STEP8 分岐
翌日、神の眼の積み込みは完了しスタンたちは中庭へと集った。
「英雄の帰還にしては慌ただしいのではないかね?」
「任務はまだ終わっていない。無事に届けるまで、気を抜いている場合じゃないだろう」
「君は有能だね」
微妙な発言が飛び交うウッドロウとリオンをよそにスタンたちは相変わらずはしゃいでいた。
「いよいよねっいよいよ百十万ガルドが私のものに……!」
「……なんで増えてるんだ?」
「税別よっ」
金の亡者ぶりをこんなところで発揮して笑える会話を繰り出しているルーティ。
いつもなら呆れ果てるスタンもにこやかだ。
「それにしても……ハイデルベルグの街には被害が無くて良かったですね」
「あぁ、不幸中の幸いだな。……スタン君もご苦労だったね」
「そんなこと! 確かに大変だったけど……もう、終わったんですから」
「喉元すぎれば、だな」
「ふふーん、なんとでも言えばいいさ」
あまりにも笑顔を絶やさない様に気味が悪いような顔をするリオン。フィリアが微笑ましそうに訊ねたのがまたまずかった。
「スタンさん……何かいいことがあったんですか?」
「もちろん、いいことはたくさんあったけど……やっぱりリオンが信用してくれたからかな」
「えぇっ!? 何よそれ、こいつがそんな発言をしたの!」
「馬鹿者! 曲解するな! ……煽てれば煽てた分だけ調子にのる奴が!」
「そう言えば、ディムロスもそうやってマスターに仕立て上げたんだよね……」
本来だったらここでディムロスの動揺の声が聞えたろう。ソーディアン達は相変わらず沈黙したままだ。
一方スタンはリオンの否定に近い言葉にも
の真実をついた発言にも耳もかさず、満面笑顔でご満悦だった。
最後という最後でまがりなりにも本人の口からその言葉を聞けてよほど嬉しかったのだろう。
……言い方はものすごくひねていた気がするけれど。
きっと彼の中ではかなり美化されているのに違いない。
相変わらずのおめでたさに心の底から溜め息をつきながらリオンはスタンとルーティのティアラをはずした。
「あぁっ! 開放的だわ!」
「……常日頃、装着していることも忘れて暴言を繰り出していたのはどこのどいつだ」
「何よぅ!」
ルーティの非難の声を背に飛行竜のタラップを踏むリオン。
「出発するぞ」
肩越しに振り返るその背にマントが風をはらんで大きくひるがえった。
航行を開始してどれほど時間が経ったろうか。
近しい別れの時まで、しばし共有する時間を思い思いに過ごしながらも時は過ぎて行く。
しかし、リオンだけは姿をみせなかった。
……今ごろベッドで苦しんでいることだろう。
何も聞かずとも彼が乗り物酔いをしていることを知っている
はちょっと同情した。
そんなことを考えつつもなんとなく艦内をふらふらしていると困ったように頭をかきながら通りすがるスタンの姿をみつけた
。
そこがリオンのいる部屋に近いことがわかったので機嫌を伺いに行ってみることにする。
「リオーン?」
控えめがちにノックはしたものの返事はない。
無理矢理かまったスタンは先ほど追い出されたばかりのようだから眠ってはいないだろう。
立て続けに訪問するのもどうかと思ったが、引き返すのも何なので
はそっと扉を開けた。
部屋へ入っても反応がないのでベッドの傍まで歩み寄る。
「大丈夫?」
リオンは伏したまま顔を上げようともしない。
枕もとには水と、オブラートに包まれた薬がいくつか置いてある。
もう飲んだのだろうか?
