそうだ」
波の少ない内海を進む。
 しばらく姿を消していたジョニーが船室に入ってきて真顔に話し出したのはモリュウを出て大分経ってからだった。
「使者って、何を伝えに来たんだ?」
「グレバムと結託してのセインガルド侵攻さ。ジノのおっさんは反対して殺されたらしい」
「そんな……」
「確かシデンにも連絡は来てないって言ってたけど、結局ティベリウスってヤツの独壇場なのね」
「あぁ、あいつはシデンにとっても謀反人だ。ろくなヤツじゃねぇ」
「そのろくでもないやつが牛耳っているのだからアクアヴェイルも堕ちたものだな」
「リオン……!」
「いや、その通りさ。もっと早く俺らがなんとかしなきゃならないことだったんだ。結局あんたたちが来るまでどうにもしなかったこの国の責だ。エレノアが殺されたときにわかっていたことだった」
 自分に言い聞かせるようにジョニー。
 いつになく苦痛を帯びるその表情にエレノア、という名前を誰一人として追求できる者はいなかった。
 リアーナやフェイトがいれば同じように暗い翳りを見せただろうが、今、事実を知る者はいない。
 唯一知っている はといえば、先ほどから黙ってやりとりを聞いているだけだ。
 しばしの沈黙が訪れた。
「いずれにせよティベリウスとグレバムを捕らえれば事は終わる」
 彼にとってジョニーが何を抱えていようが大した問題ではない。
 結論はわかりやすいものだ。
 しかしそれは誰が聞いても納得できる目的であり。
 スタンが満面の笑みで結論付けた。
「そうだよな、その為にオレたちがいるんだし!」
 微妙に目的は神の眼の奪還からアクアヴェイル平定にずれ込んでいるようだが。
  はスタンの能天気な見解のズレに気付いたが敢えてつっこまなかった。
 神の眼奪還は密命だ。おいそれと話すわけにはいかない。
 リオンも気づいているのか、呆れたように溜息を小さくついている。
「簡単にいってくれるな。ティベリウスの腕は確かだぞ」
 どこから聞いていたのかフェイトが苦笑と共に船室の扉を開けて入ってきた。
「ヤツには誰も適わん。今まで君臨してきたのも実力には違いないんだ。侮らないでくれ」
 次の瞬間には真顔になってリオンをみつめている。
 モリュウ・シデンの両領主が揃って静止できないのだからそれも事実なのだろう。
「見たとおり、モリュウはすべてヤツラの手のものに押さえられていたし、この状態ではトウケイにも無事に入れるかわかったものじゃない。残った船も用意が整い次第追って援軍として向かわせる。だからそれまでもうしばらく待ってくれ」
「そんな時間はない」
「しかし、無理に正面突破をしてもティベリウスの元にたどり着く前に疲弊して……」
「では聞くがバティスタには誰かが適ったと言うのか?」
 フェイトはぐっと言葉に詰まった。
 実際に彼らはたった六人でモリュウを開放したのだからそれができなかった自分たちには制止する権利などないのかもしれない。
 まして彼らは彼らの目的で動いている。
 本来は船を貸すだけの話であってアクアヴェイル平定のために便乗する気になっている。
 ここまで何も出来なかった人間が、そんな気負いではとんでもない話だ。
 フェイトは自らそれに気付いた。
「僕たちはティベリウスだろうがグレバムだろうが倒す、それだけだ」
「そうか……すまんな、アクアヴェイルの恥のせいであんたたちが危険に合うのも納得できないんだよ」
「フェイト、心配するなって。こいつらならやってくれるさ。何せこのオレ様もついてるんだから、な?」
 そうウィンクを送りながら、びぃーーんとマンドリンをはじく。
 その姿に一同の顔に揃って一抹の不安が浮かんだのは、言うまでもない。
 その時、穏やかな内海のはずが唐突にみまわれた激しいゆれにバランスを思わず崩す。
「何だ!?」
「た、大変です!モンスターがっ!」
 船員が駆け込んでくるのは殆ど同時だった。
「……仮にも軍船なんだから大砲とかでなんとかできないのかな……」
 遠泳以来息つく間の無い動員ぶりに は疲れ気味だ。
 溜め息と共に漏らした呟きを聞きつけると船員は申し訳なさそうに状況を伝えた。
「それが……既に取りつかれていまして……」
 取り付かれた?
