それでも僕は、
全てを隠したまま やり遂げなければ…
--OverTheWorld.12 白灰(はくかい)の海 -
更に待つこと数日…修繕を終えた船は再びハイデルベルグへの航路をとった。
帆に風を受けて滑るように進む。
その後は、天候にも恵まれ航行は順調だ。
やがて、晴れている日でも陽が高くなるまで風が冴え渡る冷たさを感じさせるようになった。ファンダリアが近づいた証拠だった。
あまりに寒いのでコートを羽織りつつも操舵室近くのバルコニーから下方の甲板を見下ろしていると、リアラがやってくる。
「もうすぐ、スノーフリアね」
「うん。予定より早く着くらしい。…船旅も終わっちゃうね」
フォルネウスに襲われたもののそれ以外の船上はのんき以外の何者でもない。
今のところは気楽な旅で、そう言ってしまうと名残惜しい気もする。
もっとも船の上では行くところは限られているのでカイルなどは既に飽きが来ている頃合だ。
リアラにしてみてもファンダリアが近くなれば本来の目的のことが気になって仕方がないようだった。
彼女は隣に並んで少しためらうそぶりを見せてから、思いつめたような顔を
シン
に向けた。
「ねぇ
シン
。いつか英雄って何か、聞いたでしょう?」
「?あぁ、訊いたね」
デビルズリーフに着く直前の船の上での話だ、とすぐに記憶をたぐり寄せる。
「私、あの後考えたの。英雄は…私にとってやっぱり必要なもの。目的にたどり着くために必要なものなの」
「うん?」
「でも、自分のことばかりで人がどう思っているんだろう、なんてこと考えなかった。」
それは余裕がないからだろう。
リアラは主観的だ。
それも同じく主観的なカイルと違って、自分とは異なる考えをすぐに受け入れられる余裕がない。
良い言葉でいえば信念、悪い言葉でいえば意固地なのは彼女が「聖女」という使命を持っているからなのかもしれない。
それも仲間と一緒に旅をすることで徐々に軟化してきたのならまぁいいことだ。
「
シン
はどう思うの?」
「それを聞いてどうするの?」
手すりに頬杖をついたまま笑むと、真面目な顔だったリアラは一瞬瞬いてから頬を膨らませて小さく手を振り上げる真似をした。
「もうっ、意地悪!」
しかし苦笑する
シン
を見た時には、その頬も緩んでいる。
「英雄かぁ…『英雄とはなろうと思ってなれるものではない』。」
「え…」
「いや、これはジューダスの持論。カイルがあまりにも能天気だから彼の投げかけた第一声」
「…ジューダスの…」
「つまり、英雄って言うのはその人自身が決めることじゃないってことじゃない?リアラが今聞いた意味とは少し違うけど…英雄を探しているなら頭に入れ
ておくのもいいかも」
「うん。」
リアラは素直に反復しているようだった。
「私は…英雄、っていう言葉自体がよくわからないな。」
「わからない?」
「うん。英雄は誰かが誰かの功績を讃えて使う言葉だから…それを使うのはそこに居合わせなかった人たちだったり、人から伝え聞いただけの人だったり…
本当は結末しか知らない人たちかもしれない。」
居合わせた人間は往々にして、英雄と「呼ばれる側」であり、そこに至る道が複雑であるほど多くは語らない。
「世に言う英雄、はそれくらい信憑性の無いものなんだと思う。本当に何があったかなんて、その場に居合わせた人間しかわからないしね」
ふと、翳りをよぎらせ瞳を伏せる
シン
。
それがどこか遠くを見ているようでリアラは声をかけることが出来なかった。
すぐに意識をこちらに引き戻してくる
シン
。
「英雄なんてどこにでもいるし、どこにもいない。」
この言葉は英雄を捜すリアラにとって痛い言葉だ。いないなどといわれたら一体どうすればいいというのか。
しかし彼女は別の可能性も示唆することを忘れなかった。
「ただ、他の誰がそう思わなくても、自分がその人を英雄だと思えるならそれも有りだと思うよ。」
と
シン
は自分の額にひとさし指を添える。
「要は自分の目で見て、ここで考えろってことかな」
「それって…なんだかすごく
シン
らしい」
そうだろうか。
話しているうちに自分でもよくわからなくなってしまったのが実情だ。
ただジューダスの言うことは、裏を返せば英雄という「称号」であるだけで、大した意味はないのだとは思う。
…意味はなくても価値はある。この不思議。
そんなこといったらますますリアラが混乱することは目に見えているので黙っておくことにする。
リアラは使命と感情の狭間で複雑そうながら、今は頬をゆるめていた。
「リアラの探している英雄がみつかればいいとは思っているよ。ただ英雄を定義するのは止めた方がいいかもね」