起きていることを確認して
はリオンに声をかけた。
「リオン?」
あまりにも反応がないので、手を伸ばす。
触れようとした手は見事に振り払われて、リオンはがばりと起き上がった。
しかし支えることは苦しいのかその背中をベッドの端に預けて息を大きくついている。
その様子は触れるな、と告げていた。
「お前ら、どうしてそんなに僕にかまいたがるんだ!」
前触れも無くそう凄むリオンの顔色はひどく思わしくない。
苦しさに歪んだ顔は、今まで見たことがないような表情を浮かべていた。
珍しく声を荒げたリオンに
はしばし沈黙を返す。
『お前ら』。
確かにそう言った。
ということは彼は今、スタンたちのことも考えているんだろう。
たった今、ここにいただろうスタンとの会話だって目に見えるようだ。
スタンの構い方はある意味、容赦が無い。
そこがいいところといえばいいところなのだろうがこんな状態で構うなといわれて構えば、さぞかし逆なでもされるであろう。
その余波をいきなり食らってしまったようだった。
ちょっと悩んだが、
はいつもどおりのトーンで言った。
「あのさ、リオンていつも酔わないでしょ」
「?」
いつもだったらこんなにダイレクトに痛みを伝えてこない。
言葉がなくても、念を重ねるように、伝わらないように態度を装う。
それができないということは、つまりそれほど苦しんでいるということだ。
ここで落ちると落ちっぱなしのような気がして、
は退かなかった。
かといってまともに取合えば、いずれスタン同様追い出されるのは目に見えている。
だから、敢えて言われたことには触れない。
それはとても大事なことではあったのだけれど。
「乗り物酔いじゃなくて──疲れてるんだね」
通常の状態でリオンが乗り物酔いを起こすとは考えにくい。
おそらく要因は精神的な問題だろう。
神の眼奪還の任務も一応の終わりに近づきどっと疲れも出たのかもしれない。
あるいは、これから起こるだろう事に想いをめぐらせているのかもしれない。
いずれにせよ心が疲弊すれば体も自然と疲れを吐き出そうとするものだ。
静かに言うとリオンの瞳から攻撃的な鋭さが消え失せた。
同時に俯き加減に視線を落とす。言葉はない。
「薬は? 飲んだ?」
「……まだ……」
「じゃあ、先に飲まないと。ここにあるのでいいんだよね」
一度落ちたテンションを上げる余力はないのだろう。
それだけ答えるのがようやくのように後は続かなかった。
伏せた瞳がいつもより力無い。
は水差しに手を伸ばして、追い出されずにすんだことを密かに安堵した。
動く気がないらしいリオンがひどく緩慢な動作ながらも薬を口に運んだ事を確認してコップを差し出す。
受取ろうとした左手で危うく落としかけたので、そのまま口元まで運んでやるとおとなしく従った。
薬を飲ませてもう一度横にするとリオンは小さく嘆息をもらす。
すっかり安定したらしい息遣いにほっと息をついて
はその様子を眺めた。
「もういい。一人にしてくれないか」
「うん。あ、そうだ」
「さっきの話ね。スタンじゃないからあまり当たり前のことはいいたくないんだけど……」
リオンは黙っている。話を聞いているのだ。
「心配だからに決まってる」
「ふん、お人よしどもが」
それだけ言って目を閉じる。
そのままあっさりリオンは寝入ってしまった。
「シャル…?」
はベッドサイドに立てかけられたシャルティエを呼んでみたが、やはり返事を聞くことは出来なかった。
* * *
少しだけ物足りない気分で、短い空の旅は終わってしまった。
ダリルシェイドの城内区画に設けられた飛行竜の発着場へ滑るようにランディングすると、兵士たちが出迎える。
「あ~これでようやく罪人の汚名も返上だなっ」
だからそんなことこれっぽっちも意識していなかったろうに。
罪人どころか英雄ですわ、というフィリアの言葉にスタンは照れながらでもまんざらでもないようだった。
城で報告を済まし、ヒューゴ邸へ向かう。
