夢ヲ見ルヨウニ、生キテイコウ―――――

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STEP6 トウケイの王

 トウケイ領につく頃には日が暮れていた。
 イレーヌに見送られてから休みの無い行程だ。
 城への夜間の侵入はやぶさかではないが、さすがにこのまま突入するのも無謀なので休息をとって時を待つこととなった。
 トウケイ領を目と鼻の先にして沖合に停泊した黒十字船。
 思ったより疲労困ぱいしていたのかマスターたちは夕方から、与えられた船室でしばしの安眠をむさぼっている。
 月が昇る頃に目を覚ました は、静まり返った船中を抜け出て甲板へと足を運んだ。
 まだ遅い時間ではないが、トウケイ側から発見されないよう灯かりも落とされ、明日に備えてモリュウの者たちもそれぞれ部屋に戻っている。
 空は紺と漆黒の合間。
 黒い影だけが鮮明で、あとは蒼く曖昧な色合いの世界。曖昧な時間。
 静けさに加え人気のないせいでまるで人間の居るはずもない……全く知らない場所に来たかのような錯覚に陥る。
 トウケイの鋭い山並みを遠くにリオンは風を受けていた。
 睨み付けるような鋭利な眼差し。

 もうすぐだ、もうすぐ、セインガルドに帰ることができる。

 グレバムだろうがティベリウスだろうがこれ以上いたちごっこを続ける気はない。
 セインガルドへの侵攻。
 その言葉を目の当たりにしたリオンの心中は穏やかではなかった。
「よぅ、少年」
 ふいに背後からかかった陽気な声に彼は、顔をしかめた。
 誰もいなかったはずのパーソナルスペースが侵食される。そんな感覚がひどく不快だ。
 視線だけを鋭く投げかけてきたその様子に、声をかけた人物は肩をすくませてみせた。
「何の用だ」
 自分の出現が彼の神経を更に鋭利にさせた、それを感じているのかジョニーの言葉には苦笑の色も浮かんで聞こえる。
「いやぁ? こんなところで物思いにふけっている姿が見えたからさ。まったく絵になるねぇ。こんなところで何考えてるんだい?」
「お前こそ、なぜわざわざここに来る」
「ちょっくら風にでもあたって歌でも作ろうかと思ったのさ」
 相変わらずの様子にやれやれ、と首を振る。
 だが、しかし思い当たったようにリオンは真っ直ぐにジョニーを見返した。
「ちょうどいい、お前に聞きたいことがある」
「なんでも聞いてくれ! 理解し合うことがまず一歩だからな。だけどスリーサイズだけは勘弁しろよ」
「……」
 ぱっと嬉しそうな顔をしたジョニーに射抜くような視線。
 ジョニーは今の彼に冗談を言っている場合ではないと理解して再び笑みを苦笑に変える。
 そんなことはここで会った時にわかっていたはずだが。
 つい、反射的に道化る自分もどうだろう、と思いつつ。
「何が本当の目的だ」
 リオンは単刀直入に切り出した。
 他の仲間はいない。
 いや、居たとしても聞くことは変わらなかったろう。
 だが今は諌める者も無ければジョニーにも気配を荒げる気配はない。
 話が半端に終わることもなければ、穏便になる理由も無かった。
「本当の目的、というと?」
「お前はティベリウスを討ちたいと言った。その真意だ」
「そりゃこう見えてもオレはシデンの三男坊だぜ? 領民に憂いを持つ気持ちがわからないわけじゃないだろ」
「本当に愛国心だけならこんなところをフラフラしているものか」
痛いところをついてくるねぇ……
ジョニーは苦笑しっぱなしである自分に気づく。
 そう言えば。
  は彼と自分が似ている、と言っていなかっただろうか。
 一見正反対にも思えるこの少年と自分のどこが似ているのか。
 気になり始めると考えずにいられない。
 その時ジョニーはリオンを初めてまっすぐに見返した。
 彼の真意こそどこにあるのか。
 深い紫の瞳に見入ると、同時に偽りは全て意味の無いことを悟る。
「ティベリウスは謀反を起こして王座を奪った大馬鹿野郎さ」
 ふっと視線を落とす。
 細い金の髪がその表情を覆うようにさらりと落ちた。
「俺の親父から王の座を奪い、他国との親和に耳を傾けるジノのおっさんを殺した。あいつだけは許せん。この気持ちは私怨以外の何物でもないのさ」
「……」
「憎しみ、ってやつだ。暗くて醜い感情だな。どうだ? おれの道化の仮面を外せて満足か?」
 どこか自嘲気味に。
 リオンはついと視線を流して嘲ることも無く言う。


「その気持ちをお前自身がどう捕らえようが僕の知ったことじゃない。それならハナからそう言えば余計な疑念など持たずに済んだものを」
 ジョニーは、驚きわずかに目を見開いた。
 大した事ではないと言う。
 その言葉に。
 どんなに醜いものかと思っていた。それでもやり遂げなければ、と思っていた。
 彼はそれを一蹴してしまった。
 とたんに自分がちっぽけな人間に思えた。
「それで終わりか」
 なんと察しのいいことか。
