僕は、僕の道を進む。
もう会うことはないだろう。
STEP9 運命の皮肉
ヒューゴが神の眼を運び出す計画を実行に移すまで大して時間はかからなかった。
セインガルドに再び安置という名の封印を施される前に運び出さなければならない。
城の用意が整う前に飛行竜ごと持ち去るのが得策だろう。
その間、
は「任務」の内容を把握するためライブラⅣの見取り図と格闘していた。
極秘情報を漏らさないためという名目で屋敷の外に出ることは許されていない。
当然だ。
万一城へなどいかれて「何も知らない」
の口から計画の齟齬を知られてしまったら話にならないのだから。
おそらくは決行前日。
意外なことに
はマリアンに会った。
もう、どこかで「人質」として辛い目に会っているのではないかと思っていた矢先だ。
食堂に行くとリオンが食事をとっていた。
浮かない顔。
どんな方法でか、おそらくもう彼女を逃がすことができない状況に追い込まれているのだろう。
その隣では、何も知らないマリアンがにこにこと優しい笑みを浮かべていた。
「
さんも何か召し上がる?」
「はい、スープだけ頂けますか?」
マリアンが座をはずすとなんとも気まずい空気が流れる。
リオンとはあれ以来、顔をあわせてもロクに口もきいていない。
それどころか避けるように目線すら合わせることもなくなった。
口を開けば、会ったばかりの頃に……いや、それよりも冷たい口調で任務遂行の為の無機質なやりとりが行なわれるだけ。
わずかばかりの沈黙に苦笑しながら待っているとマリアンはすぐに戻ってきてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
温かなスープを口に運びながら黙々と。
その様子を不思議そうに見ながらマリアンの方から二人に話し掛けてきた。
「二人とも、疲れているのではないの?」
「え?」
顔を上げると心配そうな微笑をたたえたマリアンの顔。
「リオンもここのところ、ずっとこうなのよ。ヒューゴ様もお忙しそうだし……お勤め、大変なのでしょう?」
「……。マリアン、余計なことは言わないでくれ」
ようやく口を開いたリオンに向けられる優しい苦笑。
あぁリオンが想うだけあっていい人だな。
マリアンの笑顔を見ながら
の口元がわずかにほころんだ。
その時、オベロン社の制服をまとった青年が書類を片手に現れた。
「リオン様! ……と、
様もご一緒でしたか」
「どうした?」
「ヒューゴ様から例の計画の……実行命令を預かって参りました」
「!」
「確認したらすぐにとりかかるようにとの伝言です」
リオンと
は同時に立ち上がって食堂から出て行く。
心配そうに食堂から彼らを覗くマリアンの視線を背に受けながら、その戸口で青年の声に耳を傾ける。
『例の計画』。
彼もまた、ヒューゴに謀られている一人なのだろうか。
それとも知っていて協力しているのだろうか。
話を頭に入れながらも一方でぼんやり考えていると、彼は
を見て
「それで移転先のセキュリティカードですが……」
「いい、後は僕が説明しておく。お前は次の仕事にかかってくれ」
差し出しかけたその手から小さなケースを取ってリオンが制する。
青年は素直に、はいと答えると背中を向けて小走りに去っていった。
「ねぇ、リオン」
「なんだ」
相変わらずライブラⅣの見取り図を手に。
は長い廊下を歩きながら振り返らないその背に問いかけた。
「もう、馬鹿者が、とか言ってくれないわけ?」
「…」
表情を隠す黒髪の下で微かに瞳が揺らいだことを、
が知る由も無い。
彼はそれには答えず、ただ歩を進めた。
『坊ちゃん…』
マントの下で呟く、数日前に目覚めたシャルティエの声。
促されるように。
足を止め、
を見返したその紫闇の瞳には冷たく、感情を排除した光が宿っていた。
「決行は今夜二十六時。
僕はこれからやることがある。お前はその時間になったら違えずフライトエリアへ来い」
それだけ言い放って踵を返す。
そのまま彼は屋敷から出て行った。
その後姿をはるか遠くに感じながら、
は自分のなすべきことを成すために部屋へと戻った。
深夜。
はヒューゴ邸を後にした。
久々に外へ出た気がする。
風に触れたのも星空を見るのもなんだかずっと前のことのようだ。
しかし、悠長なことは言っていられず、足取りはまっすぐに城へと向いていた。
「?」
ヒューゴの取り計らいもあって、衛兵はスルーパスだ。
しかし、更に奥へ足を向けたところでふいに喧騒を聞いた気がして立ち止まった。
耳を澄ますと昼間なら大したうるささではないだろに、それは夜の静寂にとても騒がしく届いてくる。
時間はまだあるはずだがもうバレてしまったのだろうか。
しかしフライトさえしてしまえば世界に唯一の飛行竜に追いつくものはいない。
ダイクロフトを復活させることが目的なら発見時間の多少の前後は何も問題はないはずだ。
は閑散とした薄暗い通路を一気に駆け抜けた。
が。
「お待ちなさい」
の前に毅然と美しい女性が立ちふさがった。
フライトエリアはまだ先だ。
「ミライナ将軍……」
「あなたはリオン君と一緒にいた
、ね?」
「……」
なぜこんな時間、こんなところに将軍が。
いや、将軍が登城しているということは既にリオンたちにとって好ましくない状況になっている可能性も高い。
どこまで知っている?