解散の前にささやかながら旅の労を労ってくれるということだ。
王の勅命を受けていた訳ではない
は、彼らが来るまで控えるつもりだったが、スタンたちが部外者扱いをよしとしなかったので王へ面通しがかなっていた。
さすがに、疎外感を抱いていたところへそんな言葉をかけてくれたことはとても嬉しく思う。
ファンダリアからの国賓として城へ残ったウッドロウ以外の一行がヒューゴ邸へ着くとマリアンがにこやかに迎えてくれた。
リオンの頬も思わず緩む。
それはほんのわずかの間であったが、その気は無くてもしっかり見止まっていた。
……多分、初めて見る表情だ。
それはすぐにいつもの沈着冷静なものに戻ってしまったけれど、随分と張り詰めていたものが氷解しているようだった。
瞬間的にそこまで察する
も侮りがたい反面、他のメンバーは全くもっていつもの呑気さなので取りざたする気もない。
そのまま一行は二階の応接室に通された。
「ちょっと……ヒューゴはいつ来るの!?」
先ほど城でも会ったはずだが、報酬の百万ガルドを待ちかねているルーティは落ち着かない。
「もうしばらく、お待ち下さい。本日はこちらに皆様のお部屋を用意致しますので、どうぞおくつろぎになって……」
レンブラント爺がにこにこと相手をしている。
さすが執事だ。タメ口、問い詰めにも動じない。
一度は部屋を出ていたリオン(マリアンのところですか?)も戻ってきて、その様子に呆れた溜め息をついた。
「どこまでもがめつい女だな」
「何とでもいいなさい! 報酬を頂いたらあんたともおさらばよ」
随分寂しいことを言うものだ。
もちろん単なるノリだろうし、リオンも全く気にかけてはいないようだが今のは結構きつい。
珍しく冗談の通じない様子で
の顔も少し曇る。
聞きとがめたのはスタンだった。
「ルーティ……ここまで来てそんなこと言わなくても……」
「あんたね、こいつが別れを惜しむタイプだと思ってるの?」
「オレにも昨日、清々するとか言ったじゃないか!」
「今生の別れじゃあるまいし、大袈裟よ」
その言葉にリオンが一瞬視線を流したことには気づかない。
ちょっとした痴話げんかのような会話にフィリアが苦笑した。
「それでも……なんだかやっぱり寂しいですわ」
「涙を流して惜しむほどの別れでもないだろう」
「お前まで~……きっかけなんかどうでもいいけどさ、役にたっただろ? 仲間としてさ」
「……ふん、少しはな」
口を尖らせたスタンが思い直したように笑顔で言うと、素っ気無い返事が返る。
それでも皆は一瞬、意外そうな顔をした。
それから、ちょっとうれしそうに口元に笑みを浮かべた。
フィリアも、スタンも。
ルーティだけは揚げ足取りを続行する気らしい。
まったく素直じゃない。
「それで? 客員剣士のリオン=マグナス様はこんなところで悠長にしてていいの? 残務処理とか報告とか~まだ城でやることもあるんじゃないの」
「それでも構わんが……王直々に休暇の命が下っている。しばらくはゆっくり休ませてもらうさ」
「マリアンさんと?」
「……っ! マリアンは関係ないだろうっ!」
「あらあら、あんた彼女にだけはなついているみたいだもんねぇ」
さすがにマリアンの話題となると動揺を隠せないリオン。
出立の時、すでにルーティたちはマリアンとリオンのどこか優し気な様子を目撃していたのだろう。
なかなか鋭いご意見だった。
二人の様子に思わず笑顔をこぼしているスタンたちのよそで
の表情はどこか浮かない。
それをどうとったのかルーティが更に調子付こうとした。
「あ、
は知らなかったのよね、あのマリアンさんて人はリオンの……」
「いい加減にしろ!」
意味深なところで終わらないで欲しいのだが(知ってるけど)。
リオンがとうとう本気で怒り出したところで、ノックの音がしてその話は続かなかった。
「ははは、相変わらず元気なことだな」
ノックに続いて現れたのはヒューゴだった。