 誰よりも不遜な態度であるのに、人の心の機微を見逃さない。
 リオンの見透かすような視線にジョニーは観念した。
 いや、自ら話したくなった、というべきか。
「お前さん、守りたいものはあるか?」
 はぐらかすつもりは毛頭なく、ジョニーは静かに語りだした。
「……」
 戯れのはずの質問。
 それがリオンの表情を明らかに変えたことにジョニーは気づかない。
「自分の全てを投げうってでも守りたい。それなのに……それでも守りきることが出来なかったら」
「僕は守り抜く。どんなことがあってもだ」
 ジョニーは一瞬目を丸くする。
 応えがあるとは思わなかった。それも予想外の返答だった。
「そうか……しかし、誰かを守りきることは難しい。例えば傍に居られる人間ならいい。だけど遠く離れた場所だったなら? いくら力があっても、距離は越えられない」
 リオンは、突かれたように鋭い光を宿してふいに湧き上がった感情を押し殺した。
 逆なでされる、そんな感覚だ。
 しかし、ジョニーは黙ってはくれない。
「守りたいと思っても、助けを求める声すら聞えない」
「黙れ」
「大切な人が、遠くで傷ついているのに何も知り得ない。何も──何一つしてやることすらできない」
 ここまで来てジョニーはリオンの鬼気迫る様子に気づかなかったわけではなかった。
 動揺。それとも苛立ちだろうか。
 知り合って日は浅いが、恐らく仲間の前でも見せたことが無いだろう表情であることは察しがつく。
 その根底にあるものは何なのか。
 まるで自問するように言の葉は止められなかった。
「どんなに大切だと思っていても、想いは届かず、知らない間に殺されてしまうかも──」
「黙れ!」
 次の瞬間、ひたりとシャルティエの切っ先がジョニーの白い首筋にあてがわれていた。
 あぁ、そうか。
 ジョニーは理解する。
 彼には、守りたい人がいるのだ。
 ここではない。どこか遠く、離れた場所に。
 その人は、リオンにとって何者にも代えがたいものなのだろう。
「オレは守れなかった」
「……っ」
 刃に臆することなくふっと優しく微笑むとリオンは驚いたようにシャルティエをひいた。
「エレノアは……彼女は、オレの幼なじみでね。フェイトとめでたく結ばれたんだが、その婚儀の日から数ヶ月とたたない内にティベリウスの野郎に……半ば拉致同然で連れて行かれたんだ。そして彼女は、自ら死を選んだ」
 自害に追い込まれるとは、どれほど苦痛を浴びたのだろう。
 今までため込んでいたものを吐き出すように言うジョニーの横顔をリオンは黙ってみつめている。
 自分を見つめるその顔が、ほんの少し苦しそうに歪んでいることにジョニーは気づかなかった。
「それから先は、さっきも言った通りさ。憎しみだけを抱えてここまで来た。ここまでな」
 視線を上げるその先にはトウケイ城の灯がちらりと揺れる。
 ジョニーの横顔には彼の本質、なのだろう。
 鋭い光を秘めた強い決意と憎しみの色がはっきりと現れていた。
「リオン、ティベリウスの奴は……オレに殺らせてくれないか?」
それはおそらく、人を傷付けることを嫌って楽器を手にとった何物にも変えがたい彼の覚悟。
「あぁ……好きにしろ」
 リオンが瞳を伏せて、小さな溜め息と共に呟く。
 彼は何を想っているのだろう。
 ジョニーは、小さな同意に頬を緩ませた。
「お前さんの大事な人は、幸せになるといいな?」
「ふん、余計な世話だ」
「じゃあ、そちらはどうだろう? 博学多才なお嬢さん?」

「…誰のことかな、それは」
 ジョニーがふいに声を張り上げ海を向いたまま言うと背後からの呆れた返事。
 驚いてリオンが振り向くとちょうど少し離れた建物の影からそれより少し明るい影が現れたところだった。
 応えながらもどこかバツが悪そうに。
 破ったマントの代わりに薄い毛布を肩に羽織った
 話を聞かれた。
 リオンがかける言葉も思い浮かばず歩み寄ってくる彼女を迎えるとジョニーが続けて軽口を叩いた。
「守りたい人は……いや、あんたの場合は守ってくれる人、か。いないのかい?」
 そう問うと はじっとジョニーをみつめる。
 予想外に笑みひとつこぼさぬ顔だったので内心ジョニーは内心ぎくりとしていた。
 いずれにせよ、戯れとしてかわすだろうと思っていたのだ。
 戯れどころかほんの少し瞳を伏せたその姿に僅かに心が痛む。
「そういう人は、いないね」
 寂しい、というよりは淡々としたガラス玉のような黒い瞳。
 何か触れてはいけないところに触れてしまった。
 そのたった一言にジョニーは罪悪感のようなものを覚えた。
「私には誰もいない」
「そんなことはないだろう? 誰だって大切に思ってくれる人が居るさ。あんたみたいな人間に改めて言うことじゃないだろうけどな。家族や友人だって……いるんだろう? あんたにとって、大事な人」
 フォローしようとして失言まがいの発言を続けたことすら、次の瞬間には後悔することになった。
「いない」
