自分の道を貫き通すこと。
例え道は違っても、
その選択は誰にも否定はできはしない。
LAST STEP いつか還るところ
の足はそこへ踏みいれると同時に止まった。
あの場所だ。
リオンが奥へと続く、粗く削られた階段の上から見下ろしていた。
「リオン!」
立ち止まったその横を摺り抜けてスタンたちが前に出る。
リオンの視線は冷たく一同を撫でる。
立ちはだかる様子に、スタンが声を上げた。
「リオン、その先には……ヒューゴさんがいるんだろう? どいてくれ」
「残念ながらお前たちを足止めするのが僕の仕事だ。先に進みたくば僕を倒してからにするがいい」
「何言ってんのよ、あんた! 今が非常時だってコトくらいわかってんでしょ!?」
「そんなことは関係ない。僕は与えられた役割を果たすだけだ。お前たちを殺すというな」
「……あんた……マリアンさん人質にとられてるんでしょう?」
「!」
本来なら誰も知るはずも無いことだ。
解るわけもない。彼自身が、誰にも悟らせるつもりすらなかったのだから。
ふいをつかれたリオンの瞳が大きく驚きに開かれる。
「私たちが助けるわ。必ず。だから……あんたも一緒に行きましょう?」
「……助ける?」
動揺したのはほんの一瞬。
覚悟を決めた彼がそれぐらいで揺らぐことはなかった。
ふ、と嘲るように笑ってルーティを見下ろす。
「崩壊へ向かう世界に彼女を残して、それが確実に彼女を助けることになるのか?」
「!」
人質にとられている。その意味は。
彼女の命の保証。
それだけなら誰もが思っていた意味と同じに聞えるが、ヒューゴはマリアンを直接手にかけると脅していた訳ではなかった。
──これから訪れる、死の洗礼を浴びせないこと。
それでは、どんなに彼女を救うといっても通用するはずがないではないか。
「今ならまだ間に合う! 君は……事の重大さがわかっていないわけではないのだろう!?」
「わかっていなかったのはお前らの方だ。全ては……計画通りなんだよ。
……ヒューゴのな」
ウッドロウの言葉ももはやリオンには届かなかった。
彼は、すべて理解した上でこの選択を選び取ったのだから。
「あんた……馬鹿よ。あいつにいいように使われてるだけじゃない!」
「そうだ。あいつにとっては僕も使い捨ての駒の一つに過ぎない」
「どうして君はそこまでわかっていながら……」
苦痛に顔を歪める仲間たちとは対照的に、淡々とリオンは言葉を紡いでいく。
彼の役割は、時間稼ぎなのだ。
わかっていながら、
は動くことができなかった。
今までの、どんな相手よりも、どんな時よりも、
体が思うように動いてくれない。
「僕には守るべきものがある。それだけのことだ」
「何が守るべきものよ! その為に犠牲になるもののことは考えないの!?」
考えないはずがないだろうに。
「捨てられたお前にはわかるまい……」
伏せたリオンの瞳にほんの一瞬だけ得も言われぬ寂しさがよぎったのを
は確かに見た。
しかし、ルーティは一番衝かれたくないところに触れられて、さっと顔色を変えた。
過去の話はスタンと
にしかしていない。
リオンがそれを知るわけはなかったのだから。
「な、……何いってんのよ……!」
「お前は、ヒューゴに捨てられたんだよ。お前の母の名は、クリス=カトレット。違うか?」
「……!」
無意識に、だろう。ルーティの手が胸元で握り締められる。
そこには、クリスの名が刻まれたペンダントがあるはずだった。
「ヒューゴとクリスの間に生まれた最初の娘……それがお前だ。そして、その次に生まれたのが僕」
驚かないわけが無い。
ルーティだけではなく、スタンもフィリアも、ウッドロウも。
言葉を失ったまま、リオンの声が静かに紡ぐその事実を呆然と、だが確かに彼らは受け止めていた。
「そして、ヒューゴはお前を……」
『もうやめて!』
「……おや、ルーティには話していなかったのか?」
アトワイトの制止の声にも、リオンは嘲けるような笑みを浮かべてそう続けただけだった。
どこか憤慨したような口調から今は確信的に、冷笑でもって。
「薄情だな」
カツン、とブーツの底が硬い岩盤を踏んだ。
ゆっくりと降りてくるその手でシャルティエを抜き取って。
「さて、優しいお姉さん……
それでも僕を殺せるかい?」