途端にリオンが表情の色を消して脇に控える。
スタンたちは笑顔で起立してヒューゴに面と向かった。
「ご苦労だったね。君たちの活躍はバルックやイレーヌからも聞き及んでいるよ」
人の良い鷹揚なさまで手を差し出す。スタンは照れながらもその手を握りかえした。
「本当に良くやってくれた」
「いえ、仲間がいてくれたからこそです。オレ一人の力なんて本当に……」
「謙遜することもないだろう。そう言えば、君は仕官を断ったそうだね」
夢だった仕官の道。
スタンはそれを辞退していた。
ディムロスは元々セインガルドのものだ。
沈黙したままの別れは少し寂しかったが今は王城で眠っている。
王はこの度の働きと、使い手としての力も見込んで彼に話しをもちかけたがスタンは「もっと学ぶことがある」と断っていた。
「えぇ、オレ今回の旅でたくさんの人と出会ってたくさんのことを学びました。しばらくはリーネに戻るつもりですけど、またいつか旅に出てみたいと思うんです」
「そうか、それは残念だ……」
こんな場面ならお前にも学習能力があったのか、などと皮肉を叩くであろうリオンはひたすら沈黙を続けていたが、その言葉に伏せていた瞳を上げた。
その視線がちらりとヒューゴを盗み見る。
微妙な韻だ。
協力者でないマスターにダリルシェイドに残ってもらっては目障りなのは目に見えている。
それがわからないスタンたちには優しい苦笑にしか見えないのだろうが、今のはおそらく都合が良い、の裏返しなのだろう。
「前置きはいいわ。ほら、他に言うべき事もあるでしょう?」
「ルーティ、お前な……」
ルーティは上機嫌で広げた手のひらを前に差し出すしぐさをする。
せっかくいいところなのに水を差されたスタンの顔が複雑に歪んだ。
「話があるなら後でもいいのよ! 済ますことは先に済まさないと、気になってゆっくり話せないでしょ!」
それは多分ルーティだけです。
「確かに言う通りだ。安心したまえ、きちんと報奨金は用意してある。それから
君、といったかね」
「え? はい」
水面下の思惑に神経を走らせていた
は、まさか自分に話がふられると思わず弾かれたように顔を上げた。
にこやかなヒューゴの顔がある。今度は何か企んでいるといった顔にはみえなかった。
「君の話も聞き及んでいるよ。君の分も報奨は別に用意させてもらったから、受け取ってくれたまえ」
「え……」
善意以外の何者にも思えない取り計らいだ。咄嗟には素直に喜ぶことができなかったがその太っ腹ぶりにルーティはおおはしゃぎだった。
「良かったわね!」
「……」
複雑な顔が一瞬ルーティに向いて
「いえ、私には必要ありません」
次に
は真っ直ぐにヒューゴに向かった。
強い辞退は毅然としていて、一瞬呆気に取られた沈黙が室内に降りた。ヒューゴの笑みは苦笑に変わっている。
「そういうわけにはいかないだろう。君も立役者だ」
「報奨金はいりません。その代わり、ひとつお願いを聞いてもらえませんか?」
「願い?」
から聞きなれない言葉がいきなり出たのでスタンたちも黙って成り行きを見守っている。
は一瞬視線を落としたが、次の瞬間にははっきりと顔を上げた。
「話をする時間を頂きたいんです。一時間でも三十分でも良いので」
「……私とかね」
「えぇ。お忙しいというのであれば何日でもお待ちします」
淡々と交渉に入った様に
とヒューゴ以外の者に、小さな狼狽が伺える。
ヒューゴはといえば、真っ向
を見ていたが視線を外さぬ様にふ、と小さく笑みを漏らした。
「何日といわずに、明日で良いなら時間をとろう」
「ありがとうございます」
「いや、珍しい武器も持っているとか……少し私も興味があったのでね」
緊張がほころんだかのように二人の顔に笑みが浮かんだ。つられるように場に穏やかな空気が戻る。
だが、リオンだけは相変わらず複雑な表情を押し殺していた。
「どういうつもりなんだ」
「何が?」
ヒューゴの去った後、スタンたち全員が部屋でくつろぎの時間を続行しているとすかさずリオンが聞いてきた。