「え……?」
「────だから、何も無いんだよ。私にとっては、リオンたちと出会ってからが今の全てだから」
 それまで持っていたものは全てなくしたとばかりに。
 どこか淡々とすらしているその姿にジョニーは感覚的に彼女が「何ももっていない」ことを理解する。
 何があったかなど知りはしない。
 だが、彼女のどこか空虚な物言いが、その見解が正しくはなかったのだとしてもそう思わせてやまなかった。
 助けを求めたかったのだろう。
 リオンを見ると、しかし彼もまた突かれたように彼女から目を離せないでいた。
 当然だ。
 リオンもまた、記憶喪失など既に無いものと見て気にかけることもなかったのだから。
 ここへきて、失ったものへの発言。
  にはそれらへの自覚があったのに、
 今までこんなふうに話すことすら無かった。
 誰も沈黙を破れないでいると耐え切れなくなったように が小さく溜息をついた。
 しかたがないとばかりに。
 少し思考をめぐらし言葉を選ぶ。
「ジョニー、私は私以外の物を持ち合わせていない。だけどそれで寂しいと思ったことはないし、なくした「今」の感覚で過去のそれまで否定しようとは思わない。私のことは私が守る。
それで、ことは足りるんだから。───これで、フェアになった?」
「へ?」
「だから。さっきの話を聞いておいてはぐらかしたら……フェアじゃないでしょ」
 上げられた顔はやはり笑っては居なかったが、既に寂しさのかけらもない表情だ。
 大した問題ではない、と言わんばかりに。
「それとも、もっと聞きたい?」
「うーん、そう言われると聞きたいような、聞いちゃいけないような」
 ジョニーの本音。
 それを口に出来るのは、言葉にすることではぐらかせるから。
 あるいは、そうすることで明確な答えを期待しているのかもしれない。
「じゃあもうひとつだけね。何もないといったけど、その後に新しく得たものもある。だから、今、持てるものはすべて大事だし何一つ手放すつもりは、ない。自分自身も含めてね」
 浮かべた小さな笑顔に反して、鋭く本質を汲み取る言葉。
 そうして、ジョニーは理解する。
 彼女に気休めなど必要ない。
 深く透明な光の底はいつしか影も曖昧であるように。
 彼女の中には空虚と確固、潔さと不屈、さまざまな矛盾が同居している。
 その奥底でどれほどの葛藤を抱えているのだろうか。
 それでも、結論を導き出す怜悧さと言ったら───
 
 水平線に上りだす、少し欠けた蒼い月。
 淡すぎる光に我に返ったかのようにジョニーはふ、と優しげな微笑を浮かべた。
「あんたは強いんだな」
「……だといいね」
 それは楽なことではないけれど。
 自分に胸を張っていけるだろう。
 ジョニーは納得したように一人でうんうん、とうなずづき満足そうな笑みで彼方へ視線をはせる。
「いい月が出たな」
 その光はひっそりと、主張はしないけれど仄かに万物に降り注ぐ。
「だけど、明日のためにもそろそろ眠らなきゃ。 。その話、あとでもっと聞かせてくれるかい」
「聞きたいの?」
「あぁ、何か歌が作れそうだからさ」
 どこかのらりくらりとした背中を向けたままジョニーは手を振る。
 どうせロクな歌じゃないだろう、という不安を残しつつ。
 甲板には とリオンの二人だけが残された。


「もう半刻も待てば、援軍が到着するはずだ。もうしばらく待て」
「そうも言っていられない、奴らはこちらに気付いたようだ」
 俄かに慌しくなったトウケイの港を遠目にリオンは決断を下した。
 黒十字の援軍は船をバティスタに抑えられていたため多くが動けない。
 先発部隊だけで強行することに不安はあるが、足止め程度にはなるだろう。
 あとは一気に城を落とせばいい。
 アクアヴェイルの内戦を勃発させる訳にも行かず、大局を理解したフェイトに異論を唱えるヒマは無かった。
「よし、突入するぞ!」
 マリーとスタンが前衛で切り込む。
 トウケイ領に寄港するとトウケイの兵士が迎え撃った。
「ファイアストーム!」
 スタンが叫ぶとまきおこる炎が兵たちをひるませる。
「……スタンの晶術も、たまには役立つんだね……」
「酷くない? それ……」
 威力が無いので牽制程度であるが。
 人間に、炎の壁は恐怖を与えるのに十分だった。そのスキに城門をリオンとフィリアの晶術が叩き崩す。 容赦の無い威力は対個人戦闘より破壊行為に向いている。
はその威力をまざまざと目の当たりにした。
「くっ奴ら、後ろからも……!」
「雑魚に構うな、前へ進め!」
 ジョニーが焦りの色を見せるとリオンは冷静に言い放つ。
 進路を保って四方を囲まれることさえなければ、侵攻は難しくない。
 とにかく城内までの広い庭を駆け抜けることが優先だ。
「トウケイの奴ら……ティベリウスの野郎に絶対服従かよ」
 さすがに猛攻を受けて道化るヒマも無く、苦々しい表情がジョニーの顔を掠める。
 彼らにとっては謀反人ではなく王なのだろうか?