は、剣を抜く気配の無いミライナの様子をさぐった。
「あなたはなぜこんなところにいるの? それともあなたも飛行竜が飛び去るのを見てここに?」
「え……?」
飛び去った?
言われた意味が理解できずに、一瞬呆ける
。
「……その様子だと、違うようね」
「飛行竜が?どうしたって言うんです?」
「……」
ミライナはわずかにためらったが真摯な問い詰めに口を割った。
「ちょうど一時間ほど前に消えたわ。こんな時刻にフライトの予定なんてなかったのに」
神の眼の行方と共に。
その言葉はミライナからは出ることはなかった。
「一時間前……」
時計を見ると時は一時と四十五分を指し示ている。
出発は二十六時。
その時間になったら違えずに。
やられた──……
がくりと膝から力が抜けて
はミライナの前に座り込む。
決死の選択でもあった。
だからそれなりに覚悟もしていた。
もうこのまま走っていけると思っていた。
なのに。
リオンは自ら、彼女の選択を翻えさせてしまった。
は運命、という言葉を好んで使うことは無かったがさすがに、この時ばかりはそんな言葉が思い浮かんで振り払えなかった。
これは確かに現実であるはずなのに。
まるでおあつらえのように、シナリオは変わらない。
なんと言う運命の皮肉なのだろう。
血の気の失せた顔で膝を折ったその様子がおかしいことでミライナが
を引きとめたが、
はそれ以上、口を開くこともなく思い立ったように、城から去った。
気が付けば、ヒューゴの屋敷に戻ってきている。
もう、ここにはリオンもマリアンもいない。
分かりつつも行き場を失ったような気分で門をくぐる。
暗いホールに入ると夜警の私兵に呼び止められた。
「
様、ですね? リオン様から預かっているものがあります」
「!」
そういって彼が取り出したのは飾り気のない封筒だった。
受け取ってすぐに中を確認する。
手紙と、カードキー。そしてエメラルドリングが手の平に滑り落ちた。
手紙には短い言葉が書き記されている。
これから起こるだろうことに対する警告と、逃げろと言う言葉。
そして最後に
『馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、
やはりお前はとんでもない大馬鹿者だ』
「リオン……」
手紙らしからぬ一言。
最後に見た背中を思い出す。
その時、欲しかったいつもの彼の言葉がそこに書き記されていた。
飛行竜の消えたその後……当然に、翌日は大きな騒ぎとなった。
ただし神の眼奪還の任務も「密命」であった為、表向き街はいつもと変わらず、一部城内とオベロン社だけが騒然としている。
初めは疑いもなく、ヒューゴの邸宅にも報せが入った。それからヒューゴとリオンが消えたことが発覚し、今は他の幹部の所在が捜索されているところだ。
いずれにせよ誰も発見されることはないだろう。
彼らは今ごろ、城の人間が知るはずも無いダイクロフトの眠る場所へ向かっているのだろうから。
はオベロン社に配属されてから間も無い為、知らぬ存ぜぬと答えれば大した聴取もされずに放免されていた。
素直に吐露して早い段階で追うことも考えたが、今の状況では必ずしも得策とは言えない。
先走って軍など差し向けられたらそれこそ事実などうやむやにされる恐れがある。
とすれば。
城から召集されるだろうスタンたちを待つしかなかった。
『
! これはどういうことなのだ!』
早すぎる再開を喜ぶ言葉よりも先に、ディムロスが叱責に近い口調で問うた。
さすがにスタンに非難交じりの口調でたしなめられて、バツが悪そうに謝ったが神の眼の恐ろしさはむしろソーディアン達の方が身にしみている。
無闇に気が荒立つのも仕方ないことなのだろう。
「ヒューゴとあいつが飛行竜と消えた、って本当なの?」
既に彼らは王城で事の顛末を聞いていたはずだが、腑に落ちないようにルーティが訊ねてくる。
事実を突き付けられても疑いきれなどしない。
それは人となりを知っていてこそだ。
