INTERVAL 灰色の空の下で
黒十字艦隊は、ファンダリアを目指して航行する。
穏やかとはいえない波紋がまるで行き先を示しているようだ。
リオンは一人、上部デッキから見下ろす。
その視線の先には
がいた。
同じように黄昏ていたフィリアと何か話し込んでいる。
それを見ながらシャルティエの大丈夫ですかね、という言葉を皮切りに、なぜという返事。
会話は、彼女の最近の様子に及んでいた。
『なんだが元気がないというか……ティベリウスに狙われた辺りからですかね』
シャルティエはよく見ている。
やはり気に入っているからなのだろうが、心配ぶりも他の仲間の比ではない。
もっとも彼にしてみてもリオンと二人きりだからこその話であるが。
反してリオンはあまり深入りしようとしない。
だが、会話の間も彼女たちの様子から目を離さず……
気にはかけているのだということもシャルティエは感じていた。
むしろ敢えて触れることを拒んでいるようで、加えてこんな機会もあまりないのでついふった話だ。
が。
『だから……怖かったんですよ、きっと』
「……」
ただでさえ短い返事しかよこさなかったリオンは次第に口数も少なくなり、そう言った瞬間とうとう沈黙した。
いつになく苛立っているような沈黙にシャルティエは戸惑う。
ティベリウスを討ってから、リオン自身も思うところが多い。
いや、正しくはジョニーと会話を交わしてから、か。
あの夜。
トウケイ領を前にして。
しばらく任務にかかりきりで……あるいはスタンたちと共に居ることで緩衝されていた気持ちを改めて再認したのだろう。
文字通りファンダリアで仕留める。
それでもそう決め込んでからはグレバムの件では既に迷いは無い。
そういう意味ではもう彼のマスターは大丈夫だ、とシャルティエは思う。
相変わらず抱いているものは重いが、ティベリウスの時のような動揺はしないだろう。
一方で、否応なしに緊張感はただよっているし仲間たちも気合いとやる気が伺えるほどだから、むしろ
の気勢の無さが浮いている。
元々、どこか飄々としているところもあるのでさり気に場をはずされると、自分たちのことで賑やかなスタンたちはリオンほど気付く余裕は無い。
気付いているから苛立ちもするのだろう。
シャルティエはリオンの心の底を探るが最も深いところまでは見えそうに無かった。
「それで? お前は僕に何をしろと?」
視線をはずして、振り返るようなしぐさを見せたリオン。
間をおいて放たれた冷たい言葉にシャルティエは口篭もる。
素直に何をすべきか聞いているんじゃない。
それは、否定以外の何者でもなかったから。
これ以上話しても、機嫌を損ねる一方だ。
同時に暗に話の終りを告げるための警告に近いのかもしれない。
すでに一触即発な怒りのような感情すら感じつつ、安易に見えた先行きにシャルティエは沈黙するしかなかった。
『坊ちゃん?』
返事も待たずに。
相変わらず苛立ちを抱えたままリオンは踵を返すと早足に上部デッキを後にする。
シャルティエの困惑じみた声だけがわずかに尾を引いたが誰もいなくなった上部デッキには再び静けさが戻った。
フィリアが、気丈ながらも笑みを残して船室へ入った後。
は一人残って雪を見ていた。
先ほどまでは手の空いた船員も気分晴らしに出ていたが、寒寒としてきた空気の中いつのまにか甲板には誰もいなくなっている。
吐く息が白い。
灰色の空が近くなる。
広すぎる沈黙の中でふいに背後から闊達な足音が近づいた。
「リオン」
振り返ってその人物の名を呼ぶ。
だがリオンはそれには答えずにどこか憤然とした表情のまま
を見返す。
……私、何か悪いことした?