 どこか怒りを込めて、トウケイの兵士の姿を流し見るジョニーの横で は銃口を上げた。
 装填は散弾。
「うわわっ……とぉ!?」
 ジョニーはモリュウ城で単発を見ていたはずだが、全く様相の違う効果に驚きの声を上げる。
「前に出ないでね。無差別だから」
「はは、怖いねぇ」
 後衛について、追撃を牽制するのが今回のポジション。
 通路に入ってしまえばこちらのものだ。
 一度威力を見せると踊るように、撤退してくれる。
「随分、とばしてるわね」
 惜しげもなく放つ様にルーティがヒュウ♪と口笛を吹いた。
「ここで終りだからね。今まで温存してたヤツ、全部掃ける勢いで使うよ」
「ふ、ここで終りとはよく言ったものだな」
 終わらせる。
  とは恐らく違う意味だが、士気を上げるにも一役買っているようだ。
 兵たちのほとんどが階下に溜まっていたのかやがて、人気は次第に少なくなっていった。
「撒いた……のか?」
「なーんか、嫌な感じ」
 妙なプレッシャーが漂ってくる。
 板張りの床がきしりと小さく音を立てた。
 その音すらも耳に届くほどに、いつのまにかあたりは静まり返っている。
 呼吸を整えながらスタンたちは、辺りを伺う。
「……何?今の」
 ふいに、耳を澄ましていたルーティがその音を聞き取った。
「何って……何?」
「何だか……唸り声みたいなの」
「モンスターか?」
 リオンが耳を澄ます。
 直後、確かにグルル……という低いうなりが聞こえた。
 声の低さと振動の具合から言って、相当大きそうだ、と直感で思った。
 例えると、ドラゴンみたいな。
「……虎穴に入らずんば、虎児を得ず。って言葉、アクアヴェイルにあったかな」
「あぁ、だが君子危うき近寄らず、とも言うぜ」
  とジョニーが場違いな笑顔で顔を見合わせる。
 結論の拮抗した意見を背にリオンが行く先を指差して振り返った。
が正解だな。宝は番人が守っていると相場は決まっている」
 不気味に立ちふさがる扉。
 近くに寄るとその奥からはルーティが聞き取ったものとは違う様々な声が漏れ聞こえていた。
 鳥の声、獣の声、それから這いずるような息遣い。
 たくさんのものの気配が扉越しに伝わってくる。
「なんだか……ざわざわしてる感じですわ……」
「ペットでも飼ってるんじゃない」
 といいつつ は、「十二支の扉」を思い出す。
 確か十二支の順に扉を潜ればいいだけのはずだが、このざわつくような嫌な予感は何だろう。
「行くぞ」
 意を決したようにリオンが扉を蹴り開けた。
「う、わ……これって……」
「なんかまずくないか?」
 気配を感じたのは間違いではなかった。
 そこには確かに気配どおりのものがいた。
、また正解よっ」
「趣味の悪いペットだな」
 立ち尽くした一行の前には、獣たちがたむろっていた。
 お互いの陰に隠れて何体いるのかはわからない。
 鳥、蛇、獣、モンスターと同じ種類は見受けられないそれがざっと見ても十体程度。
 その首が、侵入者に気付いたように一斉に振り返った。
 結構怖い。
「ど、どういうことよ!」
 途端に踊りかかってきた大蛇をリオンが一閃する。
 が、一瞬掻き消えたその存在が再び首をもたげたのを見てルーティが声を荒げた。
「十二支……」
「何!?」
「十二支だね」
 確かにあの部屋に間違いはないようだった。
 しかし、全部本物ってどうだろう。
 突撃してきたイノシシを横にかわして は、銃でも倒せそうなウサギに撃ち込んだ。
 倒れる、が目の前で再び立ち上がる。
 まるで霧のように一瞬掻き消えて。
「確かに十二支だが……っなんだいこりゃ、縁起かつぎかい!?」
 倒しても倒しても起き上がる幻のような存在にジョニーが思わず悲鳴をあげる。
 スタンもさすがに理解しがたいこの現状に助けを求めた。
「リオン、このままじゃ疲労負けだよ!」
 舌打ちだけが返ってくる。退路はない。
 外に出てもこのモンスターたちに加え、兵士が現われればそれこそ敗戦は目に見えている。
 とりあえずセオリーどおりにやってみるか。
  は床を走っている小型犬ほども大きさのあろうネズミを撃ち取った。
 消えた。
 が、スタンが力づくで突撃してきた馬を切り倒すと再び現われる。
 順番に倒していく。……どうやらその路線で良さそうだ。
「リオン、スタン、マリー! 言う順番に倒すことができる?」
「!」
 策があることを理解して頷くのを は確認した。
「フィリアとルーティは晶術をいつでも放てるように。後はドラゴンあたりを牽制しといて。他のは途中で倒しちゃダメだよ!」
「わかったわ」
「わかりましたわ」
 単発弾の入った弾倉に入れ替えて、 が再びネズミ……「子」を撃つ。
 その音が始まりの合図。
「次。牛、虎!」
 といっても獰猛さもモンスター級なので一撃というわけにはいかない。
 その間、他の攻撃をかわしつつ、うっかり攻撃を加えるわけにもいかないのだからなかなか難しいものがある。
 リオンが「寅」に一閃加えたのを見て はウサギを狙う。
「卯……龍、蛇っ」
 溜めていた晶術であっけなく一番手ごわいと思われたドラゴンが落ちて消えた。
「馬、羊、サル……」
「おやおや見事だねぇ」
 半分になった獰猛な門番たちに余裕が出たのか応援曲を奏で始めているジョニー。
 煩そうに渋い顔で振り返ったリオンの様子でも余裕が出ていることが伺える。
 オマケに彼はまだ指定されていない「酉」を落として見せた。
「こういうことだろう?」
「そうそう、じゃああと二体、よろしく」
 言われるまでもなく地獄の番犬なみの体躯を一閃。
 最後に残ったイノシシをスタンが真っ向から気合と共にねじ伏せ、辺りは静かになった。
 同時にカチャリ、とどこかでカギの開く音がする。
「今のって、何?」
 猛攻をかわすだけでも息をはずませたルーティが を振り返る。
「なんだろね、幻影系の罠なのかな?」