「ヒューゴ様に言ったことだ。何を企んでいる」
「企むって……大企業の総帥と話すのに、金の価値には代えられない」
「うっわ、そのセリフ、誰かさんに聞かせてやりたいな」
残念ながら今、下に報奨である為替を取りに行っているルーティには聞こえない。
「論点をすりかえるな。何が目的だと聞いているんだ」
「そんな真剣に聞かれても……こんな機会なんてないでしょう? それにヒューゴさん、元学者だっていうし、話をしてみたいと思うのがそんなに悪い?」
「……」
「まぁ、そうなんですか?」
同じ学者筋のフィリアが興味を持ったように聞いてきた。
間に入られるとリオンは話を思うように進められなくなる。
それはそうだ。
問い詰めようとしている意味がスタンたちと全く異なるのだから。
「うん、考古学者だって。リオンのシャルティエもその時にみつけたんでしょう?」
ついでに言うならアトワイトとベルセリオスも。
ごく普通の会話になってリオンはそれ以上追求することを諦めた。
「
ってやっぱり学者なんだな。記憶無くてもそういうことに興味あるなんて」
「あっ、そうですわ。もしよろしければストレイライズ神殿の方にもいらして下さいな。知識の塔をご案内しますわ。きっと飽きないと思いますわよ」
「あぁ、いいねそれ。リオン、どうせ休暇だったら一緒にいかない?」
「僕にはやることがある。学びたいことがたくさんあるらしいスタンでも連れていったらどうだ」
「えぇっ!? そ、それはちょっと……」
間違いなく本を枕に寝るだろう。
それとも本に囲まれるストレスで発狂するかもしれない。
誰もがそんなことを思い浮かべて、束の間の戯れを堪能していた。
リオンも、
も
この先に訪れるだろうことを知りながら─────
「あら?
、調子はどーぉ?」
なぜ調子を聞かれるのかは疑問だが、庭に面したテラスで風に当たっているとルーティがやってきた。
とても上機嫌だ。今の発言も機嫌の良さの賜物なのだろう。意味はきっと無い。
「ルーティ……用は足りそう?」
「え? 何が」
「お金」
いきなり言われて目を丸くしたがルーティはふふっ、といつもより心なし、おとなしく笑った。
「あんたも私のこと、守銭奴だと思ってる?」
風評まで流れるくらいなのだから、何も知らない人なら思わない方がおかしいのでは。
なんてことは言えるはずが無い。
そもそもそういう意味ではないし。
「そうじゃなくて……」
はポケットから紙片を取り出してルーティに渡した。
ヒューゴから渡された「報奨」だった。
「え? これ……」
「ヒューゴさん、結局くれたんだよね。『あって困るものじゃない』って。だったらルーティだってそうでしょう? あげるよ」
「でも……これはあんたの分なのよ。これからどうするかだって決まってないんでしょう? 絶対必要になるわ」
戸惑いながらもらしくないことを言う。まるでアトワイトみたいだ、と思った。
「それは自分にとっても絶対必要な人じゃないと考え付かないことだと思うよ。────何か、目的があったんでしょう?」
ルーティにとってもあればあるだけ役に立つだろうことは知っている。
しょうがないのでそう言うとルーティは衝かれたように俯いて、それから顔を上げて、今度は困ったように笑った。
「あんたって……本当にお見通しね」
それから隣に来て庭にたゆたう闇の奥をじっとみつめる。
そして、ためらいながらも静かに口を開いた。
「あのね、私、孤児なの」
「そう」
あまりにもあっさりした反応にうろたえたのはルーティの方だった。
いつも気勢のある彼女にとっては勇気ある告白だったろう。
それを打ち明けてくれるならやはり嬉しいものだ。もちろん知っていたこともあるが
は貶しも褒めもしない。
ルーティの顔に苦笑が浮かんだ。
「なんとも思わないの?」
「別に。血の繋がりがすべてじゃないし、私は家族でも他人だと思ってるから」