が頷くとディムロスが急かすように続ける。
『彼らはどこに行った。見当もつかんのか?』
『ディムロス、駄目よ。それがわかっていたら私たちより早く城の人たちだって動いているわ』
は何も知らない、それは聞き及んでいる。
うなるように黙るディムロスとアトワイトから視線をゆっくりとマスターたちに戻した
。
「ライブラⅣ」
「……え?」
一言だけ言うと途方に暮れるスタンが顔を上げた。
「ここから北東の海域に小さな島があってそこにオベロン社の廃工場がある。ヒューゴもリオンも、今頃はそこにいるはず」
「!?」
「
さん……知って……?」
「うん。誰にも話してない」
視線を斜めに落としてから
は辺りの人影の無いことを確認して、彼らをそのまま人気のない港の片隅に導いた。
彼女が黙していたからには、他には話せない重要な話だろうとスタンたちも神妙な顔で従う。
打ち寄せる波の音だけが響く倉庫の前まで来ると、
は振返って真っ直ぐに彼らを見返した。
誰からも言葉が上がらないのを確認して、語り出す。
「私は神の眼をリオンと一緒に運ぶ予定だった」
当然、仲間たちの驚く顔。
「ヒューゴは、『安置場所として城はフェイクだから人の目のつかないところへ運ぶ』って言ってたけどね」
「え? ってことは別に悪用されるとか言うことじゃなくて……」
『馬鹿者、だったら王や将軍まで知らない訳が無いだろう!』
どこまでもお人好しなスタン。
そんな可能性だったらどんなに良いか。
苦笑を漏らしながら
は続ける。
「そう。それで彼らはおそらくあの晩に全員がライブラⅣへと向かったはず」
「彼ら、というのは?」
リオン以外の別の誰かを指している。
その意味に目ざとく聞きつけたのはウッドロウだ。
「ヒューゴにリオン……それからイレーヌとバルック、レンブラント」
「い、イレーヌさんたちまで!?」
「出発予定の前日に会ったから。召集されてたんだろうね」
『それで……? あなたはどうしてここにいるの。……彼らのしようとしていることに気づいたの?』
「いや」
知ってはいた。
けれどはじめから確信犯なのだから『気づく』という表現は合っていないだろう。
誤解をされて、愚か者でも構わない。
はそれには触れずに
「リオンが……私に嘘の召集時間を教えた」
それだけ答えた。
「!?」
「搬送ルートの確保は私の仕事だった。予定の時間に行った時には、もう飛行竜は出発した後だった」
「リオンさんが……」
戸惑った空気が流れてくる。
誰もが『
を逃がした』ことを理解してくれたようだった。
ただ、ウッドロウだけが現実を直視している。
「ではリオン君は知っていたのだな? いずれヒューゴが神の眼を持ち去ることも。ソーディアン達にあのディスクを装着させた時からか……?」
やはりやられた、と苦々しい顔で歯噛みする。
そんな……、と呟きを落とすスタンやフィリアの心に落とした痛みなどおかまいもなしに。
「リオンが……そんなことをするはずが……」
「スタン君、既に事は起きてしまっているんだ。信じたいという気持ちはわかるが、それだけでは済まされない。神の眼が奪われればどうなるか、わかっているだろう?」
厳しい口調で言いきかせるウッドロウの言葉に
の表情が不快げに歪められたことなど彼が気がつく由はない。
続ける言葉が、ついに逆鱗に触れた。
「彼らが神の眼を奪い去った以上、我々は一刻も早く奪還せねば……」
「ちっともわかっていないのはどちらですか」
ふいの発言に言われていることがわからず呆気に取られた顔を返すウッドロウ。
知らないなら知らないで構わないのに、まるで全てが必然のようになでつけるその様がひどく腹立たしかった。
「あなたの言いたいこともわかります。でもそれは王として、公人故の可能性ですね? 仲間としてはどうなのですか」
どこか憤慨したような。
なぜ悪い可能性の前に、良い可能性を、あるいは「自分が知っているはずのこと」を信じようとしないのだろうか。
大人というのは全く打算的だ。