「ヘビ、トラ、イノシシ……って順番は?」
「お前、今自分が倒したモンスターの順番すら覚えていないのか…?」
 スタンの記憶力に呆れ顔のリオン。
 あがった息を整えるためにも時間を割くには丁度いい。 は悠長に説明をした。
「この国の、古い時間の数え方。順番どおりでないと消えない仕掛けだったみたいだね。
で、リオンも知ってたんだ?」
「昔、何かで読んだのを思い出した。途中からな」
「異文化理解が進んでいて嬉しい限りだよ」
「「「……」」」
 この国の人間なのにっっっ
 役立たずとばかりの視線がジョニーに集中しても彼は凹まない。
 見上げた神経のご太さに呆れ果てた空気と溜息が場内を席巻した。
 
 
 呼吸を整え、顔を見合す。
 武王と呼ばれたティベリウスのいる王座の間。
 頷きあうのが、突入の合図。
 扉を開けると、見慣れぬ風体の男が悠然と王座に座っていた。
 細長い面に、頭の上で一つにまとめられた長い髪が影を落としている。
 着流しに、無造作に手元に置かれた抜き身の日本刀。
 アクアヴェイルの伝統古式をまとったような姿で男は狡猾な目線を侵入者へと向ける。
「無粋な客人どもだな」
「ふん、無粋なのはどっちだか……」
 吐き捨てるようにジョニーが言う。
 いましもつかみかかりそうなその様子にリオンは長身の彼を片手で制した。
「グレバムはどこにいる?」
「ふふ、お前たちは私を探しているのか」
 低く問うと王座の影から男が現れた。
 半ばグレイになった髪を後ろへなでつけた、ローブ姿には違和感があるようながっしりとした体格の男だ。
 その姿を見たフィリアから驚きとも確信ともつかない声が上がる。
「グレバム様……!」
「フィリアか……久しいではないか」
 フィリアはそこに、かつての彼の笑みを見出すことができず、顔色を変えた。
 にやりと笑ったその見下すような顔。
 既に狂気が宿っていると言ってよい。
 そこには穏やかなる神のしもべではなく、危険な力を手にした男の姿があった。
「何言ってんのよ! あんたが石にしたんでしょ!?」
「確かにな。そのまま石になっていれば苦痛を味わわずに済んだものを」
「ふざけるなっ!」
 スタンがディムロスを振りかざし、切りかかる。
 しかし、そこへと駆け上がる前にスタンは玉座から吹き飛ばされていた。
「ティ、ティベリウス! てめぇ!」
 グレバムの前に立ちふさがる大王を前にジョニーが気色ばむ。
「大王よ……」
「判っている、まかせておけ」
 ティベリウスはにやりと笑うと段上で低く腰を落とし、長い刀を真一文字にかまえた。
 セインガルドとは異なる独特の構えは刀技の妙技を繰り出す前兆だ。
「刀のさびにしてくれる」
 プレッシャーに負けず再びスタンが切り込む。
 あるいは強すぎるプレッシャーを受けがむしゃらに、と言うべきかも知れない。
 対してリオンは冷静にその出方を探っている。
 歯牙にかけないように、打ち込んだスタンをまるで手馴らしでもするかのように翻弄し、再び吹き飛ばすティベリウス。
 強い。
 バティスタとは比べ物にならない。
 しかも、どの国のどんな剣術とも異なるその動き。
 豪快さはないが気配を感じさせない動きが仲間たちの警戒をかきたてる。
  はそれがどんなものなのか、おぼろげながらも知っていた。
 和刀と「静」。ひたすらに精神的高みを重んじる士道。
 それゆえ、乱れを見せることがない。
 不気味な沈黙をひきずったままティベリウスは玉座から一歩、二歩と離れる。
「さぁ、次は誰だ?」
 それはまるで戯れのように。
 不敵な笑みをはりつけたまま見下ろす。
「僕が相手だ」
 リオンが音もなく床を蹴る。
 馬鹿正直に一対一で勝負することはない。
 フィリアとルーティがすかさず短い詠唱に入った。
 しかし。
「アイスニードル!」
「ファイアボール!」
 晶術がティベリウスに届くかと思われたその時、リオンの剣を受け流しながら気合と共に一閃する。
 掻き消えた晶術は、その防具すら纏わぬ身に傷一つすら付けることは出来なかった。
「ち……化け物か」
 術に巻き込まれることを回避して後ろに退いていたリオンがその様に舌打ちする。
 いつもと違う攻撃のリズムに調子が上がらないのだ。
 たった一人、力のみで成功させた謀反。
 そう言われても今ならあながちウソではないと思えるだろう。
 武王と呼ばれる腕前は伊達ではなかった。
 改めて敵を間合いから追い払ったティベリウスは、再び見回して、ふと に目を留めた。
途端にその顔から笑みが消え、瞳は値踏みするように細めれられる。
「お前、それは紫電だな?」
 その言葉にぎくりとしたのは ではなかった。
 ジョニーにリオン、それからスタン。
 ティベリウスが に次の狙いを定めたことをとっさに理解した。
 いくらなんでも相手は無理だ。
「おもしろい」
……っ!」
 逃げろ、というヒマはなかった。
 ティベリウスは両手をだらりと落として立ち尽くす。まるで無防備。
 その無造作な様がむしろ激しく警鐘を鳴らしてやまない。
 それはほんの一瞬の出来事だった。
 ほとんど反射的に、だろう。
 ティベリウスとの距離は刀身の倍はとれていたはずだが、 は大きく後ろに飛びのいた。
 次の瞬間、足元の木床が大きく削り取られる。
 居合抜きだ。
 それも早いなんてものではない。
 本能で危険を感じ取ることができるのだなどとどこか冷静に考えている自分に反して、身に余る相手に紫電で二度受け流すのが精一杯だった。
 それでもルーティたちにしてみれば驚愕だ。
 ついこの間まで剣など扱えなかった が大王の剣を打ち流したのだから。
 スタンの剣技が「動」であるならティベリウスの極めたアクアヴェイルの刀技は「静」と言える。
 その独特のとりまわしを目の当たりにしたことの無い彼らは何が起ったのかとっさに理解出来ないようだった。
「……くっ」
 チィン!