「え?」
意外な言葉にこんどは目を丸くする。
は豊かな表情の変化に全く忙しいことだと笑うが、彼女の相手をまじめにするつもりなら偏見は捨てておいた方がいいだろう。
最も、自覚はあるからそれを展開するのも十八番の内だ。
「……というと大抵は誤解すると思うけどね。血は繋がってなくても家族にはなれるでしょう? そういうこと」
夢を継ぐのも自分の子供とは限らない。
自分の血に対するエゴではなくて、その人自身を大事にしたい。
だから、血の繋がりは二の次だ。
誰よりも、肉親の愛に飢えていたルーティにとっては少々反目するところもあるかもしれない。
それでもルーティなら知っているはずだった。
彼女にとって、孤児院の子供たちやシスターは紛れも無い大切な「家族」なのだろうから。
「もちろん、血の繋がった家族がいるならそれもいい。だけど、世の中には親子だから、っていうだけで過信して理解し合うことを放棄する人もたくさんいるよ。ルーティたちにとっては……勿体無いことだと思うかもしれないけど、そこにあることが当たり前だから、気づかない」
ルーティは黙って聞いていた。
彼女は理解しようとしている。
だから、続けた。
「考え方も価値観も違う「他人」だから、お互い尊重し合えば理解ができる。それには血の繋がりなんて……関係ないんじゃないのかな。私、自分の親と血が繋がってない、って言われても……多分、驚かないね。それで今の何かが変わるわけじゃないし」
「……」
後段を聞いて呆気にとられたルーティがぷっ、と吹き出した。きっと衝撃の告白をさらりと受け流す様を想像したんだろう。
「それで、もし本当にそんなことになったらどうするの?」
「それはそれで夢がある、かな」
「夢?」
「私の親はものすごい天才かもしれない、とか。親が他の人の倍いるっていうのもポイントだろうね」
「育ててくれた人も、親には違いないのね」
「ルーティは違うの?」
「ううん、きっとそう。今は何より大事だと思ってるわ」
先ほどとは違う、どこか清々しい顔でルーティは語り出す。
「あのね、私がお金を貯めてた理由……本当は、育った孤児院が潰れそうだったからなの」
「うん」
「もの凄く借金を抱えていてね、私を育ててくれた人たちが困ってた。一緒に育ったチビどもだって、そこがなくなったらどうしようもないわ」
「大事な家だからね」
「うん。だから……お金が必要だったの」
「だから、あって足りなりことはないね」
さらりと言うとルーティは手もとの紙片に視線を落とした。
「ほんとに……いいの?」
「自分の分は自分で貯めたからいらない」
いつのまに。
ちゃっかり貯えているらしい
にルーティが目ををぱちくりとする。
それから腹をかかえて笑い出した。
涙が出るほどひとしきり笑って、さっぱりしたように大きく息をつくルーティ。
涙を拭うしぐさをしながら
に顔を向けた。
「私……誰かに、話したかったのかも。話したら、なんだかすっきりしちゃった! ……なーんて実はスタンにもつい昨日話したばっかなんだけどね」
そう笑った顔は憑き物が落ちたようだった。
それからとりとめのない話をしていると、ふと、ルーティが聞いてきた。
「明日、ヒューゴに会って何を話すつもりなの?」
他愛も無い質問だ。
はちょっと考えるように視線を上へ泳がせると応えた。
「……色々。だけど、オベロン社で雇ってもらえたらよくない?」
「それ、いいわね」
冗談だかよくわからない発言をルーティがどう解釈したのかは謎だ。
しかし、最終的には「それもいける」と判断したのか目を輝かして身を乗り出した。
「そうしたら、いつだってどこにいるかわかるし。身の振り方としては悪くないわ」
うんうん、と腕を組んで一人で納得している。
それであっさり断られたらはっきりいってシャレにはならないのだが。
感心したようにルーティの視線が
を捕らえる。
「あんたって、先を見通す力があるわよね」