「うん。そうする…大丈夫、私には───があるから」
ペンダントがあるから。
自分に向けて呟くリアラの聞えない部分を心の中で補足する。
力への依存が伺える、ちょっと危険な発言だ。
シン
はちょっと眉を顰めたがそれ以上話が進むことはなかった。
いつものようににこやかに顔を上げたリアラがその先に仲間の姿をみつけたからだった。
「あら?ジューダスとロニじゃない?」
カイルの姿はない。
珍しい取り合わせにしばし眺めているとどうも険悪なムードであることは傍目にも伺えた。
「…またあの2人は…」
「行ってみましょう」
* * *
前部デッキへとやってきたカイルはふいに耳に届いたごねるような口調に歩調を速めた。
「だからぁ、そういうつもりで聞いてるんじゃねぇんだってば!」
ロニの声だ。
何事だろうか。
声の方へと顔を向けるとすぐにロニと、彼と相対するジューダスの姿をみつけたがカイルの姿には気づかずロニは声を張り上げていた。
「スタンさんが冒険に出ていたのももう十年以上も前の話だ。ノイシュタットが変わったってのもその頃の話だろう?けどお前は色々知っていたみたいだっ
たから…」
「だから疑わしいと。回りくどく言わずともそんなに信用できないならはっきり言ったらどうだ」
「だからなんでそうなるんだよ、そんなこと一言も言ってね…」
「ストーーーーップ!!!」
手が出そうなほどの険悪なムードにカイルが思わず割って入る。
「2人とも、一体どうしたって言うのさ!」
ただならぬ緊張感は解かれ無いまま、ジューダスは仮面の奥から抑揚の無い声で冷たく言い放つ。
「僕が18年前のことを…スタンのことを知りすぎているから疑わしいそうだ」
「だれがんなこといったよ。年をきいただけじゃねぇか!!」
「あぁもう!ちょっと待ってよ!!ロニはジューダスの年齢を訊いただけなんでしょ?ジューダスは話したくないんだよね。じゃあこの話はこれでおしま
い!」
「カイル…わかりやすいね。」
「あっ
シン
、リアラ!」
マストの柱の影から2人が顔を覗かす。ただならない様子と見るや駆けてきたのだ。
その会話も、もちろん2人に届いていたようだった。
笑顔で迎えたカイルの後ろでジューダスはつい今し方のカイルの発言に、低く否定の声を漏らす。
「そうもいかないようだ。僕の正体が気になっている人間が、もう1人いるらしい」
「えっ……リアラ…?」
カイルがジューダスと、後から現れた2人の姿へ視線を往復させるとリアラが沈んだ面持ちで前に出る。
胸の前で手を組んで、迷うように視線を足元にさ迷わせていたがやがて彼女も戸惑いがちながらに口を開いた。
「私も…ずっと気になっていたの。私はあなたに会ったことが無い。なのにどうして…」
「どうして私の力のことを知っているの、か」
先をそっくり返されてリアラははたと息を飲む。
「僕の正体を知りたいというのなら、まず自分が何者か言ってみろ。そうしたら僕も話してやる」
「それは…その…」
重苦しい沈黙が流れる。その中でジューダスだけはまっすぐに、どこかくらい憤りを込めて毅然と仲間たちを見渡していた。
「自分のことは話せない、けれど人のことは聞きたい、か。身勝手なことだ。
なにもかも話さなければ共に行けないというのであれば、僕はスノーフリアに着いたら消える。じゃあな」
反論の隙を与えずに、
シン
の顔すら見ずにジューダスは仲間の間を擦り抜けて甲板の人波の向こうに消えた。
「ジューダス!待ってよ!!」
カイルは慌ててその後を追った。
ロニにリアラをお願い、と言い残したカイルだがお願いされるほど残ったロニはしゃんとしてはいなかった。
残された2人の間には気まずい沈黙が降りている。
ジューダスの怒りを買って、挙げ句、自分の投げた矛先を手痛く返されたという意味では2人は同類だ。
「え…と…ロニ?」
視線が上がるのを確認して、
シン
は短く訊ねた。
「そんなにジューダスのことが知りたいの?」
「だから…オレは年を聞いただけだって」
「ジューダスが自分のことを詮索されるの嫌いなのは知ってるよね?」
知りたいと思うのは悪いことではない。けれどバツが悪そうに応えるのはそれも否定できないと自覚があるからだ。その次の問いに対しても口を閉ざすこと
でロニは自らそれを証明していた。
「知ってるなら次から気を付けたらいいんじゃない?それにさ…」
リアラへも視線を流してちょっと考えてから真っ向言い切る。
「私がスタンの隠し子だ、って言ったら2人は信用するわけ?」
「はぁ!?」
「つまりそれくらい生まれ育ちを偽ることは簡単だってこと。ジューダスが疑われてもそれをしない理由も考えてみてよね。」