 余裕からか手を緩めたスキをついて、不敵な表情をはりつかせた額に向けて、 は左手で銃を撃ち込んだ。
 しかし、甲高い音を立てて弾かれてしまう。
 これほどの至近距離で刀身で防いだティベリウス。
 だが、思わぬ攻撃にその動きは止まり再び笑みは消えていた。
「なんだ?その武器は」
  は銃を真っ向に構えるが、相手が怖じる様子はない。
 次の一手が来たら殺されるのは自分だ。
 どこかで悟る の手はかすかに震えていた。
 刹那的な攻防の後に訪れたほんの少しの間。
 もちろんそれを仲間たちが見過ごすはずはない。
 すかさず切り込んだリオンに不快そうな顔をしてティベリウスから一撃が放たれる。
 それは先ほどまでの静かな動きがウソのように豪胆さを帯びていた。
 苛立ち、だろうか。
 結果的に、銃を使ったことがティベリウスの心中に波紋を起こしたのだ。
 スタンとリオン、そして続くマリーの剣を受けて今度舌打ちしたのは狡猾な大王の方だった。
 一閃すると弧を描いて衝撃派が拡散する。
「爪竜連牙漸!」
 攻撃をくぐり抜けたリオンの奥義が一瞬のスキをついて繰り出された。
 捕えてしまえばあっけないほどに。
 防具のひとつも身に纏わないティベリウスの体は悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「ぐ、ぐぅ~……」
 傷は全て動きを封じるだけの浅いものだ。
 無数の傷跡から血を流しながらもティベリウスの瞳には屈辱にそまった鋭い眼光が消え失せない。
 チャキリ。
 シャルティエがその喉元にあてがわれ、威嚇するようにその痩せた顎を上に向かせる。
 マリーがティベリウスの剣をとりあげ丸腰になった大王にジョニーたちも駆け寄った。
「チェックメイトだ。観念するんだな」


「因果応報ってヤツだな、ティベリウス。これで終りにしてやる」
 約束どおり、リオンはジョニーに討たせる気だ。
 ジョニーは密かな感謝と共に、ティベリウスへ歩み寄る。
 胸に秘めていた重い怒りはティベリウスを前に、とうとう爆発した。
「エレノアの痛みを思い知れ……」
 そういうとジョニーは懐から短刀を取り出した。
「己の悪事の代償を今、その身に受けるがいい!」
 今まで、一度たりとも使うことの無いだろうその白刃が、すらりと鞘から抜かれて振り上げられる。
 その瞬間。
 地震のような振動が王の間を大きく震わせた。
「……! リオン、グレバムが……」
 はっとしたように が叫ぶ。
 マリーとジョニーを残して、一行はテラスへと走り出た。
 強風が吹きすさび、思わず眼前に腕をかざす。
 巨大な影が辺りを薄闇色に覆った。
「飛行竜!?」
「く……逃げられたか!」
 轟音と共にトウケイの町を眼下に飛翔する。
 すぐ眼前をその巨大な尾が掠めたが、あっというまに小さくなるその背を見送るしかない。
 まるで逃げる準備は万端であったかのような迅速さだ。
 リオンは舌打ちして再び室内へ踵を返した。
「どうするのよ! 今度こそ、追えないわよ!?」
「まだ手はある!」
 何事かと気勢を殺がれたジョニーの足元で、マリーに剣を突きつけられているティベリウス。
 すぐに戻ってきたリオンが再びシャルティエの切っ先をその喉元に向ける。
「グレバムはどこへ逃げた」
 半円の中心で抑揚のない声が低くティベリウスを問い詰めた。
 屈辱に顔を歪ませながらもその口元がにやりと歪む。
 眇められた目は、見下ろすリオンの紫暗の瞳を捕らえて離さない。
 吐かない気勢も予想していたがあっさりとティベリウスは口を割った。
「知らん……と言いたいところだがもはや俺には関係の無いことだ」
 まるで脅されているのが他人であるように、へらへらと品の無い笑みを浮かべる。
 これが本当に先ほど切れすぎるほどの鋭い剣技を披露した男だろうか。
 一瞬リオンの顔をすがめた色は嫌悪に近い。
「ヤツはファンダリアだ」
「ファンダリアだと?」
 ファンダリアは、セインガルドの南に位置する雪の王国。
 またしても第三国への干渉。
 危機感を抱いた一同の顔に驚きと、困惑の表情が浮かぶ。
「ふふふふふ…謀られたわ。奴め、はなから俺を捨石にするつもりだったか」
 それからちらりと を見て、ティベリウスは皮肉そうに顔をゆがめた。
「まさかそんな小娘の手に紫電が渡っていたとはな」
 それさえあれば、と言わんばかりに溢す言葉ももはや負け惜しみにしか聞こえない。
 いずれ自らの油断が招いた失態だ。
 リオンは取り合う様子は無かったが、その言葉にジョニーがひどく怒りをあらわにして眉を吊り上げた。
「貴様のようなヤツに紫電が扱えるものか! 紫電は自ら逃げおちたんだろうさ!」
 今まで黙っていたものを吐き出すように激しい口調でジョニーは罵ってやろうとしたが、愚劣ぶりに言葉を失ってしまったのも事実だった。
 想いだけが渦巻いて、口を閉ざさせる。
 苛烈な怒りの後にはふと落とすようにその口元を飾る失笑。
「こんな男がアクアヴェイルの大王か。ザマねぇな、ティベリウス」
 何を期待していたのだろう。
 ジョニーは足元に座り込む男に、もう刃を振り上げる気にはなれなかった。
 失望、とでもいうのだろうか。
 張り詰めていたものが消えうせたような気分だ。
「セインガルド侵攻などという夢物語に踊らされやがって……!」
「夢物語? 違うな」
 卑しく笑うその様は、既に己の愚かさと向き合うことすら放棄した慣れの果て。
 だが、皮肉なことにそれは真実を語リ出す。
「これは近い将来にやってくる現実だ。ハイデルベルグの次は、セインガルドの番。順番が少しだけ変わっただけのこと。暴走する悪魔を止められるか?」
 その視線はリオンへと注がれる。
 セインガルドの滅亡。
 今まで冷静だったリオンの瞳の奥の色が変わった。
 ティベリウスは気づかないまま、終末をほのめかす言葉を並びたてる。
「セインガルドの少年剣士よ。奴はすべてを巻き込み、破壊し、喰らい尽くすぞ」
「黙れ」
「たとえ俺の命がここで果てようと、セインガルドもすぐ後を追うことになる。グレバムと神の眼によってな!