「そう、かもね。……その上で全て投げ出すには勇気がいるよ」
苦笑と共に落とした言葉はルーティには理解できなかった。
不思議そうな顔で見ていたが、やがて静かに微笑むとルーティは視線を遠くへ投げた。
「安心しなさいよ。あんたが困ったことがあったら、私、力になってあげるから」
見ればテラスの手すりに両手で頬杖をついて、また機嫌のよさそうな笑みを浮かべていた。
「私、気づいたの。スタンじゃないけど……たくさんの人に助けてもらったな、
って。あのクソガキだって……まぁいなければここまで来られなかったわよね」
「そうだね。私は誰が欠けても嫌だな」
「そう! それよ。だから、もしあんたが困った時は……遠慮なく言ってね! ……特別割引きにしてあげるわ」
それでもまだ金か。
長年、染み付いた習性は目標を達成してもなかなか消えそうにない、
は思った。
「頼りにしてるよ」
それでもルーティらしい。
これから訪れるだろうことを前に心強い言葉だった。
スタンたちが名残の時間を惜しんでいる間、
はヒューゴに呼ばれ彼の書斎へやってきていた。
マリアンに案内されて部屋に入ると、ヒューゴと……リオンがいた。
なぜリオンまで同席しているのか。
介するというよりも単なる立会いのためなのだろうが……
できれば、話は聞かれたくない。
予想外な面子に
は心の中で歯噛みしたが、今さら退くこともできずにヒューゴの前の席を勧められ、落ち着いた。
肝心なことを何も話してもいない内から気まずい気分になるのはなぜだろう。
それはこれから「ウソ」を言うから? それとも「ホント」を言うからだろうか。
は一瞬悩んだが、動揺していても何にもならないと思い起こし、予定通りに話を進めることを決め込んだ。
包み隠さず全て話す。
初めは、穏やかな談笑から考古学の話を発端に、天地戦争、ソーディアン。
そして、次第に話は中核に食い込んでいく。
イグナシー、シュサイア、ミックハイル、ロディオン。
ヘルレイオス、クラウディス、そしてアンスズーン……
現代に知る者は居ないはずのダイクロフトをとりまく四つの中継都市と三つの空中都市郡。
そして、その特徴。
惜しみなく持てる情報は吐き出した。
今まで話す機会も、必要も無かったのだ。
これほど「知っている」とは思わなかったのだろう。
リオンがヒューゴの後ろで次々と明るみにされる知識の深層に驚いたような顔をして、だが刻一刻とその表情が苦々しいものに変わっていくのに
は気付いていた。
まるで対照的に、ヒューゴは
との会話に傾倒している。
「そうか、君はすばらしい知識をもっているようだね」
心の底から感心したように、一息つくとヒューゴは自分の顎に指をからめた。
やや、沈黙があってわずかに思考のために伏せていた瞳が
を見据える。
「――もしよければ、それを我が社の為に使ってみてはくれないだろうか」
来た。
記憶の無い人間が持ち合わせる知識。
そしてこの世界にあるはずも無い銃も見せればヒューゴが興味を抱くのは必然だった。
これからの事態を思って緊張しながら、
あるいは自分の読みがうまくいったことに安堵しながらも笑みを湛えて
は応じる。
「えぇ、私でよければ。力になります、ヒューゴさん」
「馬鹿か、お前は! なぜ銃をヒューゴに見せた、その知識もだ!」
ヒューゴと、彼を呼びに来た従者の足音が十分に遠ざかったのを確認してリオンは
を振り返った。
振り返るなり先ほどまでの寡黙さがウソのように態度を一変させてくってかかる。
ヒューゴが力あるものに興味を示すのはわかりきっていることだった。
そうやって、ここまでたどり着いた。そうしていらなくなったものは容赦なく切り捨てる。
それでも、戯れ程度で話は終わると思っていた。
まさかあれほどあからさまに
が手の内を明かすとは思っていなかったのだ。
いや、リオンですらそんな手駒を持ち合わせているとは知らなかった。
リオンは
の返答も待たずに、叱責する。