 一瞬、一同は何を言われたのかわからず思わず顔を見合わせた。
「とにかく行ってみよう!」
 スタンの号令に、白兵戦覚悟で甲板へ駆けつけると正に「取り付いて」いる姿が目に入る。
 タコのような巨体。
 しかし赤くはなくどちらかというと青白い。
 その触手が甲板を取り込むように船首にまとわりついていた。
「何をぼんやりしているんだ」
 と遠巻きに眺める部下達に言いつつもフェイトもどうしていいのかわからない様子。
 モンスターは一体だけだったが、下手に攻撃すると船体が傷つく。かといってこのまま放っておけば確実に沈む。そんな巨大さだった。
「あれもグレバム産のモンスターなんだろうか……」
「どうみても自然派生型だと思うが」
 見守るその雰囲気にまきこまれてうっかり とリオンも悠長な会話を交わす。
 と、唐突にそれ──おそらくクラーケンとでも呼ばれているであろうモンスターは触手を振り上げ船体を叩き付けてきた。
「うわぁ!」
「散れっ! まとめてつぶされるぞ!」
 足を取られそうな衝撃に、甲板のほぼ中央に叩き付けられた触手を避けてばらばらと各々戦闘体勢に入る。
 タコ型だとしたら八本触手があるはずだ。
 その内何本かは自らの体勢を整えるために攻撃には使われないだろうが、迅速に潰さなければ被害は目に見えている。
 しかし、既に複数の触手に邪魔をされて這い上がらせないようにするので手が一杯だ。
「えーと……とりあえず……」
  は爆撃系のスラッグ弾を装填して、縮んだ針のような瞳孔めがけて撃ち込んだ。
「ギャァァアア!」
 ザバーン!
ーーー!!?」
「ごめん」
 本体の動きは緩慢なため捉えるのは容易だった。
 が、視野を半分失ってかえって暴れるその姿に思わず謝る。
 立っているのもままならない程に船は揺れた。
「フェイトさん! 大砲って……前にもついてるんですか?」
「あぁ、しかし今いる場所より近い位置だからな。もっと下に落ちてくれないと撃てん」
 無理な話だ。モンスターは上がってこようとしているのに。
 強固な吸盤が、それはあてにならないだろうことを物語っていた。
「じゃあとりあえずいつでも狙いつけられるようにしといて下さい」
「! 何をするつもりだ?」
「リオンとスタンは適当に食いとめといて!」
 言うなり はフィリアとルーティを連れてクラーケンの足のとどかない甲板付近へと走っていった。
『今度は何をしてくれるんですかね』
「そんなこと行ってる場合か、行くぞ!」
 シャルティエが呑気に見送るような発言を繰り出したのでリオンは一瞬顔を顰めて甲板を蹴る。
 注意をひきつけるその向こうではルーティが晶術の発動に入っていた。
「アイスウォール!」
 海水を利用したのか、海面から湧き上がるように水分が結晶化していく。
 たちまち氷の檻が船体にへばりつく触手を抱き込むように覆った。
 瞬間、大きく傾く船首。氷の重みが加われば、そちらに沈み込むのは必然で。
「うわぁ! 沈む、沈みます!」
 しかもとがった船首なんかに重みが加わればタイタニックのごとく鋭角に傾くのも当然で。
「な、何してるんだよ、ルーティ!」
「私のせいじゃないわよ!」
「いいから早く、撃っちゃって下さい、フィリアさん」
 予想外に大きく傾いた船首の手すりに斜めにつかまりながら反論するルーティ。
 その横で滑りそうになりながら が言うとほぼ同時にフィリアが晶術を放つ。
「サンダーストーム!」
「……あと一歩?」
 バキリ、と氷が砕ける音と伺うような の声。
 同時に、 はのけぞったクラーケンの足元に駆け寄って、船外に身を乗り出すように下方へ向けて銃を構えた。