 く、……ははははは!」
「黙れ、下衆野郎!」
「ぐわ……!」
 誰も制止する間が無かった。
 たった一突きでティベリウスは事切れていた。
 何がそうさせたのか、理解をする間のないほど一瞬で。
 残されたのは、愚かな男の末路と、あからさまなほど苦々しいばかりのリオンの表情。
 仲間たちも、冷静な彼がとったとりかえしのつかない行動にただ言葉を失った。
 その様子が尋常ではないことは誰もが心の底で、少なからず感じてはいるはずだ。
 だが、今はそれが何を意味するかまで理解できる者はここにはいない。
 わずかばかりの沈黙を破ったのはリオン自身だった。
「悪いな、ジョニー。お前の獲物だったな」
抑揚の無い声。
たった今の行動がまるでウソのような冷たく暗い顔。
「……いいってことよ、手間がはぶけたってものさ」
 もはやティベリウスなどどうでもいいと思っていたのかもしれない。
 ジョニーは、そんな自分に気付いていた。
 それよりも今は、目の前に佇む少年が何を想ったのか気になって仕方ない。
 それは昨晩、彼を苛立ちへ駆り立てたジョニーの言葉と同じものだったのかもしれない。
 それとはまた違うことかもしれない。
 いずれにせよ、真実はこの先、自分に告げられることはないのだろう。
 誰よりも深く重い物を感じたジョニーはただ苦笑を漏らすしかなかった。
「ファンダリアまでは黒十字艦隊でお送りします」
トウケイが制圧されたことを知り、かけつけたフェイトは彼らの次の行き先を聞き、そう告げた。
「艦隊で!? なんだか大袈裟なような……」
「万一ファンダリアが陥落していたら、海軍を抑えられている可能性もあるし、モンスターを放ってこられる可能性も高い」
 前触れもなく発言を飛ばしたのは だった。
 いつにない無機質な物言いに視線が集まる。
 その先で、まるで記録を読み上げるように は続けた。
「カルバレイスから見てきて確実にグレバムの側につく人間も増えている。それに明るみになった以上、神の眼を抱えて逃げても意味が無い。相手からうって出られることも考えた方がいい」
「でも、グレバムが逃げたのはついさっきよ? いくら神の眼を持っていたとしてもファンダリアを陥落させるなんて事ができるかしら」
 ルーティの言葉にリオンが渋い顔をする。
 いくら急いでも船と飛行竜では時間差ができる。準備の時間は少なからず与えられたということだ。ルーティも自分で言ってから気づいたようだった。
 あ、と眉を寄せたのを見て は溜め息を吐く。
「相手もそれなりに追い込まれているはず。だからこそ今が一番何をしでかすかわからない」
 一介の女性とは思えないほど大局的な物の捕らえ方。とうてい戦いとは程遠い場所にいた人間とは思えない。
 その会話を黙って聞いていたジョニーは内心舌を巻いた。
「何があっても責任を持って我々がお送りします。スタンさん、ファンダリアにつくまではどうぞ御任せ下さい」
  の言っていることを理解しているのだろう。一度、侵略された立場にあるフェイトも慎重だった。
「そういうことだ。お前たちも出発の準備を整えておけ」
 外海への航行へ向け、船の準備にもうしばらく時間がかかる。
 慌ただしく行き交う水夫達を横目にスタン達も、頷いた。
「大丈夫だって。このオレ様もきちんとお見送りしてやるからよ♪」
「えっ? ジョニーさんも!?」
「何かあったら全力を持って……歌おう」
「全く何の解決にもならないわよ……」
 呆れたルーティの声とむしろ邪魔だと言わんばかりのリオンの視線を受けてもジョニーは相変わらずの調子だった。


 今度ばかりはのどかな船旅もいつにない緊張感に包まれていた。
 それはここがただの商船ではなく戦艦であるせいかもしれない。
 あるいは、これから向かう先への危機感を誰もが募らせているからかもしれない。
 その空気に当てられそうだ。
  はどこか落ち着かない気持ちで風にあたりに出た。
 いつもは誰も来ない特等席をみつけてくつろぐがなんとはなしにそんな気にもなれない。
 素直に甲板に出るとフィリアが海をみつめていた。
「あら?  さんも風にあたりに?」
 向こうから声をかけてきた。
「何考えてる?」
「……」
 いきなり切り出した の言葉にいつになく元気の無いフィリア。
 考えていることはなんとなくわかるが……
「グレバムのこと、バティスタのこと、かな」
「…… さんは、なんでもお見通しですわね」
「別にお見通しということは……」
 ないから聞いている。
 ただ肩を小さくすくめるとフィリアも小さく微笑んだ。
 当初は強引についてきただけのフィリア。今はスタンやルーティたちより思うところが多いだろう。
 誰よりも敬愛していた上司に同僚。
 バティスタとグレバム。
 フィリアに深く関わった二人は面影を残すことなく再開を果たしていたのだから。
「わたくしには…わかりません」
 再び暗い色の海をみつめてぽつりと呟いた。
 それだけだが、何を言いたいのかはわかる。
「うん、私にもわからないよ」
  も呟くようにそれだけ答えた。
 彼もヒューゴが裏方で大義に掲げている「理想の世界」にほだされたのだろうか。
 カルバレイスのバルックやフィッツガルドに失望するイレーヌのように。
 フィリアの言うように優しい男であったのなら、ただグレバムに従って戦争を引き起こす手引きをしているとは思えなかった。
 だが、人の心など深淵のようなものだ。