「お前は自分のしたことの重大さがわかっていない! オベロン社に関わるな。今すぐにこの屋敷を出るんだ!」
彼もこれから起るだろうことを知っている。
だからこそリオンは今までに無いほど真剣に
を叱り付けた。
自分の命が惜しいなら、屋敷を出るか、
危険を承知で、ヒューゴの手に落ちるか。
選んだのは既に大分前のことだ。
もう引き返せない。
はまっすぐにリオンを見返した。
「みつけた居場所を失うわけにはいかない」
真意は彼に届いたのだろうか。
他にも言いようもあるだろうに、あえて誤解を招くような言葉を選んでしまった。
どこまでもひねているな、と思いつつ。
張り詰めた沈黙に耐え切れなくなったようにリオンは小さくバカが、と呟いて部屋を出て行った。
……例え、彼に罵倒されても、もう引き返すわけにはいかない。
スタンたちは何も知らずに、それぞれの故郷へと帰っていった。
リオンも
も、いつもと同じ調子でそれぞれを見送り、それから数日が過ぎた。
神の眼が再び安置される、その直前。
リオンがヒューゴに呼ばれて彼の部屋へ行くと、そこにはレンブラント、バルック、そしてイレーヌの姿があった。
いよいよか…
複雑な思いで、リオンはヒューゴの後ろに控え立つ。
メンバーがそろったことで鷹揚に頷いてヒューゴは切り出した。
「さて、いよいよ貴公らに働いてもらう時が来た」
ある種の覚悟にも似た強い意志を宿して、ヒューゴの前にいる三人が神妙に頷く。
「その前に、もう一人新しい仲間を紹介しなければならない」
まるで待っていたかのように、ノックの音が響き、マリアンではないメイドが扉を開け、中へと客を通した。
「ヒューゴ様、
様をお連れ致しました」
「!」
まさか。
ヒューゴが彼女に興味を持つのは必然だった。
しかし、このメンバーの中に何も知らない彼女を加えるなどと……
酔狂だ。
入ってきた彼女の姿を見て、リオンの顔は心の中で舌打ちをする。
だがしかし、ヒューゴは毒を隠した穏やかな笑みを作って彼女を迎える。
「レンブラントは既に知っているだろう。あの二人は…」
「バルックさんとイレーヌさんですね。いつぞやはお世話になりました」
淡々と。
述べる彼女にイレーヌとバルックは安堵の笑みを送った。
「まさか君だったとは……」
「そう、彼女はすばらしい知識の持ち主だ。ぜひ我々の手助けをしてもらおうとこうして呼んだのだよ」
「心強いわ、よろしく。
さん」
途端に場を満たしたどこか和やかな空気。
毒気を抜かれたようにリオンは成り行きを見守った。
「さて、神の眼が今後どうなるか、君は知っているかね」
「はい、存じています。……セインガルド城への安置ですね」
「そう、表向きはな」
は知っている。
だから彼女がその言葉に驚くことは無かった。もう、驚くフリすらする気はない。
その冷然たる沈黙にヒューゴは言葉を続けた。
「あれほど強大なパワーを持つものをこれほど人の近くに置いておくわけには行かない。
我々は、人知れず神の眼をここより遠い場所に封印することを王から命じられている」
よくも抜け抜けと。
ヒューゴの後ろに立つリオンの瞳に明らかに怒りの色が浮かんだ。
憎しみにも似た視線で睨めつける。
ヒューゴは笑みをたたえたまま続けた。
「我々は別行動だ。先に行って準備をしているから
君はリオンと一緒に、神の眼を送り届けて欲しい」
ヒューゴは続ける。
「場所は、ここから北東の島にある海底洞窟。放棄されたオベロン社の廃工場から入るのだが、ガードシステムが複雑でな。君には搬送経路の指示とセキュリティの解除を頼みたい」
「……わかりました、お引き受けします」
「リオン」
「……っ、はい」
急に振られて、我に返ったように返事をするリオン。
「説明は任せる。彼女を連れて私の元に来るんだ」
「――承知しました」
「さぁ、もう少し準備に時間がかかりそうだ。それまではゆっくり休んでいてくれ」
満足そうに微笑むヒューゴの前で、
は一礼をした。