「おい、僕らも行くぞ!」
「えっ行くってどうす……」
「晶術で足を落とせ!」
 のけぞる体躯にも一押し加えてリオンとスタンは甲板にしがみつこうとする足に切り付けた。
 それから船首に立って集中砲火を加える。氷付けの脚部は一度衝撃を与えただけであっさりと砕け散った。
 同時にバランスを取り戻そうとする船体、大きく後退して沈み込むクラーケンの巨体。
「撃て!」
 フェイトの声で至近距離から大砲をくらいモンスターは悲鳴を上げた。
 反動で船の震撼も避けられない。
 二発、三発。その軟体に撃ち込まれるたびにビリビリと激しく空気が揺れる。
 そして何度目かの砲撃音の尾が長く引いて、わずかな沈黙が訪れた。
 見守る中、ずるり、未練がましく甲板に張り付いていた足が落ちかける。
「やっ……」
た、と叫ぼうとしたスタンは笑顔を貼り付けたまま。
!?」
そこに全力ダッシュで、海に消えようとしている足の中途に飛びつこうとする仲間の姿を見た。
「馬鹿者! 何をしている!」
 次の瞬間、マリーとリオンに後ろからしがみつかれている
 すぐ横に自分の体と同じ太さがあろうかと言う足があるのにおかまいなしに。
甲板の手すりの向こうに半身落ちかけている。その光景はさながら自殺する人をとめようとしているかのようで……スタンはあ然と彼らの姿を眺めてしまった。
「う~重い……」
「手を放せ!」
「駄目。それよりもっとひっぱって~」
 何か、手に握って離さないつもりのようだ。
 重いどころの騒ぎではないだろう。クラーケンの方が力尽きたら最後。
 三人まとめて海へ攫われかねない状態だ。
「おい! スタン! ぼやっとしてないで手伝え!」
 呆気に取られてその様子を見ていたスタンは、声をかけられて我に返った。
 駆けつけて、今しもひきづられようとしている の手元を見ると、深深と突き刺さっている細身の剣が目に飛び込こむ。
「その剣……?」
「いいから早く。抜けるように切り取れ!」
 吸盤のあるクラーケンの足に直接両足を踏ん張れば抜けそうだが、彼女たちの体勢では如何せん無理がある。
 スタンはいわれた通りディムロスで、それを切り抜きにかかった。
 ぐらぐらと動かせるようになると
「だぁっ!」
 ドサリ。
 それはあっさりと とともに、リオンとマリーの手の中にひきこまれた。
、大丈夫か?」
「あぁ、なんとか。ありがとうマリ……」
「むしろその頭の方こそ大丈夫なのか」
 何を考えているんだとばかりに。
 反動で 共々後ろに倒れて、甲板にしこたま腰を打ったらしいリオンの顔には静かな怒りが浮かんでいる。
 すぐ背後にその気配を感じた は、振り返らないままつくり笑顔を浮かべてみせた。
「あはは、これは、そのぉ……」
 言いかけたところでずるり、と壁のように影を落としていたモンスターの足が動いた。
 次の瞬間凄い勢いで引いたかと思うとドォォン! と水音を立てて、それが完全に水没したのが理解できた。
「全速航行! 離脱!」
 フェイトの号令で黒十字の艦隊は再び風をきって動き出した。

「お前の判断は、間違っていない。だがな、最後のは何だ? 無謀にも程がある! それとも、何か。あのまま海に落ちるつもりだったのか?」
 モンスターからの追撃もなく航行が安定するとリオンに矢継ぎ早に怒られた。
 思わず耳を両手で塞ぐリアクションをとりたくなりながら
「ごめんね。リオンがクッションになってくれて助かったよ。おかげで腰を打たずにすんだ」
「僕はそーいうことを言っているんじゃないっ」
 見当違いの礼を述べるとケンカを売ったことになる。