 壊れてしまえば何をしでかすかわからないし、ふっきってしまってもその先にあるのはきっとこれまでとは違う何かで。
 今となっては彼の心情など知る術はない。
 けれどフィリアは弱くない。
 だから自分なりに、心を決めることだろう。
 しばらく思い思いの沈黙が続いた。
「あ…」
 ふと、空からの気配に顔を上げると雪がちらりと舞い降りてきた。
「もうファンダリアですのね」
 もう。
 フィリアの言葉は、随分遠くまで来てしまったかのような感情を思い起こさせた。
 もう、ここまで来てしまった。
 何も変わらないまま。
 船旅も終りだ。
 この地で全て決着がつく。
「何だか短かったね」
「え?」
「いや、こっちのこと」
 神の眼を追う旅はあっというまだった。
 ひたすらにここまで来てしまったけれど────
 まるではじめて彼らと出会った頃の気持ちが蘇ってきたようだ。
 急に焦燥が押し寄せ、飲み込まれてしまいそうだった。


 それから細くちらつく雪の中を進むこと数時間……
「ん?」
 彼方に、ざわつく気配を感じて は船室の窓から目を凝らした。
 灰色の空の下に、船が見える。
 それはかなりのスピードで迫っているようだ。
 何隻もの船の間には漂うように翼を持った黒い影が付きまとっている。
「モンスター?」
 ということは、つまりグレバムの手のものということだ。
 そう判断して、隣へやってきたリオンと顔を見合わせた瞬間、警鐘が鳴らされた。
「どうしたの!?」
 一足早く外へ出るとルーティたちも白い息を吐きながら甲板へやってくる。
 その間も、お互い向き合うように船は進む。
 その頃にははっきりと、船影が識別できるようになっていた。
「あれは……ファンダリアの海軍です!」
「やはりファンダリアも陥ちたな」
 乗っているのも人間とは限るまい。
 黒十字の戦艦も即座に臨戦体勢に入る。
「凄い数だよ!?」
「各個戦力では我々が上です。囲まれさえしなければ十分鎮圧できるはず」
「接船される前に晶術で道を開け!」
 アクアヴェイルは島国ゆえに陸軍より海軍に戦力が特化されている。
 海戦は十八番なのだろう。
 しかし、モンスターがいる限り空襲されかねない。
 リオンはフェイトの声をよそにフィリアたちに指示を飛ばす。
 それからすぐ後ろにいた を振り返った。
「お前は中にいろ」
「平気。それより召喚できるから」
 まだ召喚アイテムのストックがある。イフリートを選んで は機会をうかがった。
 船団の一部が前方に結集したところで放つ。
 轟音と共に炎の壁が立ちふさがる船と飛び交うモンスターもろとも焼き落とした。
「……突破口が出来たな」
 すかさず上陸の方法を示すリオン。
「とにかく港につけろ。僕らが降りたら撤退しても構わない!」
 しかし、フェイトは策を承諾しながらも撤退する気はないらしい。
 十分に突破できる数まで敵艦が減っても攻撃の手をゆるめることはなかった。
「黒十字の名にかけて、といったところかな」
「えぇ、これなら余裕で入港できそうですわ」
 晶術による遠隔攻撃ともなれば、 の出る幕はない。
 それでも避難すること無く見守るその横でフィリアが大きく息を弾ませながら一息ついた。
 さすがにペース配分を覚えたのかそう言うフィリアは以前よりは、ずっと余裕がありそうだった。
「フィリア、大活躍だね」
「ありがとうございます。でも、もう少しうまく当てられたらいいんですが…」
 命中率が悪いと言っているんじゃない。沈められないのが不満らしい。
 ある意味、恐い発言だが彼女は役に立ちたい一心で物を言っていることは理解できるのでそこには敢えて触れないことにした。
「飛行系のモンスターは風の晶術で。船を沈めたいなら船底を狙う方がいいね。
……と言っても頑丈そうだから……ルーティに凍らせてもらってそこを狙うとか」

 真剣な顔で聞いているフィリア。
 余裕が出てきたのかリオンが会話に気づいて耳を傾けている。
 その気配を感じつつも は、考えることに傾倒して戦況を見渡した。
「むこうの船は砲弾に火薬が入ってるみたいだから……炎系の晶術で、砲台狙ってみたら」
「はい! やってみます……!」
 素直に従うフィリア。
「フィアフルフレア!」
 炎の弾丸が砲台に降り注ぐ。
 次の瞬間、派手な爆裂音をたてて砲台は自ら炎を噴いていた。
 間を置いて次々とド派手に爆発していく砲台。
 晶術が誘った引火ではない。弾薬に着火して誘爆が始まったのである。
「うっわ! フィリア、すごいよ!」
「やるわね!」
 素直なスタンとルーティの歓声。嬉しそうなフィリア。
 その後方で一部始終、会話を聞いていたリオンは何か物言いた気な視線を投げかけてきたが何も言わなかった。
「──と、どうせなら追加効果を狙う線も意外に有効です」
「……楽しいか?」
「まぁね」
 次に から発せられた一言でついにリオンがつっこんだ。
 思考をめぐらすのは嫌いじゃない。
 ついでに狙いが決まってくれればもっと楽しいもので。
 しかし、飄々と応えたその様になぜか呆れた溜め息を吐くリオン。
「ここはお前の実験場か?」
 こんな会話が繰り出されるのは余裕の勝利を控えた証拠。
 応えて は笑顔で行く手を指し占めす。
 つられて見るとスノーフリアの港はすぐそこだった。
「いつも世界全てが実験場さ♪」
 後ろを見せたスキをついて、とんでもない発言がリオンの耳に届いた。


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