それくらいの雰囲気だった。
ぱっと見、いつもとかわらない無愛想さだがなんとなくわだかるものを感じて珍しく
は困惑の色を示す。
それも一瞬だったが。
「来い、稽古をつけてやる」
「へ?」
唐突に「いつもの」特訓の話。
リオンの方から誘うなど滅多に無い。
しかも有無を言わせない口調だった。
そして、そんなことを考える間もなく答えがないと強引に連れ出す始末。
文字通りデッキの中央にひきずりだされた
はなぜか甲板で抜剣する羽目になった。
気が乗らない。
しかしリオンはいつになく真顔でシャルティエを向けてくる。
冗談の通じる雰囲気でもなかった。
「どうした? 集中しなければ怪我をするぞ」
打ち込みかねているとリオンのほうから切り込んでくる。
戸惑いながらも剣を受け流していると見抜いたように叱責が飛ぶ。
訓練とは言えリオンを相手に気が乗らないなどと言っている場合ではない。
の顔つきが変わった。
防戦からいつものように攻撃に転じる。
真っ向から受けたリオンの口元にその一瞬だけ薄い笑みが形どったようにみえたのは気のせいだろうか。
広すぎる甲板。静まり返った冬色の空の下
剣戟は、それからしばらく続いた───
「少しは、頭が冷えたか?」
「……冷やすようなことはしていないのですが……」
どれほど打ち合っていたのだろうか。
だけでなくリオンも浅い呼吸を繰り返し始めた頃、ようやく手を止めクールダウンに入っていた。
思いきり動いたので疲れたが頭の中は軽くなった気がする。
そのことを言っているのであればまぁ遠からずだが謂れなき物言いにわずかに眉を寄せる
。
「お前の様子が変だとシャルティエがうるさくて仕方ない。また何かいらぬ考えでもめぐらせていたのだろうが……その内知恵熱を起こすぞ」
知恵熱。
生後六か月頃から満一歳前後の乳児にみられる発熱。
原因は明らかでない。
「さすがにありえないから。それ」
「そんなことで戦闘中ぼんやりされていたらたまらないということだ」
あぁ。彼なりに心配してくれたと受取っていいのだろうか。
やや不甲斐なさを感じて苦笑が漏れた。
「スタンと違って考えることが多いんだよ」
自分で言っておいて何だがこんなところで引き合いに出されるスタンって一体…
「ふん、プレッシャーに弱いとはな」
「一度落ちるとなかなかね」
プレッシャーと言えばプレッシャーなのだろうが。
少し意味は違う。
誰も終わりが近づいていると思えばいらぬ考えも起こすだろう。
それでも、最初の頃と状況は大して変わらないはずだ。
変わったのは、彼ら全員との仲間としての関係で。
その関係が得られたのは、今や何にも代えがたいものだと実感する。
ふいに。
リオンは視線を伏せた
の肩口の服を掴んで無造作に引き寄せた。
突然のことに驚いている
に、顔を近づけ低く囁く。
「僕らは神の眼を奪い返す。グレバムを倒して任務を完了する。必ずな」
強い韻を含んだ言葉。
まっすぐに見据える深い色の瞳にも彼特有の強い意志が宿っている。
それもほんの一瞬だった。
掴んでいた力が緩んで
を開放する。
ふっと緩んだ空気に笑みを浮かべながら
。
「うん。ありがとう」
「ふん、礼を言われるようなことを言った覚えはない」
そのままふいっと背中を向けて去っていく後ろ姿を
は苦笑とともに見送っていた。
『坊ちゃん、よかったですね』
「何がだ」
『
はもう大丈夫そうだから』
うん、と何か一人で納得するようなシャルティエ。
それからくすくすと可笑しそうに、今度はリオンに向かって言った。
『坊ちゃんも結局、
に言いたいことがたくさんあったんじゃないですか』
「僕は何も言ってないぞ」
何を言っているんだとばかりに視線だけをシャルティエに流すリオン。
確かに何も言ってはいない。それでも。
心なし、リオンの気も治まっている。
シャルティエは気づいていた。
『いいですねぇ、物を言わなくても判り合えるって』
「……コアクリスタルの方は大丈夫か?」
思いのほか上機嫌で、しかもあらぬ返事が返ってきたのでリオンは素で聞き返す。
その顔にはかなり嫌そうな表情が浮かんでいた。
が、シャルティエはそんなこと気にもかける様子は無い。
ひたすら幸せに浸っているようなその様子に気味の悪そうな顔をしたリオンの溜息だけが届いた。