『坊ちゃん、大丈夫ですか? 背中痛くないですか』
「うるさい、黙れ。お前まで に乗るな」
 最近恒例になりつつある、マスターとソーディアンの掛け合いを横目に は手の内に収まる剣に視線を落とした。
 細身の長い剣。和刀に近い。
 柄には繊細な金糸銀糸で文様が織り成されている。
 剣先は先ほどまでモンスターの体に埋もれていたため不可解な色の血で汚れてしまっていた。
 自分のマントで無造作に拭く。
「ああぁぁっ!」
「『「?」』」
「切れちゃった……」
 一度撫で拭いただけのつもりだったのに、すっぱりとマントは寸断されていた。
「馬鹿が……」
 自分でもそう思ったのでいつになくリオンの静かなつっこみが痛い。
 仕方なしに、マントを脱ぐとそれでもう一度、きれいに拭き取る事にした。
、その剣って……?」
「どうしたんだい?」
 相変わらず船首に立って海に向かったままの たちの元にジョニーがやってきた。
 スタンが覗き込むその手元を同じように見下ろしてくる。
 その端正な笑顔が、一瞬にして凍りついた。
「そ、その剣は……」
「え、どうしたんです、ジョニーさん」
 顔色を変えたジョニーにスタンも心配そうに聞く。
 いつものように、すぐに道化た笑顔には戻らない。
「やっぱり、これって『紫電』ですか」
「あぁ、お前さんこれだとわかって飛びついたのか?」
「うーん、違ったら笑える行動ですが……」
 二人の会話にリオンも真顔で聞き入る。
 なんだかわからないといった様子のスタンに気づいてジョニーは説明してくれた。
「こいつはシデン領に古くから伝わる『紫電』て剣さ。ティベリウスのヤツが王になったときに持っていかれちまってな。まさか、こんなところでお目見えするとは思わなかったよ」
「えっ? それって家宝ってヤツ!?」
 お宝ときいてルーティが目を輝かせて近寄ってきた。
 マントで血のりをきれいに拭き取って、柄を引き上げると美しい蒼色に輝く刀身が現れる。
 透明だが触れたら切れてしまいそうな輝き。
 改めて見ると、震えが走りそうな冴え渡りだ。
「ほぅ、業物(わざもの)だな」
「ふふ、価値の分かるヤツがいると嬉しいね」
 改めて の手元を覗き込んでいるリオン。
 彼にそう言わしめるとは名刀なのだろう。
 剣をみつめるリオンに軽く笑みを向けてから、 はジョニーに紫電を差し出そうとすると彼は首を降った。
「そいつはあんたたちが持っててくれないか」
「えっ? それはありがたいけど……シデン家の物でしょう?」
 それも家宝というものを、その正統な持ち主が目の前に居るのに返さずどうしろというのか。
 これから言われるだろうことは、わからないでもないのだが、言わずにいられなかった。
「だから、使えるヤツに役立てて欲しいんだよ」
「……と言っても皆ソーディアン持ってるし……」
「お前が使えばいいだろう」
 珍しくリオンから肯定的な言葉が出る。
 でも、名剣は人を選ぶと言うから。
 リオンが使うならともかく自分に使いこなせるかどうか……
 そんなことまで悩んでしまう。
「大丈夫大丈夫。 なら紫電も気に入るさ。駄目にしたマント代、ってことでとっておいてくれよ」
「高いマント代だなぁ……」
 ははは、ともう使い物にならないだろうそれを片手に苦笑を返すしかない。
「じゃあ、こうしよう。紫電は貸しておいて? 皆、終わったら必ず返すから」
 言いたいことがわかったのかジョニーはにかっと笑って の言葉を待った。
「お代はマント代でね」
「よっしゃ、商談成立だな」

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