ウッドロウが王である限り、最悪の事態を考えなければならないことも解ってはいたが。
ここにいるのは、王として、ソーディアンマスターとしてただ責任を全うすべく参集したウッドロウなのか、それとも一個の人間としての彼なのか。
に真正面から見据えられたウッドロウも何も言い返せずにいた。
言葉を失ったままの彼から視線を流すと
はまっすぐにスタンに向き直る。
「スタン、私はリオンから手紙を受け取っている。それからライブラⅣのマスターキーも」
「手紙とキー?」
「そう、手紙には『逃げろ』と書いてあった。だけど手紙と一緒に入っていたのはこのカードキー。この意味がわかる?」
矛盾している。
だが、それの意味するところは──
「追え、ってことね?」
あるいは逃げろといって聞かないことを、
ソーディアンマスターたちが追ってくることを
全て彼は理解していたのかもしれない。
ひたすら黙って成り行きをみつめていたルーティが静かに言うと、スタンたちは顔を見合わせた。
「リオンは、この結末を望んでいない」
自分自身を止める、というよりはおそらく。
その先にあるだろう結末を、覚悟の先に起こるのだろう出来事までも示唆している気もしてならない。
それは彼の覚悟とは全く別にあるところで起こること。
「じゃあ、どうして?」
リオンのことだ。
その答えは誰にも言わないだろう。
知っているはずなどないことはわかっているだろうにルーティは訊かずにいられなかった。
しかし
は知っている。
「あの夜からマリアンさんの姿も無かった」
「まさか……人質に!?」
「……スタン、リオンを信じてくれる?」
皆まで言わなくてもスタンは人の気持ちには聡い。
真摯に言えば、スタンもまたまっすぐな瞳で強く頷いた。
「オレ、信じるよ」
それから一転して明るい笑顔を浮かべるスタン。
「言われなくても、当然だろ。仲間なんだから!」
……またそういうことを恥ずかし気も無く…
面食らってからふっと笑うとフィリアもにっこりと当たり前の笑顔で、当たり前に言う。
「そうですわ、わたくしたちはリオンさんを信じます」
「かよわい女性までまきこんでヒューゴのヤツ、ぼこぼこにしてやるわ!」
そうして、
は最後にウッドロウを見た。
どこか沈んだ複雑な面持ちで。
しかし彼もまた困ったような笑顔を
に返したのだった。
「すまない、私は何も知らずに……君の言うとおりだ、私も信じよう。一人の仲間として、彼を」
「いいえ、私も……申し訳ありません。あなたの立場は分かっているはずなのに……でも、……ありがとう」
湛える笑みは強い。
ここに、仲間たちから迷いが消えたことを確信する。
ならば次は何をすべきか考えなければ。
時間はあまり無い。
「クレメンテ、ベルナルドを呼べますか?」
先へ進むために
は頭を切り替えた。
ライブラⅣへ行くなら海竜を使うほうが良い。
はリオンを引きずってでもあの場所から引き離すつもりだった。
ヒューゴたちの使った飛行竜もあるはずだが万一、飛行竜のフライトに間に合わなかった場合、脱出のための次の手を残しておくべきだ。
『うむ、少々待っておれ』
「スタンは城へ行って、もう一度、顛末を報告してきて。他の皆は戻ったらすぐに出発できるように準備を」
「城に行くならそのまま船の出向許可をもらってもいいんじゃない?」
「ライブラⅣで何かあったら? 万一、神の眼の力を開放されるようなことがあったら……」
ダイクロフトが浮上したら。
「帆船なんかじゃ乗り切れない」
それを聞いて、仲間たちがごくりと喉を鳴らすのがわかった。
「わかった。すぐに行ってくるから待ってて!」
「フィリアはヒューゴ邸へ行って……リオンの部屋にライブラⅣの下層地図があるはずだから持ってきてくれる? 鍵は守衛が持ってる」
「
は入れないの?」
「うん、私は入れないように口聞きされて守衛から鍵を貸してもらえない。だけど王様に招集されたソーディアンマスターなら話は別なはずだから」
「わかりましたわ、行って参ります」
それから
他にすべきことは?