そう人差し指をつきつけながらすいっと踵を返す。去り際、肩越しに一言残すことも忘れなかった。
「ジューダスが仲間からはずれるなら、私もスノーフリアでさよならなんだから、よく考えておいてよね!」
「そんなことあっさり言われても…」
後には呆然と見送るロニとリアラの姿があった。
その頃ジューダスは、ようやく彼の居所を探し当てたカイルによって説得されていた。
カイルが船内をあちこち探してまわっていた時間差で、まっすぐここまでやってきた
シン
は既に彼らより一段上の通路で足を止めている。
パイプの手すりに沿って階段を降りればすぐ合流できる位置だ。
それでも、口を挟む気はなく冷気をはらんだ風に髪を遊ばせながらかすかに届く声を聞いていた。
「なぜだ?どうして僕を信じられる?何も明かそうとはしない僕を…」
ジューダス自身、正体を明かせないことに息苦しさを感じていない訳ではない。
それはシャルティエだけには痛いほど届いているはずだ。
それでも信じると言ってきかないカイル。
ジューダスの問いは、疑問ではなく反動であり…だがカイルにとっては単純な問いかけだった。
彼の反応は馬鹿正直で返事は単純明解だ。
「なぜって…うーん…そうだなぁ
ジューダスが好きから…だと思う」
ジューダスだけでなく、今の彼にとって仲間の全員がその言葉でひとくくりにされることであろう。
そういう意味ではその先に続く言葉も含めて
シン
の言葉も同然だ。
なおも問答は続き、その果てにカイルは、彼にしてはよく考えた核心に行き着いた。
「あのさ、ジューダスは相手の秘密、全部教えてもらったら好きになれるの?」
「それは…」
「そうじゃないよね、秘密があってもなくても関係ないんだ。信用できるかどうかなんて、一緒に居ればわかることだし…だからオレ、ジューダスが好きだ
し信じられるよ!」
「カイル…僕は…」
「それがいいたかっただけ。じゃあね!」
じゃあねってお前。
今、ジューダスは何かものすごく言いかけてたけど…?
欄干についていた頬杖をがくりとはずしそうになって
シン
はようやく視線を下へと降ろした。
言いたいことだけ言ってすっきり何事も無いかのように気が済んでしまう。
スタンといわずまさしく両系の血を引いている趣だ────
ジューダスはその背中をじっと見送っていたがやがては暗くなってきた海へと視線を馳せた。
「今度は違う、そう思っていた。だが、結局は同じことを繰り返している…」
「そう?私にはそうは見えないけれど」
「!」
他に人気のなかったはずの狭い通路を振り返ると、カンカンとアルミの音を軽く鳴らして
シン
が階段を降りてきたところだった。
「…聞いていたのか」
趣味が悪いぞ、と言われてやや眉を寄せる
シン
。
ジューダスはそれを見ること無く再び海へと向き直る。
先ほどまで晴れていたはずの空は深い霧のような白い雲に覆われはじめていた。
太陽は雲の向こうで輪郭だけをぼんやりと浮かびあがらせている。
吐く息が白い。
いよいよスノーフリアに近づいてきたのだろう。
「ジューダス…カイルたちと一緒に、行けるよね?」
「…」
「行っておくけどジューダスがスノーフリアで消えるってことは私だって一緒に抜けるんだからね?黙っておいて行かれても困るよ!?」
「わかった、わかったから揺さぶるな」
だーもぅ!とばかりにマントを掴まれはっきりしろと迫られたジューダス。
行くにせよ行かないにせよ1人で計画を練られていても困る。
そんな気持ちも半々に込めて言うと彼は都合の良い方で解釈してくれたらしい。
シン
は彼から返事があるやあっさり風味で手を放した。
「じゃあ戻ろう。寒いよ」
「僕はもう少しここにいる」
「頭、冷やしてくるの?」
そうしてむっとさせることに成功する。
「中に入ろう?ほら、雪が降ってきた」
空を見上げると風が運んでくる細い雪。
白い陸影が視界の端に映り込む。
あれはファンダリアの東の海岸線だ。
この様子だと一両日中にはスノーフリアへ着くだろう。
シン
はジューダスの視線が自分に戻るのを待って中へ入る扉をくぐって消えた。
『坊ちゃん』
背中で
シン
にも聞えない声でささやくシャルティエ。
その声にいつになく諭すような韻が込められて聴こえるのは気のせいか。
『坊ちゃんだってカイルと同じですよ。一番近くにいるじゃないですか。
何も判らないのに、信用してる人。』
何も知らない。
過去も生まれた場所も、年すらも。
視界をかすめるのは白い雪。
微かに瞳を伏せ、ジューダスはカイルに言われたことを反芻していた。