呆然と、唇をわななかせて立ち尽くすルーティにシャルティエをつきつけるリオン。
「僕は殺せる。大切なものを守るためなら、例え親でも兄弟でも、だ」
笑みが消えた。
暗く場違いなほど物静かな眼差しが本気であることを告げていた。
憂いに沈んではいたが、全てふっきったかのようなくもりの無い鋭さ。
リオンはおそらく、本気で討ってくる。
「駄目だ! やめろ!」
シャルティエを振りかぶったその間にスタンが割って入った。
しかし、それだけでは攻撃の手は止まらない。
彼にとっては、相手がスタンでも、ルーティでもいずれ同じことだ。
「やめろ! リオン」
「言ってる場合か? お前の世界を救う覚悟とやらはその程度か」
スタンは戦意を喪失しているルーティから引き離そうとするが、リオンは容赦なく攻め立てる。
もとより剣技においてはリオンの方が上だ。
力で押せば、切り返すこともできようが、気負いの浅いスタンは押されていた。
まるで、動き出した運命を見守るようにただ、立ち尽くす
。
その視界に
が入っていないわけはないだろう。
それなのに時折背中を向ける形でスタンと向き合う。
あまりにも無防備な背中。
戦闘中に敵に背中をむけるなど彼であればありえないことだ。
まさか、彼は私に刺せとでもいうのだろうか。
できるはずが、ない。
どうしろというのか。
ここまできて何をしていいのか……否、何も考えることすら忘れてしまったようで。
ともすれば膝をついてしまいそうになりながら、
ただそれを見ているしかなかった。
こんなに立ち会うことが苦しいなんて。
それはほんの僅かな時間だったろう。
だけでなく他の誰もが手をこまねいているその瞬間は果てしなく長くも感じられた。
いつまで続くのか。
ただ、それだけを思い始めた頃に──
銃声が響いた。
まるで悪夢のような時間から、現実に引き戻される。
仲間たちが、我に返ったようにそちらを注視すると、そこには銃口を天へ向ける
の姿があった。
思わず手を止めたスタン。
それには構わずリオンは
に向き直る。
次の瞬間ゆっくりと銃口はリオンへと向けられた。
沈黙が薄暗い洞窟内を占拠する。
「お前に僕は殺せない」
まっすぐに視線を捕らえながらも、相変わらず乱れの無い様子でリオンは告げる。
はそれをどこかわずかに脱力した気持ちで聞いていた。
「そうだね……だから、もうやめよう?」
一瞬リオンの瞳が暗闇の中で揺らいだように見えたのは気のせいだろうか。
だが、その鋭利な切っ先を
へと向けるリオン。
「お前が僕を殺さないなら、僕がお前を殺す」
言葉とは、なんと無力なものだろう。
愛する人を生かすためにその人が生きる世界の破滅を招くことになるだろう、矛盾。
逃がそうとしたのに追えと言う矛盾。
リオンの真意を読み取ろうとしたが、あまりにも複雑なそれは、既に伝えられる術すらなかった。
それでも銃を下げるわけには行かず互いに刃を向けたまま対峙する。
自分もだ。
やめろといいながら、なぜ銃など彼に向けているのだろう。
それこそ矛盾ではないか。
その事実にふ、と苦笑がもれそうになった。
わずかな沈黙を伴ったその刹那、その刻は訪れた。
ひたりと据えられたシャルティエが躍動直前の僅かな動きを見せる。
「っ! やめるんだ、リオン!」
見咎めるスタンの声。
リオンは、シャルティエを孤を描くように一閃させた。
待っていたような躊躇の無さで、
一撃は、制止しようと叫んで近づくスタンに向けて。
鋭く放たれた急襲にスタンから余裕が消え失せる。
シャルティエを受け止めて、我を忘れたように剣を弾くスタンは必死だった。
一撃、二撃……
それもまた、ただそれだけのほんのわずかな時間であったが。
「ぐはっ……!」
三度目の剣戟は同時に鈍い音を伴ってリオンの体に悲鳴を上げさせた。
はっとしたように体を強張らせるが遅い。
左腕から腹部まで大きく裂かれた痛みにシャルティエを取り落としそうになりながらよろよろと後退し、リオンはがくりと膝をついた。
その様に誰もが血の気をひいたような顔で動けないでいる。
まるで時間が止まってしまったかのように。
いっそ止まったらば良かったのだ。
そうしたら、まだ取り乱す余地もあった。
しかし、無情にも時は止まらない。
始まりの、あるいは終わりの?