考えろ、考えるんだ──
「ねぇ、
」
「……?」
各々を見送りながら、目まぐるしく思考をまわす背中にルーティの心配そうな声がかかり、
は意識を引き戻した。
「私……ううん、私たち、あいつを信じるわ。だからあんたも私たちのこと、信じてよ」
ルーティはこの先に起こることを知らない。
けれどその言葉は確かに心強く暖かいもので。
肩に置かれた手に見上げるとウッドロウが強く頷いた。
「うん、ありがとう。……頼りにしてるよ」
ここまで来て、できることは…
何なのだろう。
それでも、行かないと。
ベルナルドの航行速度は帆船の比ではない。
結局、船を使うよりもずっと早く島へたどり着いて
は鈍い光を鈍く放つ頑丈な桟橋へ足をかけた。
『本当に廃工場……なのか?』
程近い、建物から中へ入る。
格納庫のような無機質なコンクリートの広場を抜けると、重い金属のドアが立ちふさがっていた。
取っ手も無いドアは明らかに電磁ロックだ。
見慣れない光景にスタンはあたりを見回していたが、
はカードキーを取り出すと、ドアの横の柱についているリーダーにカードをくぐらせた。
「どう見ても生きてるわね」
スライドしたドアを抜け、中に入ればますますお目にかかったことの無い科学的な計器をまとったメタリックな通路が続く。
奥には忙しそうに行き交うたくさんの人間の気配があった。
「どうする?」
「このまま行く」
「え……って
!」
仲間たちの制止も聞かず、
は真っ直ぐに通路を進む。
地図は既に頭の中に叩き込んであるので向かう場所は知れたものだった。
しかし、もちろん出会ったオベロン社の人間が見咎めないはずが無い。
「お前たち、侵入者だな!?」
おそらくここに配置されているのは、ヒューゴの『信頼の置ける』部下なのだろう。
このまま島ごと切り捨てられるとも知らずに与えられた仕事を全うしようとしている。
非常用ボタンを押そうとしたそれより前に
が声を上げた。
「待ちなさい。私はリオン=マグナスと一緒に神の眼を運ぶ手はずになっていた
です」
「!?」
もちろん、それだけで〝はい、そうですか〟という訳はなく社員は訝しげに顔を歪めた。
それから彼らを注意深く見る。
そして、
がオベロン社のエンブレムの縫いこまれたコートをまとっていることに気づいた。後ろの面子が怪しすぎて気づかなかったらしい。
「話くらい聞いているでしょう」
ここで足止めをされているヒマは無いのだ。
すかさずカードキーを提示する。
「リオンが持っていたのはサブキー。こちらが本物。何ならそこのゲートで試してみようか? もちろん認証コードも知っている」
そこまで言われて事を荒げるほど疑う者はいなかった。
騒ぎを聞きつけてやってきた社員たちが動揺する中、黙って
はまっすぐにゲートへ進む。
剣の柄にかけた手を放し、おどおどと様子を伺いながらも続くスタンの前で
は操作パネルに指を走らせた。
軽い電磁音と共に扉がスライドする。
淀みのないその様子に、戸惑いながらも社員たちはただ見送るしかなかった。
そうして認証コードとキーを繰り返し使いあっけないほどに最下層へとたどり着く。
「こんなところにこんな空洞が……?」
長いエレベータの終わり、最後の扉が開くと一変して眼前に広がった偉大な自然の景観。
地上層よりよほど広い空洞を前にスタンたちは息を呑んで辺りを見回した。
アクアヴェイルの鍾乳洞よりも遥かに広くて、深い空間だ。
ただ、人の出入りがしばしばあったのだろう。点々と明かりが灯され道なき道を描き出している。
『ここは……何なのだ』
神の眼を封印するならば、こんなに適した場所も無いだろう。
だが、ヒューゴたちはその逆に使おうとしている。
計りかねてディムロスが声を上げた。
「この場所自体に意味はない。ヒューゴはこの先にあるものへ神の眼を運ぼうとしているだけ」
『この先にあるもの?』
答えれば当然聞かれるだろうことだった。
自分から話すつもりはなかったが、ウソをつくことも出来ず
は苦い気持ちと共に仕方なしに事実を告げる。
「天上都市ダイクロフト」
「「『!?』」」
一斉に返ってきたのはやはり驚愕だ。
気持ちとは裏腹に無表情にも近い
の横顔に自然、視線は集まった。
しかし、それより先に声を上げたのはやはりディムロスだった。
『ダイクロフトだと!? やつらはダイクロフトを復活されるつもりなのか!』
やつら。
一体誰までそこに入っているのだろう。
心に言いようのない痛みを覚えつつ、遠くに思う気などディムロスは知る由がない。
『ダイクロフトが……こんなところに眠っていたなんて』
「何よ、知らなかったの?」
『アトワイトたちが凍結されたのはダイクロフトが沈められる前なんじゃ。ソーディアンの凍結はラディスロウと共に封印されたワシが最後じゃった』
「クレメンテ様は、ご存知だったんですか?」
『この辺りの海域ということはな……しかし現代を見る限り、復活させる技術などないはずじゃ。例え、動力源である神の眼だけが運び込まれたとしても、浮上など不可能なのだと。
よもやとは思っておったが……』
「それを、可能にするのがオベロン社、だったってわけね」
知っている者はうかつに可能性を口にしたりしない。
クレメンテも杞憂であれば、と思っていたのだろう。
その口調は沈んでいた。
『しかし! 危険性は十分理解しているはずだ。それでもリオンは……シャルティエは奴らに従うと言うのか!』
「ディムロス……」
スタンたちにとってリオンが仲間であるように、ディムロスにとってもかつての仲間であるシャルティエが寝返るなど……まして、最終目的であったものの復活の片棒を担ぐなど……耐えがないことなのかもしれない。
彼が人間だったら、様々な表情を窺い知ることが出来たはずだ。
彼も、その事情を知りながら声を上げずに入られないのだろう。
それがわかっているから誰も非難はしなかった。
言ったきりうなるように黙り込むディムロス。
わずかな沈黙が痛々しい。
知っている分、心構えが出来ていないわけではないはずだった。
けれどそんな話をしながら嫌が応にも仲間たちに張り詰める緊張感の中、その時が近づいていると思うと……
進むことを拒みたくなる。
〝知っている〟ことがこれほど辛いと思ったことは、多分、ない。
同じ洞窟を、ヒューゴたちも、同じ方向へ進んでいるのだろう。
いっそ、追いつかなければそれもいいんじゃないだろうか?
この後に及んで、自分の考えることも愚かなものだ。
そんな考えを振り払うのが今は精一杯で。
深い地の底は、あまりにも静寂に満たされすぎていた。
空洞に響く不規則な足音がひとつ、速度をおとしたと思うとふいに沈黙した。
「どうした、リオン」
静止したその音に振り返りヒューゴが呼びかける。
足音の主は、その呼びかけには応じなかった。
「……」
「何か言いたそうだな」
まっすぐに自分を見据えたまま沈黙を決め込むその姿に、やれやれとヒューゴはかぶりを振って、どこか優しげにも見える苦笑を浮かべた。
「全く……使える者というのはどうしてこうも扱いづらいものか」
唐突に何を言い出すのか。
計りかねたリオンの眉が僅かにひそめられる。
「
……彼女を逃がしたのは正解だったかも知れんぞ」
「!」
「彼女は危険だったのだろう。どんな意図で私に従うことを選んだのかはわからんが……使えるに越したことはない。万一牙を剥くようであれば、その場で喉を掻き切るくらいの覚悟で連れて来るつもりだったのだがな」
「貴様……」
リオンの顔から一瞬、血の気がひいた。
その次に彼の顔を彩ったのは鋭い怒りだった。
そう、知っていたはずだった。
利用できるものは利用する。そうして、不用と判断したものは容赦なく切り捨てる。
そんなことは、既にわかっていたはずなのに。
「そう、その瞳だよ。彼女はお前と同じ瞳をしている。隙あらばこの心臓に楔を打ってやろうと思っている。……違うか?」
にやりと唇の端を吊り上げて、見透かしたようにヒューゴは笑う。
その手がレンブラントに連れられていたマリアンの腕を掴んで強引に引き上げた。
「きゃっ……」
「! やめろ! マリアンに手を出すな!」
短い悲鳴を上げて、すくみあがるマリアン。
その姿に顔色を変えてリオンは声を張り上げた。
「何の為に彼女を連れてきたのか……わかっているのだろうな?」
リオンの顔から鋭気が失せる。
そう。随分前に選んだはずだった。
……忘れてなど、いない。
「そうだ、忘れるな。お前には守るべき人間がいるということを」
「──汚いやり方だな」
承服した。
忌々しげなリオンの様子にヒューゴは薄い笑みを浮かべる。
リオンはその背中で、ばらばらと追い迫る足音を聞いた。
「さぁ、行け。エミリオ、彼らを止めるのがお前の仕事だ」