──震撼はやってきた。
「じ、地震?」
ぱらぱらと岩壁から土片が降ってくる。思わず見回しながら呟く誰かの声にはひどい焦りの色が浮かんでいた。
よくよく感じ取ろうとすれば、ふたつの振動が聞えたろう。
ひとつは島全体が揺れる音、そうしてもうひとつは海水の押し寄せる、その音。
「く、ははは……終わりだな」
リオンにはその両方が聞えていたのかもしれない。
スタンたちは何が起こっているのか理解し難いといったままの顔を、笑みを落とすリオンに向ける。
「そして、始まりだ。終末の時計は動き出した。もう誰にも止められない」
「リ、リオン……っ」
「寄るな!」
有無を言わせない口調にびくりと伸ばしかけたスタンの手が止まった。
拒絶するよう二歩三歩と下がり、距離を取る。
それからまろぶような足取りで階段を上がっていく彼の後姿を仲間たちはただ呆然と見送った。
轟音。
明らかに初めの震えとは違う地鳴りが轟きながら迫っている。
足元から湧くような振動に顔を上げた瞬間。
はがれた岩の割れ目から海水が噴き出した。
『いかん、島が沈むぞ!』
岩盤が崩れ落ちる。
次々と訪れる水流はあっというまにいく筋も細い滝を岩壁に描き出した。
落ちた岩肌を横目にウッドロウが叫ぶ。
「脱出を!」
「でも、リオンがっ!」
もう間に合わない。
行く手を塞ぐように階段を滑り落ちる水流にウッドロウが首を振る。
スタンが諦めるはずはなかった。
「駄目です! 置いてなんていけません!」
『馬鹿を言うな! 自分も死ぬつもりか!』
「だって、怪我だってし……うっ!?」
「すまない。我々がここで死ぬ訳にはいかないんだ」
「ウ……ッドロウさ……ん……」
どすり、と鈍い音。
スタンの体が大きく前のめりに沈む。ウッドロウの拳がその腹部を捕らえていた。
「
君、君も早く!」
その声にはっと振り向くとウッドロウがスタンを肩に担ぎ上げ、既に足を脱出口へと向けていた。
フィリアが茫然自失としたままのルーティを連れ、後ろを気遣いながらも背を向ける。
その二人と視線が合って、互いの意志を確認し合うような間が流れた。
だからだろう。
脱出へ向けて駆け出した。
当然、着いて来るものと思っていたに違いない。
もう振り返らない仲間たちの後姿を、 はただ見送っていた。
轟音も遠い。
まるで破滅の胎動だ。
リオンは岩壁に背を預けて、延々と続く振動を遥かに聞いていた。
もう僕には、関係の無いことだ──
しかし、ふと、視界の端に影が映り。
リオンは顔を上げ、もう遠のきはじめていていたはずの意識の中、目を見開いた。
濡れそぼったまま傍らに立って自分を見下ろす の姿がそこにある。
『
、君……』
シャルティエが驚いたように、しかしどこか弱々しい声を上げた。
「ごめんね、私にはその傷を癒す力はないんだ」
「……」
なぜ逃げなかった……?
疑問は言葉にはならなかった。
呼吸もままならないながら己の身がどうなっているのかを思い知るのが関の山で。
は血に濡れた服に隠された見えない傷を覗き込むようにリオンの前にしゃがみこむ。
バカが……
視線と共に落とした彼の呟きは崩壊へ向かう轟音にかき消されて聞こえることは無かった。
その苦々しさは果たして、もう立ち上がることは出来ない深い傷によるものか、
それともどこか別の場所から来るものなのかは定かではない。
喘ぐような呼吸で俯く。
わずかな間があって、その力ない手に
の左手が重ねられた。
表情を隠そうとするかのように影を落とす黒髪の合間で紫の瞳がかすかに揺れる。
血の気を失っていくリオンのそれより濡れて冷えきった指先。
それから右手で包むように彼の手を握り、
はその隣に腰をかけた。
運命を変えられなかった。
その口元にはただ静かな苦笑が浮かんでいることをリオンが知る由もない。
ほんの少しだけ、躊躇する気配。
それから控えめに寄り添った温もりを、ただ記憶に留めておこうとするかのようにリオンは身動き一つしないまま。
「……一人じゃないから」
果たしてそれは誰に向けられた言葉なのか。
遠い現実感の中でゆるやかに、僅かながらも首を巡らすとすぐそこに
の姿をみつけた。
は彼と同じように岩壁に背を預けて、だが、もうずっと遠くを見つめているようだった。
淡いベールのかかった意識がそのまま何かに呑み込まれるように。
落ちて行くその中で、リオンはつながれた手に力を込める。
もはやそれも、指先が動くばかりのわずかなものでしかなかったが……
自分よりも冷たく、細い手。
自分でもわからない。
その何かを伝えようとした彼の意識はそのまま深淵へひきこまれていった。
確かに、そこにある。それだけが本当で。
最後の瞬間に感じられたのは、隣にある温もり。
ただ、それだけの存在。